第6話 〈白星を招く足〉ウィロウ・ホワイト
〈月猟会〉若頭のクオンが飲食店の個室で食事をしている間、九紫美は個室の壁際に立って周囲の警戒を怠っていなかった。
もちろん九紫美以外の護衛もおり、表に停めてある車や店の前に待機している。そのなかでも、個室まで随伴を許されているのは九紫美だけだ。
ハチロウとエンパは部下を率いて、昨夜取り逃がしたリヒャルトを捜索している。自分が行くと申し出た九紫美を止め、ハチロウが出ていった。
ハチロウは九紫美とクオンに気を回しているのもあるだろうが、毎度クオンの護衛として押し込められていては気が滅入るのかもしれない。
しかし、九紫美とクオンはハチロウが想像する関係でもない。食事を一緒にしようとクオンが誘ってくれたが、九紫美は断って警護をしている。
確かに今日だけのことではなく、クオンと共に食事をする関係もありえたかもしれない。だが、クオンが九紫美に望んでいることは、そうではないはずだった。
九紫美が内心の憂悶を溜め息にして押し出したとき、クオンの携帯電話が鳴った。
「俺だ。ほう、そうか。意外と早かったな。ご苦労」
手短に受け答えを済ませ、クオンが九紫美に顔を向ける。
「〈白鴉屋〉のソナマナンとクルシェが〈さよなら亭〉を襲っているそうだ」
「あら、本格的にウチと事を構えようと?」
「先手を打ったと見るべきだろうが、どちらにしろ殺すつもりだったんだ。むしろこっちに殺す理由ができただけ、感謝したいくらいさ」
クオンはいい終えると、急いで残りの料理を口に詰め込み始めた。
食事を中断するほどのことではないと考えているのだ。九紫美も同意で、クオンを急き立てることはしない。
「ハチロウとエンパを〈さよなら亭〉に向かわせて、俺も君と一緒に行こう」
「そんな! そこまでする必要は……」
「無いだろうけど、後顧の憂いは完全に断っておこう。昨夜の例もある」
それを持ち出されては、九紫美は黙るしかない。
「それに今夜は、ウィロウとコホシュが〈さよなら亭〉に詰めているからな。実力はエンパ如きと比べるべくもない二人だ。あの二人でもクルシェを始末するには充分だろう」
「ウィロウとコホシュがエンパに従っているのは、単に二人が〈月猟会〉に在籍して日が浅いというだけだからね」
かつてウィロウは興行の格闘技選手をしていた。試合中に三人の対戦相手をわざと『不慮の事故』に合わせたため、その世界を追放された経歴を持つ。
コホシュは別大陸の警官だった。仕事で初めて犯罪者を射殺したとき、人を銃で撃ち殺すことが好きだと自覚してここまで流れ着いた。
〈白星を招く足〉、ウィロウ・ホワイト。〈黒塗りの規律〉、コホシュ・ブラックの両名がクルシェたちを殺害することは大いに有りうることだ。
九紫美が物思いから帰ってクオンを見やると、手掴みで最後の肉の一切れを口に押し込んでいるところだった。
「って、クオン、さすがに行儀が悪いわよ!」
「はは、こっちの方が慣れているのは知っているだろ。あと、九紫美、これ好きだったはずだ」
そう言ってクオンは苺を摘まんだ手を差し出し、九紫美は僅かに逡巡して掌を出した。クオンの指を離れた苺が、九紫美の掌に落とされる。
「さあ、行こうか」
「まったく……」
九紫美は苺を口に放り込み、クオンの背に続く。
クオンからもらった苺は、とても甘かった。
ウィロウが拳銃を取り出すとクルシェは警戒した。
取り出した銃口を向けることなく、ウィロウは両手を上げて頭部を守っている。軽く爪先立ちになり、摺り足でクルシェに接近してきた。
ウィロウが足を止めたのは、それが間合いだからなのだろう。手が届く距離ではなく、狙うとしたら蹴りのはずだ。
クルシェは全身に警鐘を鳴らし、右手にナイフを握って身構えた。
突如、ウィロウの右足が掻き消える。クルシェが反射的に両腕で左即頭部を守ったが、衝撃はそれを貫通して脳にまで響いた。
よろめきつつも体勢を整えようとするクルシェの腹部へと第二撃。
後方に弾かれたクルシェが円卓に激突し、その勢いを殺さずに卓上で回転しながら反対側に降り立つ。
「あいつ、強いぞ?」
驚きのせいか間の抜けたソウイチの声が場に流れた。
クルシェもソウイチに同感だった。ウィロウが蹴りを放つのは予想できたのに、速すぎて避ける動作すらできなかった。
「あんた、やるじゃないか。腹を蹴った感触が浅かった。わざと吹っ飛んだろ」
ウィロウは先制したことで慢心せず、再び静かに歩み寄る。まだ様子見の段階のようだ。
クルシェはウィロウの実力を上方修正すると、左掌から投擲用のものより大振りの短剣を取り出した。
亡きフリードから受け継いだ〈死期視〉。
クルシェは死期視を握った右手を胸の前に掲げ、切っ先を斜め上に向けて構える。自然な構えでクルシェに一番馴染んだ姿勢だ。
ウィロウが踏み込みざまに右足を蹴り上げた。直接クルシェを狙わず刃を弾くつもりだ。今度はクルシェも反応し、刃を振るって迎撃。
両者の間で火花が散る。ウィロウの靴底に仕込まれた鉄板と刃が打ち合ったのだ。足を下ろさず、宙に上げたままウィロウが連続して蹴りを繰り出した。
四発まで防がれたウィロウは仕切り直そうと後退。それに乗じて追い打ちをかけようとしたクルシェをウィロウの銃撃が押し留めた。
双方が一息吐いた。
短い睨み合いを経て、先にウィロウが動く。
ウィロウが横手にあった椅子を蹴り飛ばす。床を滑走する椅子が迫り、クルシェが踏み出した右足を軸にして跳躍すると椅子を跳び越えた。
その隙を突いてウィロウの右上段蹴りが繰り出されるも、着地と同時にしゃがみ込んだクルシェの頭上で唸りを上げただけだった。
一撃を外して半分背中を見せているウィロウへ、クルシェが刃先を突き込もうと迫る。ウィロウは体勢を崩したのではなく、回転しながら予備動作を終えていたのだとクルシェは気付いた。
跳ね上がったウィロウの左足裏がクルシェの左横顔を急襲。辛うじてクルシェは身を沈めてやり過ごすと、すれ違うようにウィロウの後方へ駆け抜けて距離をとった。
クルシェは左手の指先で器用に左掌からナイフを一本取り出す。クルシェが振り向きざま投擲したナイフをウィロウは銃で払い落とした。
「ガキのくせに結構強いね。でも、あんた如きを旦那が高く買っているのが気に入らない。何がそんなにいいのだか」
「随分、ハチロウのことが気になるのね」
「あたしが見たなかで一番強い男だかんね。私は強い男が好きなのさ」
「少女を殺して喜んでいる男だと聞いたけど」
「旦那自身があれは冤罪だって仰ってるわ。だから……確かめてみたら? あの世にいる被害者の小娘にさ!」
ウィロウが足を上げたとき、その動きを見切り始めたクルシェが先んじて頭部を防御。クルシェの頭へ向かった足先が突如として軌道を変え、膝下から角度を変えた蹴りが腹にめり込んだ。
見切ってなかった。
クルシェが苦痛に身を折り、その額をウィロウの踵が小突いた。威力は無くてもクルシェを後ろによろめかせるには充分だ。
ウィロウが会心の笑みを浮かべつつ、時計回りに身体を回転させる。勢いの乗った右回し突き蹴りが襲ってき、十字に組んだ両腕の防御を押し潰してクルシェを吹き飛ばした。
背後の壁に背中を打ちつけたクルシェが顔を歪める。さらにウィロウの左足が右肩を直撃し、たたらを踏んだ。
「クルシェ、大丈夫か⁉」
クルシェの危機と見たソウイチが駆け寄ろうとしたところに、ウィロウが銃口を向ける。顔を引きつらせてソウイチが立ち止まっても、ウィロウは残忍な笑みを口元に浮かべたままだった。
「ついでにあんたも殺しておけってさ」
「俺の価値って……?」
まだトドメを刺していないクルシェを警戒し、ソウイチは銃で済ますつもりらしい。
全身を駆け巡る苦痛を無視してクルシェが疾走。ソウイチに辿り着くと同時に押し倒すと、その後を追って銃弾が空間を食い破った。
円卓を倒してその陰に二人は身を潜める。木製の円卓の表面を弾丸が穿つ音を聞きながら、クルシェが血の混じった唾液を吐き捨てた。
「クルシェ、血が……⁉」
「口のなかを切っただけよ」
銃撃が止み、ウィロウが弾倉を入れ替える音が聞こえた。
「ちょっと手を貸して」
「よし、何だって任せろ! ……て、おい?」
クルシェはソウイチを後ろ向きにして円卓から引きずり出した。ソウイチの背嚢に何発もの銃弾が撃ち込まれる。
「俺を盾にせんでくれ!」
泣き叫ぶソウイチの横からクルシェが走り出た。予期していたようにウィロウが迎撃の姿勢をとり、右足を蹴り上げた。
中段蹴りから超速の上段蹴りに移行した一撃をクルシェが掻い潜る。そこまでウィロウは織り込み済みで、角度を変えたウィロウの足先が踵落としとなってクルシェを猛襲。
必殺の一撃を躱そうとクルシェが首を逸らすも、避けきれずに側頭部をウィロウの踵が直撃した。
「どうだい!」
加虐の喜悦を含んだウィロウの声音が放たれる。クルシェは意識を失わずに耐え抜き、その眼光を正面から浴びたウィロウが息を呑んだ。
クルシェの左手が閃く。
投げ打たれたナイフに軸足となる左足を貫かれ、体勢を崩したウィロウにクルシェが突進。二人がもつれて倒れ込んだ。
酒場のなかに絶鳴が響いた。
クルシェがウィロウの胸に刺した死期視を引き抜いて顔を上げると、その頬には返り血がひとひらの花を咲かせていた。
対ウィロウ戦です。
ウィロウは元格闘技選手ですが、対戦相手を何人も意図的にリング上で殺害している悪い女性です。
何となくツワモノ感を出していますが、相手に銃を使われたら手も足も出ないんじゃないでしょうか、と作者は思います。
そういう都合の悪いところは目をつぶってお読みいただけるとありがたいです。本作は娯楽作品になっております。




