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#27.開戦 part2

筆が地面に突き刺さると同時に、ぼきりと音を立てて崩れた。

 空は青く染まり始め、日の光が草原を隅々まで染み渡るように照らしている。

 遠くの方では剣戟の音。不吉で、心臓を黒く躍動させるような音。

 流れる風に変化は無く、虹色でもなければ向かい風でもない。

「――」

 世界は、何の変哲も無く回っている。今日という一日が始まろうとしている。向こうの方で死の空間があるのは別として。

「ねぇ、あんた、大丈夫?」

 後ろから気の抜けたフェリシアの声が聞こえた。どこか声をかけづらそうな、ためらいがちな声。ジェリコはゆっくりと振り向く。そこには眉をひそめたフェリシアとフォレンティーナが余命を知らされた病人を見るような突き放した目でジェリコを見つめていた。

「気でもふれたの?まるで狂ってるようだったわ」

 毒のあるフェリシアの言葉に、ジェリコはぼんやりとした意識が覚醒していくのが分かった。先ほどの行為、確かに、傍から見れば怪しいことこの上ない。ジェリコは急に恥ずかしくなった。

 それと同時に、諦めの心が芽生えていた。やっぱり、という呟きさえ出ないほどジェリコは哀しかった。

「魔術でも使おうとしたの?気持ちだけじゃ魔術は使えないわよ」

 冷たく言い放つフェリシアの瞳は、どこか悲しげだった。

「あたしたちは逃げるのよ。あいつらの異常な戦闘を見てたら分かるでしょ?きっとあたしらじゃ手助けしようとすればするほど迷惑を掛けるわ」

 そのとおりだ。今のジェリコ達では戦力にはならない。それは誰がどう見ても明らかだった。

 だが――と、ジェリコはフェリシアを見据えた。ジェリコの何かに取り付かれたような気配を察して、フェリシアはたじろぐ。ジェリコは極めて慎重に、落ち着いた頭で話す。

「けどあのままじゃ、誰か死ぬ気がするんだ。根拠は無い。けどダメなんだ。放っておくわけにはいかない。僕はアヤジとエメを幸せにするんだ。僕の大切な人を、幸せにするんだ」

 何事もあきらめたり逃げたりするのは容易い。しかし逃げれば追われる。一度逃げるとなかなか――場合によっては二度と振り返れず、逃げ続けるしかなくなる。ならば立ち向かうしかないのだ。心が、火花を散らして再び燃え盛り始める。

 いつものようにため息をついて、フェリシアは冷めた顔をしてジェリコに言う。

「だからって何するのよ。逃げるほか無いでしょ?ほらリュドリヤも何か言ってよ。分からず屋の主を説得しなさいよ」

「私は主の指示に従います」

 無表情に返すリュドリヤはそのままに、ジェリコはフェリシアを見つめる。フェリシアの猫のような丸い両眼は珍しく黒い動揺の色を見せていた。フェリシアの眼には恐怖が生まれている。死に対する恐怖。それほどアヤジ達の戦闘は常人離れしているということだ。ジェリコはあまりに現実味離れしている彼らを見て驚きはしても恐怖はあまり感じなかった。やはり自分は世間知らずらしい。それとも考える力が欠如しているのか。

 ともかく全員が恐怖に呑まれるわけにはいかない。なんとなく、しっかりしなきゃ、とジェリコは思った。孤児院で仲間達と暴れていた頃をふと、思い出す。夢中で、しかし無知で、何かを追い求めて、日々を過ごしていた頃。

 そしてジェリコの瞳には力が宿った。それは決意の力。ジェリコは自分自身に言い聞かせる。細胞細胞一つ一つに伝わるように、何度も強く。

 一度下した決断に迷いは禁物。諦めの心を持つ余裕など今の自分には無い、と。

 貫く姿勢。貫いた軌跡は未来への道標となりうる。

「フェリシア、僕は決めたんだ。さっき僕は無意識に魔術を使おうとして、失敗した。フェリシアの言うとおり、魔術には魔力が必要だ。僕の血液には魔力が宿っているんだろう。なら答えは簡単だ」 

 ジェリコは折れてささくれ立った筆を、迷い一つ無く左腕に突き刺した。

「ジェリコ!?」

 驚愕の声を上げるフェリシア。ジェリコはあまりの痛みに顔をゆがませた。これは――とんでもなく――痛い。

「あんた何やってんのよ!」 

 ばっと近寄ってきたフェリシアを、ジェリコは静かに見つめていた。フェリシアにここまで心配されるなんて、今の自分はよほど狂ったことをしているのだろう。

 しかし、この程度の痛みでジェリコの意思は動じなかった。自分でもよく分からないが、今のジェリコは盲目的に何かを信じていた。

 何を?――分からない。自分は絶対魔術を使えると?――そうかもしれない。

 たぶんあれだ。今ここでつまずくと、きっと二度と立ち上がれないということを本能的に悟っているのだ。だから何をしても、何を思っても、もう後に引き返すことはできない。

 僕は、魔術師であると。ヘミングウェイの言ったその言葉を信じる。

「魔力が必要ならいくらでも使う。だから僕はこの『護る』魔術を、発動させるんだ」

 熱と共に溢れ出る真っ赤な鮮血を、ジェリコは図形の上にたらしていく。血は線の上を流れていき、じわじわと図形がジェリコの血の色に染まっていく。空っぽの図形に命が吹き込まれていく光景はどこか神聖なものに見える。

 これは色塗りだ。輪郭線のみでは絵の持つ力は弱い。色彩を加えることによって、絵はより具体性や真実味を帯びる。そして絵は訴えかける。世界に、人の心に。ジェリコにとって魔術は絵を描く行為に等しい。先ほど術が発動しなかったのは、まだデッサンの段階だったからだ。だから術が発動しなかったのだ。この絵に文字通り命を吹き込む、線に命を吹き込む者こそ、ジェリコが目指す画家なのだ。

「馬鹿!あのね、あんたそんなに血を流したら死ぬわよ!?」

 慌ててジェリコの腕を取ろうとするフェリシアの手を、ジェリコは乱暴にはらった。そして、本気でフェリシアを睨む。あまりの形相だったのか、フェリシアは一歩後ずさった。そしてジェリコは今まで出した事の無いような声で怒号をあげた。

「僕は、決断した!ここで死ぬならそれまでだ。誰にも邪魔はさせない」

「あんた、馬鹿じゃないの!?そういうのを無駄死にっていうのよ。アル、あんたあいつの友人でしょ?止めないの?」

 フォレンティーナは先ほどから状況を静観していた。何かを待っているように、どこか懐かしむような目をして。そしてフェリシアにゆっくりと話しかける。

「あんなにジェリコの目が生き生きしているのを見るのは何年ぶりかしら。フェリシア、ジェリコが『あの目』をしているときは何かが起きるわ」

「何かが?」

「そう。孤児院に居る頃も、『あの目』をしたジェリコはいつも不思議だった。大胆な行動、愚直なまでに貫く意志、そして決して折れない心。まるで人格が入れ替わったようだった。そんなジェリコに私達は助けられた。たまに失敗することもあったけど」

「信じられないわ……」

「でも信じることは大切。気持ちというのは、無限に繋げられる精神の糸。だから信じる心というのは無限大の力がある。だから強靭な心を持つ人は強いのよ。肉体がそれに追いつくかは別だけどね」

 そう。信じる心に限界はない。ただ一点――ほんの一瞬、ほんの僅かなあきらめが全てを崩壊させる危険はあるが、それを乗り越える強靭な心――諦めを吹き飛ばすほどの精神の迸りが、いつか必ず新しいモノを掴む。それはすぐ目に見えて分かることかもしれないし、年月が経ち、ふと振り返ってようやく気づくものかもしれない。かつてジェリコは絵描きになりたいと決断し、穏やかな生活を捨てて故郷を飛び出した。そうすることで、新たな世界を垣間見ることが出来た。仲間も増えた。技術を学んだ。危険もあった。酷い目にも遭った。だが、今の自分を形作ってきたのは『今まで』があったからこそだ。「魔術師になる」などと突飛この上ない考えを持つ自分を、何だかんだで嫌いでは無い。そんな自分を形作ってきた『今まで』は、節目節目の決断によってもたらされたものだ。そして先ほどジェリコは新たな決断を下した。自分自身に。弱い心を持つ、憧ればかりが膨らむ幼稚な心に。この決断はもはや決して取りやめない。この決断を、現実のものとするまで、貫き続けるのだ。

 図形――いや、魔方陣に魔力は行き渡った。血を失いすぎて視線がふらつくが、深呼吸して心を落ち着かせる。

 魔術は人によって発動方法が違う。呪文を唱えるものも居れば、何時間も儀式を行うものも居る。いずれも魔力を行使して術を発動する。ジェリコは血に魔力が宿っているという。ならば、血を消費すれば発動させられるはずだ。あとは魔力に『何を発動させるか』という方針を示せば、結果が現れるはずである。

 そして魔方陣はジェリコの方針を表している。それに魔力を満たした。あとは、発動させるだけ。スイッチを入れるだけ。

 ジェリコは大きく息を吸い込んだ。

「 僕の魔力に命令する! 」

 ジェリコは血だらけの左手を拳にすると大きく振りかぶり、

「 みんなを護れ! 」

 魔方陣にたたきつけた。魔方陣と血液は弾け飛び、跳ね返りが顔に当たる。そんな砂粒や赤い血の動きがゆっくり見えた気がした。肉体的に無茶をしすぎて、視力が弱くなっているのかもしれない。だが、意識に変動は無かった。先ほど失敗したときと同じ、純粋な願いのみが精神を支配している。頭の中には『護る』という言葉のみが掲げられている。

 ――ところでどうやって護るんだ?壁でも作ればいいのだろうか。

 と、思った刹那、


 エメェーーーーーーー

 ごぉおおおおおうううぅぅぅぅ!


 急に時が動き出したように、自分の周囲に風が吹き荒れだした。

 怒り狂う嵐の如く、砂を撒き散らしながら、辺りの空気を震わせている。

 ――魔術は、完成した。そんなことをジェリコは思った。


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