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#13.幕開け part3

 ダニエラと和解した後、ジェリコは部屋に篭もって今旅支度や今まで描いてきたものなどの整理をしていた。一枚一枚自分の作品を見ていると、さきほどダニエラの部屋の窓から見たベルガモの景色ではないが、色々な思い出が蘇る。この記憶は二年前。あれは働き始めた頃。こあそこにあるのはジェリコが鼻高々になって調子に乗っていたときのもの――。

 感傷に浸りつつも、仕事はしっかりとこなしていく。いるものいらないもの、無数の絵たちを箱に仕舞い、大切に保管しておく。ありがたいことに、旅に出ている間ジェリコの部屋は倉庫になることなく、しっかりと空けておいてくれるらしい。ドメニコのそういった計らいもあり、部屋の整理は意外と軽快に進んでいく。忙しさでいえば少し大げさな掃除と大差ない感じである。

 懐かしいものを見つけるたびに口をほころばせ、作品をわが子の如く愛おしく思っていると、急に窓が何かに打たれるように鳴き始めた。風だろうか。ジェリコは様子を見に窓の元へと行く。

 ばたんっ!

「!」

 ジェリコが窓の取っ手に手を掛けようとした瞬間、その窓はひとりでに開いた。そしてジェリコは窓の向こうにいる人間に度肝を抜いた。不幸の運び屋、アヤジである。

「刺客の一人に感づかれたようだな。夜を待つのは危険だ。準備しろ。行くぞ」

 アヤジは一方的に話すと、黒い外套をはためかせて部屋の中に入ってきた。そして切れ長の黒い瞳でジェリコをじろりと睨んできた。

「何をぼやっとしている。急がないと命が危ないぞ」

 確かにそうだろう。あの少女がここにきてジェリコを襲ってきたという事実をアヤジが知っているのだから、当然同業者である刺客にその情報が漏れている可能性が高い。そうなるとラ・メールに長居するのは非常に危険だ。なによりラ・メールの住民に迷惑を掛けてしまうのがジェリコは嫌だった。

 アヤジはジェリコの部屋をぐるりと見回すと、

「丁度部屋の整理をしているところだったか。ならば大体必要なものとそうでないものの区別がついているはずだな。早く準備しろ」

 一方的なアヤジの話にジェリコはいい加減頭にきた。

 ジェリコはアヤジの黒い瞳を見返すと、閉じていた口を思いっきり開いた。

「少し黙ってくれませんか。確かに事態は芳しくないだろうけど、心の準備くらいさせてくださいよ」

 ジェリコの言葉にアヤジは信じられないといった顔で、ため息をついた。

「君は馬鹿か。命を狙われているのだぞ」

 そして一呼吸置き、ジェリコに背を向けると、

「……仕方が無い。外で待っている。急げよ」

 アヤジはそういうと窓から出て行った。その異様な身体能力に驚きながらも、ジェリコは静かに自分の身に降りかかっている事態を把握した。あの落ち着いているアヤジがこんな豪快な登場の仕方をするのだから事態は本当に危険なのだろう。分かってはいるが、やはりそう簡単に心の整理がつく話ではない。

 ジェリコは片づけが途中の荷物をちらりと見ると、口を硬く引き結んだ。

 こうしている間にも凶悪な刺客がジェリコの下へ接近しているかもしれないのだ。そう思うと身震いした。

 アヤジが出て行った窓からは風が吹き込み、ジェリコの髪を優しく撫ぜる。整理がついていない作品達を吹き飛ばすその風は、まるで今のジェリコのようだった。

 そんな風を受けながらジェリコは再び動き出す。しかし今度は部屋の整理ではなく荷造りの方だ。

 ジェリコは冷静に考えた結果、アヤジの言うとおり一刻も早くベルガモを出ることにした。どの道ベルガモを去る運命なのだ。早く去る方が案外後腐れ無く済むかもしれない。

 ジェリコは大きめの袋を引っ張り出すと適当な服を詰め込む。そして机の引き出しから手のひら程度の大きさの布袋を取り出した。ジェリコの貯金である。

 貯金と手持ちを合わせて金貨二枚と銀貨十七枚。それから銅貨が六十枚程度。これだけあればしばらくは旅ができる。ちなみに金貨二枚は銀貨約七十四枚分に相当する。我ながらよく貯めたものだ。

 金と着替えは用意した。後は――。

「画材をどうするか」

 ジェリコにとって筆と紙は無くてはならない存在だ。だが自分の命をかける旅に持っていくには、画材は少々かさばる。荷物は必要最低限に留めておくべきだ。

 しかし画家としての心がそれを妨害する。一流になるにはいついかなるときも妥協してはならない。

 ――ジェリコは葛藤した。

 今ここで、絵描きとしての生命線とも言える画材を手放していいのか。それは今までの生き方を全否定する行為ではないのか。絵と共に生き、そして死ぬのではなかったか。

 手垢にまみれた筆を持ちくすんだ筆先をぼんやりと眺める。これは大事に使ってきた筆の一本だ。初めて町の絵画大会で受賞した作品を描いた筆である。その分思い入れも強く、この一本はジェリコの宝物だ。この筆と今生の別れになるかもしれないと思うと胸が痛くなる。

 ジェリコは一本一本筆を愛おしく見つめ、ある結論に至った。

「筆だけ持っていこう。筆さえあれば、どこでも絵を描ける」

 もともと絵画修行のための旅に出るとドメニコに説明したのだ。画材を一つも持たずに出るのはおかしい。それに筆はいざというとき武器になるかもしれない。世の中何がおきるか分からないということはとうに身に沁みている。筆数本ならそうそうかさばらないし問題は無いだろう。

 ジェリコは筆を十二本ほど選んだ。判断基準は特に無い。直感で選んだ。

 これから旅の途中挫けそうになったときはこの筆たちを見て自分を奮い立たせることにしよう。

 世界をまたに駆ける画家になる、ということを見失わないために。


 ジェリコは荷物をまとめた後、ダニエラの元へ向かった。これからラ・メールを発つということを伝えるためだ。

「ジェリコ、必ず帰ってきて」 

 未だ窓辺で黄昏ているダニエラは、部屋に入ってきたジェリコに一言そう言うと再び窓の外を見始めた。ダニエラの細い両肩が小刻みに震えているのを見たジェリコは「約束する」と言い残し、速やかに部屋を出た。あのままダニエラの部屋に居たら、彼女の心が再び迷い始めるかもしれないと思ったからだ。ジェリコは去り、ダニエラは残る。二度とこの決断を変えてはならない。

 ダニエラと短い別れを伝えた後、ジェリコは一階に降りた。一階ではドメニコとアンナが珍しく二人で話しをしていた。話しの内容はこちらまで聞こえないが顔が険しい。ジェリコのことを話しているのかもしれない。

「行くのか。ジェリコ」

 ドメニコはジェリコの存在に気づくと、いつもの強面の顔に戻った。

「はい。勝手で申し訳ないですが、しばらく暇をもらいます」

「構わんよ。そのかわり、交わした約束は必ず守れ」

 ドメニコと結んだ三つの約束が思い浮かんだ。ジェリコはそれをもう一度噛みしめると、

「もちろんです。僕は、約束は守ります」

 自分でも驚くほど、決意に満ちた返事をした。ドメニコはジェリコの雄雄しい返事に頷くと、

「ならば問題ない。存分に学んで来い」

 ジェリコは無言で頷くと、ドメニコとアンナに背を向けた。そして長年くぐってきたラ・メールの門を出たのだった。


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