第3話 眠るソナマナン
〈白鴉屋〉からそう遠くない地区。
繁華街の一角に位置する裏通りの行き止まりに薄汚れた平屋の建物がある。
そこに足を踏み入れたクルシェはまったく人影のない屋内を見渡した。
調度品がないため室内は広く感じ、埃の積もった床は医療行為が行われるとは思えない不潔さだ。
奥に続く扉に向かうクルシェの足元から埃が舞い上がり、薄明かりのなかで光の粒子となった。クルシェが近寄ると扉は向こうから開かれる。
扉から現れたのは、四十過ぎに見える男だった。すでに白髪が半分ほど混じった頭髪は延び放題で手入れされている様子はない。眼鏡の奥にある茶色の瞳は無感動にクルシェを見返す。
人間の外見よりも中身、それも肉体的な領域にしか興味のない男なのだ。
「ソナマナンの見舞いにでも来たのか」
「なぜ、分かるの」
「今はソナマナンしか患者はいないし、あんたは治療を必要としているようには見えん。それに頭の不具合は専門外だからな」
「ソナマナンは?」
「奥にいる」
案内しようともせず、クルシェを残して男は出ていった。
クルシェは奥の部屋に入ったが、ソナマナンは見当たらない。まだ二つの扉があったので、適当に片方の扉を選んだクルシェは、やっと目的の人物に出会えた。
ソナマナンは目を閉じて寝台に横たわっていた。この小汚い建物ではそれが異物であるような白い掛布を掛けられており、その下は素肌で寝ているらしい。
白い布に溶け込む肌理細かい肩の肌が覗き、左肩には包帯が巻かれていた。血を流し過ぎたのか顔色は青ざめているが、寝顔は穏やかだった。
「ソナマナン」
クルシェが呼びかけても反応は無い。
「ソウイチを守ろうとしたのよね」
応えが無いことは承知でクルシェは独語した。
「こんなことになるなんて、思いもしなかったわ」
クルシェは掛布のなかを手で探ると、ソナマナンの手を握った。
「ごめんなさい。逃げると思っていたわ」
それはクルシェの懺悔だった。
昨夜の敗北でクルシェが九紫美に勝てないことが明確になった。それに加え、〈月猟会〉から敵だと認知されたことで、逆に生命を狙われる立場に陥ったのだ。
これまでこの街で生きてきたクルシェとは違い、ソナマナンは街を去ることに抵抗は無いだろう。
逃げることを決めたのなら、別にソウイチと行動を共にする必要はない。さっさとソウイチを見捨てて逃げてしまってもよかったはずだ。
それをしないでソウイチの盾となったことに感謝するべきだった。
「ごめんね、ソナマナン」
クルシェは手を放すと、ソナマナンの顔を脳裡に焼きつけるように見詰めた。
それも数秒のことでクルシェは踵を返す。
ソナマナンの寝ている部屋を出ると、どこかに外出していた男が戻ってきた。
両手に袋を提げているのは、食料でも買い出しに行ったからだろう。
「ありがとう。もう行くわ」
「そうか」
男は見向きもせずに返答したが、ふとクルシェを呼び止める。
「あまりソナマナンに無理をさせないでくれ」
意外な言葉が男の口から飛び出し、クルシェは僅かに両目を見開いた。
「心配しているの?」
「いや、あの女の治療は手袋や替えの服が大量に必要でな。その分の料金は貰うが、廃棄が面倒で敵わない」
「はあ。分かった」
最後まで男に面食らいながら、クルシェはその場を後にした。
かなり短いシーンです。元々公募作として書いているため、シーンごとにページ数に偏りが出てしまいすみません。
ソナマナンの能力はともかく人格の評価は高くなかったクルシェですが、ここで初めてソナマナンに感謝しています。
ソナマナンの立場としては、スカイエに雇われているだけのソウイチを守る必要はないですね。
それでも身を挺してソウイチを庇ったのは、それだけソナマナンには仲間意識があったのかもしれません。一緒にギャグをする仲なので、意外とソナマナンもソウイチを好きなんでしょうか。




