#19.深淵という名の活路 part2
朝日が薄っすらと顔を出す頃、ジェリコは目を覚ました。
真っ暗だった森にはぼんやりと光が差し込み、鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
ジェリコ以外の者は当然のように目を覚ましており、各々が自由に体を調整しているようだった。
寝ぼけ眼でまだ頭が回転していないジェリコところに、フォレンティーナがパンを持ってやってきた。珍しく帽子を脱いでいる。
「おはよう。相変わらず朝は弱いのね」
フォレンティーナはジェリコの様子を見つめながら微笑んでいた。
「昨日は疲れたから早起きできなかっただけさ。次からは気をつける」
パンを手渡され、言い訳を言いながらジェリコはパンをかじる。
「準備ができたら行くぞ」
遠くにいるアヤジがぶっきらぼうに言った。寝起きに一番聞きたくない声である。
ジェリコはアヤジの言葉に返事をせず、その背中をじろりと見つめながら無言でパンをかきこんだ。
その後準備が終えた一同は再びモンツァへと歩き出す。森を抜け街道に出ると遠くに宿が見えた。昨日は暗くてよく見えなかったが、宿には馬が何頭かおり、中には鐙に十字の刺繍が施されているものがいた。十字の刺繍は間違いなく教会の印である。どうやら本当に調査団が居座っているようだ。
「あの宿には調査団がいるが、何食わぬ顔で通り抜けば大丈夫だろう。エメが言うには宿から人が出てきている気配は無いし問題ないはずだ」
ジェリコも同感である。人が起きるにはまだ早い時間だし、警戒しすぎて遠回りしたらその分時間と体力が奪われる。モンツァまでは後半日くらい歩かなければならない。無駄な体力は消費したくなかった。
一同は、ジェリコを中心に置くような並びで街道を歩いた。万が一ジェリコの姿を知られていればそれだけで騒ぎになってしまうからだ。もう人が居る場所では姿を隠した方がいいというアヤジの方針である。
「さぁ、宿の前を通るぞ。通り抜けるまで喋るな」
緊迫したアヤジの声。一同は思わず身を固めた。前方には街道の脇に建っている宿がもう見える。木で作られた頑丈な建物だ。朝日の照り返しを受ける窓を見ていると、二階の一室だけカーテンが閉まっていない部屋があった。花瓶が置いてあるのが見える。さぁ、宿の前についに来たぞ。右手にある馬小屋からいななきが聞こえる。馬もどうやら早起きらしい。どこからか水が流れる音も耳に入った。ここからでは川の姿は見えない。裏手にでもあるのだろうか。宿の入り口には小さな花壇があり、そよ風に揺られてみんな仲良く頭を振っている。
――そして、そんな平凡な光景とは真反対の、何ともいえぬ緊張感が肌で感じられた。突き刺す用な視線とでも言うのだろうか。人の姿は全く無いのに、複数の人間に凝視されているような感じがする。
「(ちょっとあんた、遅れてるわよ)」
突然フェリシアに脇を突かれた。なるほど前を見るとアヤジは二歩ほど先に進んでいる。ジェリコはフェリシアに「ごめん」と謝ると足を速める。そしてアヤジの背に辿り着く頃には宿を通り過ぎていた。
ジェリコは通り過ぎた宿を後ろ目でもう一度見た。何の変哲も無い、いつも通りの朝を迎えた一つの建物が見える。結局何事も起こらず無事に通り過ぎたようだ。
しかしあの気配は何だったのだろう。ただの緊張感だったのか。それとも本当に誰かに監視されていたのだろうか。
前を歩くアヤジが足を止めると、宿の方を振り返った。
「ここまで来ればいいだろう」
どこか安心しているような声色なのは気のせいか。
「無事に通り過ぎてよかったわ。それよりあいつら呪われてんじゃないの?何なのよあの嫌な感じ」
フェリシアは遠くに見える宿を威嚇するように見つめている。彼女も何かを感じ取っていたらしい。
「調査団は四六時中曰くつきの物と関わっているからな。何かと縁があるのだろう。絶対に関わりたくない縁だが」
アヤジはそう言いながらため息をついた。
――瞬間、
っごがぁぁぁぁあ!
突如穏やかな朝を轟音と熱風が引き裂いた。衝撃がこちらまでやってきて、髪がばさりと逆立つ。あまりに唐突な出来事に、アヤジやエメも同様を隠しきれていない。
「な、どうして!?」
第一声はフェリシア。爆心地の宿を驚愕の面持ちで見つめている。
宿の方を良く見ると、宿自体は爆発していないようだ。宿のすぐ側が爆発したようである。
思わず宿の方に釘付けになっている一同に、アヤジが叫んだ。
「逃げるぞ!今街道には俺達しかいない。このまま宿から出てきた連中に見つかると犯人にされてしまう」
確かにその通りだ。何者かになぜ爆撃されたのか気になるが、犯人にされたらそれどころではない。
「走れ!全力でだ!」
言うが早いか、アヤジは走り出していた。あのアヤジがここまで焦っているということは、冗談抜きでまずいということである。ジェリコは軽く戦慄した。
そしてその恐怖を払拭するように、がむしゃらでアヤジの背中を追う。乾いた地面を蹴り、風を突き抜けながら走り抜ける。朝日はだいぶ空に上がっていた。
――それにしても無事に宿を通り抜けたらこの展開である。正直やっていられない。この先本当に身が持つのだろうか……。
* * *
街道を半時ほど走り続けると、さすがに辺りに広がる風景は自然だけになった。空に昇った太陽も調子付いてきたのか、優しい日差しを下界に向かって降ろしている。
アヤジはようやく歩き始めると、街道の脇に立っている木陰に入った。
「少し、休むか」
大きな幹に身を預け、アヤジはほっと息をつく。
「ハァ、ハァ。疲れた。足がもう動かないわ」
フェリシアは心身ともにくたびれたようで、草の上に大の字に寝転がった。だらしないとは思うが、ジェリコもくたくたなので文句は言えない。ジェリコはフェリシアの隣に座ると、足を伸ばした。膝が小気味の良い音を立てて脱力する。
一呼吸置いてエメとフォレンティーナが現れた。フォレンティーナは顎をさすりながら何かを考えているようである。
「それにしても、あの爆発はなんだったのかしら」
フォレンティーナの問いに腕を組んでいたアヤジが答える。
「あの爆発から考えられる可能性はいくつかある。一つは俺達の存在を調査団に知らせ、爆撃の犯人を俺達にし、世間に知らしめるため。二つ目は、実はあの爆撃は俺達とまったく関係が無く、あの宿に何か恨みのある人物が居て、そいつを抹殺しようとしたとか。例えば魔術師が調査団を抹殺しようとするとか。いずれにせよあの場に最後までいなかった故に断定はできないな。ただ」
アヤジは一度言葉を切る。
「調査団と俺達、この二つの要素は鍵になっていると考えていた方がいいだろう。俺は魔術師とか錬金術師とかの第三勢力が、調査団と俺達を引き合わせようとしたのではないかと考えている」
「確かに、可能性としてはそれが一番ありそうで尚且つめんどうですね。魔術師や錬金術師は十字教会と違い、単体で動くこともあれば複数で行動することもありますから」
「うむ。奴らの動きは捉えきれないからな」
ジェリコはアヤジとエメの会話を聞きながら、雲が流れている空をぼんやりと見つめていた。
いろいろな人間が自分の命を狙っている。その見えない刃の矛先を背中に感じていた。
なぜ自分はこんな不幸な星の下に生まれたのか。今更悔やんでもどうしようもないのだが、やはり考えてしまう。
「……」
ふと、視界の前を黒い影が通り過ぎた。そして黒い影はジェリコの隣にゆっくりと腰を下ろした。周囲の監視ということで、いつも辺りに神経を張り詰めている彼女はジェリコたちよりも疲れているだろう。
生まれながらにして呪われた血筋で、その影響で言葉の喋れないエメ。いつも固く口を閉ざしている彼女の本当の気持ちを知っているものは、果たしているのだろうか。
『世界にはね、あんたよりも辛い状況に立たされている人間が馬鹿みたいにいるのよ。そういうことを考えたことある?』
フェリシアの言葉が蘇った。世界は広い。その意味を端的に表した彼女の言葉は、予想以上にジェリコの心を縛り付けていた。
『だからいつも世界を意識して、今何ができるかを考えたらいいと思うわ。その積み重ねが、ジェリコが望むその姿へと導いていくのじゃないかしら』
フォレンティーナは世界を感じろと言った。だがジェリコはその言葉の真意を未だ飲み込めていない。
彼女は何が言いたかったのか。世界を感じるということは、この星に住む自分以外の生き物を感じろということなのか。それとも世界という巨大なものの真実、真理を意識しろということなのか。
そしてジェリコは魔術をこの手に掴みたいと願い始めている。魔術という科学と対を成す裏の学問。その妖しげな魅力に囚われてしまった。ジェリコが生まれながらにして持っているという魔力の無限生成機関を最大限に引き出す道とは、いうまでも無く鉄の臭いと暗黒に染められた魔術の道である。しかしジェリコが魔術を望む理由は非常に単純だ。私利私欲のためではなく、魔術による奇蹟で大切な人たちを幸せにしたい、それだけである。
ふと、ジェリコは隣に寝そべっているフェリシアを見た。
フェリシアは目を閉じていた。しかし眠っている様子は無い。
ぱっと見は金髪を三つ編みにした少女が草原で眠っているという牧歌的で実に微笑ましい光景なのだが、見た目とは裏腹に性格は強烈だから世の中油断できないものである。これもフォレンティーナの云う世界を意識しろということなのだろうか。
そういえばフェリシアは錬金術師だというが、彼女にも過去に何かあって錬金術の道に入ったのだろうか。
ジェリコがそんなことを考えながらフェリシアを見つめているとその気配でも察したのか、フェリシアは猫のような両目をぱちっと開いた。そしてジェリコの視線を認めるや否やいつものように睨みつけてくる。
「あのね、じろじろ見ないでくれる?」
「フェリシアはなぜ錬金術の道に入ったの?」
唐突なジェリコの問いにフェリシアはますます目を細める。
「なんでそんなこと聞くわけ?関係無いでしょ」
「関係が無いと答えないの?」
ジェリコの言葉にフェリシアはめんどくさそうに起き上がると、不機嫌な顔でジェリコを見つめた。
「あたしの家は先祖代々学者の家系なの。で、時代が流れるにつれて研究対象が錬金術になって、以来錬金術による真理や世界の探究をするようになった。あたしはその流れで、まぁある意味なし崩し的に錬金術師になったの。だからなぜ錬金術師になったかなんて質問は愚問よ」
「そうなんだ。でも錬金術って大変な世界なんじゃない?辛くないの?」
「あたしを馬鹿にしてんの?大変な世界だからやりがいがあるんでしょ?つまらない世界で生きるなんてごめんだわ」
フェリシアはそう言い放つと再び寝転がる。つまらないことを聞くなと言いたげだ。
さらにフェリシアは視線だけをジェリコに向けて話し続ける。
「あんた世界を絵で救いたいなんてほざいていたわね」
「うん」
「たかだか錬金術の世界できついと思う位じゃ、間違いなくあんたは自分の夢に溺れて死ぬ人生を送るでしょうね。自分の理想をボケ老人みたいに繰り返し言うだけで、口だけの人間で終わるでしょう」
随分と酷い言われ様だが、不思議とジェリコに怒りが芽生えなかった。
それはつまり彼女の言うとおりだからだろう。そして自分自身、そのことに納得しているのだ。自分の夢がいかに誇大で向こう見ずなものなのか、フェリシア達と出会ってから急激に認識し始めたのだ。裏の世界で生きる人間は、常人よりも世界の本質に近いところで生活をしているが故に、ジェリコの考えていることがいかに大それたことなのかよく分かるのだろう。
ジェリコはフェリシアから目を放し、抜け殻のような視線を空に向けた。フェリシアも目を閉じる。そして独り言のように呟く。
「まぁせいぜい『揺り籠』の効果に期待することね。もしかするとあんたの夢はあっさり叶うかもよ」
「揺り籠?」
「そう。大魔術師ピュリノスが編み出したとされる以外は、あたしもよく知らない。ただ、ものすごい力が発動するということは知ってる。何が起きるかは噂すら聞いたこと無いわ」
アヤジもこの魔術についてはよく分からないと言っていたし、まったくもって未知数ということか。
自分がその魔術を発動させる鍵らしいが、一体何をすればいいのか。膨大な魔力が必要ということでジェリコの血が求められているくらいしか情報がないため見当がつかない。ましてや魔術の魔の字も知らないジェリコである。この大魔術に関してはしっかりと見極めをつけなければならないだろう。これから目指すモンツァで色々と判明することがありそうだし、何かしら変化が起きることだろう。それが自分にとって善いことなのか悪いこと分からないが、今のジェリコにできることといえば、どのような現実であろうとそれをしっかりと受け止めるしかない。
「おまえたち、そろそろ行くぞ。休みすぎるのも気が抜けてよくない」
アヤジが街道へ歩きながら言った。こちらも丁度気持ちを新たにしたところだ。
――まずはモンツァへ。そこから何かが始まる気がする。ジェリコは明確には表現できない不思議な勘を受け止めていた。