3059
少女が1人。ネオンが眩しい夜の繁華街を歩く。
短く切った暗い茶髪と鋭い相貌。耳には幾つものピアスをつけていて、野暮ったいパーカーを制服の上に羽織っている。
あまりメイクもしていない、化粧っ気のない格好だが、それでも彼女はハッとするような整った顔をしていた。
彼女の歩みに合わせて、黒白のぶち猫が少し後ろをついてくる。
「あっ、君、これ落とし物」
背後から声をかけられて、少女は立ち止まった。振り返ると、チャラい格好をした男が2人、にやつき顔で迫ってくる。
手にはボロボロの財布が握られていた。少女の目がスッと細くなる。
「それ、私のじゃないけど」
「あれ、そうだった? おかしいな君が落としたように見えたけど。そうだ、名前教えてよ。中見ればそれでわかるかも」
「まだ私に話しかけるようなバカが居たなんてなぁ」
「ん? なんて?」
少女は軽くため息をついて、男たちを睨め上げた。
「篠田誠」
「へぇー、マコトちゃんね、ありがとう」
「マジか、おい」
名前を聞いた、その反応は2つに分かれた。片方はわざとらしく財布を開こうとして、もう片方が肩を掴んでそれを止める。
「なんだよ」
「ワカンねぇのか、篠田だぞ。そこのマコトって言ったらお前」
「は? まさかヤクザの?」
「用がないなら、帰るけど」
篠田がそう呼びかけると、男たちは引き攣った顔で振り向いた。
「その、わかりました。呼び止めてすんません」
「ん。そういや思い出したけど、その財布やっぱ私のだわ。ありがとね」
「えっと、はい」
男の手から財布を奪って、篠田はまた歩き始めた。やがて、ついてきている猫が立ち止まり、顔を洗う仕草をする。
『魔力の反応だ。近くに魔法少女がいる』
「わかってるよ。ドブ」
自分にしか聞こえない呼びかけに、篠田は面倒臭そうに答える。
『近くに人の少ない公園があるね。そこにしようか』
「おう」
勝手に歩き始めた猫を、今度は篠田が追いかける。
男たちから奪った財布を開くと、そこには金も身分証も入っていなかった。
『ここだね』
特に遊具も何もない、ベンチが置いてあるだけの公園。寄り添うように座る男女が数人と、広場の中央に一人、異質な雰囲気を持って佇む少女がいる。
「あれか」
篠田はそれを睨みつけて、足早に歩み寄った。
簡素なシャツとパンツの色気がない服装、手には長い杖を持っている。その杖にどこか見覚えがあって、篠田はそれが視覚障害者が使う白杖だと思い出した。
見れば、少女の瞼はずっと伏せられている。
「よう」
少女と5歩分ほど離れた距離を保ち、話しかける。
「あら、どうも」
「アンタ、魔法少女だな」
「ええ。そういう貴方も」
「だから話しかけた」
「そうでしょうね」
放つ敵意が空気をピリつかせる。
「私は篠田。アンタは」
「霧崎と申します」
「アンタの願いはなんだ」
「先に篠田さんの方から教えてください」
「私はヤクザの娘でな。生まれ直したいんだ。普通の生活がしたい」
「なるほど、普通の生活ですか。私も最初は同じでした」
篠田が首を傾げると、霧崎はフフ、と笑った。
「私は生まれつき目が見えなかったので、目が見えるようにして欲しかったのですが、魔法少女になったら見えるようになったんです。だから、もういいかなって」
「願いがないならなんで魔法少女なんかやってるんだよ」
「ええ、ですから。願いを変えることにしたんです。もう私の目は見えるので、どうせなら世界中の皆さんの目が見えないようになればいいなと」
「ああ、そう。可哀想なフリしてちゃんとカスなんだな。助かる」
「貴方も同じでしょう」
篠田が足元の猫に。霧崎は夜空に向かって手を伸ばす。
魔法少女の、その魔力の源は感情にある。大きな感情が大きな魔力を生み出し、少女たちに力を与える。
だが得てして人は、特に現実では叶えられないような超常の願いを持つ少女たちは、まっすぐな感情より負の感情を持ちやすい。
侮蔑。敵意。愉悦。
相手の願いを踏み躙ってでも自分の願いを叶えたい。それは歪み切った感情そのものだ。
「来い。ドブ」
篠田の命令に合わせて、猫の体がブルブルと震える。膨らむ。クワッと開かれた目は激しく裂け、大きな口のように1つに混じった。そうしてできた大きな目が、やがて篠田の右手を包み込む。
『ご注文は』
「モデル41」
『了解』
猫の腹が大きく開いた。溢れる臓物の中からサイレンサー、ホロサイトなどのパーツが現れる。篠田が目から右手を引き抜くと、その手には細身の拳銃が握られていた。
銃の魔法少女。篠田とその使い魔たる『ドブ』は任意の拳銃と弾丸を生成できる。
「仰せのままに。ご主人様」
対して、霧崎は夜空に願った。
現れたのは黒い影と、それに繋がった巨大な人の手。やがてそれは、いつの間にか握っていた棒を、4拍子のリズムで振り始める。
それに応えるように、霧崎は体を揺らし始めた。何かに引っ張られているような不自然なステップ。4小節振り終えたところで、手の動きが止まる。糸が切れたように霧崎も動かなくなった。
大きな手が降りてきて、彼女に指揮棒を手渡す。それを引き抜くと、中から抜き身の刃が現れた。
『あれは刀の魔法少女。指揮者の使い魔だね』
「ん」
何処から声を出しているのか、ぐずぐずの肉塊になったドブが語りかける。篠崎は軽く返事をした。
2人の体を薄い膜が覆う。魔力を持たない者達からの認識を阻害する魔法。
これで周りの目を気にする事なく殺し合いに集中できる。
「いつでもい」
銃声。
霧崎が言葉を言い切る前に、篠田は引き金を引いた。眉間を狙った弾は首を傾げる事でかわされる。
続けて数発。放った弾丸は全て、軽い体重移動だけで回避された。
「ダリィなぁ」
篠田の顔が渋くなる。霧崎の両目は閉じたままだ。何かの魔法や能力で篠田の動きを把握して、銃弾を避けている。
未来が見えるのか、それに近しい能力。篠田はそう当たりをつけた。
「動きが人間なら数撃ちゃ死ぬだろ」
モデル41。篠田の握る拳銃は、22ロングライフル弾を使う扱いやすいものだ。
小さな反動。抜群に良いトリガーのキレ。
曰く、22ロングライフル弾は「世界で最も人を殺した弾」だ。
連射。火薬が爆ぜる音が絶え間なく空気を揺らす。
「おやおや」
最初の数発を軽いステップで躱した霧崎だったが、たまらず空中に跳び上がった。月の光を刀の影が覆う。
篠田がそこへ狙いを移した。発砲。続けて2発。マガジンが空になって、銃のスライドが後ろに下がったまま止まる。
白刃が煌めく。銃弾の1つが刀によって弾かれた。
残った1つは太ももを貫き、穴を空ける。霧崎の顔が痛みに歪んだ。
だがその程度では致命傷ではない。
「ドブ!」
『はい』
呼びかけると、大きな猫の姿に戻ったドブが口からマガジンを吐き出した。それを受け取り、リロードに入る。
霧崎が着地した。同時に深く体を沈める。
銃声にも似た豪快な音。それはしかし、霧崎が地面を蹴った音だ。
「クソがっ」
篠田が倒れるように横に転がる。先ほどまで彼女の首があった場所を、鋭い刃が駆け抜けた。
回避すら読んでいたのだろうか、すぐに霧崎は体をひねり追撃の姿勢を取る。が、傷が痛むのだろう。力を込めた太ももから血が噴き出して、一瞬動きが遅れた。
その隙を逃さずに篠田がリロードを済ませる。2人はまた静かに睨み合った。
先に1発当てていなければ死んでいたのは篠田の方だ。
「ふぅー」
深く息を吐き出し、霧崎の眉間へと狙いを澄ませた。
恐らくコイツの能力は未来視じゃない。
篠田は考える。
本当に未来が見えているのであれば銃弾が当たることはないし、篠田を取り逃がすこともない筈だ。それを予期して動けば良いのだから。篠田が横に転がって躱すのがわかっていれば、無様に地面に転がったそこを狙って斬り殺せばいい。
それとは別の能力。例えば相手の思考を読む、だとか相手の筋肉の動きがわかる程の視力がある。それに魔力で強化された反射神経を使って、銃弾に反応するほどの力を得ている。
それなら。
「今度はアタシも何処で弾が出るかわからないから、よろしく」
「はい?」
笑みの混ざった言葉に、霧崎は初めて不機嫌そうな返事をした。
そしてすぐにその言葉の意味を知る。
篠田は少しずつ、ゆっくりと指に力を込め始めた。引き金が絞られていく。
考えを読もうが力みが分かろうが無意味だ。どこまで引ききれば銃弾が放たれるか、篠田自身もわからないのだから。
ただ狙いだけはしっかりと霧崎に向けられている。
「考えましたね」
「そりゃあ、ね」
覚悟を決めたのか、霧崎が刀を構え直す。体を半身に、刀の腹を篠田に向けるような構え。
体の全部を隠したわけではないが、心臓や脳は刀身に守られている。四肢に命中しても死にはしないことは、先ほどの1発でわかっていた。
「行きます」
霧崎が地面を蹴った。猛烈に迫る影に、篠田はありったけの銃弾を叩き込む。
金属が金属を弾く音。肉を抉る音。命中した弾丸の1つが霧崎の指を3つほど消し飛ばすが、それでも彼女は止まらない。
ガチャッというスライドが止まる音は、死神が得物を構える姿を連想させた。
使えなくなった拳銃を篠田は放り捨てる。
「ドブ! サンダー!」
「貰います!」
霧崎が上段に刀を構える。それと、篠田の手に新たな拳銃が握られたのは同時だった。
振り下ろす。合わせて、篠田が銃を構えて撃つ。
轟音。
砂煙が2人を覆う。
「ぐ、がああああ!! ちくしょう、腕が」
最初に聞こえたのは、篠田の呻き声だった。土の上に倒れ込みながら、右腕を押さえている。
その手に握られているのはサンダー。対物ライフルの弾丸を使う拳銃。
近くに、もう1人分の影が倒れていた。
右の上半身が吹き飛んでいる霧崎の死体。途中でひしゃげて折れた刀が、無残にも土に突き刺さっている。
目が開いているのは、死の間際に何かを見たからだろうか。
やがて空から降りてきた大きな手が、霧崎の死体を持ち上げ何処かに運んで行った。
『おめでとう。篠田』
猫の姿のドブが篠田へと歩み寄り、語りかける。
「あ? 何言ってるのか聞こえねぇよ。全く、耳と右腕がイカれた。こんなもん2度と撃つもんか」
『そうだね。でも君は勝った。傷を治そう』
ドブがペロリと篠田の手を舐めると、緑がかった暖かな光が彼女を覆った。
回復した篠田がゆっくりと立ち上がる。
「ふぅ。で、奴は何点持ってた」
『514だね』
「随分と他の奴らを殺してたみたいだな。まぁ強かったから納得だけど」
再びドブの目が1つに集まって、大きなモニターになった。そこに2545という数字が表示され、後から514が加算される。
『今は3059だ』
「ん」
『目標の生まれ変わり。10000点まで遠いね』
「遠くねぇよ。さっきみたいなのを14人殺せばいいんだろ」
『もっと強い魔法少女なら、もっと早いね』
「違いねぇ」
不要になった拳銃を捨てると、ドブがそれを飲み込んだ。
篠田は変身を解き夜の街に消える。
殺し合いは続く。