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#31.自問

 窓辺から見える夕陽が鮮やかに焼きつき始めた頃、ジェリコはそっと本を閉じた。

 傍らにはリュドリヤ、そしてエメがいる。二人とも熱心に本を読み、その姿からは日頃の殺伐とした気配など微塵も感じられなかった。リュドリヤの銀髪はうっすら紅い夕陽を照り返して輝き、端正な横顔は茜色の輪郭線を浮かび上がらせていた。また、エメの黒髪は光に透かされ、まるで黄金色の麦畑のような輝きを見せていた。いつもは無表情なエメの瞳も、活字をなぞるように忙しなく動き、どことなく生き生きとしている。リュドリヤは「そういうことか」や「その解釈は興味深い」などと小さい独り言を呟いてはいるが、それなりに楽しんでいる様子である。二人とも、本来はこういう姿であるべきなのだろう。この間の手を血に染めるような事態が、遠い夢のような気がしてくる。

 そんな『平和』な光景を眺めていると、ジェリコはほっと心が温かくなった。理由はよく分からない。ベルガモにいた頃のようなどこか懐かしい、そして切ない気持ちで胸の中は溢れていた。穏やかな日々、静かに流れる時間、これも一つの『幸せ』の形なのだろう。

 しかし、今感じているこの幸せは、自分自身の勝手な思い込みなのだろう。二人は本当に幸せなのか、それは定かではない。ジェリコが求めている幸せとは、どんなかたちの幸せなのか。万人が幸せを共有するにはどうすればいいのか。そもそもそれは可能なのか。

 他人の不幸によって幸福を感じる人間がいる。そういう異端はどうするのか。排除するのか。無視するのか。

 究極の幸せの形とは、一体どういうものなのか。それを求めることすら、すでに間違っているのだろうか。自問自答を繰り返す。しかし辿り着く答えは黒い霧に隠されたまま、一向にその姿を見せる気配は無かった。所詮、ジェリコが長年持ち続けている「己の絵で人々を幸福にする」という目標は、夢物語でしかなかったのだろうか。そうであるならば、日々行っている絵画の鍛錬は、無駄なのだろうか。

 

 ――いや、それは無い。ジェリコは思う。 

 自分は魔術を手に入れた。絵を描くようにして魔術を使う術を。それは今まで自分が信じてきた道によって手に入れることができたものだ。無駄であったと考えることは、愚かだ。 

 ジェリコにとって魔術を使うことは絵を描くことに等しい。即ち、ジェリコの絵とはジェリコの魔術なのである。そして短期間で様々な魔術を目の当たりにしてきたが、魔術の可能性の広さには目を見張るものがある。単純に絵画のみで人々を幸せにするのはあまりにも限定的で視野が狭いが、魔術を併用することでジェリコの目指す到達点に達することが出来るのではないか。

 故にもっと合理的に、もっと自由に、もっと確実な方法を手に入れる必要がある。魔術というものはあくまでその第一歩だ。絵画と魔術の融合。そしてその先にあるもの。それこそが自分自身の目標を達成するために必要な技術であるとジェリコは考える。

 そのために昼間、リュドリヤから魔術を扱うための方法を教えてもらった。思い出すように目を閉じる。

 ――リュドリヤは言った。魔術で引き起こす事象はすべて「魔力による命令の具現化」であると。そして具現化させるには、そのための原因と最終的な結果が必要になる。

 まずその命令がなぜ必要なのか。そしてその命令は何で構成されているのか。最後にその命令により魔力を『この世に対してどう在らせたい』のか。

 とどのつまり、魔術は術者の欲望から始まる。その欲望をより具体的に想像し、想像した欲望の器に魔力を満たすことによって、この世に顕れる。

 ジェリコは欲望を『絵』という器を作ることによって魔術を顕現させられる。というかそれしか分からない。リュドリヤがいうには、頭の中で精細に欲望の器を創造できれば実際に描かなくとも可能らしい。用は、手段を問わずどれだけ現実味のあるものを作り上げられるかどうか、というところが一番の問題なのだと。厳密に、緻密に組まれた魔術ほど強力で長く持ち、あまく、曖昧な魔術ほど弱く脆い。

 そして魔術には向き不向きがあるとか。基本的に魔術というものは、魔力次第でどんな事象も引き起こせることができるが、創造主が人類に与えた『歯車としての役割』からあまりにも離れた魔術は扱えないそうな。意思ではなく肉体がそういう風に作られており、それは人間という種の限界で、仮にそれを越えることができたとしても人でなくなるか、『異端者』として神族に滅ぼされてしまう。

 ――では、ジェリコは一体どんな役割を与えられているのか。リュドリヤはエロドゥエッテの持つ『命令する者』だというが、はっきり言って漠然としすぎてイメージが湧かない。すべてに対して命令することができるということは、魔術のルールでいえば何でも引き起こせることになる。リュドリヤのワルドの三本糸がそれに当たるわけだが、自分にもできるのだろうか。

「……主よ、どうしました。思い詰めた顔をしていますが」

 唐突にリュドリヤが話しかけてきた。振り返ると、リュドリヤとエメが二人して自分のことを見つめていた。

「悩み事はぜひ私にご相談を。大抵の事は答えられるはずですから」

 リュドリヤは真っ直ぐジェリコの目を見て言った。その頼もしい瞳を嬉しく思いつつジェリコは小さく頷きながら「ありがとう」とだけ答えると、窓の向こうの夕陽に目を向けた。あの夕陽を隣にもう一つ作り上げることも出来るのだろうか。もしくは、半永久的にあの夕陽をあの場に留まらせることもできるのだろうか。

 魔術は底が知れない。何でも出来る、というのはあまりにも奇妙で胡散臭く、未知の密林のように、深い海の底のように謎に包まれて不気味だ。しかし反面、興味もある。魔術はどこまでその手を伸ばすことが出来るのか。はたして限界があるのか。魔術師になるものは、魔術のそういう面に惹かれた者もいるのだろう。

 未知を探求する心は知恵を手に入れた人類の性のようなものだ。それに限界が無いように、魔術にも限界は無いのかも知れない。

 ジェリコは夕陽から目を離すとゆっくりと立ち上がって背伸びをした。小気味良く骨が鳴る音を聞きつつ、「よし」と呟いて二人に言う。

「そろそろフォレンティーナと合流しよう。もう彼女は待ってるかもしれないから」

 そしてジェリコ達は茜色の図書館を後にした。夕陽に沈み行く知識の泉は、誰を待つでもなく町並みに影を落としながら静かに佇む。ジェリコは少し名残惜しみつつ、フォレンティーナと別れた路地へと向かった。


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