第5話 〈別離にさよなら亭〉の番人
夜になった。
繁華街が賑わう時間になり、人々は一夜を過ごす時間を求めて街を歩いている。
その群衆に何気なく混じっているのは、この喧騒と混沌のなかでも冷静という仮面を被ったままのクルシェだ。
クルシェに並ぶソウイチは平素と違い緊張した面持ちをしている。
さすがに場数を踏んでいるだけあってソナマナンは落ち着いており、声をかけてきた酔漢を笑顔であしらう余裕もあった。
「手筈通り行くわよ」
「おう」
今夜を流血で彩る舞台にクルシェが選んだのは〈別離にさよなら亭〉だった。
乱闘になったときの広さは充分だし、クオンにとっては重要な拠点のはずだ。ここを陣取れば黙っているわけにはいかないだろう。
クルシェとソウイチは正面から、ソナマナンは裏口から突入してこの酒場を占拠する。〈さよなら亭〉が占拠されたと知れば、クオンはハチロウか九紫美を送り込んでくるだろう。
九紫美とハチロウの片方はクオンを護衛する必要があるはずで、〈さよなら亭〉に来るのはそのうちの一人のはず。その一人を二人がかりで倒し、戦力を削いでからクオンを殺害するというのが作戦だ。
目的地の〈別離にさよなら亭〉近くに到着した。
路地裏とはいえ、まだ人通りは多い。
酒場で争闘が起きれば騒ぎになるだろうが、この街の人間は争いごとに慣れている。とっとと別の場所に逃げて、享楽の続きに溺れるに違いない。
「それじゃあ、私は裏に回るから。あなた達に合わせて忍び込むからね」
「うん。気を付けて」
「ソナマナン、頼んだっすよ」
ソナマナンはその姿を小道の暗闇に溶け込ませる。
「ソウイチ、ここで待っていてもいいのよ。ここからは危険になるし、あなたを守れる保証もないわ」
「バカ言うない。俺は守られる必要はないよ。俺がクルシェを守ってやるくらいさ」
「頼りにしているわ」
胸を叩いて応じるソウイチを見やり、皮肉ではなくクルシェは純粋に言った。
「わたしから行くから」
クルシェは扉を開けて〈別離にさよなら亭〉に踏み込んだ。前回は聞き込みのためだったが、今回は殺し屋として。
酒場にはそぐわない少女の姿を目にして、黒い背広を着た男が早くも近寄ってきた。店内には二十人ほどの客がいて、数名ずつ円卓や店主と向き合うカウンターに腰かけている。
「お客様。ここでは十七歳以上の方にしかお酒を提供致しませんが、年齢を確認させて頂いても?」
黒服の男は丁寧な口調で語りかけるも、荒事に慣れた空気を身に纏っていた。言うことを聞かなければ、力ずくで追い出すことも厭わない人種なのだろう。
「客ではないの。ハチロウ・ヤマナミはいる?」
「お帰り頂くしかないようですな」
黒服が伸ばした腕を掴み、クルシェがその背中に回り込みながら捻り上げると、痛みに呻きながら黒服が膝を着いた。
「な、何しやがる!」
怒号に店員と客の視線がクルシェに集中した。クルシェが左手に持っていたナイフを天井に放り投げ、照明の一つが高い音を立てて割れる。
降り注ぐ破片越しにクルシェが口を開いた。
「死にたくない人はさっさと出て行って。……十、九、八……」
クルシェの言葉を聞いた客が慌てて玄関へと走り出す。
クルシェが三まで数え終わったとき、黒服の店員以外にはクルシェに背を向けてカウンターに座る女性を除き、客の姿は店内から消えていた。
「どっかの差し金か?」
「待て。お前ら、あいつが例の女だ!」
飛び交う大声のなかで店主の一言が黒服たちの耳朶を打った。クルシェの姿を認めた店主が指差しながら指示を下す。
「殺して構わないと言われている! やれ!」
その声に従って黒服がクルシェに殺到してくる。二人の男が懐から拳銃を抜き放ち、クルシェに狙いをつけた。
クルシェが男を立たせて前に押しやる。ふらふらと男は数歩を進み、仲間が前に出てきて黒服たちはクルシェに狙いをつけられないでいる。
不意に、前のめりになった男の背を踏み台にしてクルシェが跳躍し、男たちの視界を上下に揺さぶる。すでに倒れ伏した男の後頭部にはナイフを突き立てている。
空中に跳び上がった敵に照準をつけようとする黒服よりも、クルシェの動く方が速い。クルシェの手元から二条の光芒が二人の男に走り、一人は右目を貫かれて天井に向けて発砲しながら倒れ、もう一人は首を押さえつつ血の泡を吐いた。
瞬時に三人を屠ったクルシェが着地し、間を置かずに疾走。
ようやく黒服たちが反撃を始めるが、幾つもの銃声と光が閃いても弾丸はクルシェに届かない。
クルシェが左掌からナイフを取り出すと同時に投擲し、また一人の男が崩れ落ちた。近くの長身の男に照準され、その狙いが正確だと見たクルシェは二本のナイフを投げ打つ。
刃は長身に当たらなかったが、相手が怯んだ隙を突いて走る勢いでクルシェは円卓の下に滑り込んだ。数発の銃弾が木製の円卓に穴を空け、その下を潜った無傷のクルシェが反対側に現れる。
虚を突かれて反応が遅れた長身の懐に飛び込むと、クルシェはその腹部に刃を突き立てた。絶叫を上げた長身に密着するクルシェに衝撃が来たのは、長身を見捨てた仲間が銃撃しているのだ。
クルシェが殺したのは五人で、まだ三人が残っている。
強引に攻めようとしたクルシェはソウイチの声を聞く。
「クルシェ!」
入口近くに立っていたソウイチの呼びかけに応じたのはクルシェではなく、黒服たちだった。反射的にソウイチへと銃口を向ける。
その男の横合いから猛襲したクルシェが左腹部にナイフを突きこみざま、捻りを加えて引き抜いた。
男を蹴倒したクルシェがソウイチに親指を上げて見せ、ソウイチも手を振り返す。
クルシェが目を向けると残りの二人がたじろいだ。クルシェの手並みを見せつけられ、完全に気後れしている。
「あんたら、もう下がってな。これ以上貴重な戦力を減らしちゃあ、あたしが叱られるわ」
「ウィロウさん……」
店主の前のカウンターに座り続けていた女性は客ではなく、〈月猟会〉の構成員だったらしい。女性がこちらに向き直って立ち上がった。
肌が浅黒く、猫科の肉食獣を思わせる野性的な容姿を持つ女性だ。茶色の髪の下で黄色い瞳が鋭くクルシェを捉えている。
上下とも肌に密着した黒い革製の衣服を着用し、長身に加えて底の厚い靴を履いているため、クルシェが見上げるほどの身長差があった。
「大の男が囲んで小娘一人殺せないとはね。ま、ウチに喧嘩を売るだけはあるか」
ウィロウは背が高く、クルシェよりも頭一つ分以上は高い。ウィロウが進み出るのに合わせて黒服は後退した。
「ここの当番の日はつまらないんだけど、今夜は退屈しなさそうだわ」
「あなたは?」
「ウィロウ・ホワイトっていや、エンパなんかよりは名が通っているんだけどね」
「業者には、その名前で墓を作ってもらうから」
ウィロウは鼻で笑って言葉を返す。その余裕は自信の表れだろうか。
「いいね。あんたを殺せばハチロウの旦那に褒めてもらえそうだ。……あんたらは、警察が介入しないように抑えとくのと、若頭に連絡しときな」
「は、はい!」
男たちが出ていくのを見届け、ウィロウは片足を強く床に打ちつけた。靴の底が外れ、鉄製の靴底が露わになる。
「できるだけ抵抗してみな」
ウィロウの声音にクルシェが感じたのは、紛れもない威圧感だった。
表から銃声と怒声が響いてきたとき、ソナマナンは〈別離にさよなら亭〉の裏口近くの暗がりに身を潜めていた。
それまでは店の従業員兼用心棒らしき男が出入りしていたが、騒ぎが起こってからは人影は無くなった。
頃合いと見たソナマナンが扉に向かう。石を投げて照明を破壊してから闇のなかを移動した。
裏口の取っ手を握ると施錠されており、ソナマナンは鍵を銃撃して破壊すると侵入した。
店舗が広いだけあって裏の作りも大きい。通路が伸びて右側に幾つかのドアがあり、事務室や倉庫などがあるらしい。
ソナマナンが通路を進み始めた途端、横手の扉から男走り出た。ソナマナンは銃の名手というわけではないが、外しようのない距離だ。
若い男はソナマナンの拳銃に気がつくと、その顔に恐怖を浮かべて硬直する。どうやら、ただの従業員のようだ。ソナマナンは拳銃を振って出ていくよう勧告する。
「お兄さん、私と会ったことは内緒ね」
若い男は、何度も首を振りながら出口へと駆け出していく。
用心しつつソナマナンが歩を進める。ソナマナンの前に立ち塞がる者はおらず、ほとんどの戦闘要員はクルシェの方に向かったらしい。
「ま、クルシェちゃんなら心配ないでしょうし、すぐ終わるわね」
断続的な銃声が響いてくるのは、クルシェがまだ健在の証拠だ。むしろ、銃声の方が急速に減りつつある。
急にソナマナンが後方を振り向いて、警戒するように銃口を周囲へ巡らせる。人の気配はないが、ソナマナンの美貌に不審の亀裂が広がっていた。
ソナマナンは安心したように前方を向き、いきなり横手の部屋に飛び込んだ。
その直後、背後から銃声と共に弾丸が飛来。それまでソナマナンのいた空間を貫くと壁面を穿った。
「勘がいいデスネ、お姉サマ」
発音に異国訛りのある女性の声が通路から聞こえてきた。
「後ろから攻められるのは慣れているの」
ソナマナンが軽口を叩きながら通路を片目で覗くと、ソナマナンが入ってきた裏口付近に女性の姿があった。
細身の肉体を灰色のスーツで包んでおり、青紫色の長髪に青い瞳を持ち合わせ、眦の鋭さに色気がある。拳銃を構える姿勢が堂に入っていて、どこかで正式な訓練を受けたのだと窺わせた。
「お姉サマ、〈毒婦〉ソナマナン殺しの栄誉は、この私、コホシュ・ブラックが頂きますネ」
コホシュの言葉が終わらぬうちに、ソナマナンの目の前の壁が弾けて破片を飛び散らせる。慌てて顔を引っ込め、ソナマナンは苛立ちを濃厚に含めた溜息を押し出した。
「こんな話聞いていないわよ⁉ 功名心の強い女って、私の一番苦手な相手じゃない!」
中ボス戦の始まりです。
クオンやハチロウから、エンパよりも役に立つ、と評価されているため有能な二人です。
余談ですが、どちらもハーブの名前からとっていて、「ホワイトウィロウ」、「ブラックコホシュ」という花があります。
この黒白コンビがどれだけクルシェたちを苦しめるのでしょうか。




