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サスペンスからファンタジーへ


 四時間目が終わって、泉は大きく伸びをする。

 生物の授業はひたすら先生の話を聞くだけだからなかなかきつい。しかも先生の声がまたゆっくりとしたもので、子守唄にはちょうどいいと評判の代物だった。

 とはいえ昼食後ではないだけまだマシなのかもしれない。お腹が満たされたあとだったら、きっと睡魔には勝てなかった。


「眠そうだね、もしかしてまだ具合悪いの?それとも夜更かしでもした?」


「雪ちゃん、」


 同じクラスの友人が泉の席までやって来て、笑う。「それかとうとうチャッキー人形にでも襲われた?」と。

 そう揶揄う彼女は泉の部屋にも来たことがある。その時には『こんな部屋には男も呼べないね』とダメ出しされた。アナベル人形もチャッキーも、女子高生の趣味じゃないらしい。

 雪は続けて、「あんな部屋じゃ安眠できないと思ってたんだよ。体調崩したのもそのせいじゃないの?」と言った。……チャッキーはあれで結構、可愛いところもあるのに。


「そういうんじゃないよ。ただ寝つけなかっただけ」


「なんだ、残念」


「もうっ、雪ちゃんったら酷いなぁ」


 でも彼女は友だちだから、そんな揶揄いにも傷つくことはない。

 ──以前幼馴染みに『可愛くない趣味』と言われた時は少し、悲しかったけれど。


「その様子じゃ生徒会長とも進展はなかったみたいだね。一緒に登校してくるなんて何かあったのかと思ったのに」


「あはは……」


 しかし続く言葉に内心ぎくりとする。

 生徒会長──芳野薫。本性を知らない生徒たちには尊敬と憧憬の的となっているそのひと。彼に関することはすぐに噂となって校内を駆け巡った。


 ──深く考えず一緒に登校してしまったが、まさかこうも尾ひれがつくとは。


 学生たちの娯楽に対する飢えを見誤っていた。

 どこをどう曲解したのか、付き合っていると解釈した生徒までいる。幼馴染みと付き合っていたんじゃないのかと聞かれることまであって、朝から居心地が悪い。

 尤も、この手の関心などすぐに薄れるだろうが。


「でも他の男に目を向けるのはいいことだと思うよ。特に泉みたいな子にとってはね。幼馴染みしか知らないなんてもったないと常々思ってはいたんだ」


 「せっかく可愛いんだし」雪はそう言って、泉の頬をするりと一撫で。慈しむような目で見つめられ、泉は体を縮めた。


「……可愛いなんて。そんなこと言ってくれるの雪ちゃんくらいだよ」


 癖っ毛は湿度の高い日に大爆発を起こすし、大きく丸い目は子どもっぽく見られる原因のひとつだからコンプレックスですらある。

 思えば小さい時は男の子にいじめられていたし、可愛いと言ってくれるのは家族くらいなものだ。幼馴染みにだって『どんくさい』とか『間抜け面』だとかしか言われたことがない。

 ……改めて思い返すと、なんだか悲しくなってくる。悲しいほどに脈なしだ。

 だから諦めがついてかえってよかったのかもしれない。


「でも誠くんのこと吹っ切ったのは本当。他の誰かを好きに……っていうのはまだ難しいけど」


 穏やかな気持ちで打ち明ける。

 すると雪は「……そっか」と静かに答えて、泉の頭にポンと手をやった。

 お疲れさま、よく頑張ったよ。そんな労いの言葉が掌から伝わってくる。悲しくないのに、泣いてしまいそう。


「詳しく聞きたいところだけど、今はやめとくね。落ち着いたらまだ聞かせてよ」


「うん、ありがとう。その時はよろしくね」


「任せて、愚痴ならいくらでも付き合うよ。あと結城をぶん殴るのも」


「そ、それはとりあえずいいかな……」


 雪ちゃんも結構物騒なこと言うなぁ。

 泉が口許を引き攣らせたところで、「九条さん」と呼ぶ声が聞こえてくる。それは本来この教室では聞こえるはずのないもので。

 声の主は出入り口に立って、ちいさく手を振っていた。


「お昼、一緒に食べない?」


 『なんでここに生徒会長が』『幼馴染みから乗り換え?』『やっぱり噂は本当だったんだ』……そんなざわめきを背に、泉は天を仰ぐ。


 ──どうやら噂は当分収まってくれそうになかった。






「ごめん、迷惑だったかな」


 中庭のベンチに座ると、心底申し訳ないといった顔の先輩に謝られた。

 時々理解不能な言葉を発するが、常識がないわけではないのだ。周りの反応もよくわかっていて、「まさかここまで騒がれるとは思ってなかった」と柳眉をひそめた。

 だから泉もあんまり文句は言えない。


「私は気にしてませんから、先輩も気にしないでください」


「でも、」


「もうこの件に関してはおしまい、終了です。これ以上は言いっこなしですからね」


「……わかったよ」


 たしかに変に注目を集めるのは本意ではないが、生き死にの前では些末ごと。

 「それより自分が生きるか死ぬかの方が私にとっては重要です」泉は購買で買ったばかりのサンドイッチを嚥下して、拳を握る。

 ここまで来る途中も散々だった。廊下の電球は爆ぜるし、割れた窓ガラスが降ってきたこともあった。泉は何もしていないのに。なのに歩く災厄と化してしまったらしい。

 『ファイナル・デスティネーション』の世界だったらとっくに最初の犠牲者となっていただろう。まったくもって嬉しくない。どうせ映画の世界に入るなら、もっと健全な作品がよかった。これからはディズニープリンセスを目指そう。

 ……生き延びることができたら、の話だけど。


「正直、呪いだ魔法だ超能力だというのは信じられないんですが……。今朝から続く不運も誰かが仕組んだことなんですよね?」


 繰り返される一週間を除けば、泉の日常は平凡そのもの。ファンタジー要素の欠片もなかったし、幽霊を見た経験すらない。そんな退屈ともいえる人生だった。

 だから「不運というか、呪殺だね」と訳知り顔で言われても、『そうなんですか』と頷く他ない。陰陽師みたいなものかな、と昔観た映画を脳裏に浮かべるくらいだ。

 でもこの思考回路のぶっ飛んだ先輩にとっては超常現象なんて、しごく身近な存在らしい。授業の話をするみたいな真面目くさった顔で呪いだなんだと口にする。


「どうやら君の死を願っている者がいるらしい。たぶん九条さんじゃなかったらあの程度の不運では収まらなかったんじゃないかな」


「私じゃなかったら……?」


「九条さんは、特別だから」


 ……答えになってませんが。

 泉は眉根を寄せて、隣に座る先輩を見上げる。微笑みをたたえたまま、口を噤んだ彼を。

 物言いたげな、或いは意味深長な。そんな目で見つめ返してくるのに、薫はそれ以上を語ろうとはしなかった。


 九条さんは、特別だから。──それは本当に私を指した言葉なのだろうか。


 泉は何となく、『違うんだろうな』と思った。深い理由はない。強いて言うなら直感だ。


 彼が言った【特別な九条さん】はきっと、私の知らない【九条泉】なのだろう。……だからといって別に、どうということもないけど。ちょっとばかし悲しいなんて、思ってもないけど。


「まぁ九条さんはあんまり気にしなくてもいいよ。こんな風に、」


 びゅんっと、鋭い風が吹き抜ける。そんな感覚があったあと、いつの間にか薫の手にはサッカーボールが乗っかっていた。


「君のことは俺が守るから」


 危うく正面衝突するところだった──

 泉が理解したのは、既に薫がボールを投げ返したあとのこと。危機が去ってから冷や汗が背中を伝う。


 ──こんなの、命がいくつあっても足りないでしょ!


「お父さんお母さんお兄ちゃん、先立つ不孝をお許しください……」


 両手を合わせていると、「もう諦めちゃうの?」と顔を覗き込まれる。その目には日の光だけではない輝きが宿っていた。


 ……なんでこのひと、ちょっと嬉しそうなんだろう。


「死ぬ気ならいつでも言ってね。君を殺してあとを追う用意はいつでもできてるから。その最期も、残される亡骸も、何もかもぜんぶ、俺以外に渡しちゃダメだよ」


 なるほど、そういうことか。


「ありがとうございます。俄然生きる気力が湧いてきました。やっぱりこんな訳のわからない理由で死ぬなんて、死んでも死にきれませんから」


「君が化けて出るっていうならそれもなんだか楽しそうだね。幽霊になったら俺に取り憑いてね、約束だよ?」


「いえ、私は天国に行くつもりなので……そういうのはちょっと、」


「そっか、残念。まぁでも、君がいるなら天国でも地獄でも来世でも、どこまででも着いていくよ」


「壮大なストーカー宣言ですね……」


 やっぱりこのひとは別次元の存在だ。

 つくづくそう思い、泉は溜め息をつく。

 おかしな話ばかりしていたから昼食を味わう余裕もなかった。せっかくお高めのフルーツサンドを買ったのに、挟んであったマスカットの味すら思い出せない。先輩の話だけでお腹いっぱいだった。


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