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#15.旅立ち part2

ひょんなことから道連れが増えた一行は、ベルガモからモンツァへと続くハルベー街道を歩く。

 道すがら天気もよく風も穏やかで、草原に横になれば気持ちよく眠れそうなほどのどかだ。

 しかし、牧歌的な風景に反ようにジェリコ達は血生臭い団体なのが皮肉ではある。

 前を歩くアヤジと最後尾を歩くエメはいつものように無言。フェリシアはつまらなさそうにあくびをし、時折ジェリコの方を睨んだりアヤジの背中を憎憎しげに見つめている。

 そして久しぶりに穏やかな気持ちになっているジェリコはフォレンティーナと話しをしていた。ジェリコが孤児院を飛び出して以来である。五年ぶりほどの再会なのだ。心が浮き立たない方がむしろおかしいだろう。

 フォレンティーナの話によると、ジェリコが孤児院を飛び出した後、程なくしてフォレンティーナも孤児院を出たらしい。そして彼女を皮切りに、他の仲間達も続々と孤児院を去ったそうな。

 その後独り身になったフォレンティーナは、職や宿を見つけることもせずその日暮らしを始めた。先も言ったが、何でも屋だ。その仕事内容はジェリコの脳では計り知れないが、色々なことをしてきたのだと思う。何せフェリシアなんて恐ろしい人物に雇われていたのだ。きっと手を朱に染める仕事もあったに違いない。ベルガモでのんきに暮らしていたジェリコであれば、今のフォレンティーナを見たら腰を抜かして驚いただろうが、幸いそういう裏事情にはある程度免疫が付いていたためにさして驚きはしなかった。

 孤児院に居たときから彼女にはどこか影があるような人間だったのだ。その影響でこういう生活をしているのならそうなのだろう、と、ジェリコは納得していた。人のことを言える義理でもないし。

「ところでモンツァへ着いたらどうするの?」

 暇をもてあましているフェリシアがアヤジに尋ねた。アヤジはいつものように背を向けたまま、抑揚のない声で答える。

「ジェリコをある人物のところへ連れて行き、能力が本物かどうかを確認する。本物ならばその後ロンデバリィへ行く」

 アヤジの言葉にジェリコは驚愕した。

「まさか、僕はこの件に関係無い人間なのっ!?」

 ここまで引っ張ってきてそれは無いだろう!いや、むしろそうであってほしいのだが、ここまで人の生活をかき乱した責任をどうするつもりなのだ……。

 ジェリコの悲鳴じみた声にアヤジは振り返ると、静かに首を振った。

「十中八九お前は本物だろう。お前の出生、周辺の環境を散々調べて裏づけは取れている。しかし、念のためだ」

 アヤジは一度言葉区切ると、こちらに振り向いた。

「安心しろ。万が一も無いだろうが、お前が関係なかったら晴れて自由の身だ。今までどおり酒場で絵でも描けばいい」

「なに!」

 アヤジの人を小馬鹿にしたような態度に激昂したジェリコはアヤジに迫ろうとした。

 ――が、それは叶わなかった。

「……」

 音も無くジェリコの隣にやって来たエメが、ジェリコの鼻先に手をかざしていた。反射的にジェリコはエメを睨みつけるが、エメの顔を見て一気に熱が冷めた。なぜか哀しそうな顔をしているのである。無表情な彼女に人間的な顔をされると、調子が狂ってしまう。

 沈黙したジェリコにアヤジは再び声をかける。

「俺の言葉が聞こえなかったのか?万が一も無いと言っただろう。心配は要らない、お前は本物だよ」

そう言ってアヤジは前を向く。いけ好かない男だ。なんでこんな男に命を守られなければならないのか。ジェリコは頭が痛くなった。

「それにしてもジェリコがそんな大げさな儀式に必要なんて、思いもよらなかったわ」

 至ってのんきなことを言うフォレンティーナ。

「できれば思いもよらないままにして欲しいよ」

 ジェリコはぶっきらぼうに答えると、フン、と鼻を鳴らす。

「だけどこうして再会できたのは、その不幸な運命のおかげなんでしょうね。奇妙なものね」

「奇妙すぎて僕は困ってるよ」

「んんんっ!あー!もうっ!」

 前を歩くフェリシアは突然立ち止まり、こちらを振り向くと咆哮のような声を上げた。あまりに唐突だったので心臓が止まるかと思ったジェリコである。あのアヤジでさえ、目を開いてフェリシアを見つめている。まったく、こんなくだらないことで細くなった寿命を脅かさないでもらいたい。

 フェリシアは激昂しており射殺すような視線をジェリコにこれでもかと浴びせていた。ふーふーと肩で荒い呼吸をし、噴火寸前の火山のようでもある。

 ジェリコはフェリシアのそのいきりたった姿を見て戸惑いを隠せない。

「ど、どうしたの?」

「あのね、どうしたの、じゃないわよバカー!」

 ジェリコは至って自然な感想を述べたのだが、彼女には気に入らなかったらしい。ジェリコにはフェリシアが怒鳴る理由がよく分からない。

「二人ともちんたらくだらない話をしてんじゃないわよ!とくにあんた!」 

 びしっ、と力いっぱい細い人差し指をジェリコに向けるフェリシア。

「あんた自分が今どんな状況なのか分かってる?命を狙われてんのよ、命を。いつ誰にどのようにして首を取られるか分からないってのに悠長に世間話しをしてんじゃないわよ!その緊張感の無さに虫唾が走るわ!」

 そこまで一気に喋るとフェリシアは多少すっきりしたのか、呼吸がだいぶ落ち着いてきた。

「なるほど。それは一理ある」

 そんな言葉が最前列の方から聞こえてきた。思わずジェリコは顔をしかめてしまう。

「俺も前から思っていたのだが、確かに彼女が言うように、お前は自分の立場をよく分かっていないようだ。さて、どうしたものか……。そうだ、分かり易いようにお前の存在が今どれくらいの価値を持っているか、教えてやろう」

 アヤジの人を人としてみない口調に毎度のことながらジェリコは苛立ちを覚えた。しかし今自分の感情を下手に爆発させると収拾が付かない事態に陥りそうなので、唾液と一緒に無理やり飲み込んだ。

「そんなに言うなら、教えてよ」

 ジェリコはくすぶっている怒りを静めながら、そう答えた。アヤジは待っていたぞといわんばかりの顔で返答をする。

「よかろう。取引する相手にもよるだろうが、お前を売りに出せば最低でも金貨七百枚はするだろう」

「な、七百!?」

 あまりに途方も無い金額を提示されたため、ジェリコは卒倒しそうになった。

 金貨七百枚なんて、頭がおかしいのではないのか。国が動くような額ではないか。

「実際には、お前の存在価値はあまりにも未知数すぎて値段なんぞ付けられないが、もしつけるとすればそのくらいに相当するはずだ」

「ふーん七百か。あたしは八百七十くらいと見てたんだけどな」

 フェリシアが顎をさすりながら恐ろしいことを言う。

「七百も八百も大局的に見れば大して変わらんだろう。俺が言いたいのは、それだけ馬鹿みたいな金が軽くかかるほどの存在だと言いたいのだ。分かったか」

 ジェリコは深く頷いた。自分が一体どのような立場に居るのか、改めて理解した。それだけの価値を見出す自分が一瞬誇らしげに感じたが、それはあまりにも寂しいものだ。求められているのはジェリコという意思を持った人間ではなく、ただの体なのだから。

「話は済んだな。では行くぞ」

 アヤジは俯いたジェリコを満足げに見ると、再び街道を歩き出した。アヤジが歩き出すにつれて、周りも動き出す。

「どうしたのジェリコ、行くわよ」

「あ、うん……」

 フォレンティーナに促されてようやく一歩を踏み出す。

 その足取りは重く、のしりのしりと足を地面から引き剥がしていくような歩き辛さがあった。 

 先ほどのアヤジの言葉が予想以上に堪えるものだったのだ。その言葉を考えれば考えるほど、ジェリコの存在が空しくなる。肉体の価値ばかりが先行し、精神が追いついていないような感じ。そのせいか、妙に体がギクシャクしてしまう。いつもならこんな時に絵を描いて心を落ち着かせるのだが、残念ながらそんな暇はこれっぽちも無い。

 ジェリコは空を見上げる。雲ひとつ無いからっぽの空が、世界を包んでいる。その光景が無性に腹立たしく、思わず目を閉じた。

「……」

 ジェリコが呆けていると後ろから肩をたたかれた。振り返らずとも分かる。エメだろう。早く行けという意思表示だ。

「……」

 ジェリコが前を歩く三人に歩調を合わせようと足を踏み出そうとしたが、それは叶わなかった。ジェリコはエメに肩を掴まれたままで歩くことができないのだ。

「ちょっと、エメ。どうしたんだよ」

 ジェリコは理由を聞こうと後ろを向く。そしてエメの顔を見て眉をひそめた。

「……」

 エメはいつもの無表情ではなく、目を細め、黒真珠のような瞳を左右に動かして明らかに警戒している様子だった。ただならぬ気配にジェリコの体が強張る。

「まさか――」

「……」

 敵、という言葉をエメの人差し指で押さえられる。エメの細い指が唇に触れてどきりとしたが、今はそんなことはどうでもいい。今までに無い状況である。

 前を歩く三人の姿がどんどん遠くなっていく。ただの一度も振り返ることも無く、街道を歩いて行く。

おかしい。まず歩く速度と小さくなる姿の比率がおかしい。空間が歪んでいるかのように、あっという間に三人の姿が消えた。

 ジェリコの目でも分かるような異常事態。仲間は言葉の喋れないエメという極めて危険な状況である。意思疎通ができないものと二人きりなんて、まずいことこの上ない。

「……!」

 ぐわしっ!

 何を思ったか、突然エメに抱きしめられた。わけのわからない展開にジェリコは頭が付いていかない。

 しゅっ。

 そして次の瞬間、ジェリコの胸元を何かが掠めていった。横一に割れた服を見てジェリコは目を見開いた。

「なんだこれ!」

「……!」

 ジェリコが叫ぶと同時に、エメはジェリコを抱いたまま街道を走り出した。

 ――同時に、

 ひゅひゅひゅひゅひゅ!

 無数の何かかが後方から飛んで来た。音と先ほどの攻撃から察するに、それはナイフのように鋭利なものだろう。エメが走る速度が少しだけ上がった。

 ひゅひゅひゅひゅひゅ!

 攻撃は止むことが無い。ジェリコはエメを抱いたまま、うねうねと蛇行するように走る。走り辛いったらありゃしないが、一人で走ったら一瞬のうちにずたずたになるだろうことは明らかだった。エメがまだ見ぬ敵の攻撃を的確にかわすことによって生き長らえているのだから。

 なぜエメは敵の奇襲を読み、かわすことができるのかまったく理解できないが、とにかく今はエメに体を任せる他に手が無い。ジェリコは自分のあまりの無力さと、現実の急展開さに頭が痛くなった。

 ひゅ、ひゅ……。

 しばらくがむしゃらに走り続けていると敵の攻撃が止んだ。

 止んだと同時にどういうわけかエメも足を止める。

「な、止まったらまずいんじゃ……」

 物申そうとしたジェリコを、エメは両手でジェリコの両目を押さえつけることによって止めた。先ほどから一体何なのだ。誰かエメの行動を説明してくれ!

「……!」

 目を隠され、エメに一層強く抱きしめられたかと思うと、背後に異様な気配を感じた。

 全身の毛という毛が総立ち、突然真冬の山中に裸で投げ出されたような、突き刺さるような凄まじい殺気が全身を襲った。

「こ、これは……」

 目隠しされ辺りの景色は暗闇である。いや、それよりも今はこの嫌な寒気は何なのだ。エメはどうした。このありえない気配の中何とも無いのか。

 ジェリコはがたがた震えながらそのままエメに身を任せる。今のジェリコでは走っていたときよりも役に立たない。尋常ではないのだ。この気配。今まで自分が感じたことの無い殺気。理性ではなく本能的に危機感を感じている。とにかくエメという存在から離れたくなかった。離れたらジェリコはそのまま殺気に取り殺されるのではないかという恐怖があるからだ。

「ふぐ、おごああああっ」

 藪から棒に後方から男の悲鳴が上がった。苦悶に満ちた、断末魔と呼ぶにふさわしい声。驚きで思わずジェリコは体を震わせる。

「……」

 悲鳴が街道に響き渡った後、次第に殺気は収まっていった。地面に吸い取られるように、しゅうしゅうと音が聞こえてくるかのように、濃密な負の空気だった。

 気配が無くなると、ジェリコはようやく開放された。久しぶりの日差しに目が眩み、思わず顔をしかめる。

 辺りの景色を確認すると、以前と変わらぬ平凡な街道が広がっている。どうやら空間の歪みは収まったようだ。

「……」

 エメは無言でジェリコの前に立つと、先ほど攻撃を掠めた個所を丹念に調べた。

 とくに大きな傷が無いところを確認した後、今度は断末魔が聞こえた方へと歩いていく。

 エメが向かう先をよく見ると、遠くの方に黒っぽい人が横たわっているのが見えた。興味が湧いたジェリコもエメの後ろを一緒に歩いていく。

 ――そして横たわった男を見てジェリコは後悔した。

 男はフェリシアのように全身黒ずくめだった。顔に皺が入り始めている辺り、それなりに年を重ねているようである。察するに、空間の歪みはこの男が原因だったのだろう。どこの誰かは知らないが、この惨状を見る限り、もう襲ってくることは無いだろう。

 何よりすごいのが顔だ。元の原型が無いのである。恐怖に顔が歪んでいるなんてものではない。赤黒くなった顔の筋肉がすべて引きつり、白目をむき、涙や鼻水、涎まで流し、挙句の果てには失禁しているのだ。

「何があったんだろう……」

 ジェリコは身震いしながら先ほどの殺気を思い出した。あれに当てられていたらジェリコも発狂してこうなっていたかもしれない。

 そしてエメはというと、男の化物じみた形相などお構いなく、首の辺りの脈を取っていた。正直ピクリとも動かないところを見る限り、生きているようには見えないが……。

「死んでる?」

 念のため尋ねてみると、エメはこちらを振り向きこくりと頷いた。エメの端正な顔と男の悲惨な顔が妙な対比になり、この滑稽さを絵に描いたら面白そうだ、と場違いながらもジェリコは思った。

 エメは男の検死を終えると立ち上がり、いつまでも死体を見続けるジェリコに街道を歩き始めるよう促す。

「エメが、やったの?」

 ジェリコはぽつりと決定的なことをエメに訊いた。刺客が死に、自分たちが生きているということは答えは一つだ。にも関わらず、こんなことを尋ねるということはジェリコはまだ戦い慣れていないのだろう。

 死体を見るのは初めてではない。しかしこんな変死体を見るのは初めてだ。数分間とはいえ、ありえない状況にも陥った。脳の一部が麻痺しているのかもしれない。

「……」

 ジェリコはエメの黒い瞳を見つめた。エメはまったく表情を変えず、視線を交える。何も見ていないような、すべてを見透かしているかのように透明な視線。

「ごめん。なんでもない。助けてくれてありがとう」

 ジェリコはそう言うと、アヤジ達が歩いていった方向へ足を向けた。これ以上追求するのはなんだか違う気がする。少なくともジェリコがとやかく言う問題ではない気がする。

 ジェリコは弱い。徹底的に守られなければならないほど。

 背後でエメが動く気配がする。いつものようにジェリコの後ろを歩き始めたのだろう。エメがいなければ、ジェリコはすでに死んでいるのだ。エメに文句を垂れるのはあまりにもお門違いである。

 ふと前方を見ると、見慣れた人間の顔が見えた。

 帽子を被っている美しい女性。三つ編みを揺らし、しかめっ面で腕を組んでいる少女。そして黒い幽鬼のような気配を放つ男。

 ジェリコはこれからエメだけでなく、彼らにも助けられるのだろう。何度と無く。常に。

 ――強くなりたい。

 今までに無い強い思いが、ジェリコの全身に纏わり付いていた。


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