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#11.幕開け

 ジェリコはダニエラに洗いざらい話した。

 アヤジとエメの二人組みのこと。自分に課せられた運命のこと。そのために周りを巻き込みたくないこと。ジェリコの言葉にダニエラは黙って耳を傾けていた。

「だから、僕は旅に出なければならない。ベルガモともお別れだ」

 ジェリコが言い切ると、ダニエラは閉ざしていた口を開いた。

「今言ったこと、本当なのよね」

「うん。僕が人の嘘を見抜けるのは、ダニエラもよく知ってるだろ」

「ええ。でも正直、信じられないわ」

 そりゃそうだろう。当の本人であるジェリコ自身、今でも信じきれていないのだ。蚊帳の外のダニエラにとっては、おとぎ話を話している様に聞こえていたかもしれない。

「そのアヤジっていう人、信じられるのよね?」

「少なくとも、嘘はつかない。ちょっと頭にくる性格をしているけど、根は真面目な人なんじゃないかと思う」

「そう」

 突然ダニエラは立ち上がり、

「やっぱり私じゃあどうにもできないのね、ジェリコ」

 俯いたまま言葉を繋げる。

「え?」

 そしてダニエラは寂しそうな目を潤ませながら、

「因果なものね、運命は」

 つぅ、っと涙を流した。

「ダ、ダニエラ?」

 ダニエラは涙を拭うと、再び椅子に座る。

「ごめん。取り乱しちゃった」

 ダニエラはいつもの微笑を浮かべた。だが今はその場しのぎの仮面にしか見えなかった。

「そうね。もう会えないわけじゃないものね」

「うん。旅に出るだけだよ。きっとすぐに帰ってこれるさ」

 ジェリコの言葉で、ダニエラの涙は再び頬を伝った。その姿を見ていたたまれない気持ちになったジェリコはつい謝ってしまう。

「なんだかごめん。やっぱろこんな話するんじゃ無かった」

 まさかダニエラが泣くとは。今までダニエラが泣いている姿なんて見たことが無い。ダニエラのジェリコに対する過剰反応は本当に驚かされる。一対何がここまでダニエラを突き動かすのか。

「いいの。よく分かったわ。なら、旅の準備をしないといけないわね」

「うん。でもその前にドメニコさんにも話しておかないと」

「そうね。父さんにも話しておかないと」

 そう言ってダニエラは頭を垂れた。繊細な前髪がはらりと波打ち、ダニエラの顔を隠す。

「ダニエラ。一つだけ訊いていいかな」

 ジェリコは表情の分からないダニエラの顔を見て言った。「いいわよ」とダニエラがくぐもった声で答える。

 ジェリコはごくりと生唾を飲み、

「ダニエラは、どうして僕に優しいの?」

 我慢ができなくなったジェリコはダニエラに質問をする。ダニエラはジェリコの言葉に何の反応を示さず、ただ絶望するように頭を垂れるばかりだった。

 一時、重苦しい空気が滞り、

「ダニエラ?」

 張り詰めた空気が途切れた瞬間、ダニエラは立ち上がった。そして顔を隠したまま、ジェリコに背を向けそそくさと二階へ上がって行く。

「ダ、ダニエラ?」

 ジェリコの言葉は空しく空気に溶け込んでいく。ダニエラは何も聞こえていないようにそのまま上がって行き、ジェリコの視界から消えた。

「どういうことだ……」

 やはりダニエラには何か秘密がある。ジェリコには言えない秘密が。

(だが、それを暴くのは――)

 人と安定した関係を続けるにはできるだけ過干渉を避けなければならない。無闇に人の心には踏み込んではならない。自分にされて嫌なことは他人にしてはならない。これらはジェリコが今まで生きてきた中で学んだ教訓である。

 それを今、ジェリコは自ら破ろうとした。今まで築き上げてきたダニエラとの絆を疑ったのである。それは場合によっては裏切りと同義であり、紳士としてあるまじき行為だ。

 それにダニエラはジェリコの話を理解してくれた。どんな心境で聞いてくれたのかよく分からないが、納得してくれたのだ。ダニエラにとってその決断は自分とジェリコの気持ちを天秤に掛け、その結果ジェリコに対してかなり譲渡したはずなのだ。それにも拘らず他人の心に土足で上がろうとするなんてありえない話である。今更ながらジェリコは大きな失態を犯してしまったのだ。

 おまけにダニエラに対して礼の一つもしていない。自分の欲求のままに突き進んだ愚かな結果がこれだ。思わず自分を殴りたくなる。

「まさかあんたがそうだったとはね」

 突然、ダニエラとは正反対の高飛車な声が、ラ・メールの広間に響いた。

 声のした方を向くと、朝日を背にして玄関に佇む人間がいた。

 身長はジェリコと一緒か少し低いくらい。三つ編みにした金髪と紺の外套が風に揺れ、少女にも拘らず腕を組む姿が妙に型にはまっている。

 ジェリコは驚きながら声を漏らした。

「君は、確か昨日の――」

「ええ。昨日あんたに道を教えてもらった通りすがりの旅人よ。文句ある?」

 少女は顎をあげて思いっきりジェリコを見下す。その冷たい瞳は玄関まで結構距離があるにもかかわらず、異様な気配を放っていた。

「ジェリコ・パブールォ。十五才。幼い頃両親に捨てられ、モンツァの孤児院で育つ。その後はベルガモの酒場で働き、日々を繋げている。栗色の髪と翡翠のような瞳を持ち、若くして洞察力、観察力に長ける」

 感情の無い声で少女はジェリコの素性を語る。異様な展開にジェリコ危機を感じとり、知らず椅子から立ち上がり身構えていた。

「一見変哲の無いただの人間に見えるが、体に流れる血液には強力な魔力を保持した遺伝子が組み込まれており、魔術の運行、実験に最適である……か。」

 まさか、この女の子……!

「なら、死んでもらうわ」

 少女が腕組みを解くと同時に、ジェリコは何も考えず左に飛んでいた。

 ととっ!

 先ほどジェリコが立っていたところに、細身のナイフが突き刺さっていた。しかもナイフには何か塗ってあるらしく、刃に触れた床が腐食し始めている。

「君は!」

「問答無用よ」

 言いつつ少女は立て続けにナイフを投げる。

 っひゅん!

 ジェリコは転がりながらナイフをかわしつつ、なんとか逃げられないかと思考をめぐらせる。

 酒場の唯一の出口は少女が塞いでいるから正面から出ることはできない。ならば窓からはどうだろうか。

 横目で窓を見てみると、間の悪いことにがっちりと鍵まで掛けて閉じられている。ラ・メールでは、窓を開けるのは最初に一階に降りてきたものが開ける決まりだ。今日に限ってジェリコが最初に降りてきたらしい。こんなことならすぐに開けておくべきだった。

「ちょこまかとしつこい奴ね。さっさと降参しなさいよ」

 ひゅひゅひゅ!

 苛立つ少女の手から、朝日を受けてきらめくナイフが風を切って飛んできた!

「危ない!」

 とととっ!

 咄嗟に近くにあった椅子を盾にしてナイフを防ぐ。ナイフが突き刺さる音と椅子が溶ける音が生々しい。あと一歩判断が遅ければ、ジェリコの顔面にナイフが突き立っていただろう。あまりにも唐突に訪れた死の恐怖に、どくりと心臓が波打った。

 それにしてもどうやら少女は策をじっくり考える時間は無いらしい。しかしそれは少女からすれば至極当然なことだ。立場が逆ならばジェリコも同じことをしているだろう。

 なんとか攻撃をかわしながら逃げ道を探すしかないのだが、唯一の出口を防がれていては手の打ちようがない。大声を出してドメニコを呼ぼうかと思ったが、そんなことをすれば被害が余計広がりそうなのでやめておく。

「ちぃ、護衛をつけてるなんてあんた結構抜け目無いのね。迂闊だったわ」

 突然少女は舌打ちをすると、話す方向を変更した。

「護衛?」

 玄関の方で人が走り去る音が聞こえてくる。話の流れからしてまさか少女が逃げていったのだろうか。

 そのまましばらく沈黙が辺りを包み込んだ。少女が攻撃してこないどころか人の気配すらない。

 ジェリコは勇気を出して椅子から顔を覗かせて、玄関の方を見てみた。

「!」

 玄関には見覚えのある姿があった。全体的に黒く、精巧に作られた人形のように無機質な表情。人形ならば人の気配がしなくて当然である。だが視線の先にいる者は人間であるにも拘らず、気配を感じさせない存在だ。姿かたちをこの目で捉えていてもなお、彼女が発する気配とはその辺にある無機物そのものだった。

 玄関に佇むものは、アヤジの妹エメだった。

「……」

 外を見ていたエメはジェリコの視線に気がつくと、その黒い瞳を真っ直ぐにジェリコに浴びせてきた。その体の芯まで凍らせるような揺ぎ無い視線に思わず体が硬直してしまう。

 そのままエメはジェリコのところまで歩いてきた。途中、床に刺さったナイフを無表情に抜いて懐にしまう動作が余計に機械を連想させ、ジェリコは本当にエメの存在が恐ろしくなった。

「……」

「あの、ありがとう。助けてくれた……んだよね」

 ジェリコの言葉はちゃんと耳に入っているのだろうか。エメは無言でジェリコを見下している。

 近くで見るエメは遠目の時よりも一際不気味な気配を放っていた。綺麗なんだけど不気味。一瞬そういうテーマで絵を描いたら面白いものが描けそうだとジェリコは思った。

「……」

 突然エメは顎をしゃくった。顎を上げろといいたいらしい。

 ジェリコが顎を上げると、今度は頭を掴まれた。そして無造作に髪を触り、次に肩や胴を触られる。持ち物検査をされているようだ。正直気持ちのいいことではないが、逆らうとまずい気がするのでされるがままにしておく。

 ひとしきり体を触った後、エメは満足げに頷いた。今更気づいたが、どうやら怪我をしていないか確認していたらしい。

「……」

 怪我の有無を調べた後、用は済んだとばかりにエメはジェリコに背を向けた。そしてそのまま玄関の方へ歩いていく。

「あ、あの」

「……」

 ジェリコの声に反応してエメは足を止める。だがすぐさま歩き始め、そのままラ・メールを出て行った。

 後に残されたのは、ジェリコと少し散らかった広間のみである。さりげなくエメはナイフを全て回収し、戦闘の痕跡を最小限に抑えてくれていた。実に合理的な行動である。ますます機械を連想させる。

「……ふぅ」

 思わずジェリコは椅子に座り込んだ。そして数分前の出来事を振り返る。

 僅かな時間ではあるが、ジェリコは命の危機に瀕した。まさかあの少女がジェリコの血を狙う刺客だったとは。昨日道で会った小さな通行人に命を狙われたのだ。正直信じられない。しかしこれから今見たいのことが当然のように起きるのだ。これくらいでくたびれていては命がいくつあっても足りやしない。

「いや、そんなことよりも」

 考えなければならないことがある。なぜ昨日道で会った少女が先ほどやってきたのか。それから彼女は手を組んでいる人間がいるのか。

 まずは最初の疑問だが、おそらく彼女は昨日の段階でジェリコがどこに住んでいるのか知らなかったのだろう。昨日彼女は酒場の場所を聞いてきた。彼女はジェリコが酒場で働いていることを知っていてもどの酒場で働いているか知らなかったのだ。おそらくベルガモの全ての酒場を回るつもりでいたのだろう。

 ならばなぜ「ジェリコという少年が働いている酒場はどこだ」と尋ねなかったのか。

 おそらくできるだけジェリコという言葉を使いたくなかったのだ。彼女や刺客にとってジェリコの血は金銀財宝と等しい価値がある。ならば宝の鍵であるジェリコの血はなるべく穏便に手に入れようとするはずだ。できるだけ周りに気づかれないようにひっそりと。

 そういう心理状況だったとすると、「ジェリコ」という単語はできるだけ出さない方がいい。ましてや「ジェリコという少年が働いている酒場はどこだ」なんて人に尋ねるのはある意味自殺行為だ。もしその場を同業者に聞かれたり目撃されれば、手を組んでいない限り同じ宝を狙うものとして彼らは黙っているわけにいかないだろう。邪魔者はできるだけ排除するに限る。ましてや物騒極まりないものを求めている連中だ。一戦交える事態になるだろう。

 故に彼女はたくさんの人が出入りし、情報も錯綜する酒場で聞き耳を立てることにした。ジェリコの姿やベルガモの酒場で働いていることはすでに知っているのだから、運がよければその酒場でジェリコを発見することができるかも知れないのだ。しかもジェリコはベルガモでそこそこ有名なのだ。自慢ではないが酒場の話の種くらいにはなるだろう。

 それから道で会ったとき、彼女はすでにジェリコのことを気づいていた可能性は無い。それは先ほどの言動に裏付けられている。彼女が話す言葉に嘘は一言も無かったから確実だ。

 次に彼女が一人なのか複数の人間と手を組んでいるかどうかだが、現時点では一人の可能性が高い。手を組んでいるのなら現場に二人いないとおかしいからだ。ジェリコを始末するのは彼女一人で他がその補助をするという作戦だとしたら、エメと戦っていないとおかしい。その様子が無かったのだから、あの場には彼女一人だけだったはずだ。つまり、彼女は一人でジェリコの命を狙っている。現段階では分かるのはこれくらいだろう。

 最後になぜあの場にエメがいたのかが気になるが、こればっかりは考えようが無い。ジェリコは常に監視されているのかもしれないが、常に監視されているのならすぐに助けてくれてもよさそうなものだ。それがなかったのだからたまたま居合わせたのかもしれない。この件については後に聞いてみることにする。

「なんにせよ、早く街を出ないとまずいな」

 このままだと周りに多大な迷惑を掛けてしまう。ダニエラのことが気がかりだが、そんなことを言っていたらダニエラを危険に曝してしまう。疫病神はさっさと去るのが得策だろう。

 そのためにはドメニコに事情を話して無理やりにでも旅に出る許可を貰わなければならない。「しかしその前に、ドメニコが起きるまで一階の掃除だ」

 命を奪われそうになった割には戦いの痕跡は極めて小さい。椅子やテーブルを元に戻せばそう簡単に怪しまれることは無いだろう。

 ジェリコは一人立ち上がると、散らかった椅子やテーブルの整理を無言で始めた。

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