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私が殺される七日目の朝Ⅱ


 ──どうしてこんなことになったんだろう。


「なんでも好きなの選んでいいよ、九条さん。俺が払うから」


「はぁ……、いえっ、そこまでしていただくのは!」


「遠慮しないでいいのに」


 本当に、どうしてこんなことになったのか。

 向かいの席で「優しいなぁ」と目を細める先輩──芳野薫には気づかないふりをして、九条泉はメニュー表に視線を落とす。

 クラシックの落ち着いた音色も耳に入らない。泉の頭を占めるのは、どうしてこんなことになったのかという嘆きばかり。どうしてこんな──殺人鬼を自称する先輩と喫茶店でお茶をするはめになったのか。

 河川敷で驚天動地の告白を受け、そのままあれよあれよという間に流されてここまで来てしまった。授業はとっくに始まってしまっている時刻。そんなことにさえ今ごろになって気づく。

 生徒会長がサボりなんていいのだろうか。泉は考え、すぐに内心で首を振った。

 ……それ以前に、このひと殺人犯なんだった。一応、この世界では前科はないらしいけど。


「九条さんは今、どんなことを考えているのかな」


 見透かしたみたいな台詞に、泉は内心震え上がる。

 驚いた。このひと、心まで読めるんだろうか。前世の記憶があるらしいから、何ができても不思議じゃない。


「もしかして、幼馴染みの彼のこと?」


「いえ、先輩のことですが……」


 長めの前髪のせいで、薫の目にまでほの暗い影が落ちている。お陰で感情が読めない。

 このひとは何を考えているんだろう。泉にはさっぱりわからない。わからないから、幼馴染みのことなんて考える余裕もなかった。あんなに悲しかったはずなのに。今はもう、目の前のこのひとのことで頭がいっぱいだ。

 そう、素直に告げると。


「……そっか」


 たちまち崩れる相好。蕩けるような視線に、はにかむ唇。

 「嬉しいなぁ」その呟きが聞こえずとも、喜びに溢れているのだと一目でわかる表情。『好きだ』と言ったのは嘘じゃない。それが嫌でもわかって、泉は視線をさ迷わせた。

 男のひとに告白されたのははじめてだ。何せいつもいつも幼馴染みの誠と一緒にいたから、他のひとのことなんて考えもしなかった。そんな泉だったから、薫の飾らない言葉は刺激が強すぎた。


「……最初から、そう言ってくれればよかったのに」


 独り言のつもりで呟く。

 けれど「でも九条さんは幼馴染みの彼しか見てなかったでしょう?」と返され、喉の奥で呻いた。

 ……たしかに否定はできない。繰り返す死の記憶と自分以外と結ばれる幼馴染みの姿を知らなければ、誠のことが好きなままだったろう。今の泉からすると、その感情すらどこか遠いものだけど。


「そうかも、しれませんけど……。でもっ!正直に打ち明けてくれてたら私だって……」


「……ごめんね」


 苦し紛れの反論は、謝罪の言葉によって封じられた。


「信じられなかったんだ。君が俺を選んでくれるなんて。その可能性があることすら信じられなかった。いつの時代も、君は彼を選んだから」


 芳野薫は。頭のおかしい殺人犯のはずの彼は、どこか悲しげにわらった。


「きっと彼が君の運命なんだろうね」


 ……これは、自嘲の笑みだ。

 咄嗟にそう思って、泉の胸は痛んだ。

 後悔、しているのだろうか。泉の知らない前世の【九条泉】を殺し続けたことを。本当は殺したくなんかなかったのだろうか。一緒に生きたいと、思ってくれていたのだろうか。


「……そんなこと、ないですよ。私は、誠くんの運命のひとにはなれなかった」


 かわいそうに。かわいそうな、私とあなた。

 泉は苦笑した。運命のひとなんて、最初からいなかったのかもしれない。そうだと思い込んでいただけで。

 だとしたらなんて滑稽なんだろう。当たり前だと思っていたものの、なんと不確かなこと。なのにそんなものに縋って今まで生きてきた。他の誰にも目もくれず。


 私なんて、誠くんにとっては選択肢のひとつにすぎなかったのに──


「そう。そこが不思議なんだ」


 難しい顔をする薫につられ、泉も居住まいを正す。


「俺は幾度となく君を殺してきた。それは確かだ。でも九条さんを殺した記憶は一度もない。なのになぜ、九条さんにだけ繰り返しの記憶があるんだろう」


「うーん……」


 それは泉自身引っ掛かっていたことだ。

 どうして突然思い出したりなんかしたのだろう。知らないままならよかった──とは思わないけれど、でも原因がはっきりしないと何だか据わりが悪い。

 かといって、心当たりなんてものもなく。


「先輩にわからないならわかりませんよ。私、平凡な一般人ですから」


「謙虚だね。君は世界で一番可愛いひとなのに」


「……先輩は趣味が悪いです」


 たぶん、きっと。そうじゃなきゃ説明がつかない。それか繰り返す時間の中で目が曇ってしまったか。

 先程とは違う意味で『かわいそうに』と泉は思う。思うけれど、それすらも見透かしたように微笑まれ、それ以上の否定は諦めざるをえなかった。


「さて、これからどうしようか」


 注文したコーヒーが届く頃、薫は口を開く。


「これから?」


「そう、これから。今日一日を生き延びるために、君はどう行動する?」


 「君が俺以外に殺される可能性なんて、あんまり考えたくはないんだけど」そう続けられ、泉は手を滑らせる。

 コーヒーの中に沈むのは予定よりもずっと大きな砂糖のかたまり。けれど今はそれ以上に気にしなければならないことがある。


「えっ、私、先輩以外にも命を狙われているんですか!?」


 いや、そんな、まさか。

 これでも一応、品行方正に生きてきたつもりだ。特別裕福な家系に生まれたわけでもなければ、有名人なわけでもない。河川敷でだってその話はしたはずなのに。


「可能性の話だよ。俺だって俺以外に殺される君のことなんか想像したくもない」


「や、誰にも殺されたくはないんですけど」


「けど確証はないんでしよう?九条さんは犯人の顔を見ていないようだし」


「……そういえば」


 そうだった。泉の記憶に残るのはフードを目深に被った人影と、『すまない』という言葉のみ。あとの景色は遠のいて、そこで泉の意識は途切れている。

 だから手がかりなんてものはなく、芳野薫が『九条泉を殺したいほど愛している』と自白したものだから、てっきり彼が犯人とばかりに思い込んでいたけれど。


「……私、すっかり解決した気になってました」


 そういえば、泉を殺そうと思うなら薫にはいつだってチャンスがあった。それこそ、先刻の河川敷でだって。

 けれどあの時、殺気は感じられなかった。殺そうという、素振りすら。


 ……ということは、まさか。まさか他にも、彼のようなひとが?


 なんてことだろう。泉はすっかり気落ちして、溜め息をつく。

 ぐるぐる、ぐるぐる。かき混ぜられるコーヒーはしかし、砂糖を溶かしきってはくれない。最早手の施しようがなかった。


 ──けれど。


「それ、交換しようか」


 薫はコーヒーカップを指し示す。泉の手の中で、無惨な姿へと変えられたそれを。


「砂糖、入れすぎちゃったんでしょう?ちょうどよかった。俺のはまだ、何も手をつけていないから」


「いえ、さすがに……。その、入れすぎにもほどがあると言いますか、ちょっと人に差し上げるような代物ではないというか、」


「いいよ。俺、甘党だから」


「え、ええ~……」


 ちょっと、と止める間もない。泉のコーヒー(だったもの)は取り上げられ、代わりのものを渡される。言葉通りの、ブラックコーヒーを。

 対して、薫は砂糖のかたまりが沈殿するカップに口をつけた。そんなの、美味しいはずないのに。なのに彼は平気な顔をして飲むから、泉は何も言えなくなってしまう。


「九条さんのことは守るよ。俺が、絶対に。他の誰にも殺させやしないから。……だから俺以外には殺されちゃダメだよ」


「……はい」


 後半の台詞さえなければ完璧なのになぁ。

 そんな下らないことを考えてしまうのは、頭が現実逃避を始めている証拠なのかもしれなかった。


「相手がわからない以上、こちらは待つしか手はないだろうね」


 まぁ、そうでしょうね。

 コーヒーを一杯飲み終える頃には泉の焦りもだいぶ引いていた。

 というかもう、なるようになれといった気分だ。どこからでもかかってこい。……いや、やっぱり殺されるのはもう二度と勘弁願いたいけど。

 死ぬのは百歩譲っていいとしても、痛いのだけは嫌だ。できれば苦しくない殺し方をしてほしい。


「そういえばこんな映画もありましたね。主人公の女子大生が死の当日を何度も繰り返しながら、自分を殺す犯人を見つけ出すっていう……」


「へぇ、そうなんだ」


「タイトルがまぁふざけたものなんですが、中身はちゃんとしてるんですよ。私も思ってた以上にハマっちゃって……」


 公開されたのは二、三年ほど前だろうか。低予算のふざけた映画かと思って期待せずに観たけれど、終わってみれば笑いあり涙あり。完成度の高い映画だった、とBlu-rayまで買ってしまった。

 「本当に、おすすめの映画なんです」泉は拳を握り、力説する。


「主人公は最初、ちょっと嫌な感じの女の子なんですけどね、でも途中から自分を見つめ直して……最後には大事なものを見つけるんです」


 ──本当に、いい映画だった。

 そこまで言って、泉は『はた』と我に返る。

 向かいに座る薫の、なんと微笑ましげなこと!幼い子どもを見るかのような眼差しを受け、泉の頬に熱が集まる。


「す、すみません……。関係のない話でした……」


 これは羞恥だ。恥じらいだ。どうしてこう……好きなことの話となると、途端に口が回るようになるのだろう。普段はどんくさい方なのに。

 オタク気質の血は兄だけでなく妹の私にもしっかり受け継がれているのだ。泉は痛感し、顔を覆う。

 穴があったら入りたい。

 ……いや、もういっそのこと埋まってしまおうか。


「どうしてやめるの?九条さんの好きなもの、俺はもっと知りたいな。こういう話はしたことなかったし」


 指の間から窺い見ると、彼は相変わらずの微笑を浮かべていた。その目に呆れの色はない。普通、興味のない話をされたら少しはその感情が滲み出るものなのに。

 なのに彼は心底から楽しげで、泉はなんだか居たたまれない気持ちになる。先程とは、また違った意味で。


 ──そうはいっても、その違いがまたわからないのだけれど。


「ありがとうございます……。でも意外でした、先輩はこういった流行にもお詳しいのかと」


「ごめん、そういうのよくわからなくて……。でもこれからは勉強するね。まさか九条さんと

こんな風に……趣味の話までできるようになるとは思わなかったから」


「そういえばそうでした。先輩のご趣味って何ですか?」


「趣味……思いつかないな。いつも九条さんのことを考えているから」


 あ、そういうのはもう結構です。


「そういうのはもう結構です」


「あはは、だいぶ肩の力が抜けてきたみたいだね」


 ……しまった、心の声が。

 だいぶ失礼なことを言ってしまった。泉は冷や汗をかくが、気分を害した様子は見られない。

 泉の知る、昨日までの【芳野薫】も鷹揚とした人だった。頭もよくスポーツもできるのに気取ったところのない、王子様のような先輩。憧れの生徒会長は心も広い。完全無欠のひと。

 そこに今日、殺人犯(予定)という属性まで追加されたが、だからといって前述の長所までは失われなかったらしい。


 こんなにまともそうなのに、どうしてひとを──私を殺すんだろう。


 泉にはさっぱりわからない感覚だった。


「そうだ!映画、映画を観ませんか?どうせ待つしかないんですから、気が紛れることをしたいです」


「いいけど、映画館は暗いし危なくない?いや、もちろんどんな場所だって君のことは守るけど──」


「ええ、ですから私の家で。それなら他のひとを巻き込む危険も少ないでしょう?幸いうちの家族はみんな出払っていますから」


 そういえば『最終絶叫計画』では映画館で殺されるシーンもあった。あれは笑える場面だったけど、でも実際映画館のような暗所で狙われたらひとたまりもないのは泉にもわかっていた。

 だから家で、と泉は言った。我が家なら間取りもよくわかっているから、万一襲われても対処しやすいだろう。

 『ホームアローン』的な。むしろ『キッズリベンジ』的な?──そんなことを考えるまでになったのは、冷静になれたからと言っていいのか。それとも自棄になってるだけなのか。

 「罠とか仕掛けるべきでしょうか」そう続けてから、泉は向かいから声が返ってきていないことに気づいた。


「芳野先輩?」


「ああ、いや、……そうだね、その方が安全かもしれないね」


 なんだか様子がおかしい。

 いや、元から──殺人の告白をする時点でおかしいことはおかしいのだけど。でもこれはそういう類いのおかしさではない。挙動不審という意味だ。

 声は急いた調子だし、何より視線が合わない。意味もなく右から左、泳ぐ目に、泉は首を傾げる。


「気乗りしないなら他の場所でも構いませんよ?」


「気乗りしないってわけじゃないけど……その、自宅訪問というのは少し急すぎやしないかな?」


「急……?」


「俺としてはもう少し段階を踏んだ方がいいんじゃないかと思ってね。ほら、交換日記とか、そういうのから始まるものだと思っていたから」


「なるほど……?」


 相槌は打ったけれど、理解できたかはまた別の話。なるほどと言いながらも泉の頭は薫の言葉を処理しきれていなかった。


 ──いや、交換日記って。


 今どき小学生だってやっていないんじゃなかろうか。というか人は殺せるのにその相手の自宅に上がるのはアウトなのか。殺す方がよっぽどアウトだろう。世間的にも、倫理的にも。

 それともまさかツッコミ待ち?ウケ狙い?……のわりには表情がおかしい。照れているのは、頬が赤みを帯びていることからも察しがつく。


 ということはこのひと、本気で言っているのか。


 泉は宙を仰いだ。

 ひとを殺すのには躊躇いがないのに、どうして変なところで奥手なんだろう。紳士的なのは悪いことではないけれど。


 ──そういえば誠くんは手が早かったなぁ。


 思い出さないようにしていた平行世界の記憶がいやでも脳裏をよぎる。

 【死にゲー】だから仕方ないのか、繰り返されるのは一週間だけだからか。結ばれたその日にすぐ……だった気がする。他の女の子とはどうだったか知らないが、似たようなものだろう。記憶のない過去の泉は流されてしまったが、今なら絶対あり得ないことだ。

 というか、正直がっかりしている。幻滅した理由のひとつといってもいい。


「……いいかもしれませんね。交換日記、素敵だと思います」


 だからなんとなく微笑ましい気持ちになって、泉は口許を緩めた。


 殺人犯だけど、私を殺そうとしたひとだけど、でも今の私を理解してくれるのは目の前のことひとだけなんだ。

 損得勘定抜きに守ると言ってくれた。私だけを愛しているとまで言ってくれた。 

 ならば私も歩み寄るべきだろう。その心を理解できたなら──新たな道が拓けるかもしれない。


 そう思った。


「でも先輩、それじゃあ夜はどうやって私を守るつもりだったんですか?」


「そりゃあ、ベランダでも借りようかと」


「うちの、ですか?え、私は自分の部屋にいるのに?」


「うん。九条さんはいつも通りの生活をしてくれればいいよ」


「えええ……」


 先輩をベランダに立たせて、自分はベッドでぐっすり……なんて、どんな悪女だ。最低だ。神経が図太いとかそういう次元の話じゃない。

 仮に薫がそれを望んだとしても、泉にはとても受け入れられなかった。安眠は不可能だ。そもそも誰かに殺されるかもしれないのに呑気に熟睡なんて──できるわけがない。


「ダメです、ムリです、却下です。先輩が徹夜するなら私も眠りませんし、外で待つと言うならどこまででもお付き合いしますから」


「でも身体を冷やすのはよくないよ」


「生きるか死ぬかの瀬戸際で気にするところがそこですか。それなら先輩の方が我慢して、うちに来てくださいよ」


 押せばいける。そう踏んで、泉は身を乗り出した。

 「ね?」薫の手を握り、その目を覗き込む。榛色の、澄んだ瞳の色を。じっと見つめると、──「あれ、先輩?」


「先輩?あの……、え?もしかして固まってる?」


 反応がない。眼前で手を振っても、耳許で呼び掛けても、表情は凍りついたまま。

 紳士的な殺人鬼は、どこまでも初心(うぶ)だった。


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