#21.伯爵
――ジェリコは、信じられなかった。
テーブルには色とりどりの料理が並べられている。いや、いた。
空になった料理皿は綺麗に積み重ねられ、この店にあまりに場違いなその光景に周りの客が驚愕の顔で見つめていた。
そして料理の大群をたった一人で制した小さな少女は、満足そうにブドウ酒を煽っていた。まるで玉座に腰を下ろし、勝利の美酒を味わう覇王のようである。
「んっんー、久々にまともなご飯を食べたわ。満腹満腹」
覇王は周囲の景色など目に入ってないのか酒に酔っているのか分からないが、気分良さげに鼻歌を歌っている。他の客は寛大なのか、それとも可憐な少女が無邪気に鼻歌を歌う姿が微笑ましいのか幸い文句を言ってくることは無い。
覇王は食事の手を止めているジェリコに気がつくと、
「ぼうっとして何してんの?食べないのならあたしが食べるわよ」
フェリシアはにししっ、と悪戯っ子な猫のように笑った。ジェリコは慌てて目線を逸らすと、フォークとナイフの活動を再開させた。自分の分まで食べられたらたまらない。
アヤジやエメはジェリコとフェリシアの様子など見向きもせず、無言で料理を口に運んでいる。ちなみにフォレンティーナすでに食べ終わっており、窓辺に立っていた。木枠のガラス窓から見える青い海原を眺めているのだろう。日差しに照らされた横顔は、金髪がきらめいて綺麗だった。
「ねぇジェリコ、その煮物美味しいんじゃない?」
「美味しいよ。先に言っとくけどあげないよ」
「ケチ」
ジェリコの返事にフェリシアは眉間に皺を寄せる。ジェリコは山になった料理皿に目をやり、「これだけ食べて、よくそんなことが言えるね」と呟いた。するとフェリシアは、
「食というものは生きとし生けるものすべてに共通する生命の補給行為なのよ。補給できるときにできるだけ補給しておくものよ」
などとよく分からない理論を述べる。ジェリコは無言で首をかしげながら、ジャガイモを口に運ぶ。
「和気藹々なところ悪いが、聞け」
ふと、不穏な声が小さく空気を震わせた。もちろん、声の主はアヤジである。
「この店の外に、調査団がいる」
単刀直入なその言葉で、一気に体が強張るのがわかった。ついでにフォークを取りこぼしそうになったほどである。目の前のフェリシアも先ほどのぼんやりとしていた眼ではなく、光が宿ったというか、いつもの鋭い目つきに戻っている。
「エメが言うには宿屋にいた連中と同じ気配だそうだ。もしかすると追われているかもしれない」
……最悪である。旅を始めて早速巨大な勢力に目をつけられた。よりにもよって相手は教会である。世界に根を張り、影で世界を牛耳っているといっても過言ではないあの教会である。ジェリコは戦慄した。
急に黙り込んだジェリコたちが気になったのか、窓辺からフォレンティーナが戻ってきた。
「教会の人間らしき団体が外に居るわ。数は一七人。馬上の騎士が二人居て、それに付き従うような形で残りが群れているわ。おそらく宿にいた連中でしょう」
なんとフォレンティーナはすでに気づいていたのか。相変わらず冷静というか、勘が鋭いというか、頭一つ抜けている。
「奴らは何をしていた?」
「未知行く人に説教をしていたり話ししたりしていたわ。こちらに気づいている様子は無かったけど、何かを探すようにちらちら周りを見ている者が居たわ」
「それにしてもここまで付いて来られると臭うな。もしかすると俺達とは無関係の人間を追っているのかもしれない」
「君達、面白そうな話しをしているね」
『!』
突如、外野から男の声が聞こえてきて、全員振り向いた。コントラバスのように低い声で、どちらかというとジェリコはそっちの方に驚いていた。
「十字教会を随分と警戒しているようだが、どうしたんだい?」
男の年の頃は三十歳前後。無駄な肉の無い痩躯を血が褪せてしまったような暗い赤色の衣服に身を包んでいる。正直酷い色だが、服自体の質は良さそうである。これが今流行のベロア生地というものなのだろうか。金色と茶色が混ざったような髪を後ろに撫で付け、丸い縁の眼鏡から除く碧眼は聖母マリアのように静かで穏やかである。両手には白い手袋をはめ、黒光りしているステッキに優雅に体を預けている。奇抜な服装ながら、そのどこか堂々とした振る舞いから貴族のようにも見える。
「何者だ」
アヤジは黒い瞳のみを男に向け、今まで見たこともないほど敵意をむき出しながら言った。ジェリコはアヤジの迫力にその思わず鳥肌が立ってしまった。
「私か?私はただのしがない伯爵さ。一人旅をしている。君達も国から国へと行く旅人かね?それとも――」
男は一度言葉を切り、満面の笑みを浮かべて言った
「――裏の世界の旅人かね?」
瞬間、アヤジは右手を鷹の鉤爪のような形にして、男の首へと向けた。よく見るとうっすら半透明の影が見え、それがヌイの足だということが分かった。そしてその足は男の首を握っていた。エメはというと、いつもは伏せ眼がちな目を今は威嚇するように見開き、男を見つめていた。フェリシアは無言でじっと男を見つめ、懐に手を忍ばせている。おまけにすぐ行動できるよう中腰で立っていた。フォレンティーナはいたって優雅に構えて入るが、髪の毛からのぞく右目はぶれることなく男を見つめていた。そしてジェリコはというと、ただただきょとんとして椅子に座っている。
「喉を潰されたくなかったら、俺の質問に答えろ」
「静かな店でこんな過激なことをするのは得策では無いと思うぞ?」
男は首を掴まれているにも拘らず、先ほどの姿勢から微動だにせずアヤジに笑みを向けていた。アヤジはちらっと周囲を見回した後、右手のヌイを消した。殺気だっていたエメたちも、警戒はしつつも構えを解いた。
ジェリコはというと、アタフタしながら周囲を見回していた。幸い他の客はこちらに気づいていないようだった。
「ふむ。さて黒髪の青年。私に質問があると言ったな?」
男は近くにあった椅子をステッキで引っ掛けると、引き寄せてゆったりと腰を下ろす。そしてにやにやと絶えず笑みを浮かべてアヤジを見つめている。
「名を名乗れ」
「ユーリー・アバエフ。以後お見知りおきを」
「なぜ俺達に話しかけてきた?」
「ほんの遊び心さ」
「貴様、魔術師だな?」
「そうだが、何か?」
「!」
悪びれる風も無く答えるユーリーに、一同は驚いた。普通、魔術師ならばそのことを隠すはずなのにこの男は平気で答えた。しかも、嘘をついていない。
「何を驚いているのか私には分からんな。このご時勢、魔術師など珍しくとも何ともないだろう」
「確かに珍しくとも何とも無い。俺にとってはな。しかし世間一般からすれば魔術師ほど奇な存在はないだろう」
「一理ある。私もよく変人呼ばわりされるからな」
はははっ、と爽やかに笑うユーリー。怪しい。この掴みどころの無さは不気味すぎる。
「私は君達に興味を持った。話しかけた理由はそれだけさ。何か問題があるかね?」
「それに関しては無い。ユーリーと言ったか。俺達の前に二度と現れるな」
アヤジの強い言葉にユーリーは大げさに肩をすくめると、
「それは残念。しかし一つだけ君達に伝えておこう。外にいる騎士団は君たちを追っている。いや、正確にはそこの少年を、が正しい」
ユーリーの不気味な笑みを受けたジェリコは背筋が総毛だった。この男は、怖い。
「宿を爆撃したのは、貴様だな?」
「いかにも」
アヤジの唐突な問いにも、ユーリーは戸惑うことなく頷いた。ちなみに今の返事も嘘ではない。
「なぜ」
「魔術師と教会は相容れぬ存在だ。男と女のように、生と死のように、どこか繋がっているようで相反している存在同士だ。身も蓋も無い言い方をすれば、敵同士というやつだ。敵を滅ぼすのに理由はいるのかね?」
「無駄な争いをするべきではない。ところでなぜジェリコのことを知っている。魔術師結社の差し金か」
「かつて私は結社に属していたが今は自由の身だ。結社の目的など興味は無い。私は魔術師らしくただただ自分の欲望のまま赴くまでだ。しかし情報は入ってくる。嫌でもな。ジェリコ君のことを知ったのもその情報が原因だ」
「つまり、興味を持ったと言うことだな」
「その通り。たった一人の少年の人生がどのような形で落ち着くのか、そこに興味が湧いたのだ」
「端的に訊こう。貴様は、俺達の敵か?」
「敵でも味方でもない。私は傍観者。ただ、見るだけさ。君達に近づいたのもどうせ見るなら近くの方が迫力があると思ったからなのだよ。演劇と一緒さ。遠くから全体をみるのも悪くないが、演者の服の衣擦れや皺まではっきりと見えるくらい近くの方で見るのも、それはそれで趣がある。迫力が段違いにあるからね。今回私はお話の全体ではなく、役者の一挙一動に興味が湧いたから、今こうして楽しくお話しをしているのさ」
ユーリーの話から察すると、前からジェリコたちを監視していたと言うことになる。エメすら気づかないうちに。いや、エメは気づいていたのかもしれなかったが、敵対勢力と判断しなかったのかもしれない。
それにしても、ジェリコを見せも物のように言うこの男に少しばかり憤りを感じていた。
「それで貴様の目的は何なんだ?傍観者が俺達に何を求める」
「身近で演劇を見ていたいだけさ。それ以上は望まん」
「つまり、一緒に来るということか」
まさかこんな得体の知れない人間と旅をしなければならないのか。ジェリコは正直言って嫌だった。
しかし、
「あたしは構わないけどね。あたし達がこういう団体で今ここにいることを知られた以上、あんたを見逃すことはできない」
「俺も同感だ。エメ、こいつの気配をしっかりと覚えておけ」
「……」
「それほど警戒しなくともいいのだがな。少なくとも敵ではないのだから」
ユーリーは再び肩をすくめながらため息をつくと、下がってきた眼鏡を整えた。そしてジェリコたちを一度見回した後、口を開く。
「君らはこれからどこかへ行くのだろう?しかし騎士団が邪魔でこの店を出辛い。そんな折私に会った。そんなところかね?」
「そうだ」
「なら私に任せたまえ。私の術ならば、恐れるに足らん」
「ジェリコ、こいつのいうことを信用できるのか?」
アヤジに突然尋ねられる。今のところユーリーは何一つ嘘をついていない。敵でもなければ味方でもない。確実に信用はできないが、かといって全部が全部信用できないわけではない。難しいところだ。
ジェリコが難しい顔をしていると、アヤジはジェリコの考えを察したのか、視線をユーリーに戻した。
「現段階では判断できかねるか。ユーリーとやら。その術はどんな術だ?」
「姿を消す術さ。魔力で体を包み、光の屈折を調節して目を騙すのさ。周りからは透明人間に見えるはずだ。しかし術者である私や被術者である君らには見える」
「そんな都合のいいこと、本当にできるの?」
「できる。魔術に限界は無い」
そう強く断言するユーリーはどこか頼もしく見える。怪しさは変わらないが。
「試しに私の姿を消してみせよう。……行くぞ」
ユーリーは立ち上がり、早口で何かを口ずさむと、ステッキで床をカツン、と叩いた。その瞬間、なんの冗談だろうか、神隠しのように突然ユーリーの姿が消えた。あまりに唐突に消えたせいで、元から居なかったような錯覚さえしてくる。
「どうだね?」
からかうような声は窓際から聞こえた。はっとして振り向くと、ユーリーが先ほどのフォレンティーナのような体勢で窓の外を見ていた。いつの間にか移動していたらしい。
「すごい……!」
知らずジェリコは呟いていた。まるで手品のようである。この高揚感、絵画を初めて見たときと少し似ていた。
「確かに、その術なら大丈夫そうだな。全員分の施術は可能なのか?」
「もちろん。容易いことだ」
アヤジは、何かを決断したのか一人頷くと店の奥にあるカウンターへ行った。どうやら支払いをしているようである。そして店員と何か話しているかと思うと、こちらを振り向いてきた。フェリシアと目線が合うと、手招きをする。
「ああ、支払いね」
フェリシアは合点がいくとそそくさとカウンターへ行った。
窓際から戻ってきたユーリーは相変わらず笑みを浮かべている。そしてジェリコの傍で足を止めた。
異様な気配にジェリコは緊張して固まってしまう。
そんなことなど気にもせぬように低く、そして軽快な声でユーリーは言う。
「さてどうするか。騎士団が散らばり始めたぞ。頭目二人は向こうの方へ向かって行ったな」
「……」
「そんな目で見ないでくれないか、お嬢さん」
先ほどからエメはユーリーを見つめたままである。ぱっと見はいつもの無表情な顔なのだが、どこか敵意というか、刺さるような気配を放っている。きっとユーリーという男をまだ計りきれていないのだろう。それで警戒の念を解くことができないのだ。ジェリコやフォレンティーナも似たようなもので、ユーリーへの警戒はしている。
しばらくすると、カウンターからアヤジとフェリシアが帰ってきた。
「では行こう。ユーリー、店を出た瞬間に術をかけろ。先導は俺がする。ユーリーは俺の隣にいろ。いいな」
「承知した」
同時にジェリコ達も頷いた。しかし万が一ユーリーが裏切る可能性もある。その場合は全速力で逃げる羽目になりそうだ。考えれば考えるほど不利な形勢である。
調査団がどこかへ去るまでこの店で時間を潰しておけばいいのだが、残念ながら調査団は散会して街を捜索しているようだ。となるといずれこの店に入ってくる可能性もある。そうなるとめんどうなことこの上ない。
そして一同はアヤジとユーリーを先頭において店を出る。真昼の日差しが瞼に差し込み、思わず目が眩んだ。
「行くぞ。はぐれるな」
喧騒の中、アヤジの声が聞こえた。いつの間にか施術は終わったらしい。本当に店を出た瞬間術をかけたのか。
前を見るとアヤジとユーリーが道を歩いていくのが見えた。ジェリコはその背中を見失わないよう追いかける。人々の間を、草を掻き分けるようにして歩いた。
昼時だからか、街は先ほどよりも人が増えていた。主に小さい子供たちが多く、友人と遊んでいるようだった。何人か固まって町を駆け抜ける姿を見ると、昔の自分が思いだされる。
街を行く人たちは優雅に歩く前方のユーリーを見ることはあっても、透明化しているジェリコ達を見ることは無かった。術は完璧に成功していたらしい。
もちろん人々の間には十字の外套を羽織った人間も居る。昔は正義の象徴に見えたその紋章は、今では死神を象徴する恐怖の対象になっていた。向こうからは見えないはずなのに思わず首をすぼめて歩くジェリコである。
そうしてしばらくの間街を歩き続けた。海からは遠ざかり、代わりに山の頂が視界に入り始める。アトモ山だ。
先ほどまではひしめくように人が居たのだが、今いる通りにはぽつぽつとしかいない。だいぶ町外れにやって来たようである。
「エメ、調査団はいるか」
アヤジが振り向いて小さな声でいった。エメは静かに首を振る。アヤジはそれを見てユーリーに言った。
「よし。ここまででいいだろう」
「では元に戻すぞ」
カツン、とステッキが地面を叩く音と同時に、目眩のように一瞬だけ視界が歪曲した。自分では分からないが、おそらく元に戻ったのだろう。傍から見れば突然姿を現すわけだが、幸いこちらを怪しんでいるような人間はいなかった。
「それにしてもあんた、よくそんなに自由に魔術が使えるわね。どんな悪魔と契約してんの?それとも無限機関でもあるのかしら」
「詳しいことは秘密だが、そのどちらでも無い。あえて言うなら後者に属するだろう」
「どちらでもない……。ということは道具を使って補強してるわけ?あれだけの術を一瞬で複数に掛けられるということは、かなり強力な道具なんでしょうね」
真剣な顔で話すフェリシアの何が楽しいのか、ユーリーは低い声のトーンを少し上げて笑うと、眼鏡のずれを直した。
「なかなかに鋭いお嬢さんだ。研究熱心とでもいうのかな。昔の私を見ているようだ」
「からかわないでほしいわね。どんな道具を使ってんの?参考にしたいんだけど」
「若い身空で知識欲におぼれると密林に潜む巨猿ようになってしまうぞ。それはさておきアヤジとやら。こんなところで足を止めていいのか?教会は留まることは知らないぞ」
アヤジはそうだな、と呟くと、アトモ山の方角に目を向ける。緑豊かなアトモ山は雲を被ることも無く悠然と佇んでいる。
あの山に『揺り籠』という名の大魔術を知る賢者がいるとのことだが、果たしてどんな人物なのだろうか。なかなかに興味がある。
そしてユーリーという魔術の達人の存在。頭の上からつま先まで怪しい謎の人物。敵ではないらしいが、どこまで信用していいのやら。できればついでに魔術を教えてもらいたいものだが。後で尋ねてみるか。
一行は奇妙な仲間を一人加えてモンツァの街を行く。賢者の待つアトモ山へと。