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#2.はじまりは日々の日常から part2

ダニエラと一緒に歩き出してから、住民の視線が一気に集まるようになった。まるで貴族を見る目のようである。

好奇、羨望、嫉妬など。ジェリコはこの色々な種類の視線にまだ慣れなかった頃、彼女と街を歩くのがたまらなく嫌だった。

しかしその視線も一年経って慣れてしまった。というより町の人間達が二人に慣れたというべきか。今ではジェリコ自身もある方面で有名人なのである。そのおかげでジェリコもここの住民には温かく見守られているのだ。最近ではラ・メールの義姉弟なんて世間では呼ばれている。

「ねぇジェリコ。最近はどんな絵を描いているの?」

ダニエラが藪から棒に尋ねてきた。青く、どこまでも広がる空を見上げてジェリコは答えた。

「最近は夜中の町並みを描いてるよ。夜空の表現を考えるのが楽しいんだ」

まだまだ研究中だが、その風景が持つ雰囲気によって明度を落した藍色や紫色、はたまた緑色など様々に変えるようにしている。その上で星や町を描いていき、自由な世界を構築していくのだ。

「そう。前に見せてもらった絵も綺麗だったけどそれも凄そうね。今度見せてよ」

「いいよ。まだ満足いくものは描けないけど、それでもいいならいつでもどうぞ」

うん、と花が開くようにダニエラは笑顔を浮かべた。こんな満点の笑顔を見せられたら、絵を描く時に気合が入るというものだ。独りよがりの絵を描くのも嫌いじゃないが、誰かのために絵を描くというのもまた別の良さがある。そこには人と人との繋がりや温もりが満ちているからだ。

「おや、ダニエラとジェリ坊が買出しとは珍しいな」

後ろから精悍な男の声が聞こえてきた。馴れ馴れしい言葉ではあるがそれは幾分親しみのこもったもので、往年の友人に声をかける感じによく似ている。

ジェリコとダニエラが振り返った先には、こんがり小麦色に焼けたたくましい体付きの男が立っていた。何が面白いのか、そこだけ妙に真っ白い綺麗な歯を見せながら笑っている。

「マドックさんこんにちは。丁度いいところで会いましたね」

「おうよ。今日も活きの良い魚が入ってるぜ」

がははと豪快に笑いながら、ダニエラの細い肩を軽く叩く。彼はこれから向かおうとしていた鮮魚店の主、マドックだ。ラ・メールの常連客でもある彼は、ジェリコとダニエラのことを良く知っている。

「なぁ、ジェリ坊、今度俺の船を描いてくれよ。船室に飾りたいからよ」

「もちろんいいですよ。その代わり――」

「あー、皆まで言うな。ちゃんと駄賃払ってやるよ。お前さんの描いた絵は不思議な力が宿るっていうからな。タダで描いてもらおうなんて思っちゃいないさ」

「いや、冗談ですよ。お金なんて要りません。マドックさんが満足する絵を描けるかも分かりませんし」

ジェリコの描いた絵は商売繁盛を約束されるといわれている。事実、儲けが上がった店がいくつかあって、この町ではちょっとした有名になっている。

――錬金の若画家。それがジェリコの異名でもあった。

「そういえばジェリ坊。この前アドリアンがジェリコをフレンソの知人に紹介したいと話していたぞ」

「フレンソ!?」

抱えていた袋を落しそうになった。

アドリアンというのは芸術の国フレンソからやってきた画商で、彼もジェリコが働いているラ・メールの常連客の一人だ。ちなみにジェリコの画才に最初に気づいたのも彼である。さらに画材を格安で提供してもらっているので彼にはかなり世話になっている。

そんな彼は画商であるが故に色々な画家と繋がりがある人物だ。その知人といったらもはや人間は限られてくる。

マドックは挙動不審なジェリコを微笑みながら見つめ、

「おそらく画家の一人だろう。お前も一人前の画家になる一歩が踏み出せそうだな」

ジェリコの夢は世界をまたに駆ける画家になり、絵で人々を幸せにすることだ。そのためには世界を旅する必要があるため、こうして働いて資金を貯めているのである。

その夢に一歩近づける。本物の画家の姿を見ることによってたくさんのものを得られるだろう。しかし――。

「今日明日辺り、ラ・メールにアドリアンが来るんじゃないか。いやまぁお前も顔が広くなったものだな」

がははと笑うマドック。……確かに、自分もこれほど色々な人と知人になれるとは思わなかった。 

商業で盛んなこの国の特質も関係しているだろうが、酒場で働いていると本当に人種も性別も仕事も違う様々な人が来る。さしたる理由も無く直感的に酒場で働き始めたが、大正解としか言いようが無かった。


そのまま三人で話をしていると、いつの間にか目的地についていた。

マドックの店は鮮魚店である。露天ではなく、きちんとした屋根のある石造りの建物だ。店に入ると、氷を敷き詰めた木箱の中に並べられている魚や貝達が、輝きながら出迎えてくれる。奥の方では生簀もあり、そちらの魚も購入することができる。この辺りの魚屋では一番立派な店で、雇っている人間も多く、取り扱っている魚の量も質も良い。ただ、仕入れのために定期的に南の港町モンツァへ行くため、店が休みになることがある。 

「よし、いつもの青魚で数も一緒だな?」

「はい。お願いします」

店に戻ったマドックは奥にいる手近な店員に声をかけて、手際よく商品を手配する。その姿は先ほどの友人のような態度ではなく、完全に商人の姿だった。流れるような作業を見つめていると、あっという間に青魚数匹と貝類を種類別にまとめた包みを四つほど持ってきた。

「そういえば、なんで今日はダニエラと一緒でベルナンドがいねぇんだ?荷台がねぇと買出しもままならんだろ」

包みを手近な台に置き、マドックが言った。ジェリコは代金を取り出しながら答えた。

「ベルナンドは調理器具を買いに行っていて、荷車も持って行ってるんです」

「そうか。確かに料理道具は重い上に嵩張るからな。販売している店も食料品関係とは逆の方向にあるし」

マドックは納得するように頷いた。

「それでダニエラとか。お前達二人が買出しに来ているのを見ると、昔を思い出すな」

顎鬚をさすりながら、マドックは懐かしむように遠くを見た。

そしてよし、と一人うなずくと、

「さすがに荷車は貸せんが、肩掛けのついた鞄ぐらいは貸せるぞ。それ使って今日は帰りな」

「ありがとうございます」

正直に言わせてもらうと、内心かなり助かった。今持っている袋に加えてあの四つの包みを持ち帰るのは不可能に近い。ここは大人しく好意に甘えることにした。

「おーいヤレン!掛け付きの袋二つもってこい!」

マドックは店の奥のほうへ声を投げかけた。するとすぐさま「はーい」と返事が返ってきた。

ヤレンはマドックの一人息子だ。あまり話したことは無いが、真面目な人だという印象を持っている。傍から見る限り、他の店員よりもよく働いているし、動きも効率的だ。マドックのようにきっと良い商人になるに違いない。

「店長、明日の祭り用の魚はどの生簀に入れとくんでしたっけ?」

店員がマドックの背中に話しかけてきた。体格の良い若い男だ。名前は知らないが彼もヤレンのようによく見る顔だ。

「三番だ。さっき伝えといただろ。ちゃんと人の話し聞いとけ」

「すみません」

若い店員はマドックに一礼してとそそくさと奥の方へ消えて行く。彼の言葉で思い出したが、そういえば明日は祭りの日だった。

毎年この時期になると新たな年の幕開けと町の繁栄を祝う祈春祭というものが行われる。中心部の広場で色々な店が開かれ、楽団の音楽に合わせて人々は踊ったりするのだ。そして商人の町だからか、祭りの日はどの店も商品を安く売るのである。おかげで町はけが人が出るほど客でごった返しになるため、この地方でも有名な祭りの一つだ。

マドックは毎年中央広場で美味しい魚料理を販売しているはずだ。先ほど店員が尋ねてきたのはおそらくそれ用の魚のことだろう。

「明日は祈春祭か。うちも大変だが、お前達も大変だな」

「ええ。毎年客が酔いつぶれて店を占拠しちゃいますから」

ダニエラは笑いながら答えた。祭りの日はいつにもまして客が押し寄せるので、通常の倍以上は忙しい。それこそ猫の手でも借りたいほどだ。しかし祭りの熱気に当てられて気前良く金を払ってくれる連中もいるので稼ぎ時でもある。

「しかしお前達も不憫なもんだな。年頃だってぇのになかなか遊ぶ時間が無いだろ」

「いえ、そんなことないですよ。今みたいに昼間は基本的に自由な時間ですから」

まんざらでもなさそうにダニエラは言った。

「いや、祭りに出たことあるか、ということだよ。一度も無いだろ。年頃の女が遊びを一つも知らんのはどうかと思うんだがなぁ。今度ドメニコに一言言ってやろうか」

「いや、いいですよ。私は今のままでいいですから」

はは、と乾いた笑いを浮かべるダニエラ。

それもそのはず、以前マドックとドメニコはこの話題で揉めたことがあるのだ。ドメニコの教育方針に文句を言ったマドックをドメニコが人様の家に口出しするな、という風に。

結果はダニエラが割って入って無理やり二人を落ち着かせたという、最悪の事態で終わってしまった。

二人ともダニエラのことをとても大切には思っているのだが、空回りすることが多い気がする。まぁ、それもこれもダニエラがあまり自己主張をしない性格だからなのだが。現に病み上がりの癖に自分を手伝っているのだ。正直なところ助かっているが、もう少し自分を大切にしてほしい。

マドックは以前のことを思い出したのか、気まずそうに顔をしかめると、

「むぅ、そう言うなら仕方が無いが……。せめて男がいれば、俺やドメニコも少しは安心するんだけどな。お前は男っ気が全く無いからなぁ。その辺の軟弱な男よりも立派だから無理もないが」

そして「そういう点ではドメニコも育て上手なのかな」と続けながらマドックは軽くため息を吐いた。

問題点その二はこれだ。ダニエラは何でもでき過ぎる。男が必要な場面というのがとにかく見当たらない。男からしてみれば、美人で性格もいいという時点でかなり難しい攻略対象な上に、ダニエラはとにかく賢いのだ。下手な小細工は通用しないし、噂では言い寄ってきた男をやんわりと断ち切るのも上手で、反論する暇も無く引き下がるのを余儀なくされるらしい。天は二物を与えるのだ。不公平なものである。

そしてそんな心配を知ってか知らずか(おそらく知っているだろうが)、ダニエラは至ってのんきに微笑んでいる。

「きっとそのうちできますよ。私も女ですから」

「いや、そうなんだがな。最近物騒な話もあって、ちょいと心配なんだよな」

「物騒な話?」

思わずジェリコは呟いていた。昔から好奇心旺盛なせいか、善悪構わず何にでも首を突っ込みたがるのだ。この性格は直そうとしてもなかなか直らないところだった。

ジェリコの言葉に頷いたマドックは話を続ける。

「二週間くらい前か。南のモンツァで仕入れをしているときに地元の者から聞いた話だ。モンツァでは先月から若者の失踪事件が多発しているらしい。とりわけ女子の失踪が多いそうだ。モンツァの警備隊やギルドが動いているそうだが、結果はさっぱりだ。噂では二十人近く失踪してるらしいぞ」

「二十人も!?まさか……」

ジェリコは激しく動揺した。生まれ育ったモンツァの事件ということもあるが、何より気になったのは共に育った友人達のことだ。

ジェリコは物心つく前にセブロという修道女がやっている孤児院に預けられた。そこではとてもよくしてもらって、色々な経験をした。今のジェリコがあるのもセブロのおかげだ。

そして今のジェリコを形作ったもう一つの要素は、友の存在である。

シンリー、フォレンティーナ、モンテロッソ、エンリコ、ジョルジョ、そしてジェリコを含めた六人はこの孤児院でも有名な子供達だった。孤児院の院訓である弱きを助け強きをくじくという、子供にとっては巨大すぎる旗を掲げてモンツァの街を駆け回ったものである。

笑いあったり泣きあったり、怒鳴りあったり死にかけたりと、波乱に満ちていながらも充実した日々だった。そんな時間を共に過ごしてきた彼らはもはや血肉となってジェリコの中で生きていた。

そしてその友人達は今もモンツァにいるはずだ。何人かはロンバルディというアイトラ屈指の都市で学校に通っているが、他の仲間はそのままモンツァで暮らしているはずである。

――彼らは、無事なのか。

ダニエラとマドックは黙り込んだジェリコを驚いた様子でしばらく見ていたが、ジェリコがモンツァから来たということを思い出してようやく理解したようだった。

「そうね。故郷でこんな凶悪な事件が起きてたらびっくりするわよね。友達もいるでしょうし」

ダニエラはそっとジェリコの肩に手を置いた。

「いなくなった二十人にお前の友人が入ってるとは限らんだろ。モンツァだって人口が少ないわけじゃないし、若い者といっても年齢層の幅は広いそうだ。俺も今度仕入れに行くときにはこの話について調査してくるからよ。安心しろとは言わないが、そこまで気落ちするな」

「……あ、はい」 

気づかなかったが、どうやら自分はかなり落ち込んでいるらしい。傍らの窓に映った自分の姿を見ると、死んだ魚のように顔面蒼白で精気が無かった。

「とまぁ、話は前後するが、この町は色んな物資があらゆるところから来るからな。こういう事件性のあるものも間違って入ってくることも多いんだよ。何が言いたいか分かるか?」

マドックは暗い話を払拭するように、妙に大きな声で話し始めた。そしてダニエラに向かって問いかけたが、彼女は無言のままだった。そんな様子を見てマドックは不満げに腕を組んだ。

「だからダニエラ。お前に頼りになる男がいれば、俺たち大人も安心するのに、ってことだよ」

それは確かにそうだ。隣街の未解決の事件が流入するのはあり得ない話ではない。マドックの言うことも尤もだ。街のもの皆が愛しているダニエラを守ってくれるような、頼りになる屈強な男が居れば安心である。ましてやダニエラは美人なのだ。失踪事件にこれほどぴったりな人材はいまい。

ダニエラはマドックの言葉に微笑みながら、

「そうですね。確かにその通りだと思います。ですが――」

ダニエラは両腕をジェリコの首に回して、その細い体の方へ引き寄せた。ふわっと、桜色のように優しげな匂いがした。

「ジェリコがいるから大丈夫ですよ」

ふふっと笑いながら、こんなことを言うのである。こんな男のどこが頼れるのか。姉のような存在に抱き寄せられただけで馬鹿みたいに赤面するような男など、情けなさ過ぎて役に立たないだろうに。

マドックは顔面蒼白の顔を一気に沸騰寸前のやかんのように変化させたジェリコを見て、

「まったく、大層な騎士様だな」

憎まれ口を叩いた。ごもっとも。

しかしダニエラに抱かれていると、小さい頃置き忘れたような、遠くに置いてきてしまった様な大切な何かを感じるのである。この春の風のように柔らかい優しさに包まれる度に、何かが思い出せそうになる。

だがそれは、深く朝靄の立ち込めた川の上で、目隠しをして手づかみで魚を捕ろうとしているようなものだ。そんな芸当、ジェリコにできるはずはない。

それにしても、ここ数年でダニエラはなんというか柔らかくなった。四年前、ラ・メールで働き始めた頃はもっとあっさりというかさばさばしていた気がするのだが、ここ数年で妙に角が無くなったと思う。なんというかこう、色々と丸みを帯びたような……。

ジェリコは少しずつ冷静になりながら、現状を客観的に観察していく。彼女の身長はジェリコの頭一つ分上である。この状態、頭の後ろ辺りはダニエラのお腹の上の辺りか。

そんなことを考えながらたった今、明確にこの事態を把握した。

「うぅ!」

頭の後ろにあるモノを頭の中で明確に捕らえた瞬間、冷め始めた顔が再び燃え盛る業火に突っ込まれ、熱く火照りだした。駄々をこねる子供のようにダニエラの腕を振り解くと、飛び退る獣さながらに素早く彼女に向き直った。

「あら、もういいの?」

ダニエラは形の良い目を細めてうふふと嫌らしい笑みを浮かべている。正直もう少しあの優しさに浸っていたかった、なんて思う辺り、我ながら本当に大層な騎士である。あんな姿を見られれば誰だって呆れ果てるだろう。

「いつまでも子ども扱いしないでよ」

知らず、そんなことを口走っていた。

「それは最低でも私より背が高くなってから言うべき言葉ね」

赤くなった顔はそのままに、心はつららを打ち込まれ急冷されながら破壊していくようだった。まったくもって返す言葉が無い。

「ジェリ坊の将来は実に楽しみだな」

頭を垂れるジェリコの背中を、海の男は豪快に笑うのだった。


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