悪魔と悪人 前編
今回のエピソードは少し長くなるから、二回に分けて話すね。
うだるような暑さの中、俺達の探偵事務所を訪れたのは、ストーカーっぽい若い男だった。
まともな探偵事務所だったら、ストーカーと思われる人物からの依頼は受けないんだ。
でも、ここは悪魔の探偵事務所だからね。
ストーカーのような悪意ある依頼人は大歓迎で、これまでにも何人か魂を奪われてしまったストーカーを見てきたよ。
だから俺は、この若い男もきっと同じ運命を辿るんだろうなと思っていたんだ。
依頼人は、いかにもインドア派ですって感じの見た目で、ボサボサの黒髪にヨレヨレのシャツ。身なりに気を遣っている様子はまるでなかった。
要するに、俺みたいに冴えない奴だってことだ。
彼は、ある女性を探して欲しいと切り出した。
俺がお茶を出しながら悪魔達の様子を窺うと、彼らはあまり興味が無さそうな顔をしている。
あれ?
ストーカーの魂が奪えるチャンスなのにどうしたの?
って、俺は不思議に思った。
アンドロマリウスは奥の部屋から出てこないし、いつもなら前のめりで話を聞いているウァサゴも、ソファに座ったまま目を閉じて微動だにしない。
あんまりにも無反応だから、寝ているんじゃないかと思ったくらいだよ。
ダンタリオンとセーレは、適当に相槌を打ちながら退屈そうな表情で話を聞いていたんだけど、依頼人がその女性について詳しく話し始めた辺りで、明らかに態度が変わったんだよね。
依頼人の話によると、どうやら彼はデート商法に引っかかったらしいんだ。
街頭アンケートで凄く綺麗な女性に声をかけられて、話しているうちに意気投合したんだってさ。
その時点で、かなり怪しいよね。
だって、さっきも言ったけど、依頼人はどう見てもモテるタイプじゃないんだもの。
話し方もボソボソしていて聞き取りにくいし、暗い性格が滲み出ている。
初対面の綺麗な女性と会話が盛り上がるとは、とても思えない。
俺も依頼人と似たようなタイプだから、よく分かるんだよ。
だけど依頼人は、相手の女性から「運命の出会いかも」って言われて、その気になっちゃったんだ。
その女性はユウコという名前で、連絡先を交換して以来、毎日のように電話やメールをくれて、食事や映画にも誘われるようになったんだってさ。
デートを重ねるうちに、依頼人はすっかり彼女に夢中になってしまったわけだ。
そりゃあそうだよね。
今まで全くモテなかったのに、綺麗な女性が積極的に迫ってくるんだから。
俺だって同じ立場になったら、きっと舞い上がっちゃうよ。
何度目かのデートで、二人は雑居ビルの中で開催されていた絵画展に行ったんだって。
そこで、お互いに気に入った絵を選んでいると、販売員が近寄ってきた。
もちろん依頼人は買うつもりなんかなかったんだけど、話だけでも聞いてみようよってユウコに言われて、別室に案内されたらしい。
そこから長時間拘束されることになる。
この絵を選んだのはお目が高い。
今が底値で、将来的には何倍もの価値が出る。
部屋に飾れば高級感が出るし、投資としても申し分ない。
みたいな話を延々とされて、根負けした依頼人は試しに値段を聞いてみた。
そのお値段、なんと八十万円。
ポンと支払える金額じゃないよね。
そんなお金無いからって断ると、ローンが組めるから大丈夫と言われたんだって。
月々二万円。
依頼人は普通のサラリーマンだったけど、これくらいの金額なら無理なく支払える。
そこへ、ユウコが背中を押す一言を口にするわけだよ。
「私、この絵が飾られていたら、あなたの部屋まで見に行っちゃうかも」
そんな風に言われて、依頼人は八十万円の絵をローンで購入してしまった。
それからもメールのやり取りは続いたけれど、ユウコが依頼人の部屋に来ることはなかった。
しばらくして、久しぶりにデートの約束を取り付け、今日こそ部屋に誘おうとドキドキしながら待ち合わせ場所へ向かうと、ユウコがジュエリーの展示会を見たいと言い出したそうだ。
のこのこ付いて行った依頼人は、またもや勧誘されることになる。
ユウコは目をキラキラさせながらジュエリーを見てまわり、やがてダイヤの指輪を手にすると呟いた。
「綺麗……いつか、こんな指輪を好きな人にプレゼントしてもらいたいな」
そこで依頼人は、こっそり値段を確かめた。
90万円。高すぎる。
さりげなく店を出ようとすると、販売員が近付いてきて
「本日で最終日なので、特別価格にできますよ」
と耳打ちしてきたんだとか。
提示された価格は60万円。
それでも高いよね。
依頼人は、絵のローンを組んだばかりだし無理ですって断ったんだけれど、販売員はしつこかったらしい。
このダイヤは非常にグレードが高い。
滅多に市場には出回らない貴重品。
ダイヤには資産価値があるから、持っておいて損はない。
大切な人への愛の証として、いつか絶対に必要になる。
などなど、あらゆる言葉で説得が続き、頭がぼんやりして判断力が鈍くなったあたりで、ユウコが耳元で囁いた。
「いつか、このダイヤの指輪でプロポーズされたいな」
ここまで聞いて、俺は呆れてしまった。
いや、依頼人のことは可哀想だと思うよ。
だけどさ、どうして騙されていることに気付かなかったんだろうね。
恋は盲目ってやつなのかな。
まぁ、俺も当事者になったら、簡単に引っかかってしまうのかもしれないけどさ。
結局、依頼人はダイヤの指輪もローンで購入してしまった。
その日、依頼人がユウコを部屋に誘うと、彼女は急な腹痛に襲われて帰宅してしまい、それからはメールでのやり取りだけになったそうだ。
そして、クーリングオフの八日間が過ぎるとメールすら返ってこなくなり、音信不通になって今に至るわけだ。
しかも、不要になったダイヤや絵画を売ろうとしたら、購入した金額の十分の一くらいの価値しかないことが分かり、依頼人はやっと騙されたことに気付いたんだ。
依頼人が帰ると、ウァサゴは隠されたものを暴き出す悪魔の目で、すぐにユウコのことを調べ上げた。
彼女は詐欺グループの一員としてデート商法に加担し、これまでに相当な数の被害者を出しているらしい。
その手口は悪質で、ローンを組めない相手には消費者金融で借金させることもあるんだってさ。
ユウコに何度も騙されて借金を重ね、自殺に追い込まれた被害者もいるっていうから、本当に胸糞が悪いよ。
俺は依頼人のことが気の毒になってきちゃってさ。
彼がユウコを見つけ出して何をしようとしているのかは分からないけれど、もし復讐心に燃えて危害を加えようとしているなら、きっと悪魔に魂を奪われてしまう。
悪いのはユウコなのに。
そう思うと、何だかやるせない気持ちになるよね。
だけど、俺が気に病む必要は全然無かった。
悪魔達がターゲットにしていたのは、依頼人の方ではなく、ユウコの方だったんだ。