30 分水嶺
視界は黒く、暗闇が続く。
記憶の前後が分から無い、分かるのは名前と仕事、そしてかつての仲間達との記憶。
ラック、ムジーク。
リフレシア。
上か下か、右か左か分からない。
こんな状況に不安を煽る程の暗闇の中、焦りさえなく不思議と穏やかになり安心出来る。物思いに耽る間もなくポツポツと遥か上空に光の種が現れ始めそれはまるで星の様に空を明るく灯す。
「綺麗・・・」とつい口に出してしまう程にその光に魅了されていた。
「綺麗でしょう?"ツィツィリン"から見た空はこの世界のどこで見るより綺麗なの」
優しく、それでいてどこか強かさを感じるその声の方を見ると一人のエルフがそう私に語りかけていた。
中性的な声で薄暗く浮かぶ影を帯びたその姿は特徴的なエルフの横長い耳、それだけで彼女をエルフと判断出来た。
「その言葉・・・聞いた事あります。・・・あの、あなたは?」
どこか聞いた事ある単語・・・思い出せない、私はこの人を知らない。彼女は口角を上げ嬉しそうにこう言う。
「"シメオン"。君はこの言葉も知っている」
「シメオン?シメオン・・・シメオン・・・」
彼女が言う通りどこかで聞いた事ある言葉だった。必死に思い出そうとすると彼女はうんうんと頷く。
「大丈夫だよ、直ぐに思い出す。君に聞きたい事が幾つかあったんだけど、今じゃなさそうだね」
「聞きたい事?」
「うん、けどまた今度で良いかな。それにしても君、とびきり綺麗な目だね。
久しぶりに見たよ"星視る瞳"、昔はいっぱい居たんだけどね」
「"星視る瞳"・・・」
「知らない?聞いた事ない?その目はね、その種を色濃く受け継いだ者にしか持たない特別な目。
君は"白剱狼"の血を色濃く持つ魔獣なの」
「"白剱狼"・・・?」
何も分からない。彼女は私の知らない私を知っているのだろうか、少し怖くも感じるが彼女はそんな私の心を読んだかの様に付け加えて言った。それはとても明るく。
「大丈夫、大丈夫。その内分かる。それに知らない事があるって事はこれからもっと多くを知る事になる。怖いかもしれないけど、君は知る毎に強くなれる。
それって楽しそうじゃない?」
彼女は楽しそうに、どこか羨ましそうにも聞こえなくもない。
彼女のその言葉に私は何故かさっきまでの不安がもう無かった。初めで出会いいくつか会話しただけなのに・・・.不思議な人だ。
「時間ももう無さそう、今は何も思い出せないかもしれない、けど覚えておいて欲しい事がいくつもある。
どうか覚えておいて」
さっきとは違う真剣な眼差しで彼女は私に語りかける。
彼女がどういう人で何者なのかは分からない、けれどこれだけは分かる。
彼女は私の味方なのだろう、強い意志を持って私に何かを伝えようとしている。
信じたい。確証も無くそう思えたのだ。
「君が目覚めた時、目の前の現実を受け止め、冷静になって欲しい。
心が乱されても強く冷静であれ。そして君が手に持つ指輪を右手小指につけ、"ソアラ"を使い、氷の狂気を打ち払え。
何を言っているか、何故そんな事をしなければならないのか、今は分からなくて良い。
とにかくこの言葉を覚えておいて」
空を照らす小さな光はゆっくりと次々に消え、再び闇が世界を覆った。
光が消えゆく中、彼女は私に最後にこう語り掛ける。
「全てが終わったらまた会いましょう」
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重い瞼を開くとそこは一面雪の世界、重くのしかかる雪を払い身体を起こすも視界は吹雪く雪に遮られ、良好とは言えず。
冷たく鋭い寒さが体毛を通さず肌を刺す痛みへと変わる。
夜闇を微かに灯す星の光は、吹雪く雪の白さ際立たせていた。
冷たい風に横殴りに吹雪く雪は頭を冷やすには十分過ぎた。思い出す。そうだ、私達はイコライの強力な魔力によって吹き飛ばさ気を失ってしまったのか。
辺りを見渡し一歩、踏み出した時だった。
雪の下から覗く冷たく青白く氷のように固まった街の人が足元に転がっている。
「大丈夫ですか!?」
屈み、その人の身体を起こそうと手にするまでも無く私は気付く。
既に息絶えている。遺体から伝わるその寒さと恐怖で歪んだ顔が物語る悲惨さに私は顔をしかめた。
「シメオン!!リーヴ!!!」
彼女達の顔が過り必死に声を出し叫びながら辺りを走っていると、近くの地中から何かが掘り起こされた様な音と共に一本の腕が伸び飛び出ていた。
驚きはしたものの、必死に掘り起こし伸びるその腕を掴み力いっぱい持ち上げると、ロロイが雪の中から顔を出しそのまま勢い良く這い上がっては片脇に担がれたグラシーと共に2人地中から出てきたのだ。
「良かった・・・ロロイ無事だったんだね」
彼は体の雪を払い抱えているグラシーを雑に揺らすと、それに応える様に彼女もグッタリとした表情で軽く手をあげ返事をする。
どうやらこの二人は何とか無事の様だが・・・。
「今は人命救助が先なんだけど、この事態の犯人はイコライだった・・・」
私は彼らに告げるも彼女を知っているのはロロイ一人、グラシーは訳も分からずとりあえずは頷いてはくれた。
彼は特に何の反応を示さなかったが私の顔をじっと見ている。
「どうしたの?」と尋ねると彼は私ではなく私の方を見ていたらしく、遠くを指差し私はその指先をなぞる様に視線を背後に向けると、吹雪で遮られる視界の中こちらに近づいてくるシルエットが一つ。
徐々に顕になるそのシルエットはシメオンだった。
「シメオン!」
私は遠くにいる彼女に声をかけると同時に彼女の姿を見て違和感に気がついた。
「・・・リーヴは?」
こちらに接近し遂に彼女の姿は鮮明に映る、彼女一人こちらに向かって。
「シメオン?リーヴは?」
出したつもりの声は声にもならない声、シメオンは吹雪くこの環境の中しっかりと聞き取ってくれていた。
「すまない」その一言だけを残し、虚しく吹雪く風の音が辺りを渦巻く様に響き渡る。
彼女の腕は小刻みに震え、服の下から覗かせる手や腕はもう紫に近く凍傷状態だとその時気付かされる。
もう感情が分からない、何をどうすればいいのか。
大声で叫んでしまいたかった。怒りが、悲しみが、後悔が、悔しさが。
心臓は大きく脈打ち呼吸は苦しく息も絶え絶えになり、周りの音も声もどんどんと遠くへ。
身体中の力は抜けていき膝は崩れ、力無く倒れ込む自身の体を力無く片手一つ地面に広げ支えた。
"心が乱されても強く冷静であれ"
不思議とその言葉がふと頭を過ぎる。静かに呼吸を整えながら目を閉じた。
時間をかけ冷静になり、思考を停止させた。すると不思議と次に同じ声で再び言葉が過ぎる。
”そして君が手に持つ指輪を右手小指につけ”
固く握りしめられていた左手に気がつき、結ばれた拳を解くとその手の平の中には指輪が、
それはこの騒動の中心とも言える遺品であり”マグメル”の鍵となる一つの指輪。
私は過ぎる言葉のままに右手小指にそれをはめると気持ちが良いほど綺麗にはまる。
そこからふと我に帰れば、シメオンとグラシーはなにやら私に話しかけている事に気がついた。
「大丈夫か?」とグラシーは私に肩を貸し体を起こす。
「あ・・・ありがとうございます・・・」
「急にボロボロ涙溢して倒れ込んだと思えば急に指輪なんかつけ始めて気でも可笑しくなったの?」
「ごめんなさい」
改めて周囲を見渡すもどこを見ても白い雪景色一色。吹雪の中、シメオンは言う。
「運が良かった。どうやら今いる奴らはまだ浅かった」
「浅い?」
「・・・あの少女を探してる最中、雪を掻き分け掘っていると地面の手が当たった。けどそれは山の土ではなく屋根」
「え?」
彼女の言葉にその場の誰もが理解が出来なかった。そんな私達を置いて行き、彼女の続く言葉にようやく私達は理解する事が出来た。
「街の何処かの民家の屋根。私達の今立っている場所の地中にさっきまでいた街がある」
そう、あの彼女の一撃により街は雪で埋められたのだった。




