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#24.知識の会合

「主……?」

 渇いた声で呟いたのはフェリシア。声にこそ出ないが、ジェリコも彼女の気持ちとまったく一緒だった。

 黒い少女はジェリコを前にして片膝をつき頭を垂れている。まるで王を前にした騎士のように。

「あの、君は一体……」

 ジェリコの問いに黒い少女は顔を上げた。色の違う大きな瞳がぎょろりとジェリコを見つめる。

「忘れたのですか?私はあなたの使い魔。第一の悪魔、リュドリヤです」

 そんな突飛も無いことを言うリュドリヤという黒い少女を、呆けた顔でジェリコは見つめる。ジェリコの表情を見たリュドリヤは若干不満の念を込めた顔でゆっくりと立ち上がった。

「まさか本当に覚えていないのですか?やはりソロモンに器を破壊されたのがまずかったようですね」

 ソロモン?破壊された?一体こいつは何を言っているのだ。

 ジェリコはまったく話についていけない。しかしリュドリヤは顎に手を当ててどうしたものかと何やら一人で考えている。

 ――このままだと話に進展が無い。何か質問をしなければ。

「君は一体何者なの?人間じゃないよね?僕のことを主なんて呼んでいるけどどういうことなの?」

 一気に質問をしたジェリコをリュドリヤは嫌がることなく即答する。

「私はあなたに創られた最初の使い魔です。こうして共に在るのはかれこれ何年になるのでしょうか。もちろん人間ではありません。俗にいう悪魔です」

「悪魔だと……」

 言ったのはアヤジ。他の仲間も動揺の色を隠せていない。もちろんジェリコもだ。

 神と相反する存在、悪魔。一般的には災厄をもたらす畏怖すべき存在。たまに手を貸してくれる酔狂なものもいるらしいが。

 正直信じられたものではないが、リュドリヤのその風貌を見ていると納得せざるを得ない。この禍々しい『黒』は、間違いなく悪魔とか化け物とかそういったものの類の気配だ。この見るものに異様な恐怖を植えつける、沁みこんでくるような冷たい意識は明らかに人外のものだ。

「主よ。あなたは昔の姿を完全に忘れてしまっているようですね。さて、どうしたものか。こんなところで油を売っている暇は無いですね。とりあえず外に出ましょう」

 一方的に話を進めると、リュドリヤはジェリコの手を取り玄関へ向かおうとする。思いのほか強い力に驚きつつも、ジェリコは踏みとどまる。

「い、いや、ちょっと待って。そんなことより、君は何をするために現れたの?君はレメゲトンという魔術で封じられていたようだけど、何かあったの?」

 リュドリヤは振り返ると早口で答える。

「私と主は力を危険視されソロモンに封じられました。私と主は唯一ソロモンの絶対指示に逆らうことができる悪魔でしたから。主はソロモンに謀られたのです。そして主は人間に転生させられ続け、悪魔としての存在を永久に封印させられました。そして私はあの忌々しい術……レメゲトンに無理やり封じられました。まさか主の首の中に眠っていたなんて思いもよりませんでしたが」

 リュドリヤの話を聞いていてジェリコは愕然としていた。それはある単語によって引き起こされた感情。

「ジェリコが、悪魔……」

 震える声でフォレンティーナは呟いていた。ジェリコは身体が震えているのが分かった。歯が浮つき、がちがちと不協和音を鳴らし続けている。頭の中はリュドリヤの姿と正反対に真っ白である。

「ぼ、ぼ、ぼ、僕が」

 額から汗が流れる。

「あ、悪魔だって?」

 震える声で何とか呟いたジェリコなどお構いなく、何を当たり前のことを、という風な顔でリュドリヤは言う。

「そうです。支配侯エロドゥエッテ。魔界の影に隠れ続けた、真の王です」

「は……」

 話に、付いていけない。ジェリコは思わず頭を抱えた。

「貴様の目的を聞かせてもらおう」

 唐突にアヤジは言った。リュドリヤを中心に話が進んでいることを危険だと考えたのか。

 リュドリヤはアヤジの方を向くと、汚らわしいものでも見るようにうっすらと目を細めた。

「私の目的は主と共に魔界に帰ること。それだけです」

「それは困る。ジェリコには俺達と共に来る必要があるからだ。ジェリコの使い魔といったな。ならばまず主人であるジェリコの意思を確認したらどうだ」

 アヤジの鋭い指摘にリュドリヤは一瞬沈黙した。そして「確かに」という風に頷く。

「最もな意見です。幾世紀ぶりに目を覚ましたせいで、落ち着きを無くしていたようです。では主よ」

 リュドリヤはジェリコを真っ直ぐに見た。瞬きをしない瞳に見つめられると、息が詰まる思いがする。

「いざ、ご命令を」

 ――沈黙が、訪れた。

 全員の視線を一身に受け、ジェリコの額にはじわりと汗が浮かぶ。たまらず視線を泳がすが、真剣な表情の仲間たちから逃げられはしなかった。

 命令なんてできない。ジェリコはそんな身分じゃないし、したこともない。ましてや相手が悪魔だなんてもう想像がつかない。

 そもそも自分が悪魔だというのがおかしい。確かに今日までの生活を振り返って、妙な星の下に生まれたことは間違いない事実だと思う。だが信じられない。ありえない。ジェリコは生まれたときから人間だ。親の顔を覚えていないが、それでも人の子だという事実に間違いはないだろう。

 しかし腹の立つことに、今回も例外なくいつもの『声』は頭の中から囁いていた。リュドリヤの言葉に『嘘』は何一つ無いと。この声のせいで、かすかな希望はいつも先手によって砕かれる。

「さぁ、ご命令を」

 催促してきたリュドリヤから目を逸らすと、その先にはフェリシアがいた。

 上目遣いでジェリコを睨んでいるフェリシアはいつものように腕を組み、無言の威圧感を放っている。自分じゃなくてフェリシアならぴったりな役柄なのにと、臍を噛むジェリコである。それにしてもあの小さな錬金術師の頭の中は今何を考えているのだろうか。

 そんなことを考えていると、ジェリコはふと冷静な気持ちになった。目つきは悪いが落ち着き払っているフェリシアに同調したのかもしれなかった。ジェリコは一つ一つ確認しながら考える。

 一つ、ジェリコはこの悪魔がどんな存在でどんな力を持っているのか全く知らない。故に素性の知れない相手に特定の命令をしない方がいい。それは危険極まりない行為だ。

 二つ、この悪魔はジェリコの命令に対して極めて忠実なようだ。まず、少なくともジェリコを傷つけるようなことをしないだろうし、話しぶりや行動を見る限り暴れん坊では無い気がする。事前にしっかりと説明をすれば、それに基づいて当たり障りの無い行動を執ってくれる気がする。

 つまりこの悪魔は危険ではないが危険な悪魔だ。ジェリコ次第で文字通り悪魔になってしまう存在。いや、悪魔なのだが。

 ならば一先ず「何もせず、ただ付いて来い」と命令すればいい。何かおかしな行動をしたら都度命令して今の生活に順応させていけばいいだろう。

 そう思い至ったジェリコは跪いているリュドリヤに向かって言う。

「とりあえず、僕たちに付いて来て」

「はぁ?何それ」

 先に返事をしたのはフェリシア。拍子抜けした、とでもいうような明らかに馬鹿にしたような声色だった。

「分かりました」

 しかしリュドリヤは文句一つ言わず答えると立ち上がった。

「私は使い魔。どこまでも主にお供します」

「ほんと、へんな使い魔ね。一体どんな力を持っているの?」

 何かと面白くなさそうなフェリシアはふてくされた顔で言った。

「そうだな。封じられるほどの悪魔ならばそれなりに力を持っているはずだ。ジェリコのことを悪魔だといったことも気になる。支配侯エロドゥエッテと言っていたな。それについても説明してもらいたい」

「主よ。今の二人の問いに答えてもよろしいですか?私は自分の能力を見ず知らずの者に話すのには抵抗があるのですが」

 フェリシアとアヤジの問いにリュドリヤはあきらかな嫌悪感を抱いたようだ。

 しかしジェリコ自身、リュドリヤがどんな存在なのか知らなければ、考えたくも無いが――悪魔であった頃のジェリコのことも気になる。ジェリコは少しだけ考えた後「僕もいろいろ知らないから、答えて」と言った。しかしリュドリヤはやはり乗り気ではないようで、ため息を一つついた後、あなたが言うならとでも言いたげな顔で「分かりました」と呟いた。意外と我が強い性格なのかもしれない。

「あ、それから」

 ジェリコは言い忘れていたことを思い出した。リュドリヤの見た目のことだ。

「その姿ってどうにかならない?そうあからさまに人間離れした姿をされると、こう、話し辛いというか、ちょっと抵抗があるんだ」

 するとリュドリヤは、一体ジェリコの言葉の何が面白かったのか小さくうふっ、と笑った。その静かな笑い方が、どこかダニエラと似ていてわけも無く胸が痛んだ。

「そういえば主は昔からこの姿が嫌いでしたね。暗い魔界の住人のくせに黒が嫌だと。忘れていました」

 リュドリヤはそう言うと指をぱちんと鳴らした。全身を眩しい光で包みこんだかと思うと、次の瞬間には――。

「うっ!?」

「ちちょ、ちょっとアンタ!何考えてんのよ!」

 ジェリコは闇を全身から振り払ったリュドリヤを見た。というか見せられた。そして愕然とした。

 その姿は、いわゆる裸であった。リュドリヤは本当に、ただ単に黒い膜のみを消し去ったようである。

 そしてその黒いベールを剥ぎ、露になった裸体は、雪原のような真っ白な肌だった。真っ直ぐに伸びた長い銀色の髪は暖炉の炎に鮮やかに映え、ゆらゆらと揺れている。

 それにしても少女の裸など本来はすぐさま目を逸らすべきなのだが、なぜだか身体がまったく動かない。かなしばりだろうか。瞬きすら出来ない。華奢な身体に目が釘付けである。心臓は爆発しそうにどくどくと激しさを増し、額あたりが妙に熱っぽく、思考がどんどん鈍っていく。ただ、頭の片隅でこんな裸婦像を忠実に描いてみたいという欲望がチロチロと首をもたげていた。

「……あのね、いつまで見てんのよ変態がぁ!」

 ばきぃ、という頬にぶつかってきた衝撃でジェリコののぼせた頭は覚めたが、意識が眠りそうになった。

 その様子を目の当たりにしたリュドリヤは、烈火のごとく叫ぶ。

「貴様、主になにをする!」

 ぅぅううん……。

 虫の羽音のような音が聞こえたかと思うと、リュドリヤの右手が真っ赤に輝き始めていた。そして光の明滅に呼応するように髪が逆立っていく。リュドリヤの右手に明らかな危険を感じたジェリコは咄嗟に「やめろ!」と叫んだ。

 ジェリコの一喝と同時にリュドリヤは右手の赤を解く。しかしフェリシアは睨んだままだ。 

 ジェリコは頬をさすりながらリュドリヤに向かって言う。

「彼女や、ここにいる皆は僕の仲間だ。傷つけちゃ駄目だ」

「主がそういうのなら」

 ようやく殺気を解いたリュドリヤにジェリコはほっと胸を撫で下ろした。しかしリュドリヤの姿を見て撫で下ろした胸が再び盛り上がった。

「あと、何か服を着てよ。裸はやめて欲しい……」

「分かりました」

 リュドリヤは再び指を鳴らす。するとフード付きの灰色をしたローブが現れ、リュドリヤの身体を包み込んだ。

 リュドリヤが服を着てようやく一段楽した後、ヘミングウェイが「少し腰を下ろさんか」と疲労困憊の声で言った。大魔術を行った代償なのか、かなり辛そうな顔をしている。ヘミングウェイに促され、リュドリヤ以外は各々絨毯に腰を降ろしたり椅子に座ったりして一息ついた。

 しかし一休みしている一同を差し置き、リュドリヤはジェリコの隣に佇み続けていた。無言で虚空を見据えるその姿は美しいが、銀髪や白い肌と相まって、石膏像のような空虚さを放っていた。

「それが、本当の姿なのか?」

 美しい少女像のようなリュドリヤを見たアヤジが言った。リュドリヤは無表情に返す。

「いいえ。私の本来の姿はマレオパードと呼ばれる魔界の獣です」

 魔界の獣、という言葉に固まる一同。リュドリヤはそんなことなど構わず続ける。

「ちなみになぜ人間の小さい子共の姿かと言うと、この姿だと地上を歩くとき何かと都合がいいからです」

 つまり、子ども扱いされた方が便利、だからだろうか。確かに、概して大人は子供に甘いものだ。多少の悪さも所詮は子供のいたずらという形で目を瞑ってくれることもある。

「魔界の獣ねぇ。使い魔は動物を扱うことが多いと聞いたけど本当だったのね」

「あなたの言う言葉の真意には若干のすれ違いがありそうですが、大体そうです。複雑な思考をしない動物等の方が扱い易いですから。ただし、私は違います」

 リュドリヤは最後の私は違いますを強調した。

「我が主が生み出した使い魔の中、私や特定の使い魔は魔界でも大きな力を持ったものです。中には勢力を持ったものも居ます。残念ながら今は封印されたから滅ぼされたか分かりませんが」

「つまりあんたの主様はすごく偉いんだぞって言いたいわけ?」

「我が主はあらゆるものを使役することができる力を持っています。故にその能力を危険視したソロモンはエロドゥエッテという存在を殺したのです」

「そのソロモンとは一体何者じゃ?悪魔を使役できると言っておったが、もしや七十二悪の王のことか?」

 ヘミングウェイも話しに加わる。どうやらこの話に興味津々のようで目の奥が煌いている。

「ソロモンとはあなた達の言葉で言う賢者の石に認められた魔術師のことです。賢者の石を使って魔族を使役できる指輪を作り、人でありながら私たち魔族の王になろうとした愚か者のことです。あなたの言うとおり、確かに七十二の悪魔を従わせていました。おそらくあなたの言う七十二悪の王と一緒でしょう」

「ちょっと待った。あんた、賢者の石って何か知っているの?」

 フェリシアが真剣な瞳で言った。リュドリヤはこくりと頷く。

「賢者の石とは、この『世』が生まれ、無事に『世』として活動を始めた際、この世の創造主が『世』を生む際に余った力を凝縮させたモノのことです。どんな形をしているのか、どんな色をしているのか、今どこにあるのか誰にも分かりません。ソロモンがなぜ賢者の石を見つけられたのかは、たまたま運がよかったからだと言われています」

「何よそれ、じゃあ賢者の石って探したって見つからないっていうの?」

「そうです。賢者の石は探して見つかるようなものではありません。今この瞬間も、場所を移動し形状を変え、移動しているはずです。そもそも石なのかどうかすら不明です。ちなみに魔界では『創造主の影』と呼んでいて、神族どもが住む天上では『権力の素』と呼ばれています」

「つまり俺達の住む地上や、君の言う魔界や天上界でも共通して存在しているものだということだな。まぁそれ以前に魔界や天上界というものが何なのか分からんが」

 難しい顔をしたアヤジが呟く。

「そうです。この世のあらゆるものに通ずる存在です。――魔界や天上のことも説明した方がいいですか?」

 ――沈黙。

「……ちょっとあんた。返事したら」

「え?ぼ、僕?」

 頓狂な返事をしたジェリコをフェリシアは炎のような貌で見返す。

「あんた今までの話聞いてなかったの?信じられない」

 フェリシアは呆れた、と心底うんざりした声で言いながら頭を抱えた。

 正直ジェリコには付いていけない話だった。そもそもある程度『そっちの世界』に関する知識を持っていないと単語の意味すら理解できないと思う。つい最近そちらの世界に入ったジェリコにとって、まだまだ次元の違う話だった。

 あたふたしているジェリコを見て、フェリシアはイラついた声で言う。

「あんた、もう少し物事に興味を持ちなさいよ。あたし等みたいな裏で生きる人間だけじゃなくて、平和ボケ脳のあんた自身にも関わってる話なのよ?そこんところ勘違いしてたら、本当に死ぬわよ?っていうか殺すわよ?この世界で無知は死を意味するって言うことをいい加減に教えてやろうか」

「主を殺させはしません。その前に、私があなたを殺します」

 立ち上がり懐に手を忍ばせたフェリシアを見て、リュドリヤが無表情な声で言った。リュドリヤに気圧されたフェリシアはむすっとした顔で仕方なく座る。

「しかし」

 言いつつリュドリヤはジェリコの方を見ると、少し困ったような顔で言う。

「彼女の言うとおり、主は少し無知すぎると思います。支配侯として魔界に居たときは、七大公たちと魔界の行く末を語るほど博識でしたのに」

 そしてリュドリヤからまたわけの分からない言葉が出る。自分が無知なのは分かるが、追い討ちをかけるように意味不明な言葉を連発するのは自重して欲しい。

 そんなジェリコの気持ちを知ってか知らずか、リュドリヤは相変わらず困った顔で話を続ける。

「魔力さえあれば、私の能力でかつての知識を呼び戻せるのですが」

「どういうこと?」

 鋭く噛み付いたフェリシアに、リュドリヤは一瞬目を輝かせて答えた。

「私が使い魔として生まれ変わる際に創造主に与えられた能力は、この世で起こりうる『可能性』を引き寄せ、それを『在る』ことにすることができるワルドの三本糸という能力です」

「ワルドの、三本糸……?」

 フェリシアは心ここに在らずといった面持ちで鸚鵡返しした。

「そうです。魔力次第で、ありとあらゆる可能性を引き寄せます。『エロドゥエッテの記憶』を顕現するには七十グレ程の魔力が必要ですが、残念ながら今は集めることは不可能なようです」

「グレ、とな。古代の物量単位を用いるか。それに七十グレとはまた途方も無い量じゃな」

 ヘミングウェイが面白い、という風に呟く。

「そうですね。私も七十グレもの魔力を消費するとただじゃすみません。補助具を使うか誰かに提供してもらう必要があります。昔は主に魔力をいただきながら術を行使していましたが」

「ヘミングウェイが持っている増幅器を使えばいいんじゃないか?」

 アヤジが提案する。ヘミングウェイは顎をさすりながら考える動作をする。

「ふむ。試してみる価値はありそうじゃな。しかし七十グレもの魔力を生み出せるとは思えん。十三個すべて使ってもおそらく無理じゃ。増幅器が魔力を許容できずに砕けるのが関の山じゃろう」

「そうですね。その増幅器が一体どういうものなのか私は知りませんが、七十グレはただの人が生み出せる魔力量を遥かに越えた量です。人が作り上げたものでは無理でしょう」

「ちょっと待って。その七十グレって一体どれ程の量なわけ?」

 ジェリコもそのことが気になっていた。そしてフェリシアの問いはリュドリヤではなくヘミングウェイ答えた。

「まず古代の単位について簡単に説明しよう。グレとは魔力を数える際に用いる単位。グレ、アー、ビル、モリンの4つで成り立っている。一グレは約二百五十アー。一アーは約二十ビル。そして一ビルは十モリンという計算が可能じゃ。ちなみに人が人生で生む魔力量がせいぜい六ビルほど。すなわち七十グレとは大体六万人が人生で生み出す魔力量に匹敵する」

 とんでもない事実にジェリコとフェリシアは固まった。

「つまり六万人の人生を代償にすればエロドゥエッテの記憶を取り戻せるのだな」

 無機質な声でアヤジは言った。そしてリュドリヤは頷くと瞼を伏せ、憂鬱そうな表情で呟く。

「理論上はそうです。まぁ現実的には不可能でしょうね。我が主の記憶を取り戻すのはあきらめましょう」

 アヤジは腕を組んで一つため息つくと、

「よし、それは分かった。随分話がそれたが、天界と魔界について教えてくれないか」

 リュドリヤは再び頷くと話し始める。

「天界とは神族が住む世界。魔界は魔族が住む世界。その二つに挟まれているのが地上、すなわち人間界です。ちなみに元は天界と地上しか存在しなかったのですが、仕族が神族と魔族という風に派閥を作り、そして魔族が自分たちの居場所を造るため世界を裏返して作り上げたものが魔界です」

「仕族、とはなんじゃ?」

 ヘミングウェイが鋭く指摘する。

「仕族とは、極端に言えば人を監視する役目を与えられた存在です。この辺りを説明するには歴史を振り返る必要があり非常に長い説明なりますが」

 リュドリヤの言葉に、アヤジは首を振った。

「いや、もういい。俺達はそんな話をするためにここへ来たわけじゃないからな」

「あのね、あたしは聞きたいんだけど」

 フェリシアはまだまだ聞き足りない、という欲求不満たらたらな様子でアヤジに噛み付いた。

「わしも興味がある。おそらく世界の真理に繋がる話じゃ。しかし――」

 ヘミングウェイはそこまで言うと一度言葉を切る。そして少し名残惜しそうに続ける。

「それは寄り道になる。お主らがここへ来た目的は、ジェリコが本物のレメゲトンであるかどうか確かめるということじゃったはず」

「その通りだ。雑談はこれくらいにしておこう。ヘミングウェイ、俺達はこれから灰の祭場へ向かうつもりだがどうだろう」

「うむ。揺り籠起動の場所はあそこで間違いあるまい。問題は起動方法じゃがそこまではわしにも分からん。後はお主ら次第じゃ。少なくともリュドリヤが鍵なのは確かじゃ。もしかするとワルドの三本糸という魔術がそれかもしれんな。あらゆる可能性を現実にするということは、別の言葉で言い換えればあらゆる願いを叶えるということと同義であろう」

「だが、そのためにはとんでもない量の魔力が必要になるんじゃない?」

「そうじゃな。記憶を取り戻すだけでとんでもない魔力量が必要なのじゃ。どれほど必要になるのかもはや想像がつかんな。揺り籠とは、ワルドの三本糸の術を何の制限も無く完全に使用するために大量の魔力を補填する術なのかもしれんな」

「無限の魔力を生み出す魔術、ねぇ。そんなもんあるの?」

「それこそワルドの三本糸で生み出すべき術じゃな。矛盾した話になるがのう」

「結論は出ないか。やはりもう少し揺り籠について研究する必要があるようだな」

「そうじゃな。儀式の場所、術の鍵は揃っておるのじゃ。後は確実な方法――術式を見つけるまで大人しくするのも一つの手かもしれん」

「そうだな」

 アヤジとヘミングウェイ、そしてフェリシアはそこで沈黙した。

 それにしても、ジェリコは完全に蚊帳の外である。エメは喋れないから話に加わっていないが、じっと話に耳を傾けているようだ。フォレンティーナも黙って難しい顔をしている。ジェリコだけ、話にまともについていけない。まぁユーリーはこっくりこっくり舟をこいでいるのでジェリコ以上に論外だが。

 しかしなんとなく内容は分かる。とてつもなく壮大な話をしている、という程度ではあるが。

 静かに時が流れる中、ヘミングウェイはふと窓の方を見た。つられてジェリコも目を向けると、外はもう藍色に染まっていた。いつの間にか日が沈んでいたようだ。

 ヘミングウェイは立ち上がると、一同を見渡して言う。

「とりあえずもう日が暮れておる。今日は泊まっていけ。今後の方針を決めるのも、ロンデバリィへ行くのも明日以降にしておいた方がいいじゃろう。そもそもわしはもう疲れた。あんな魔術を行うのはしばらくごめんじゃな」

「いつも世話かけてすまないな。感謝する」

 「ほいほい」と言いつつ腰をさすりながら立ち上がるヘミングウェイ。そして棚からフライパンのようなものを取り出す。

「飯にでもするか。わしはこう見えて料理が好きなのじゃ」

 にかり、と思いのほか綺麗な歯を出して笑うヘミングウェイの滑稽さにジェリコは苦笑したのだった。


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