第2話 〈影踏み〉の九紫美
素早くクルシェが扉の横に走り寄った。
ソナマナンはソウイチを庇いつつ店の奥へと移動する。
「誰?」
クルシェが扉越しに問いかけると、向こうから返事があった。
「私です。〈巡回裁判所〉のリヒャルトと言えばお分かりになるでしょう?」
クルシェは目を見開いた。リヒャルトが〈白鴉屋〉を訪れる理由が見当たらなかったのだ。
クルシェが判断できず後ろに目を向けると、ソナマナンは戸惑いながらも首を縦に振ってみせた。
クルシェが用心しながら扉を開くと、そこには両手を挙げて無抵抗の意思を示すリヒャルトが立っていた。
「昨日言いましたでしょう。また会うことになると」
「何の用?」
にべもなくクルシェが言ったが、リヒャルトは気を害することはなかった。
「入っても?」
当然ながら、リヒャルトを近づけるのは気が進まないクルシェだったものの、ここは一歩引いてリヒャルトを店内に誘った。
リヒャルトが自ら椅子に腰を下ろすと、クルシェがその斜め後ろに佇んだ。少なくとも現時点ではリヒャルトの敵意が無いことを知り、ソナマナンも腰かける。
「あのー、何か飲みます?」
気を使って尋ねたソウイチをまじまじと見返し、リヒャルトが相好を崩す。
「ありがとう。私もルイボスティを頂きます」
ソウイチが準備にかかると、クルシェが口を開く。
「どうしてここに来たの?」
「それはこれから説明しますよ。……あ、これはどうも」
ソウイチが運んできたお茶を受けとると、リヒャルトは喉が渇いていたのか美味そうに飲み出した。
リヒャルトの服は所々が汚れており、その相貌には憔悴が色濃く浮かんでいる。
「実はですね、私たち、〈月猟会〉に襲われまして。ああ、ちょうどその記事です」
卓上に置かれていた新聞に目敏く気づいたリヒャルトが指し示す。
「ほらほら、やっぱりそうだったのよ。おかしいと思ったんだから」
「記事を読まれたなら、すでにご存知のはずですね。手酷くやられてしまいまして。部下は全滅ですよ」
「〈月猟会〉は何人だった?」
「二人」
短く述べたリヒャルトの声音に、紛うことない畏怖が宿っていた。続くソナマナンの声がやや上擦っている。
「二人って……! 選り抜きの〈巡回裁判所〉相手にたった二人?」
「敵はどんな人だったの?」
クルシェが質問を重ねる。
「一人はハチロウでした。あの男、隊の一番の剣士でも勝負になりませんでした。あれほどの手練れは、〈巡回裁判所〉にも二人といるかどうか」
「ハチロウ、それほどの剣士なのね」
昨日出会った剣士の姿を思い描くようにクルシェが双眸を細めた。
「私の仲間の調べでは、ハチロウは元々〈月猟会〉と敵対していた〈鬼牢会〉に雇われていたとのことです」
「ハチロウはクオンと敵対していたの?」
「ええ。ですが、クオンの護衛である彼女と戦い、引き分けたことで〈月猟会〉に誘われて鞍替えしたようですね」
リヒャルトがお茶を啜りつつ情報を共有する。その内容に驚いたクルシェは、声音を硬くしつつ問いかける。
「もう一人、ハチロウと同等の強さの配下がいるということ?」
「そうです。もう一人は女性でした。細身で黒髪の」
「それがエンパかしら」
「いえ、〈蜂の巣〉ではないですね。そんな小物とは比べものにならない」
リヒャルトの目が線のようになり、その内心を窺わせなくなった。
「あれは魔女です。多分、物体を透過する魔力でしょう。あらゆる物理攻撃が通用しないものと思います」
「ソウイチ、そんな敵がいるって話、聞いていなかったわよ」
「いや、俺も知らなかったすよ!」
ソナマナンの咎めるような薄紫の瞳を向けられ、ソウイチが反駁する。
ソウイチはスカイエが手配した情報屋からの知識しかないのだから、責められるのもお門違いではあった。
「私が首都の仲間に急遽調べさせました。魔女の名前は九紫美。〈影踏み〉という二つ名の殺し屋として、ここ十四、五年ほど活動していますが、滅多に仕事をしないことと目撃情報が少ないことで知名度が無かったのですね」
リヒャルトが説明を続ける。
九紫美に狙われた人間で生き延びた者が存在せず、これまで九紫美が組織に所属しているのか、野良の殺し屋なのかも判然としておらず、ただ名前だけが伝わるのみだった。
九紫美が表立って活動し始めたのがここ一年。〈月猟会〉の急成長した時期と重なっている。そのおかげで九紫美と〈月猟会〉の繋がりが判明した。
九紫美が殺人に手を染めた最初の事件。
一夜にして犯罪組織構成員とその関係者、巻き込まれた市民、総勢四十二人を単独で殺害した〈悪魔の降りた一夜〉は業界で知らぬ者はいない。
その下手人が九紫美だと知らない者は多いが。
「九紫美がなぜクオンの仲間として、彼のために戦っているかは不明です。ただ不確かな情報だが、クオンと九紫美は利害関係ではなく、個人的に親密な関係にあるようです」
「親密?」
クルシェが反芻する。
いい年齢をした男女のことだ。どのような間柄かは想像がつく。
「クオンの潤沢とは言えない資金によってハチロウと九紫美の二人を雇えるからには、少なくとも片方は金銭的関係ではないはずです。その点、九紫美は十五年も前からクオンのために働いている」
無言で頷いたクルシェに代わるように、ソウイチが会話の流れを引き取る。
「でも、十五年も前から活動しているってことは、随分といい年齢みたいっすね」
「私が見たところ、九紫美は二十代半ば頃でしたかね」
「それ……、九紫美がその何とかの何とかしたときは……!」
「〈悪魔の降りた一夜〉」
「十歳かそこらってことっすか⁉ ひぇ!」
ソウイチが頬を挟んで絶句する。
「九紫美……」
クルシェのなかで急速に九紫美という女性への関心が高まる。フリードを殺害したかもしれない第三の人物が輪郭を形作りつつあった。
「なぜ、そんなことを教えてくれるの。善意というだけではなさそうだけど」
「その方が私にとっても都合がよさそうなので」
リヒャルトはそう言って目元に笑みを刷いた。皺が寄ってあの狡猾な顔になる。
クルシェは勘づいた。リヒャルトは、クルシェ達が〈月猟会〉と敵対しようとしていることを知っている。
クルシェをけしかけることで、自分が襲撃された復讐をしようと考えているのだ。
「ま、私の話を聞いて何をしようと、あなた方の自由ですのでね」
伝えたいことは無くなったのか、リヒャルトは立ち上がるとソウイチに向き直る。
「お茶、美味しかったですよ」
ソウイチに礼を言い、扉へと歩きだす。
リヒャルトが退室すると、クルシェは溜め息を吐いて椅子に座った。
「どうするの、クルシェ」
「リヒャルトの話から分かったことがあるわ。〈月猟会〉は邪魔者が存在したら、即座に始末する対応の速さがある」
「まさか当日中に〈巡回裁判所〉と事を構えるなんてね。慮外なこと」
「もう一つ。先方が〈巡回裁判所〉を上回る強敵だということ」
その一言でソウイチとソナマナンが押し黙った。この三人で果たして勝てるのだろうかという不安が、透明な膜となって一同を包む。
このまま手をこまねいていれば、〈巡回裁判所〉の二の舞を踏むかもしれない。今日にでも〈月猟会〉がクルシェ達を急襲してくることもありうるのだ。
〈白鴉屋〉の薄暗い店内に静寂の埃が積もっていった。
ついに九紫美についての情報がクルシェにも伝わりました。
本作はクルシェが遥かに格上のハチロウと九紫美をどのように倒すか、にみどころが集約されているかもしれません。もっと後の話ですみません。
第三勢力として登場させた〈巡回裁判所〉が呆気なく終わったのが残念ですね。
この辺が上手く扱えていないなど問題点の多いお話で恐縮です。




