悪魔達の休息
悪魔の探偵事務所は年中無休だ。
三百六十五日、二十四時間、誰かしらが事務所にいる。
四体の悪魔の内、ダンタリオンは大体いつも事務所で本を読んでいて、席を外すことは滅多にない。
あとは日中にウァサゴとアンドロマリウスが出たり入ったりしていて、夜になるとセーレがやってくるという感じだ。
明確な交代時間があるわけじゃないんだけど、なんとなく夕方になると顔ぶれが入れ替わっている。
年中無休だからって、ひっきりなしにお客さんが来るわけじゃないんだけどね。
悪魔達は他にやることがないから、何となく事務所にいるだけなんだと思う。
そういう俺も超絶暇人だから、ほとんどの時間を事務所で過ごしている。
だって、部屋にはベッドが置いてあるだけで、パソコンもテレビも漫画も何にもないからさ。一人でいてもすることがないんだよ。
かといって引きこもりの俺は外出なんかしたくないから、事務所でウァサゴとワイドショーを見たり、アンドロマリウスと雑談したりしながら時間を潰しているんだ。
たまに来客があればお茶を出して、ダンタリオン達が対応している間は、ぼんやりしていればいい。
バリバリ仕事がしたい人には地獄かもしれないけど、怠け者の俺にとっては天国のような職場だ。
給料は出ないけれど、食費はもらえるしね。
そういえば、アンドロマリウスは弁当屋の女の子にも振られてしまったので、俺の食事はまたコンビニで調達しなければならなくなった。
本当に残念でならないよ。
そんなある日、俺がセーレと一緒にテレビを見ていたら、温泉の特集をやっていた。
肌寒い季節になってきたし、俺も温泉に入りたいなぁって、何気なく呟いたんだよね。
そうしたらセーレが、みんなで温泉に行く? みたいなことを聞いてきた。
えーっ、出かけるのは面倒くさいな。
大体、男ばっかりで温泉行ってもしょうがなくない?
可愛い女の子と混浴できるんなら絶対に行くけどさ。
そう思った俺は返事を濁したんだけど、近くで話を聞いていたダンタリオンが勝手に話を進めやがった。
彼はネットで温泉旅館を検索すると、早速セーレと一緒に日程を選び始める。
ダンタリオンは心が読めるから、俺が嫌がっていることは分かっているはずなんだよ。
それなのに連れて行こうとするなんて、本当に意地が悪いよね。
まぁ、そういうわけで俺達は探偵事務所を臨時休業にして、みんなで温泉旅行へ行くことになった。
俺は引きこもりを始めて以来、出かける先といえば近所のコンビニくらいしかない。
だから旅行なんてハードルが高すぎて、出発の日が近付くにしたがって寝つきが悪くなってしまったよ。
眠れない夜に布団の中で考え事をしていると、俺はもう社会復帰できないかもしれないなっていう不安に襲われた。
セーレが心変わりしたら、俺はここを追い出されちゃうわけだろ?
そうしたら自立しなきゃいけない。
だけど、単なる旅行でさえこんなに緊張しちゃうのに、仕事をしている自分の姿なんか全く想像出来なくてさ。
そもそも俺は高校を中退しているから、就ける職業も限られてくるだろうし、今まで何をやってきたのか聞かれても困ってしまう。
そんな風に将来のことを考えていると、暗澹たる気持ちになった。
出発の日の朝、浮かない表情の俺を見て、セーレが心配そうにしている。
顔色悪くない?
って聞かれたけど、俺は苦笑いして誤魔化した。
移動は電車かなと思っていたから、セーレが俺達を目的地までテレポートさせてくれると聞いて、かなりホッとした。
電車なんてずいぶん乗っていないし、人混みに入るには勇気がいるからね。
本人は後からペガサスで来るらしい。
自分のことだけはテレポート出来ないのって、やっぱり不便だよね。
さあ行くぞ! っていう時になって、突然ウァサゴが俺に言った。
君はやめとく?
だってさ。
みんな目が点になっちゃったよ。
え?
今さら何言ってんの?
キャンセル料かかっちゃうじゃん!
って感じだもんね。
たぶんこの時、ウァサゴはこれから何が起きるのかを知っていたんだと思う。
旅行を中止したとしても、運命は変えられなかったかもしれない。
それでもウァサゴは、口にせずにはいられなかったんだろうな。
ウァサゴなりに、俺のことを気にかけていてくれたんだと思うと、今でも少し心が温かくなる。
俺はちょっと迷ったけど、一人で留守番していたら余計なことを考えちゃいそうだったから、みんなと一緒に行くことにした。
セーレの力で俺達は一瞬にして温泉旅館に辿り着き、しばらく部屋でお茶を飲みながら、紅葉に染まる山の景色を楽しんだ。
セーレの到着を待って、みんなで温泉へと向かう。
のんびりした表情で大浴場や露天風呂を満喫している悪魔達を見て、来て良かったなと思ったよ。
夕食はなかなか豪華で、テーブルに所狭しと並べられた料理の数々に俺は内心で歓声をあげた。
大喜びで食事を口に運んでいると、何やら視線を感じる。
顔を上げると、いつになく優しい表情をしたダンタリオンと目が合った。
あれ?
何だか俺のこと、幼い我が子を見守るような目で見てない?
って考えが頭に浮かんだ瞬間、ダンタリオンに思いっきり睨まれた。
俺は慌てて目を逸らしながら、ダンタリオンが温泉旅行の話を進めたのは、意地悪だからじゃなかったのかもしれないなと思った。
ツンデレの本心を探るのって難しいね。
夕食の後、ウァサゴはお酒を飲んですぐに寝てしまい、アンドロマリウスとダンタリオンは外をぶらついてくると言って部屋を後にした。
残された俺は、セーレと二人きりになってしまって、ちょっとドキドキした。
いや、襖の向こうにはウァサゴがいるし、セーレと二人でいても手を出されたことはないんだけどさ。
この日のセーレはいつもと違う感じがして、気になった俺は、どうしたの? って聞いてみた。
そうしたらセーレは遠い目をして、何だか懐かしくてねって微笑んだんだ。
そして、前にも俺と一緒に旅行をしたことがあるって言い出した。
全然記憶にないんですけど。
って俺が思っていると、セーレは驚くべき話を始めた。
彼によると、俺が生まれ変わるたびにセーレは俺を探し出し、別の時代の異なる場所で、俺達は何度も出会いと別れを繰り返してきたんだとか。
何それ怖い。ストーカーじゃん。
っていうのが、俺の正直な感想だった。
しかも、どうしてそこまで俺にこだわるのかが全然わからない。
俺が怪訝な顔をしていたら、セーレは俺の前世と、俺に惹かれるようになった理由を教えてくれた。
俺は、どの人生でも挫折しまくっていたらしい。
いつも調子に乗って、上手くいかなくて失敗ばかりしていたんだってさ。
毎回そうなの? がっかりだよ。
話を聞いて、俺はますます自分に自信がなくなった。
落ち込んでいる俺に、セーレは話を続けた。
でもね、君は挫折や失敗を人のせいにしないんだ。
いつも、何がいけなかったのかを考えて反省している。
そして、人生を投げ出そうとしない。
身動きが出来なくなって、暗闇の中でじっとしている期間があっても、必ずまた立ち上がろうとするんだよ。
君は欠点だらけで、打たれ弱くて、すぐに逃げ出してしまう。
だけど、行き止まりで立ち尽くした後は、来た道を少し戻ったり、抜け道を探したりしながら、必ずまた歩き出すんだ。
僕は、そんな君のことが大好きなんだよ。
セーレはそう言うと、照れくさそうに笑った。
俺は何だか涙が止まらなくなってしまった。
でも俺クズだよって言ったら、知ってるよって言われた。
クズって自覚しているならマシだってさ。
自分が嫌いで、変わりたいのに変われなくて、毎日が辛くて、現実から目を背け続けてきたけれど、ようやく俺は新しい一歩を踏み出せるような気がした。