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#20.休息


街を駆け巡る潮風には、遠い記憶をくすぐる懐かしい匂いがした。

 一行は昼頃モンツァに無事到着した。随分久しぶりだが、町並みは変わっていなかった。湿気た石畳に、海から流れてきた風に、気ままに空を舞う海鳥達。ベルガモのような喧騒は無く、穏やかな人並みが広がっている。この街で幼い子供達が失踪しているなど思いもよらない。だが、どす黒い動きというのは自分の死角にひっそりと佇む影のように、概して人目につかないものだからある意味仕方が無いのかもしれない。

 町を歩いていると、だんだんと魚の香ばしい匂いがしてきた。その香りに釣られて目線を泳がすと、情報の発信源を発見した。通りの傍らに横並びになっている露店群の一つに、小麦色に焼けた肌の男が魚や貝を焼いている姿が見える。丁度昼時だからか、客が小さな列を作っていた。

 ジェリコと同じ店を見ていたフェリシアは、綺麗に焼き色の付いた魚を愛おしそうに眺めると、猫なで声のような妙な声で言った。

「ねぇ、お昼にしましょうよ。朝にパンをかじっただけだからお腹空いたわ」

 フェリシアの声にアヤジは「そうだな」と言いながら足を止める。

「目的地までもう少し歩かなければならないし、少しばかり休憩しよう。ジェリコ、お前どこか美味い店を知らないのか?」

「え?ああ、うん、そうだね――」

 珍しく名前でジェリコを呼んだアヤジに少々驚きつつも、ジェリコは考えた。

 ジェリコが住んでいた辺りならおすすめの店は分かるのだが、今いる北モンツァに関しては少々疎い。ふとフォレンティーナを見ると、おそらくジェリコと一緒なのだろう、すっきりした顎に手を当てるいつものポーズで困った顔をしていた。

 ――結局、地元民なのに名店が分からない気まずさと不甲斐無さに苛まされつつ、ジェリコはアヤジに言った。

「ごめん。分からない」

「そうか。ならあの店にしよう」

 即答したアヤジの視線の先には、赤レンガで建てられた二階建ての酒場があった。入り口の傍にある年季の入った木の看板には「ケ・ミュフュン」と書かれている。

「店が決まったんなら早く行きましょ。腹が減りすぎて胃と背骨が融解しそうだわ」

 わけのわからない喩えを言いながら、フェリシアはアヤジを抜いて先頭に立つ。そしてそのまま一直線にケ・ミュフュンへと歩いていく。残されたジェリコ達は彼女の姿に若干呆れつつ、フェリシアの後を追った。


「ふーん。綺麗な店ね」

 店に入るなりフェリシアは感想を述べた。彼女が言うとおり、店内は洒落た空間である。暖かい色のランプに照らされている、壁際にあるタペストリーや油彩の大きな絵画が店の雰囲気を象徴しているようだ。長い年月を経た味のあるテーブルや椅子も、老獪な貴族のような落ち着いた気配を発している。周囲の先客たちも騒ぐことなく、この大人の空気を楽しんでいるようだった。

「いらっしゃーい」

 店内を物色しているとジェリコの同業者とも言える女性が笑顔を浮かべながら現れた。短い栗色の巻き毛が可愛らしい、綺麗な人だ。

「五名様ですね。こちらへどうぞ」

 一堂は店内奥の壁際に案内され、席に腰を下ろす。両隣がアヤジとエメで正面がフェリシアという落ち着かない席順だが、動くのは面倒なのでジェリコは我慢することにする。

「ふぅ」

 椅子に座るなりジェリコは思わず息をついた。なんだかんだで、歩き疲れている。しかしモンツァに着いたのだから長距離を歩くのは一先ず今日で終わりだろう。そう思うと少し気が楽になった。

「さーて、何を食べよっかな」 

 上機嫌なフェリシアはメニューを誰よりも早く手に取り、パラパラとページをめくる。そして並べられた料理名を舐めるように目で追っていく。

 ――突然、白く細い指で一つの料理が指名された。

「これなんか美味しそうね。半熟卵と緑のサラダ特製ドレッシング付き。あ、これも美味しそう、ヤギのホワイトソース煮だって」

「何でもいいが、頼みすぎるなよ」

 今まで見たことも無い少女のような笑顔を浮かべ、メニューを読んでいるフェリシアにアヤジは一言忠告した。するとフェリシアは、

「大丈夫。全部食べるから」

「……一体いくつ頼むつもりなんだ」

 顔をしかめたアヤジの言葉を知ってか知らずか、フェリシアは凄まじい勢いで片っ端からメニューを読み漁っていく。フェリシアは錬金術師だからたくさん本を読むはずだ。それによって会得した速読力が今ここに全力で活かされている、そんな気がしたジェリコである。

「アヤジさん。これから向かうところはモンツァのどの辺りなの?」

 フェリシアを微笑みながら見つめていたフォレンティーナはふとアヤジに尋ねた。フォレンティーナとは対照的に白い目でフェリシアを見つめているアヤジは、両手の上に顎を乗せて答える。

「アトモ山の麓だ。あそこには知る人ぞ知るその道の研究者が居てな。彼の元へ向かう」

「でもアトモ山って観光名所でしょ。そんなところにいるの?」

 今度はジェリコが尋ねる。裏の世界の研究者が、人が大勢来るような場所に住んでいるというのは以外だった。

「アトモ山は貴重な鉱石が採れるのよ。まぁ常人には無用の長物だから普通は知らないだろうけど」

 口だけでフェリシアが話しに加わってきた。そしてページをめくりながら話を続ける。

「そいつ、間違いなく錬金術を噛んでるわね。アトモ山はマッシーフ大陸にある八大霊山の一つで、錬金術に使う材料が豊富にあるからあたし達にとって住みやすいのよ。町からもそう遠くないしね」

「そうなんだ。知らなかったなぁ」

 小さい頃は何度か遠足で遊びに行ったことがあるが、まさかそんな特性を持った山だったとは。近辺に住む家族連れとか登山者がたくさんいるような記憶はあるが、錬金術師なんぞ一度も見たことが無い。

「ところであんたたち何食べるか決めたの?あたしはもう決まったわよ」

 メニューを独占されたら決められるもの決められないだろう……という言葉をフェリシア以外全員思ったに違いない。

「注文頼みたいんだけど」

 フェリシアは近くを通った店員を呼ぶと、メニューを見ず早口に注文を告げる。一つ、二つ、三つ、四つ……え?

「ちょっと、いくつ頼むつもりなの?」

 思わずジェリコが言うと、フェリシアは「何よ文句ある?」と、御馴染みの目つきでジェリコを威嚇した。

「飯代くらい自分で払うわよ。だから文句無いでしょ」

「まぁ……うん」

 つい宥められてしまったジェリコである。それにしても頼みすぎだろう。こんな小さな体に収まるのだろうか。

「――あたしは以上。次、どうぞ」

 ようやくメニューが渡ってきたジェリコ達にフェリシアは店員を差し向けた。だがら、まだ決まってないっての!思わず叫びたくなったジェリコである。

「ミュール貝のシチューとカム魚の塩焼きをくれ」

「え、もう決めたの?」

 驚きのあまり頓狂な声を上げたジェリコである。

「私は春野菜のサンドイッチと豆のスープをお願いするわ」

「う、フォレンティーナまで……」

 まさか食べるものを決めていないのは自分だけとは……。正直ありえないと思った。

「フェリシアがメニューを見ているときに俺も見ていたからな。ちなみにエメもだ」

「私も見てたわ」

 当然だといわんばかりの顔で言うアヤジ、エメ。そしてフォレンティーナ。

 なんという観察力……。この面子と自分はやはり住む世界が違いすぎる。何とも形容し難い強烈な境界のようなものを感じたジェリコだった。

「……で、あんたは?」

 そして全員の視線をジェリコは浴びる。なんだろうこの疎外感。ジェリコはアタフタしながらメニューをめくり始めた。

「えーと――」

 しかし異様な緊張感のせいか、あまり文字が頭の中に入ってこない。無言の視線を肌で感じる。

「あの、じゃあこの、日替わりランチをください」

 結局、メニューを吟味することなく半ばやけくそ気味でジェリコは注文した。料理を注文するのにこれほどの焦燥感を感じたのは生まれてはじめてである。思わずため息をついた。

「かしこまりました。少々お待ちを」

 注文を紙に書き留めた店員はそそくさと立ち去った。

「何をそんなに疲れているんだ」

 心無いアヤジの声。ジェリコは返事をしたくなかった。

「これだから甘ちゃんは困るわ。自分の食べたいものくらいすぐに言えない様じゃモテないわよ」

「そういえばジェリコは結構優柔不断なところがあったわね。そういうところは改善した方がいいわ」

 なぜ、ここまで攻撃されるのか。ジェリコは泣きたくなった。ご飯を食べるだけでこんなに疲れるなんて、あんまりではないだろうか。

「……」 

 俯き、膝の上に置かれた震える両拳を見つめていると、すっ、と隣から浅黒く細い手が差し伸べられた。そして手の震えを止めるように、そっとジェリコの手と重なる。

「……」

 驚いてジェリコはエメの方を向く。エメはいつもの無表情だが、ジェリコと目が合うとこくりと優しく頷いた。

 ……ありがとう、エメ。ジェリコは心の底からそう思った。


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