第10話 月下の猟の始まり
夜更けとは言っても、まだ時計の針が頂点を指すには間のある頃合い。
郊外の森に近い道路に一台の車両が停車していた。
道路の片側は森に面しており、反対側は開けた芝生のなかに枝分かれした小道が幾つかの宿泊施設に繋がる。独立した平屋ごとに旅行客などが宿泊する形態の施設だ。
街の中心からはかなり外れていて、建物の遠方で街明かりの余波が空の闇を和らげている。静寂を破らぬように、そっと車の扉が開かれた。
まず九紫美が降り、ドアを押さえている間にクオンが車外に出る。運転席からはエンパが現れ、助手席からはハチロウが地に足を下ろした。
「あれが巡裁の宿だってことです」
エンパが顎で示し、九紫美はコテージに目を向ける。
「ああ、敵の数は六人。二人ずつ三ヵ所に別れているそうだ」
「それなら私と旦那で片づくわ」
「ええ? あたしは出番無しっつうことですか!」
エンパは声を低めてはいたが語気が強い。
「仕事が無いわけではないわ。あなたは、クオンの警護と相手を逃さないようにしておくことが役目よ」
「でもなあ、せっかくこれを用意してきたってのに」
まだ不満げにエンパが機関銃を掲げてみせる。ここで言い争って相手に襲撃が露見する恐れがあると、九紫美は苛立ったように両目を細めた。
九紫美はエンパに歩み寄り、おもむろに九紫美が顔をエンパのそれに近付ける。
九紫美の表皮がエンパの肌に触れ、そのまま輪郭が溶け合うように顔が埋まっていく。昼間に壁を擦り抜けたときと同じく、物体をものともせず九紫美とエンパの頭部が重なり合った。
「私も不服だけれど、あなたしかいないから頼んでいるの。あなたはクオンを守っていて。でも、もしクオンの身に傷一つでもついていれば……」
半面をエンパの頭部に混ぜ合わせながら九紫美が言う。
「あなたも無事では済まないと思いなさい」
エンパは動けずに九紫美の言葉を聞いているしかない。
「いいこと?」
「……はい」
このときばかりはエンパも素直に首肯した。九紫美が顔を離すと、物理的な拘束が解かれたようにエンパが荒い息を吐く。
「それでは行きましょう。旦那」
無表情で何事もなかったかのように九紫美は振り向いた。
「うむ。影嬢、俺の方の頼みは聞いてもらえるのかな」
「それは構わないのではなくて?」
「ありがたい」
あらかじめハチロウから頼まれていた件について、九紫美はあっさりと許容した。
「何せ、水華王国の武官は剣の修練が必須。聞こえた剣士の輩出国だからな。それも〈巡回裁判所〉となれば、手合わせしてみたい」
ハチロウはいつものように剣を一揺すりし、コテージの方に踏み出した。
「クオン、行ってくるわ」
「ああ、無事に帰ってきてくれよ」
一瞬だけ目元に微笑をはくと、九紫美はハチロウの背に従った。
ハチロウと九紫美は、まず右端の平屋に近づいていく。九紫美は離れた場所で足を止め、ハチロウが単独で建物の玄関前に立った。
ハチロウが扉を叩くと、内側から扉が開かれる。間を置かずにハチロウが押し入り、十数秒ほどの静寂が訪れた。
突如、建物の窓に血飛沫が刷かれる。その直後に悠然と建物から出てきたハチロウは、次に隣の平屋を指差し、頷いた九紫美がその背に続いた。
九紫美は、自分とハチロウが揃っていて負けるはずがないとの確信を持って歩き出す。
次のコテージに辿り着いたハチロウがドアを叩いた。数秒間待っても反応が無く、ハチロウは九紫美を振り向く。
九紫美はコテージの壁を透過して室内の様子を窺った。室内に荷物はあるが人影は無く、この部屋の住人は不在らしい。
九紫美は外に出てハチロウへと首を振って見せた。
「ここには誰もいないわ」
「もう一つの建物に集まっているのかもしれんな。影嬢、様子を見てくれんか」
「ええ」
言葉少なに首肯し、九紫美は残ったコテージの壁に歩み寄った。外壁から肉体を透過させて室内に侵入する。
壁面を通過した先は風呂場だった。浴槽に防水カーテンとシャワーが備えられている。
九紫美はドアに近づき、その隙間からリビングの様子を覗き見た。
「……まあ、そういうわけで、昼間に会ったあの人が我々の対象とする『王国の害悪となりうる魔女』である目算が高いと見ましたね」
窓際の寝台に腰かける男が言う。眼鏡をかけた細身の人物であり、ハチロウの報告によればリヒャルトという一隊のまとめ役だ。
リヒャルトの他には、備え付けの椅子に座る二人の男と、扉側の寝台の脇に立つ中年の男がいる。
一間だけの室内は一組の寝台と冷蔵庫など最低限の家具が揃っていて、四人の男はそれぞれの場所で寛いでいるようだった。
「ロレンとリオッツが来たら改めて話しますが、目下のところ、あの人達を調査するというのが一番の近道でしょう」
男たちはリヒャルトの意見に異論ないようで沈黙を守っている。リヒャルトは納得したように頷くと、玄関へと細い双眸を向けた。
「遅いですねえ。あの二人は何をしているのだか」
「おおかた、リオッツが酒でも飲んでいるのだろう」
椅子に座る長身の男が応えた。
背もたれを倒し、椅子の前脚を宙に浮かせて器用に体勢を保ちながら顔をリヒャルトに向けている。
「私が見てきましょう」
壁際にいた年嵩の男が扉へと向かったが、屋外の足音を聞きつけて動きを止める。
「どうした。入りなさい」
恐らくハチロウが行動を開始したのだろう。九紫美はハチロウに合わせて動き、壁を透過してリビングに入った。男たちは玄関に目を向けているため、九紫美の侵入には気づかない。
ゆっくりと扉が開かれて外の人物が姿を現す前に、九紫美はリヒャルトの後頭部に銃口を押しつけた。
「動かないで」
その声音を聞いて弾かれたように男たちがリヒャルトに目を向ける。男たちは一様に、どこから出現した女性が拳銃をリヒャルトに突きつけていたことに驚愕の表情を浮かべた。
一同が動揺した隙に扉を開いた男、ハチロウが室内に踏み入る。
中年の男が戸惑いながらも剣を抜こうとしたが、後から動いたハチロウの方が格段に速い。剣を半分ほど抜いた中年男が、喉元に剣先を突きつけられて硬直した。
「やられましたね。やはり魔女がいましたか」
窮地にあっても泰然とした態度を崩さないのは、さすがに〈巡回裁判所〉といったところだった。
さらに配下と敵の立ち位置をそれとなく確認し、どう行動すれば状況をひっくり返せるか、そう思惟する色がリヒャルトの面に浮かぶ。
「我々と話し合いに来たので?」
「いいえ。殺しに伺ったの」
「すぐ、私を撃たない理由は?」
「……旦那」
九紫美が視線で促すと、ハチロウが頷き返す。
「〈巡回裁判所〉の高名を聞いて腕試しをしたいと考えた剣士が、この場にいると思ってもらえば話が早い。先ほどの二人は、まだ修練が足りなかったようで、あんた方に期待している」
「てめ! ロレンとリオッツを⁉」
椅子に座る若い男が呻き声を上げる。
「今からならば、冥府の道を辿るあの二人に追いつくこともできるだろう」
若い男は逆上しながらもリヒャルトの指示を仰ぐだけの理性は残していた。若い男が目線で問いかけると、リヒャルトが苦々しげに瞳で交戦を許可する。
若い男が立ち上がるとハチロウがそれに向き合う。
中年男はハチロウの背後をとる位置になったが、つけ入る隙が見出せないのと、先ほどのハチロウの早業を目の当たりにして手出しを躊躇っている。
若い男が剣を引き抜きざま、片手斬りでハチロウの左首筋を狙った。
長脇差で防ぐまでもなくハチロウが斜め前に前進して回避。ハチロウは長脇差を無造作に下げたままである。
若い男が手首を返すと、閃光と化した刃先がハチロウの右首へと走る。
急所である首筋なら傷が浅くても致命傷になりうるため、速さを重視した片手打ちで狙っているのだ。
ハチロウは右斜め上から迫る白刃に臆することなく、大きく踏み出した左足を軸に時計回りに回転する。
必殺の一撃がハチロウの頭上を通過し、若い男が痛恨の表情を浮かべたとき、ハチロウは回転の勢いを乗せた斬撃を振り抜いていた。
胴体を薙ぎ払われた若い男の背後の壁に鮮血が極彩色の模様を描き出し、その直後に肉体が叩きつけられた。
すでに死体となった若い男が壁に背を預けてずり落ちるとともに、室内に生臭い血の匂いが溢れ返る。
ハチロウ無双回その1です。
強敵っぽい〈巡回裁判所〉を軽々と倒すシーンなのですが、肝心の巡裁側の強さがいまいち分からないという……
前半の九紫美とエンパのやりとりからも二人の確執が分かります。
エンパは権力的に敵対しているクオンの叔父の部下でもあるため、九紫美が面白くないのは当然かもしれません。
自分よりも強いはずの九紫美につっかかるエンパ、勇気があるのではなく短慮なだけの人でした。




