第1話 クルシェという少女
「違うっすよー! あんたの相手は俺じゃないんだってばー! ごめんなさーい!」
「待て! お前を返り討ちにして、妻と娘のいる家に帰るんだ。覚悟しろ!」
クルシェは、探している青年の情けない声の後に銃声が続くのを聞いて足を速めた。
夜空に浮かぶのは細い月で路地裏を照らすには頼りなかったが、大通りに設置されている街灯の余波で視界には困らない。
「なにをしているんだか」
呟いたクルシェは息を吐いた。白くなった溜息がクルシェの前で揺れる。
「嫌だ、死にたくねえ! こんなとこで死んでたまるか。俺は生き延びて、稼いで稼いで豪邸に暮らして、一生左団扇で暮らすんだ! クルシェ! ソナマナン! どこにいるんすかー⁉ 助けてくれー!」
声は先ほどよりも近くに聞こえた。銃撃も鳴り止まず、クルシェは走り出す。
薄暗い視界のなかで、クルシェの目に二人の人物が映った。
一人は背嚢を背負って尻もちを着く青年。ジーンズと白いセーターを着用し、中肉中背で茶髪、茶色の瞳というありきたりな外見だ。意外と整っている顔立ちは、今は恐怖のために歪んでいて魅力を半減させている。
青年の前には、ジーンズに黒い外套を着た中年男が立っていた。その手には闇にも鈍い光沢を放つ拳銃が握られている。
さっきから発砲していたのは間違いなく中年男だ。
青年の背嚢に何ヶ所か穴が開いているのは、弾丸から身を守ってくれたということか。
「ひー!」
自身に向けられる銃口の奥に死を見出し、青年は叫び声を上げた。
このままでは間に合わず、クルシェはどこからか取り出したスローイングナイフを投げ打つ。宙を飛んだナイフは男が手にする拳銃に命中。拳銃を弾かれて警戒した中年男は後退した。
クルシェは路面に腰を着く青年を飛び越して二人の間に着地し、青年を背後に庇うように立ち塞がる。
「ク、クルシェ! 助けに来てくれたのか!」
救世主の来援に涙を浮かべつつ、青年はそのクルシェを見上げた。
クルシェ。年の頃は十七、十八歳ほどの少女だった。暗闇にも目立つ金色の長髪と、怜悧な茶瞳をしている。右手に片刃の短刀を持ち、切っ先を中年男に向けていた。
「ソウイチ、この男が標的のヒュー・プラントね」
青年、ソウイチへと月明かりよりも冷えた声音でクルシェが問う。
「そうだよ。俺を殺そうとしたのが何よりの証拠だ!」
「ヒュー・プラント、あなたに恨みは無いけれど、あなたを殺す理由があるの。ここで死んでもらうわ」
「その若造といい、君のような小娘を寄越すとは、どうやら俺も見くびられているようだ」
ヒューがその声音に勝ち誇った色を乗せて言い放った。
「一応、もう一人いるけれど、私だけで十分ということよ」
「それならば確かめてみるとしよう」
ヒューの腕が照準しようと動くと、それに先んじてクルシェが行動を起こした。いつの間にか左手に持っていたナイフを投擲する。
ヒューが防ぐまでもなく身を反らして回避したが、その隙にクルシェは疾走して接近。
走るクルシェへ続けざまにヒューが銃撃を浴びせるも、身を沈めながら左右への移動を織り交ぜたクルシェの肌に銃弾が食らいつくことはなかった。
「ひえー!」
石畳で弾ける火花に驚いたソウイチが上げる悲鳴を背にして、クルシェがヒューを自身の間合いに捉えた。
クルシェが横殴りに振るったナイフを辛うじてヒューが拳銃で受け止める。さすがに体格差があって膂力はヒューの方が上らしく、その顔には余裕が見えた。
どこからか出したのか左手に握ったナイフをクルシェが下から突き上げる。喉元に伸びる切っ先をヒューが咄嗟に交わした拍子に拳銃が暴発、一条の朱線が闇を割いて夜空に駆け上った。
ヒューが力押しで突き放しざま、素早く射線上にクルシェを捕捉した。クルシェは体勢を立て直したばかりで回避まで手が回らない。
「お嬢さん、残念だったな。次の弾丸で君を撃ち抜くぜ。俺の勝ちだな」
「残念なのは、あなたの頭だと思うけれど……」
クルシェの言葉を受けて、ヒューが目を細める。続けて言い放った声には怒りの粒子が濃厚に含まれていた。
「ふうん? それは、どういう意味かな」
クルシェは背筋を伸ばしてヒューに面と向かって相対するようにして言う。
「自分の持っている銃の残弾も把握していない、お粗末なあなたの頭が、ということ。あなたの銃は大陸西部のアキサメ国の軍隊で正式採用されている〈血染めの守り人〉紅竜歴二〇二年式、装弾数は一三発」
「あ、それを事前に調べたのは俺なんすけどねー」
クルシェの言葉に割って入ったのは、ソウイチの能天気な声だった。
「さっきソウイチに向けて撃ったのが八発、わたしに撃ったのが四発、今無駄撃ちしたのが一発。あなたの相棒のお腹は、空っぽ」
「嘘だ!」
クルシェの声に反発するヒューの声が闇に空しく溶け込んだ。
「やってみる?」
試すようなクルシェの口調に促され、銃口を震わせながらヒューが引き金にかけた指に力を加える。
乾いた金属音が鳴り、ヒューの愛銃に残弾の無いことをその場の全員に告げた。
ヒューの愕然とした表情が恐怖に上塗りされ、その頬を風が撫でた。
クルシェの握ったナイフが鮮血の尾を引いて振り抜かれており、彼女はすでにヒューの後方へと駆け抜けている。
ヒューは反射的に血汐が噴き出る首筋へと手を当て、そのまま仰向けに倒れる。クルシェは顔を半分だけ振り向け、その様子を目にしていた。
そのまま油断なく近寄り、目を見開いたまま横たわるヒューが確かに息絶えているのを確認する。やっとクルシェは緊張を解いた。
「終わったわ」
「う、ういっす。零時二一分、ヒューの殺害完了を確認しました」
クルシェは自身の凶行に興味を失ったように歩きだしていた。
「いや、さっきは危なかったなー。というか、それまでどこにいたんだよ」
クルシェの後をついて行きながらソウイチが尋ねる。
「どこにって、勝手にソウイチが横道に入っていったんでしょう。そのおかげで、ヒューを追い詰めることができたけれど」
「そうだろ? やっぱり、俺ってば役に立つ男なんだよなー!」
一人で頷いているソウイチの言葉には応えず、クルシェが別な話題を切り出す。
「ところで、あの人はどこにいるの」
自画自賛を無視されたソウイチは、ぞんざいな扱いに気を悪くした風もなくクルシェに向き直る。
「ソナマナンだろ? どこ行ったんだろうな。さっきまではいたんだけど。……お、来たんじゃないか」
ソウイチの言葉が終わらぬうちに遠くから靴音が響いてきた。その音が近づくと、華奢な体格をした女性の淡い輪郭が二人に向かって手を挙げている姿が見えた。
その女性の仕草がこの場にそぐわない緊張の欠けたものであったので、クルシェは思わず溜息を吐いた。
「おー。ここっす、ソナマナン。もう終わっちまいましたよ」
ソウイチがこれも片手を振って応じる横をクルシェは足早に通り過ぎる。
「まったく……」
その先の呟きは口にせず、クルシェは心に留めておくだけにする。
役に立たないんだから、という言葉を。
少女の殺し屋であるクルシェが養父の復讐のために戦うアクションがメインの作品です。
見所は物理攻撃無効化魔力を持つ九紫美との対決。
また、最初はあまり仲間を信頼していなかったクルシェが、ソウイチやソナマナンとの仲間意識を深めていく過程かと思います。
宜しくお願い致します。