#6.換えられた転轍機
祈春祭当日。
ジェリコは午前中買出しに行かされた。昨日確認し忘れて足りないものがあったらしい。ジェリコはぞろぞろと街を歩く人々をかわしながら、買い忘れていたものを購入してさっさとラ・メールへ戻った。幸い嵩張るものではなかったので、事故が起こることもなく安全に済ませることができた。
買出しを済ませて軽い昼食をとった後、ジェリコは店が開く夕刻まで外に出ることにした。本格的に祭りが始まるのは夜だが、少しでも祭りの空気を楽しみたかった。それに祭りの雰囲気を絵に描くつもりだったので、どういうものか知る必要があるのだ。
ダニエラと一緒に行こうかと思ったが、ダニエラは朝からどこかへ出ているらしかった。それに昨晩のこともある。正直顔は合わせ辛かった。
結局ジェリコは一人で街へとくりだした。まずは一番賑やかな中央通りへと向かう。
ジェリコの予想通り、中央通りは人で溢れ帰っていた。道を歩く主な人間は観光客や旅人、行商のようである。
ベルガモは色々なものを売っていて、尚且つ価格が安い。おまけに今日は祭りの影響でさらに値段が下がる。みんなそこを狙っているのだろう。
「おどきなさいよあなた!」
「うるせぇなぁ、こちとら生活かかってるんだよ!」
衣服を取り扱っている店の前で、派手な服を着た貴族と、行商らしき男がいがみ合っていた。この光景も毎年のことだ。初めて見たときは貴族が何か物騒なことをするのではないかとハラハラしていたが、数年もすれば慣れてしまう。それに不穏な空気が漂い始めると自警団が現れて仲裁してくれるのだ。ベルガモは他の街と比べて治安もいい。
――そういえば、モンツァは治安があまり良くなかった。
港町ということで、船がたくさん往来するモンツァでは密入国者が後を絶たない。それと相まってあまり表沙汰にはならないが、影で妙なものを取り扱った取引が頻繁に行われているらしい。噂では警察もそいつらと組んで甘い汁を吸っているそうな。そういう意味でモンツァはあまりいい町ではなかった。
ジェリコが孤児院に居た頃はそういう悪者を追っ払うために、友人達と自警団の人たちとで街の治安を守るべく活動していたこともある。今思えば随分と命知らずなことをしていたと思う。親代わりのセブロや自警団もよく許可したものだ。
警察が当てにならない以上、自警団やギルドに街の治安を維持する必要があるため、街全体の連携はアイトラの中でも高い方だった。
だからある意味では安全な街だといえる。もし困りごとを抱えてしまっても、周りが助け舟を出してくれる。モンツァの治安は人と人との繋がりによって造られた街だ。
そんなモンツァでの誘拐事件。犯人は高確率で外部によるものだろう。そして警察がまともに機能していないところから判断して権力者、領主も一枚噛んでいる可能性もある。この事件には、何かどろどろとした人の嫌な部分が深く関わっているような気がした。
「……悪い癖だ」
ジェリコは興味があることならば、何にでも首を突っ込みたがる。
『好奇心旺盛なのはいいが、このご時勢では身を滅ぼしかねない』
セブロの言葉が胸に蘇る。セブロはできた人間だった。人を見る目も、導く技術も持っている。そのセブロの忠告なのだ。この癖を直さなければいずれジェリコの首を絞めるに違いない。
自分自身、この癖の悪い部分は良く分かっているつもりだ。分不相応な事柄に関わるということは極端な話、死に直結する。モンツァの事件もただの少年であるジェリコが関わるには大きすぎる話だ。改めて、ダニエラはジェリコのことを良く分かっていると痛感してしまう。本当、彼女には頭が上がらない。いや、そもそも上がる日が来るのだろうか。
だがせめてモンツァの友人達の安否だけでも確かめたい。事件の真相は喉から手が出るほど知りたいが、今回は本当に危険そうだった。例の『直感』がそう告げるのである。人の嘘を嫌でも確実に見抜く妙な才能。そこから派生したと思われる妙に冴えた勘がジェリコをぎりぎりのところでせき止めていた。
「あの、すいません」
モンツァまではジェリコの足で歩いて二日。一本道の街道を突っ切るだけだから迷うことも無い。人通りも多いし、途中には宿もある。ダニエラは心配しているが、事件に巻き込まれる可能性は極めて低いだろう。
「あの、もしもし?」
さしあたって出発日は祭りが終わって街が落ち着いた頃、明後日以降か。ドメニコに話して許可を貰わなければならないが、おそらく大丈夫だろう。休んだ分給料を差っ引かれるだろうが、そこは我慢するしかない。
「……あのねっ!お尋ねしたいんですがっ!」
突然後ろからぐわし、と肩を掴まれて強引に振り返された。まったくの不意打ちだったのでジェリコは心臓が止まるほど驚いた。
「あのね、何度も声かけてるのに、なんで気づかないの」
「え?はぁ、ごめん」
呆然とし、いまいち現状把握ができないジェリコはとりあえず目の前の相手に謝った。
「周りうるさいからあたしの声聞こえ辛いかもしんないけど、返事くらいしてよ」
ジェリコの肩を掴んだのは、自分より五つか六つは年下と思われる少女だ。紺色の外套を纏い、青色の縁取りが付いた漆黒のスカートを穿いている。三つ編みにした飴色の髪をか細い両肩に下ろし、空色の瞳を燃え上がらせて腕を組んでいる。
年に似合わず大人びた態度を取っているが、不思議なことにその姿は様になっていた。姿かたちは可愛らしい少女そのままなのだが、身にまとっている気配がアドリアンのような、長年厳しい環境で育ってきたような重厚な年季を感じる。傍らには荷物袋と思わしきものが転がっており、なるほどどうやら旅人のようである。
――幼い十歳前後の少女が、一人旅?
「あのね、人を化け物を見るような目で見ないでよ」
知らず、まじまじと少女を見つめていたらしい。
「いや、だって十歳前後の女の子が一人旅なんてしてたら誰だって驚くじゃないか」
「あのね、そういうあんたも私と大差ないと思うよ」
個人的には問題ありな発言なのだが、世間一般から見れば確かに大差ないだろう。大人にとって子供は子供なのだ。それに彼女とジェリコは背も同じくらいなのである。周囲から見れば兄弟と思われても相違ない。
「それは置いといてだ。君、僕に声をかけていたらしいけど何か用事があるんじゃないの?」
なんとなく押し負けているジェリコは話をそらすべく、話題を変えた。
すると少女は「ああ、そうだった」と、手を叩いた。
「あのね、シド・バティっていう酒場を探してんだけど、どこにあるか知ってる?」
ベルガモには酒場が三ヵ所ある。それぞれの店を繋ぐと三角形になるような形で点在しており、旅人の疲れを癒す要所となっている。シド・バティはこの街で唯一宿も経営している酒場でもある。おそらく彼女は宿を取りに行きたいのだろう。今日は祭りの日なので、急がないと部屋が全て埋まってしまう。
ジェリコは中央通りの奥を指差しながら説明を始める。
「シド・バティへはまず中央通りをこのまま真っ直ぐ歩いて、ジャーノンという花屋が見えてきたらその角を右に曲がって、そのすぐ次の角を左に曲がって真っ直ぐ歩いていけば着くよ」
「ジャーノンを右で次に左ね。わかったわ」
それじゃ、と言いながらたくましくずた袋を担ぐ。そして少女はジェリコの脇を通り、振り返ることなく過ぎていく。あっという間に人ごみに紛れ、小さな旅人は雑踏に消えてしまった。
(世の中変わった人がいるんだな)
世間の広さをほんの少しだけ知ったジェリコは、しばらく少女が吸い込まれていった人の波を見つめていた。