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#14.旅立ち

 空には輝く太陽があり、ところどころに千切れた雲が漂っている。相変わらず春の日差しは強いが、街を駆け巡るベルガモの風は、いつもと違い敵意に満ちているかのように強風だった。

 渡り鳥たちも今日は休みなのか、数えるほどしか飛んでいない。石畳の道にはカーテンのような風除けを付けた露店がずらりと並び、いつもと違う雰囲気を醸し出していた。

 しかし客足はいつもとそう変わりは無く、客と店の主人との言い合いがあちこちから聞こえてくる。ベルガモの町は今日も活気づいていた。

 しかしジェリコの足取りは重い。肩に背負った荷物が重たいからではない。心に背負ったものがあまりに巨大で重過ぎるからだ。

 そんなジェリコの目の前には二人の人間が立っている。ジェリコは最初彼らを死神だと思った。

 黒い服装。異国の気配。そして得体の知れない知識。死神としての条件はそれなりに揃っていると思う。

 だが彼らはジェリコの命を守ってくれる守護者らしい。不幸の運び屋が守護者なんて、つまらない冗談にも程がある。

 ジェリコはこれから二人の死神と旅に出なければならない。もし拒絶すれば運命に体を押しつぶされ、容易く殺されるだろう。

 しかしジェリコは死ぬわけにはいかない。やることがある。やらなければならないことがあるのだ。その目標を掴み取るまでは、生き続けなければならない。それがどれほど辛いことであっても。

「覚悟はついたか」

 太陽を背にしたアヤジが話しかけてきた。背の低いジェリコは彼の影にほとんど収まってしまう。

 ジェリコは一瞬声を詰まらせた後、「ついたさ」となんとか返す。

「ならば行くぞ。まずは南のモンツァへと向かう。俺とエメに挟まれるようにして歩け。はぐれるなよ」

 言うなりアヤジは南の方向を向き、口を真一文字にして歩き始めた。一時の猶予も無い、そんな言葉が話さずとも感じられた。

 エメはというと、相変わらずの無表情でジェリコの後ろを陣取る。時折左右を確認、いや、監視しているようだった。二人ともかなり神経質になっている。

 だがジェリコのような素人の一般人と旅をするのだからこれくらい気を張るのは当然かもしれない。ジェリコは殺気を感じ取ることもでき無ければ、剣を持った相手と戦うこともできない。そんな男を守りながら旅をしていくのだから、二人にとってかなり面倒な事態に違いない。

「先に釘を刺しておくが、モンツァに着いても感傷に浸る暇は無いぞ」

 歩きながらアヤジが話しかけてくる。

「モンツァでは今お前を探し出そうと失踪事件なんて噂が出るほど連中が躍起になっている場所だ。そんなところで悠長に過ごすわけにはいかないからな」

 やはりモンツァで起きている失踪事件というのは、自分と関係があったようである。自分のせいで無関係な人間を巻き込んでしまったことにジェリコは心が痛んだ。

「お前のことだ。自分のせいで他人を不幸にしてしまったなんて考えるだろうが、気にすることはない。それがそいつらの運命だからだ」

 アヤジはジェリコの心を見透かすと、大きな背中で語りかける。しかし人々を幸せにするのが目標のジェリコにとって、自分のせいで他人を不幸にするのはとてつもなく不快だった。なまじ運命というものが非常に理不尽だということを身を持って知っているので、アヤジの言うことを理解できるのがさらに嫌だった。

「僕は、人を幸せにしたいだけなんだ」

 意識せず、口に出していた。最近無意識に声を出す癖がついてきたような気がする。

「なら、俺とエメも幸せにしてくれるのか?」

 探るような声でアヤジは返してきた。予想外の返答に、ジェリコは再び声を詰まらせてしまう。

「お前が今言った言葉は、生半可な気持ちで言っていい言葉ではない。肝に銘じておけ」

 それきりアヤジは黙り込んでしまった。ジェリコも気まずくなって声が出ない。一行は無言でベルガモの町を歩いていく。

 それにしても先ほどのアヤジの言葉は効いた。

 確かに、今の自分では誰一人幸せにすることができない。あらゆる点であまりにも非力だ。そしてアヤジの「俺とエメも幸せにしてくれるのか」という言葉。これはつまり現状のアヤジとエメが幸せではないということである。この幸せを成就するにはおそらくジェリコの血を使った儀式が必要なのだろう。それを無意識のうちに察知したジェリコはすぐに言葉を返せなかった。

 だが、ジェリコの夢であり目標であり願いである「人々が幸せに暮らす」というのは、特定の人間だけに許されるものではない。すべての人間平等にもたらせるものである。しかし世の中にはジェリコの与り知らない世界があり、そこでは人の幸せを横取りすることによって幸せを手に入れる人間達がうようよいるのだ。ジェリコは彼らを幸せにすることができるのか。

 ――いや、そもそもそんな非道を行う連中の幸せなんてジェリコは願っていないのか。人々の幸せを願うというのは、まだまだ余分なものがついた状態のジェリコの目標なのかもしれない。

 ジェリコは絵の力によって人々の幸せを願った。それは間違いない。しかし本当に「幸せ」を願ったのだろうか。今、こうして自分の生涯の目標を再考していると、「幸せ」という言葉に妙な違和感を受けるのはなぜだ。

「止まれ」

 ぼす、とジェリコはアヤジの背中にぶつかってしまった。つい前を見るのがおろそかになってしまったようである。

「何が――」

 アヤジは手でジェリコの声を制する。ただならぬ様子である。

「仕方が無い、道を外れよう、左に向かう」

 言うなりアヤジは左手にある雑貨や服を売っている露天の隣にある細い通りに脚を向けた。人一人がようやく通れそうなほど狭い道だ。おまけに見通しも悪い。距離は二十数メートルほど続き、ここを出れば地理的に別の大きな通りに出るはずだ。

 一行は道に足を踏み入れ、日陰に体を隠す。そして早歩きで露天の隙間を縫って歩く。

 人気の少ない埃っぽい道を進みながらジェリコはアヤジが何を見たのか尋ねた。

「三十メートルほど先に連中がいた。やはり続々とベルガモに進入してきているようだな」

 ジェリコを探しているのだろう。見つかれば一巻の終わりである。

 そういえば、ジェリコは連中のことを詳しく知らない。普段どういったことをやり、何を生業としているのか。情報はこの上ない武器である。知る、知らないでは天と地の差がある。

 だが、今はそんな野暮なことをアヤジに尋ねる暇は無い。まずは連中から離れることが先決である。

「エメ」

 残り数メートル程まで歩いたところでアヤジが短くエメの名を呟く。するとエメは短くヒュ、と口笛を吹いた。

「そうか」

 口笛を聞いたアヤジは安堵の息を漏らし、歩を止めた。ジェリコは二人の一連のやり取りにいつにない興味と疑問が湧いてしまった。

 しかし疑問を尋ねる前に、アヤジが先に口を開いた。

「先ほどの連中は撒いた。こちらに接近してくる気配も無い。ひとまず安心だ。このまま通りに出て南に向かい、ベルガモを抜ける。抜けるまでは雑談は禁止だ。エメは適当な頃に知らせてくれ」

 こちらが口を挟む間もなく、アヤジは歩き出す。ジェリコは展開の変化の速さに慣れず、つい呆けてしまっていた。

「……」

 突然、後ろから肩を叩かれた。振り向くとエメがアヤジの方を顎でしゃくった。早く行けということか。アヤジはすでに十歩ほど先にいる。

 ジェリコは早歩きでアヤジの後を追った。アヤジは時折後ろを振り返りながら歩いている。

「遅れるなよ」

 ジェリコはその言葉に頷くと、再びアヤジの背中を追う形をとった。

 

 大通りに出た一行は、止まることなく歩みを続けた。流れる人の波をするすると抜け、ベルガモの町を渡っていく。時折エメが口笛を吹いていたが、とくにアヤジは振り向いたり返事をしたりしなかった。一体エメはなにをしているのか。

 そして歩き始めて一時間くらい経つと、街の出口が見えてきた。

 門の向こうは緑の背の低い草が広がるなだらか大地で、その中に道が一本続いている。あれを突き進んでいくと南の港町、モンツァへとたどり着くのだ。

 関所の周りには人がたくさん溜まっており、馬車を引き連れている商人が荷物を検査されたり、貴族が門番と何やら話し込んだりしている。

 そんないつも通りの景色を眺めながら、逃げるようにジェリコ達は門を通って行った。思わず振り返って門を見つめてしまう。

 ――ついに、ベルガモを出た。

 ラ・メールを出てからは、本当にあっという間だった。気がつけば数年前に通った以来目にしていなかった門が目の前にある。ジェリコのベルガモでの生活もあっという間だった。あっという間の、満たされた日々だった。

「感傷に浸るなと言ったはずだ」

 そんな走馬灯のように流れる淡い懐かしさを無碍に引き裂いたのは言うまでもない。ジェリコは瞬時に現実に戻されると、目を閉じ、そしてベルガモに背を向けた。そしてアヤジを上目遣いに睨みつける。文句の一つでも言ってやりたいが、堪えるしかない。

「気持ちは分からんでもないが、現実をよく見ろ。死ねば、帰ることすらできなくなるぞ」

 もう少し間接的な言い方はできないのだろうか。アヤジはいつも単刀直入すぎる。国民性の違いだろうか。

 アヤジは草原の向こうを眺めながら言葉を続ける。

「ここからしばらくは見通しが利くから自由に歩いていいぞ。黙る必要も無い。むしろ尋ねることが山ほどあるはずだろうからな」

 その通りだった。先ほど見たエメとの謎のやり取りや連中に関すること。あとアヤジの異様な身体能力。その他にもこれからどこへ行って何をするのかを聞く必要がある。

「共に旅をする以上、共有できる情報は共有した方がいいからな」

 そういうとアヤジは足を踏み出した。釣られてジェリコも歩き出す。そしてアヤジの隣まで歩くと、アヤジを見上げて尋ねた。

「なら質問。二人とも、なんだかおかしな力を持っているようだけど、それは一体何なの?」

 瞬間、アヤジから鋭い目で見下された。早速地雷を踏んでしまったか。

 アヤジは一度ジェリコを見下した後、すぐに視線を前方に戻した。

「それは核心を突く質問だ。いいだろう。隠す必要もあるまい」

 アヤジはチラリと横目でエメを見る。エメは無表情にアヤジを見ていた。

 そしてアヤジは再び遠くを見つめる。うっすらと目を細め、どこか気だるそうな雰囲気だった。

「俺とエメは海を隔てた東の島国、ホイナという国から来た。そこで田畑を耕して暮らしていたのだが、普通の家系ではなくてな。俺達の家系はいわゆる呪われた家系だった。おい、そんな目で見るな」

 知らぬうちに疑いの眼差しを浴びせていたのだろう。ジェリコは思わずごめん、と謝った。

 アヤジは話を続ける。

「俺が住んでいた地域では、ガミーヌという獣神を土地神として祀っているんだが、大昔の先祖が土地神にちょっかいを出したらしい。その結果、末代まで呪われる羽目になったのさ。なぜ先祖が神にちょっかいを出したのかは知らない。興味も無いしな」

 俄かに信じられない話だが、本当なのだろう。アヤジは『嘘』を一言も言っていない。

「で、呪いの概要はこうだ。ガミーヌの使いという化物が俺達の家族すべてに憑いて、その化物に取り殺されるというものだ」

 しかし、アヤジは生きている。

「化物はすぐに俺達を捕って食うわけじゃない。じっくりと精神を蝕みながらゆっくりと殺す。化物の精神力で人間の精神を排除していくそうだ。聞いた話によると五日で死ねるらしい。当然、死にたくない先祖達はこの化物をどうにかしようとした。だが、ついに除霊する方法を見つけられなかったらしい。代わりに、化物からの一方的な精神攻撃を中和、同調し、共存する方法を編み出した」

 アヤジはそれがこれだ、といって胸元を開いた。そこには無骨な丸い石の首飾りがあった。よく見ると小指の爪ほどの大きさの青い石と、緑色の石が埋め込まれている。

「この首飾りは化物から送られてくる一方的な精神波を人間が耐えられるように変換する機能と、化物と俺の精神の一部を同化させる機能を持っている。おかげで死神と共に生きることによって、人間離れした力を使えるようになった」

 まったくもって信じられる話ではないが、嘘はついていない。それに自分の身に起こったこともある。アヤジの言うことは本当だろう。

「もちろんエメもガミーヌの使いが憑いている。ただ」

 アヤジはそこで言葉を切ると、無念そうな表情を浮かべる。

「エメの場合は首飾りを身に付けるのが遅かったせいで、後遺症が残ってしまった。エメは、精神波の影響で言葉を話せなくなった」

 思わずジェリコはエメを見つめた。エメは感情を悟らせない相変わらずの無表情でジェリコを見つめ返した。

「エメは言葉を理解できるが話すことはできない。哀しいことだ」

 彼女が無口なのは話せないからだったのか。そういうことならエメがいつも無表情なのも理解できる。長い間言葉を喋らない生活を送れば無表情になるのも当然だ。

 アヤジはさらに説明を続ける。

「俺とエメはこの呪われた血を清めるために諸国を旅した。いろんな人間に会ったさ。血生臭い事態にもなった。だが呪いを解く方法は見つからない。先祖とまったく一緒の成果しか上げれない。もうだめかと思ったそんなときさ。あらゆる願いを叶える術があるという話を聞いたのは」

 ジェリコは思わず身震いした。術の話となるとどうも体が強張ってしまう。

「すぐに調べ始めたよ。色々な人間に会いに行った。民衆だけじゃなく、錬金術師や魔術師、はたまた政治家とかな」

 一体どうやってそんな人たちと会合することができたのか検討も付かないが、なにか横の繋がりがあるのかもしれない。

「その結果がこれだ。後は酒場で話したことに繋がる。多少脱線したが、俺とエメのことは分かっただろう。こんな首輪がないとまともな生活ができないなんて俺は嫌だ。普通に暮らしたい。俺とエメが秘法を求める理由はそれだけだ」

 首飾りを睨みながらアヤジは言い切ると、不機嫌そうな顔で遠くを見つめる。

 ふとエメを見てみると、同意するように深く頷いていた。そりゃそうだろう。自分の言葉を失ったのだ。さぞ辛い日々を過ごしたに違いない。

 そういえば、そのガミーヌの使いから受けた恩恵である特殊能力とはどういったものなのだろう。ジェリコは興味を持った。

「ちょっと興味があるんだけど、そのガ――」

 ヒュウゥゥッ!

 突然、エメの鋭い口笛が草原に響いた。警戒しているような、力強い音だった。

「チ、追っ手か」

 アヤジがすぐさま反応して振り返る。発信源のエメは今まで歩いてきたあぜ道を睨み続けている。今更だが、エメの口笛は警笛の役目を担っているようだ。口笛の音で意味合いが違うようだが、ジェリコは分からない。

「隠れそうな場所は無いか。仕方ない、とりあえず横にそれるぞ」

 そういうとアヤジはあぜ道をはずれ、草原へと足を踏み入れる。

 しばらく走っていると小高い丘を発見し、とりあえずそこの陰に隠れることにした。ちなみにあぜ道からはそう遠くない。一、二分歩けばあぜ道へ戻れる距離だ。

 アヤジは丘の上から顔だけを出し、あぜ道に睨みを利かせている。ついジェリコも丘の上に上り、あぜ道を見ようとした。

「馬鹿者、お前はエメから離れるな。エメ頼む」

 アヤジは丘から顔を出そうとしたジェリコを小さく怒鳴る。アヤジの剣幕に負けてジェリコはしぶしぶ丘から降りた。

 そこまで警戒しなくてもいいと思うのはやはりこういう事態に慣れていないからだろうか。ジェリコも目は良い方だ。目視の役に立てると思ったのだが。

「……」

 腕を組んでため息をついていると、突然後ろに気配を察した。

 振り向くとエメが立っていた。エメはジェリコと目が合うと、無言で肩に手を置いてきた。動くな、ということだろうか。

「……!」

 直後、エメは眉を吊り上げ目線をアヤジの方、あぜ道の方へ向けると、ヒュイ、と鳥の鳴き声のような口笛を吹いた。なんというか、エメには失礼だが実に不気味な動きである。

「あの二人か」

 アヤジが街道の方を向いたまま呟いた。どうやら目標を発見したらしい。

 それにしてもなぜエメはこんなにも離れた距離から敵の気配を察知することができるのか。もしかするとこれがエメの「能力」なのかもしれない。

「こちらに気づいていな――チ、いるのか」

 アヤジの舌打ちを聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。自分の命を狙うものが、こちらに向かってくる……。どくりと、心臓が一際高鳴った。

「迷うことなくこちらに向かってくるな。どうやら最初からばれていたらしい」

 距離的にはこちらが隠れてから向こうが現れたはずだが、それでも迷うことなく来るということは、まさかエメと同様の力を持っているのか。

「エメ、ジェリコの傍に居ろ。俺一人で片付ける」

「な、一人で行くなんて無茶だろ」

 一人で行こうとするアヤジに手を伸ばそうとすると、エメに押さえられる。エメは厳しい表情でジェリコを見つめており、いつもの無言の威圧感でジェリコを制する。

「なぁに。なにも殺し合いをしに行くわけじゃない。話し合いをしにいくだけだ」

 アヤジはそういうと小高い丘を降りていく。姿が消え、草原を歩く音だけが耳に入る。

 もし万が一向こうが攻撃を仕掛けてきたらどうするというのだ。あまりに無策といわざるを得ない。

 しかしエメは無言でアヤジが歩いていった方を見つめているばかり。アヤジを信じきっているのだろうか。

 ほどなくしてアヤジの足音が止まった。同時にいつの間にか近づいてきた複数の足音も止まる。ジェリコの心臓は緊張でバカみたいに激しく躍動していた。

「一応、用件を聞こう」

「あのね、ここまで来てそんなこといちいち聞くわけ?」

 あのね……?それにこの声、聞いたことがあるような。

「それもそうだ。ではお引取り願おう。殺し合いは好きじゃない」

「生憎こちらは殺し合いが好きなのよ。覚悟してよね」

 不穏な気配が立ち込め始める。いつの間にかエメの手が離れていた。

「そうか。ならば君達は殺される覚悟があるのかな?」

 エメは丘の上に上り始めていた。アヤジと合流するつもりか。

「あら、お仲間も出てきたわね。どうやらやる気満々のようじゃない」

「チ、来るなと言ったのに」

 アヤジの舌打ちが聞こえる。

「でもこれで気兼ねなく戦えるわね。二対一じゃ公平じゃないものね」

「逃げるのなら今のうちだ。後悔するんじゃないぞ、お嬢さん」

「あ、あの子は!」

 いよいよ戦いが始まるという時、気づいたらジェリコは丘の上に顔を出していた。我ながら自分の欲望に忠実すぎるというかなんというか。おまけに見覚えのある顔を見て声を出す始末。自殺行為としか言いようが無い。

「馬鹿者!隠れろ!」

 アヤジの怒号が草原に響く。

「やはりそこにいたわね、ジェリコ・パブールォ!」

 あの少女の声がジェリコの耳に刺さる。

「ジェリコですって!?」

 そして最後に驚愕の声が辺りを制した。愕然とした声に思わず全員がそちらに首を向ける。

 少女の隣には一人の旅人らしき女性が立っている。つばの短い帽子を被り、くすんだ外套と服を身に纏っている。特徴的なのはその驚きに満ちた顔だ。金髪で左目だけを隠すような髪形をしている。何も知らない人間ならば特に意識しない点だが、今のジェリコにとってそれは決定的だった。

「フォレンティーナ!」

 丘の上からその名を叫ぶ。今度はジェリコの声に全員の視線が集まった。

「まさかあいつアルの知り合い?」

 少女が驚きのあまり目を見開く。

「エメ、様子を見よう」

 アヤジとエメはじっと事の成り行きを見ている。

「ジェリコ、あなた一体……!?いや、それよりフェリシア、あなたが探していた人物ってジェリコだったの?」

 フォレンティーナはフェリシアという少女を驚きの顔で見つめる。フェリシアは苦虫を噛みつぶしたような顔で掃き捨てるように答える。

「そうよ。私の研究にはあいつの血が必要なのよ。アル、顔見知りだからって容赦しないでよ」

「断るわ」

 フォレンティーナは迷うことなく言い放った。予想外だったのか、フェリシアは虚を突かれたように、

「ちょっと、どうしてよ?」

 そう呟いた。

 フェリシアの言葉にフォレンティーナは冷静に返す。

「あなたとの契約はもう切れていたはず。私はベルガモまでの案内役だったのだから。これ以上あなたの命に従う義務はない」

「なら今ここで新たに契約するわ。そしてこの二人組みを殺し、ジェリコの血を手に入れるために手伝ってよ」

「その契約、断るわ。私はジェリコを殺せないもの」

「ぐぐ……」

 冷静なフォレンティーナの言葉に、フェリシアはたじたじといった感じである。フォレンティーナを憎憎しげに睨んだ後、その禍々しい目はアヤジとエメ、そしてジェリコに向けられた。

「さて、どうする?」

 言ったのはアヤジだ。腕を組み、面白いものでも見るような瞳でフェリシアを見下している。

 フェリシアはしばらく下を向いていたが、その内じろりとアヤジを睨むと、

「今回は、見逃してやるわ……」

 三対一、ジェリコを含めれば四対一か。さすがに不利と判断したのだろう、フェリシアは戦いを拒否した。

「よかろう。ところで君はこれからどうするつもりだ?このまま帰るのか?」

「ええ帰るわよ。これ以上ここにいてもしょうがないし」

「だとすると、君は命を狙われる可能性があるぞ」

「なんですって」

 フェリシアはアヤジの言葉に食らい付く。

「どういう意味よ」

「簡単なことだ。君もジェリコの血を狙うということは、その筋に覚えがあるものだろう。ということは君以外の同業者がどういう行動をとって情報を集めているか分かるな?つまりはそういうことだ。連中は常に情報を収集しており、情報源は目標に最も近づいた人物だ。今の君がまさにそれだ。そして連中は用済みになったものを生かすほど優しくはない」

 つまり、連中に捕まり、ジェリコに関する情報をさんざ吐かされた後、ごみを捨てるように殺される可能性があるということだ。

 フェリシアは何かを思い出したようにはっとすると、気まずそうに俯く。

「そうだったわ。魔術師どもはどいつもこいつも質の悪い奴等ばっかだったわね」

「十字教会の調査団もいるぞ。どちらに捕まってもろくな目に遭わんだろう」

 十字教会とは世界各国にある教会のことだ。アヤジは調査団と言っていたが、ジェリコはそれについて何も知らない。またも聞きなれない単語が出てきた。

 フェリシアは、うぅ、と頭を抱え悩んでいるようだ。どうすればいいのか。逃げれば連中に捕まり、戦うこともできない。八方塞がりではないか、と。

 そんなフェリシアに助け舟を出したのはアヤジだった。

「随分悩んでいるようだが、君には選択肢がある」

 アヤジの言葉に、フェリシアは顔を上げる。その目には希望を貪ろうとする貪欲な光が宿っていた。アヤジはその目を見つめると、至って真面目な顔で話を続ける。

「君には二つの道がある。一つは我々から逃げること。そしてもう一つは我々と共に行くこと。この二つだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 ジェリコはいい加減我慢できず、四人のところまで走って行った。

 合流するなりフェリシアに実に凶悪な目で睨まれるが、この際無視だ。

「この子と一緒に行くって本気?」

 ジェリコはアヤジに尋ねる。

「そうだが?」

 アヤジは即答する。ジェリコはアヤジの反応に苛立った。

「僕を殺そうとした人間と一緒に旅するって、おかしくない!?」

「彼女はもうお前を殺すことはできない。自分の命は大切だからな」

「いや、確かに僕を殺そうとしないだろうけど、その、最終的に術を発動したときに、願いを叶えることができるのは――」

「秘法の力は未だ未知数だ」

 アヤジはジェリコの言葉を遮る。 

「故に俺はお前の血を求めず、別の可能性を追求しようとしている。それと一緒だ。願望を叶えてくれるのは秘法を発動した者だけでなくこの世全ての人間かもしれない。何より彼女が生き延びるには我々と一緒に行動する他あるまい。一人より二人、二人より三人。仲間は多い方が心強い」

 確かに、その通りだ。アヤジとエメの目を盗んでジェリコを殺そうとするのは難しいだろう。そして連中の追っ手から生き延びるためにもアヤジとエメがいた方が心強い。そうなると益々ジェリコを殺す必要がなくなる。アヤジの言うように秘術が万人に作用される可能性もあるのだ。

「いいわ。あんたたちと一緒に行く」

「え?」

 フェリシアはあっさりと決断した。そして不機嫌そうにアヤジを見上げると、

「あんたの言うとおり、あたしは死にたくないから。それにあたしは秘法なんかにあまり興味は無いわ。秘法はあたしにとって副産物よ」

 フェリシアは目線をジェリコに変え、

「あたしが興味あるのはあんたよ。あんたの体そのものに興味がある。魔力を無尽蔵に生み出すその体に」

「魔力を生み出す、体?」

 ジェリコがオウム返しに言うと、

「待て話はそこまでだ。そんなこといつでもできるだろう。次に君はどうする」

 アヤジはジェリコとフェリシアを黙らせた。そして話題を逸らせるようにフォレンティーナに焦点を当てる。

「もともと寄る辺の無い身。しばらくあなたたちに同行させてもらおうかしら」

「よかろう。話は決まった。ではこれからこの五人で旅をする。俺の名はアヤジ。こちらは妹のエメだ。故あって秘法を目指している。君は?」

 アヤジは再びフォレンティーナを見やる。

「私はフォレンティーナ・アルジェント。何でも屋をしているわ。最近の仕事はフェリシアの護衛。よろしく」

 そう言うとフォレンティーナは微笑んだ。青い瞳と金髪がきらりと輝いた。

「……フェリシア・アンドレーよ。とりあえずよろしく」

 フェリシアは腕を組み、不機嫌そうに言い放った。

「えーと、僕は――」

『知ってる』

 一斉に言われ、思わずたじろいだジェリコであった。


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