追放された聖女は精霊に溺愛されて幸せになる
「大聖女リィラ、お前は国外追放だ。いまから大聖女はこちらのアルメリー嬢となる」
魔法省の責任者のシメオン王子にそう告げられ、リィラは首を傾げた。
「……どういうことでしょうか?」
「何をとぼけたことを。お前は聖女の仕事をせずアルメリーにすべて押し付けて、成果だけ自分のものにしていたのだろう。我が国にそんな卑怯な聖女は必要ない」
自身も魔術師として優秀な王子からの断罪は、リィラにとってはまったく身に覚えのない断罪だった。
リィラは王子の隣で勝ち誇ったように笑うアルメリーを見つめた。
アルメリーは新しく魔法省にやってきた聖女だ。元々は子爵家の令嬢で、美しい少女だった。シメオン王子と恋仲という噂もある。
アルメリーはリィラの見習い兼世話係となり、一ヶ月行動を共にした。
とにかく最初のうちは先輩聖女のそばについて仕事を覚えることが新人の仕事だ。リィラも同じようにして仕事を覚えた。
リィラも後輩聖女のお手本となるように仕事に勤しんだ。国のあらゆる地に赴き、精霊と言葉を交わした。精霊と人間の架け橋となるのが聖女の仕事だからだ。
だが何故か仕事を放棄してアルメリーに仕事を押し付けて、手柄だけ自分のものにしていたということになっている。
そしていきなり国外追放。あまりにも話が早い。
「一言だけよろしいでしょうか」
リィラは取り乱すことなく、いつものように落ち着いた心で言う。
「ふん、最後に長年の貢献に報いてやるとするか。言ってみろ」
つい先日までリィラのことを褒めてくれていた王子は、冷たい瞳でリィラを睨む。
「私は恥ずべきことはしていません。天にも地にも精霊にも。それは精霊たちがもっとも知っているでしょう。それでは、国外追放を謹んでお受けします」
◆◇
「なんて仕事が早いのでしょう」
気がつけば国境外の森の中にいた。
近くに人里もなく、お腹を空かせたウルフがうろついていそうな森だ。
「長年国に尽くしてきたリィラにこんな仕打ちをするなんて許せませんね」
リィラの隣に立つ黒髪の青年が静かに怒りながら言う。
「いいんです。ずっと働き詰めでしたから、これはきっと精霊王様が下さった休暇なんです。しばらくゆっくり過ごします」
十歳で聖女としての精霊宮に入り、翌年に大聖女となり、十五歳まで毎日働き詰めだった。
だがもうもう仕事はない。
同僚聖女たちには申し訳ないことをしたと思う。
「ところであなたはどちらさまですか?」
面識がない相手に問いかける。
いつの間にか当然のように隣にいたが、リィラは彼を知らない。ただ、どこか安心するような、懐かしいような感覚があった。
「僕はヴィルセル。あなたを見届けるものです」
名乗った青年は穏やかに微笑む。
監視役ということだろうか。
仕事とはいえリィラの追放に付き合うことになるなんて気の毒だと思った。
「僕のことよりもリィラ、これからはどう過ごしたいですか」
「どう……?」
「例えばどんな家で、どんな暮らしをしたいか教えてください」
そんなこと考えたこともない。
「そうですね……森の泉のほとりの、小さくてかわいい家で、畑を耕したり木苺を摘みながら、静かな日々を過ごしてみたいです」
「なるほど」
夢を語るだけなら自由だ。
リィラののんびりとした夢をヴィルセルは笑いもせず真剣な表情で聞いていた。
「例えばあそこのような?」
ヴィルセルが指さした先には、小さな家があった。
まさに先ほどリィラが語った通りの夢の家が。
「幸い誰も住んでいないようです。しばらくあそこで過ごされてはいかがでしょうか」
ヴィルセルに手を引かれて近づいてみると、小奇麗なのに誰かが住んでいる気配がない。
「王子がせめて家を用意してくれたのかしら」
そうでもなけれが不自然すぎる。あまりにも都合がよすぎた。
「大聖女リィラへの精霊からの贈り物かもしれません」
◆◇
「毎日毎日、ヴィルにはお世話になりっぱなしだわ」
リィラには生活力が皆無だった。
料理も洗濯もできない。
それなのにお腹がすいたら食事が用意されていて、部屋もいつもきれいな状態が保たれている。
何もかもお膳立てされた、至れり尽くせりの状態だ。
「こんな贅沢をしていていいのかしら」
と思うほど。そして監視役とはここまでしてくれるものなのだろうかと思うほど。
せめて自分にできることをしようと、ヴィルセルに喜んでもらえることをしたいと、その日リィラは木苺を摘みに外に出る。
家の近くにある木苺の木には、いつも真っ赤で甘酸っぱい実がたくさん実っている。
リィラの大好物だった。
「ヴィルもよろこんでくれるかしら」
甘く爽やかな香りの中で木苺を摘みながら彼を想うと、頬が木苺のように赤くなる。
リィラは恋を知った。
初恋だった。
もちろん恋が叶うなんて思っていない。
だがこの甘酸っぱい感覚をできるだけ長く味わっていたい。
美しく儚い夢のような恋だった。
リィラの周りにいる精霊たちもいっしょに浮かれているのを感じる。
精霊は聖女の感情に呼応する。
リィラが喜ぶと精霊も喜ぶ。
リィラが悲しむと精霊も悲しむ。
声も聞こえない、姿も見えないけれど。
精霊にはリィラの感情がわかっている。
――その時。
森の中に相応しくないガチャガチャとした金属音が聞こえ、リィラは不安になりながら辺りを見回した。
すると、木々の緑の合間からきらきらと光るものが見えた。
鎧だ。
鎧を着た一団がリィラのところへやってくる。
その先頭にいたのはシメオン王子だった。
「これはシメオン王子、お久しぶりです」
兵士の一団に取り囲まれながら、リィラは頭を下げる。
「喜べ。お前を連れ戻しに来てやった」
機嫌の悪そうな声がリィラの胸をえぐる。
王子は敵を見る目をしていた。
言葉が出ない――息もうまくできなくなったリィラの前で王子は続ける。
「リィラ、お前が出ていってから精霊たちが魔法に応えなくなった」
それは一大事だ。
国の生活システムは魔法に依存している。水の汲み上げも、風車を回すための風も。
魔法は精霊に願うことで発動する。
精霊が応えてくれなければ、民の生活が立ち行かなくなる。
「……聖女の方々はなんと? アルメリーさんは?」
「何を白々しい。お前が何かをしたんだろう。皆、精霊の声が聞こえなくなったと言っている」
「私は何もしていません。この森で静かに暮らしていただけです。お疑いなら監視役の方に――」
「監視役? 何の話だ」
「えっ――」
リィラは頭が真っ白になった。
それではヴィルセルは何者なのか――
「どんな真似をしたかは知らないが、そんなにお望みなら聖女に戻してやる。私の下で一生国のために働け。さあ、来るんだ!」
乱暴に腕をつかまれ、引っ張られる。
「――いや!」
全身を拒否感が襲い、リィラはシメオン王子を突き飛ばす。
カゴが地面に落ち、ばらばらと木苺が地面に散った。
「お前――!」
激昂したシメオン王子が剣を抜こうとする。
木苺を踏み潰して。
無残に踏み潰された木苺の姿が自分と重なった。
(ヴィル――!)
ヴィルセルが何者だったとしても。
たとえ幻だったとしても。
リィラは彼に恋をした。
このままここを離れてしまえば、二度と会えないかもしれない。
それは死ぬことよりも怖いことだった。
その時、空から巨大な水の塊が王子たちの一団の上に降ってくる。
リィラの周囲だけを避けて。
「な……な……」
ずぶ濡れになった王子がわなわなと震えていた。
「大丈夫ですかリィラ」
「ヴィル!」
一番聞きたかった声が。
一番見たかった姿が。
ヴィルセルがいつの間にか、リィラと王子の間に立っていた。
「お前の魔法か……誰だお前は」
「少しは頭が冷えましたか? 僕は精霊王の子、ヴィルセル」
――精霊王の子。
その名乗りを聞いてリィラは心の底からびっくりして、そしてさーっと青ざめた。
精霊の王子に世話を焼かせていたのかと。
とんでもなく失礼なことをしていたのではないかと。
「僕の愛しいリィラ」
ヴィルセルは王子に背を向け、すっとリィラに手を差し伸べる。
「ずっとあなたを見ていました。あなたの悲しみに寄り添い、幸せを分かち合いたかった。リィラ、僕と一緒に精霊界へ来てください。必ず幸せにしますから」
「ヴィル……」
差し出された手を、リィラは何も考えずに握り返そうとした。
彼が何者でも関係ない。
恋した人が自分を望んでくれて、断れるわけがなかった。
「――民を見捨てる気か!」
王子の言葉がリィラの聖女としての良心を突き刺した。
「最初に蔑ろにしたのはそちらの方だろう。何よりも守るべき大切な聖女を、女に騙されて追放し、更には激情に駆られて傷つけようとするなんて」
「ぐっ……それは……」
「何も今日明日に滅びるというわけではないだろう。あとは自分たちでなんとかしてみせろ」
突き放す言葉と共に風が吹く。目も開けていられないほど強い風が。
風が弱まり目を開けると、そこは空の上だった。
ヴィルセルに両腕を支えられ、空の上を飛んでいた。
「強引にさらってすみません。あれ以上あなたをあの場所に置いておきたくなかった」
「…………」
「怒っていますか?」
「……私の気持ちなんてお見通しでしょう?」
精霊は聖女の感情に呼応する。
リィラが喜ぶと精霊も喜ぶ。
リィラが悲しむと精霊も悲しむ。
ヴィルセルの身体を強く抱きしめる。
「私があなたといっしょにいたいと思ったの。私、あなたが好き……大好き!」
リィラは恋をした。初恋だった。
すべてを捨ててもいいと思えるほど激しい恋だった。
その後。
精霊の力を失った国は急速に衰退していき、やがて滅びを迎えることとなった。
魔法が使えなくなった地は、呪われた地とも呼ばれたが、そこは精霊たちの楽園にもなったという。