閉話 ある絵描きの話
温泉姫のもう一人の絵師の話しです。
私は・・・公爵領から流れてきた貧民の1人だ。
公爵領の雪山の谷間から森を抜けて川を越え苦労してむこうの豊かな伯爵領にたどり着く。
チラチラと雪が降る中、積もって動けなくなる前に辿り着かねば、みんな凍死してしまうと必死に足を動かす。
逃げるには、ここしかないのだ、金があるものは船で海側から出るが、年々税が上がって、凶作の公爵領で貧民にそんな金はない。
私の家は、そこそこ儲かっている商家だった。
私の母は元子爵令嬢で、母の美しい金髪に輝く青い瞳と白くて豊かな肌は私の誇りだった。
父は多額の身請け金を子爵家に払い、資金援助を続けていたのに、ある時母は出ていった。
父の商会の金を持って、無名の若い男といなくなった。
母は、知らない間に他から金を借りていたらしい。
残ったのは、多額の借金と借金返済に鬼のような顔をして奔走する父や従業員たち、父の最初の妻の子どもである兄たちと、母に似た容姿の私だけだった。
「子爵家に多額の資金援助をしてやってたのに、あの貴族様は、実家の子爵家も捨てて、金も持って逃げてったな!クソが!
お前の自慢の子爵家も、親父の金をあてにしてただろ? 今頃は事業が頓挫して借金苦の果てにお家取潰しだろうな。
顔だけ母親に似てるが、汚ねーソバカスと灰色の髪は親父に似たな。
お前は捨てられたんだ!
去年お前が遊びで抱いた女は俺の婚約者だったんだよ!
親も親なら子も子だな。」
そういって、兄たちは私をボコボコにし、父親がいないのを良いことに私を遠くの川に捨てた。
やっとの思いで這い上がって、物乞いみたいに道行く人に食べ物を恵んでもらい、昼夜問わずフラフラになりながら歩き、家にたどり着くころには一週間以上もたっていた。
家だった商家には全然知らない人達がいて、誰も私の事を知らなかった。
近所の私によく懐いていたパン屋の娘が、何日か前に、一家離散したことを教えてくれた。
詳しく聞こうとしたら、パン屋の親父が私を突き飛ばし、娘を殴って連れ帰った。
私は、商家の家族にも捨てられたのだな。
何も思わなかった。ショックでもない。
家族と呼べるほど仲良くしていなかったから、皆の行先に心当たりすらない。
着の身着のまま、流れて伯爵領まで来てしまった。若くて体力があったそれだけ。帰る家も、荷物も、未練もない。
道中は、一緒に流れて歩く女どもが私によくしてくれたし、寒さをしのいでくっついて皆で眠った。
酒場の女でも、もう少しマシな臭いだけど、我慢しなければならない。
私には何もないのだ。
伯爵領は、冬でも暖かい湯がわく不思議な場所で、よく貧民が流れてくるのだろう。ボロ小屋がいくつかあり、2、3日に1度炊き出しが出るし、雪が降る前に準備したのだろう果物や野菜を干したものが残っていた。
そこでも、女どもが自分の取り分を私にわけてくれる。
この地の領主と、その家族がやって来た。
美しい金髪碧眼の母親と息子がいて、さらに幼い子どもがいた。
若い伯爵夫人は豊かな胸に白い肌をしていて、私は自分の母を思い出す。
捨てられたけど、嫌いでは無かった。
伯爵家の幼い子どもが絵を描いていた。
貧民の子ども達がそれをもらって、はしゃいでいた。
上手く描くものだ、ご機嫌取りか?
汚いこいつらとは似ても似つかない美化し過ぎな絵だ。
そのうち、人が集まり開拓区と呼ばれて、整地されていき、商会がいくつも集まってきた。
貧民の痩せてガリガリだった者たちは、雇用されて毎日少ないがパンを与えられて
ボロ小屋だった所も更地になり、別の場所にプレハブがいくつもできて、商会ごとに貧民だった奴らが働いていた。
私も適当な商会のプレハブ小屋で何人かの人と働いている。
若くて体力があるから肉体労働をさせられていた。
運命の出会いがあった。
出自はわからないが、高貴な御方だとすぐにわかった。洗練された所作に言葉遣い
人々を集めて導くカリスマ的存在だった。
教祖様と皆は呼んでいた。
開拓区の工事がはじまり、さらに人が集まった。
伯爵家の方が建てた神殿に御神体が飾ってあり、拝謁する機会があったので拝ませてもらうと、御神体の像は遠目に見ただけだが
見たこともない衣をまとい、黒髪の少女が祈る姿だった。
温泉姫様と呼ばれていて、慈悲深き姫が非業の死を迎えた後に神格化したらしい。
元はどこかの国の姫だと言う。
私たち貧民の御神体の拝謁時間は短く、お布施も払えないからすぐに神殿から出された。
炊き出しがなくなったので、皆が仕事をしないと食っていけなくなった。
そんな貧民を集めて、教祖様が異を唱える。
「間違っている、この地は神に認めし温泉姫の地ぞ。伯爵家の夫人ごときが、独占してなるものか」
教祖様の呼びかけに応じるように皆の心に不満がたまる。
姫の姿絵を教祖様から見せてもらった。素晴らしい絵だった。
貧民の中の子どもが、姫の姿絵の写し絵を描いていて、その絵が貧民の間で回し見されていた。
絵は貴族の嗜みと言われて、母の暇つぶしに、少しだけ描いていた。
私にも掛けるかもしれない。
貧民の子どもにも出来るのだ。
教祖様にお願いして筆を久しぶりに取った。
そこから全てが変わった。
教祖様に褒められて認められて、遠目にみた御神体を描く。出回ってる貧民の子どもが描いた絵の写しをさらに写す。
ふと、母を描きたくなった。
美しい金髪に青い目をしていて、たおやかな白い肌の貴婦人だ。私の自慢の母だった。
教祖様に見つかり、怒られると思ったら褒められた。
信じられなかった。
私の描いた絵を教祖様がお認めになり、信者や貧民達に絶賛されたのだ。
遠目にしか見れない御神体に、金持ちしか手に出来ない姿絵。
そんな手の届かないものより、私の描いた絵を皆が欲しがった。
信じられなかった
私の描く絵に神が宿ったのだ。
絵の中の母が微笑み、慈愛の瞳で私を見た気がした。
信者がたくさんいるのだ、そう教祖様に言われて教祖様が欲しがるだけ描いた。
紙と筆さえあれば、いくらでも、寝る間をおしんで描き続けた。
それだけで、教祖様は私に食事を与えてくれて、服をくれた。
教祖様は、どうやったか知らないがプレハブ小屋を1つ信者のために買い取った。
この調子でこの開拓区を占拠するのだと皆に言っている。
伯爵家も黙ってなくて、我々に出て行けと言う。
教祖様が対応なさっていて、教祖様がギラギラと輝いてみえた。
カリスマそんな言葉は教祖様と共にあった。
順調だった。何もかもが上手く行き過ぎたのだ。
終わりとは、ある日突然やって来る。母がいなくなった時。川に捨てられて戻った時。
そして今回だ。
いつか見た、伯爵家の幼い子どもが馬車から降りてきて、伯爵夫人が何か言っていたと思ったら
幼い子どもが輝き出した
幼子の輝きに応えるように、俺の描いた姫が顕現なさった。
金髪の姫に感動した。そこには私の母がいたのだ。
私の母が姫として、現れた。
きらびやかなドレスに美しい髪にふくよかな体の母だった。
我らが姫の姿に教祖様も感動し、私も涙した。
ただ、悔しそうに涙を流す伯爵家の幼子が目に入るとほんの少しだけ罪悪感のようなものを感じた。
本来の御神体と違っていることは解っている。
あの子どもは、本来の御神体を本当の姫だと思っているに違いない。
顕現した姫が悪鬼とも言うべき、伯爵夫人に神秘の力を振るった。
素晴らしい! 我らが姫様は超人的な力でもって悪鬼を黙らせたのだ!
我らは、さらに湧いた!我らが姫様の勝利だ!
私も皆も涙を流して歓びあった。
すると、伯爵家の幼子がポソポソと何かを言ったと思ったら、沈黙の後に信じられない暴言を放った。
恐怖だった。
あんな幼子が・・・、まるで、柄の悪かった私の兄が私を罵る時のようだ。
教祖様も幼子の勢いに腰を抜かしてしまった。
私も怖かった!目が、眼力が、睨みつけるように叫ぶ幼子が怖かった。
お前は間違ってる、そう突きつけられた気がした。
すると、どうしたことだろう
我らが姫様にヒビが入りだした・・・
何だ、何がおこっているのだ・・・
幼子が再び輝きだして、持っていた光る絵を広げたら眩い光に包まれ我らの姫は完全に砕け散った。
すると、中から淡い光に包まれた美しい黒髪の少女が出てきた。
抜けるような白い肌、ツヤツヤの黒髪、目は黒いのにその瞳には夜空の星が宿っていた。
夜が暗いからこそ小さな星は輝くのだ。忘れていた、子どもの頃に父と見た冬の澄んだ星空のようだった。
細いけどしなやかな手足にプリっと上った尻
頬の朱が幼さを残していて、手におさまる程の山のいただきは生娘のごとく上を向いていた。
何もかもが違った。
私の絵は娼婦だ・・・そう幼子が怒るのも無理はない。
本物の慈愛の姫が幼子の熱い想いに涙したと思ったら、私の描いた絵が燃えだした
罪深い偽物は燃えよ、そう言われたような神の怒りに触れてしまった。
皆はいっそう恐怖におののき、私の描いた絵を捨て始めた
私の描いた絵が、燃える、燃え尽きる
私の描いた絵は、母は、最後まで私を救ってくれることは無かった。
さっさと諦めたらいいのに元教祖のじーさんがしつこく伯爵夫人に詰め寄っていた。
「我らに姫様の救いを下され、我らを捨てないで下され、我らはもう他に何もないのじゃー」
憐れだな
そう思っていたけど、じーさんの資金はまだ尽きていなかったようだった。
また何かを企んでいるようだったが、私にはもうどうでも良かった。
そのうち、このじーさんは消されるんじゃないか?
転機が訪れた。
絵を描いていた事が仇になると思っていたが、絵師の仕事はどうかと誘ってくれたのだ。
公爵領から共にきた貧民の女だった。
商会がボロ宿を買い上げて、内装工事が終われば工房にすると言う。絵師の仕事は高給で雇ってくれるらしい。
私は、まだ終わっていなかった。
そう、思っていたのに。
工房へ行き、各地から来た絵師や職人たちと、新しい生活の準備をしていた時だった
商会の息子と従業員がやって来て
工房の親方となる子どもと、伯爵家の方をお連れすると話していた。
「不敬が怖いなら黙って頭を下げていろ」と言うので、皆恐れて頭を下げていた。
そこに現れたのはあの幼子だった。
信じられなかった、あの幼子が絵を描いていたなんて!
それに御神体をいとも簡単に量産すると言う
私は恐ろしかった。幼子が話す内容も全然意味が理解出来なかった。
私はただ、怖かったのだ。
あの怒りに触れてしまった私の絵が
私が描いたと知られる事がとても怖かったのだ。
皆は楽しそうに話す幼子と商会の息子を見ていたけど、私は最後まで顔があげられなかった。
ここにいてはいけない、そう思ってしまった。
「あの時の事はまったく覚えておりませんのよ」
「まるで、何かに取り憑かれたように絵を描いてましたね、鬼気迫る勢いでした。」
「全然知りませんでしたわ。
不思議な事もありますわね、取り憑かれた衝撃でここ最近の記憶がありませんのよ。
私には過ぎた力だったのですわ。ホホホ」
より一層怖くなってしまった私は、働く前から工房を辞めて出ていった。
元の開拓区へ戻り、大人しく肉体労働でもしよう。
それから、元教祖のじーさんが
伯爵夫人から、とんでもないものをもらったと自慢していた。
どういった訳かは知らないが、新たな御神体を賜ったと言う。
ただ、温泉姫と相性がわるい神なので、神殿を建てるなら遠く離れた地でないと、温泉姫の崇高なエネルギーにとって食われてしまうという。
元教祖のじーさんは、大急ぎで御神体を持って新たな地へ旅立つらしい。
「お前にはすまないと思っていた。温泉姫の絵が違うと知っていたのにな。
これからは、この御神体の絵を忠実に描くと言うなら、新天地でまた絵を描かせてやろう
今度の神は、おぼこい温泉姫とは違い
汚れたワシの心を全てを受け入れてくれる慈悲深い方なのじゃ。
全てを受け入れてもたおやかに笑ってくださる御方なのじゃ。
ワシの求めていたものがここにあった。」
そう言って大切そうに御神体の入った箱を抱えていた。
渡りに船だ。
結局私はまた、絵を描くことになった。遠く離れた地で、人生をやり直せるのだ。
今度は間違わないようにしょう
最初に姿絵を描いていた貧民の子はヨハンです。狂う前に温泉姫が伯爵家に逃しました。




