三十年過ぎれば
2話目になります。
色褪せたバスが、ガタガタと音を立てながらゆっくり遠ざかって行く。停留所に残された男女、アヤカとレンは都心から電車とバスを乗り継いでやってきた。
「まだ意外と寒いね」
「そうだな」
まだ肌寒さの残る6月の海に二人は立っている。ここは、人気はイマイチと言われている海水浴場で、有名どころに比べると物足りない広さの砂浜と、端を見渡せばところどころに岩場が確認できる。
もう少し暖かくなってから来ればいいのに、とレンは少しだけ不満を覗かせながらも、いつものようにウキウキした様子のアヤカを見て小さく溜息を一つつき、気持ちを切り替える。
「海は、妖怪の宝庫だからね。今回こそ何か収穫があるはず!」
「向こうに命を収穫されるかもしれないけどな」
「上手いこと言うね。けど話せば分かってくれる!」
「その自信はどこから来るんだ?」
海の妖怪に関する伝承では、人間に対して害をなす存在が多い。人間に対する強い恨みや怨念により生まれたといわれているものが多いからだ。実際に被害にあった者が命を落としていることも少なくない。
「とはいえ、ただ海に来ただけだと遭遇する可能性は低いと思うぞ」
「もちろん熱烈に遭遇を希望してる妖怪はいるけど、補欠でも全然オッケー!」
「野球のドラフトみたいに言うな」
会ってみたいという希望の基準が、レンにはまったく分からないのだが、考えるだけ無駄だと割り切って今後の行動について聞いてみる。
「まずは、岩場の方にでも行ってみるか?」
と、アスカに聞いてみたところ
「まずは、海に入るに決まってるでしょう。このバカチンが!!」
と、某先生のモノマネで返されてしまった。
次の瞬間、アヤカはスニーカーと靴下を素早く脱ぎリュックに詰め込むと、ズボンの裾をまくり上げて海に猛ダッシュして行く。
そのまま波打ち際に立ち、潮が引くときに砂が持って行かれる感覚を楽しんでいるようだった。
「ふぅ~!気持ちいい。まだ水、冷たいけど気持ちいい~。」
「楽しそうでなによりだ」
ゆっくり歩いてきてアヤカの側まできたあと、レンは海に手を沈めて水温を確かめる。とてもまだ泳いだりできる温度ではない。
「レンは入らないの?海」
「タオルとか着替えを持ってきてないんだよ」
「そっかー。一人だけ楽しんじゃって悪いね。ところで、着替えじゃないならそのリュックの中身は何なの?」
「後で分かるよ。使わないかもしれないけど」
「ふーん」
その後、気の済むまで波打ち際で遊んだアヤカの、「お昼ご飯にしよう!」という提案を受け入れランチタイムに突入。
今日の弁当は、行き先に合わせたのか海鮮丼で、言うまでもなく美味かった。現代の保冷技術は素晴らしい。海を見ながらの食事は格別だった。
「どう?美味しい?」
「凄く美味い」
「海鮮丼は魚の鮮度が重要なんだよね。買うときから料理は始まってるのだ!そう言われると苦労した甲斐があるってもんよ」
「素直に凄いと思うぞ」
「へへへ。はい。お味噌汁もどうぞ」
「ありがとう」
魔法瓶から注がれた、味噌汁をすすりながらレンは思いにふける。アヤカの味噌汁美味すぎるな、と思いながら。
『今回、来た場所からして、アヤカのターゲットはあの妖怪だと思う。伝承通りなら出逢ったとしても特に危険はないかもしれないな』
「レン、それ飲み終わったら本格的に探索開始するよー」
その声で我に返ったレンは、少しぬるくなった味噌汁をきれいに飲み干すと、手を合わせたあと、ゆっくりと探索の準備を始めた。
レンの予想通り、アヤカは岩場の方に行ってみようと言い出した。ゴツゴツとして苔で滑りやすくなった岩場を踏み外さないよう慎重に進んでいく。気が付けば、砂浜からかなり離れた遠い岩場の奥まで移動していた。
「あそこに洞窟みたいなのがある!!妖しさ満点、ビンビン感じる。行ってみよう!」
アヤカの指差す先には、人が二人並んで通れるくらいの広さがありそうな洞窟が口を開けている。確かに凄く怪しい雰囲気はあるのだが、レンは妖怪レーダーや霊感など装備していないごく普通の高校生なので、何も感じない。
ちなみにアヤカの言っている『ビンビン感じる』も実は何の根拠も無い。過去の探索でも毎回のように聞くフレーズなのだが、レンが実際に妖怪の姿を見たことがあるのは全然違う場所である。
「逆に言うと、ビンビンスポットは安全とも言えるんだけど」
「何か言った?」
「こっちの話だよ。とりあえず行ってみようか」
「そーしよー♪」
ライトを付けて洞窟の中を進んでいくと、五分位ですぐ行き止まりだった。その行き止まりは天井も高く、円形に広がっていて、中央に直径2メートルほどのきれいな水たまりのようなものがある。
水たまりをよく見ると、微かに水位が上下している。どうやら外の海とつながっているようだ。その水位もかなりギリギリであと少し潮が満ちたら洞窟の中に海水が侵入するだろう。
「凄いねここ。自然にできたのかな?」
「多分、人工的なものじゃないか」
「この水たまりみたいな穴は、流石に自然にだろうね」
「これは、人には作れないと思うけど」
「ちょっと神秘的だね。ずっと見ていたくなっちゃう」
「確かにな。けど、これ以上ここに居たら、潮が満ちてきたとき命に関わる。戻るなら早く行かなきゃ」
「今でも結構ギリギリだもんね。名残惜しいけど戻ろうか」
二人が元来た道を戻ろうかと、水たまりに背を向け歩き出そうとしたときだった。
「うわっ!!何っ!?」
アヤカが大きな声をあげた。
「どうした!」
焦ってアヤカの方に目をやると、アヤカの服の裾を咥えて、一生懸命に水の中に引っ張りこもうとしている生き物が…
「イルカ!?アヤカ大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない!半端なく力強いー!」
「かなりツルッとしてて、かわいいなイルカ」
「いや!見た目はそうだけど、早く!助けて!引っ張られる~!!全然離してくれない~!」
『羨ましいな…イルカとのじゃれ合いなんて一生の思い出になる。』
レンは一瞬そんなことを考えたものの、このままではまずいと思い直し、二人がかりで無理やり口を開いて引き離すべくイルカに近づこうとしたその時、
「キュイ!」
と鳴いたかと思うと、体を激しくくねらせてイルカが暴れ出した。
『しまった!俺が近づいたから興奮したのか。嫌われものはツライ』
暴れるイルカの勢いに負けてアヤカはバランスを崩した。その隙を遊びたいばっかりのイルカが見逃すはずも無く、アヤカは水の中に引きずり込まれてしまう。
「アヤカっ!!」
レンは必死に手を伸ばして、アヤカの手を摑もうとしたが指先が触れただけで摑むことができなかった。しかし、レンはアヤカを追ってすぐに水たまりに飛び込む。
水の中で、アヤカの手を摑んだレンは何とか地上に引っ張り上げようとするのだが、アヤカと遊びたいイルカも負けてたまるかとばかりに体をばたつかせる。アヤカが、
「ゴボッ!ゴボボボボッ!ゴボーボッ!!」
と、明らかに怒っているとわかる様子で、奇声を発しながらイルカを睨み付けているが、イルカは凄く楽しそうに目を細めている…ような気がする。とにかく、このままではマズイ。苦しくなってきた。長期戦は圧倒的に不利だ。冗談抜きで死んでしまう。
すると、アヤカの手から徐々に力が抜けていくのがわかった。水の中で叫んでいたのが原因か、レンよりも先に意識を無くしてしまいそうだ。
『この手だけは、できれば使いたくなかったが、やるしかないか。』
レンがそう決意したとき…
★ ★ ★ ★
「アヤカ。アヤカっ」
頬をペチペチと叩かれている感触がある。私の名前を呼んでるのは誰?ゆっくり目を開ける。
「アヤカ!大丈夫か。」
レンだった。いつもクールぶってるのに珍しく慌ててる。そうだ、私はイルカに捕まって穴から海に引きずり込まれたんだった。魚には絡まれたことないから海は大丈夫だと完全に油断してた。くっそー、イルカの奴め!今度会ったときは完全武装(水着)でヤメてというまで鯖折りを食らわせてやる!いや、イルカだからイルカ折りか。
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「アヤカが無事ならなんでもいいよ。どこか痛いところとかないか?」
アヤカは起き上がって体を動かしてみる。
「大丈夫みたい。ってあぁー!服が破れてる!あのイルカ、何という執念」
「それ位で済んでよかったよ。あいつ、俺が近づいたせいで興奮しまくってたからな」
「それは私を助けようとした結果でしょ?しょうがないよ。でも、よく私を引き離せたね?」
「あぁ、それは…」
★ ★ ★ ★
時間は少し遡って、アヤカの意識が失われてレンが奥の手を使おうとしたまさにその時、ソレは現れた。シュルっとイルカの体に絡みつき、締め上げているように見える。よく見ると頭部はさざえの蓋のようにも見え目が付いている。腕はあるが足が無く、胴の部分は巻貝の身のようになっていて末端にはさざえの殻のようなものが付いている。
レンは、昔読んだアヤカの愛読書に登場するその姿に見覚えがあった。
『あれは、さざえ鬼か』
※さざえ鬼※
生まれて三十年生きたさざえが変化したものと言われている。月夜には海上に浮かび上がり見事な踊りを披露するらしい。
さざえ鬼がイルカを締め上げていると、イルカも流石に苦しかったのかアヤカを離してさざえ鬼に噛み付こうとする。さざえ鬼はソレを許すはずもなく更に締め上げたところでイルカがギブアップ。一目散に逃走した。その後は、無事にアヤカを陸に引き上げて今に至る。
その後、さざえ鬼は……実はまだ水面から顔だけ出してこちらに『その娘は大丈夫か!おい!』と言わんばかりに心配な目を向けているのだが、当然アヤカはそんなことに気付く気配は無い。本当に色々なものに好かれる才能、凄いな。尊敬するよ。
★ ★ ★ ★
「こんなこともあろうかと、準備してたものがあってね」
「準備してたもの?」
「これ、ピンガーっていうイルカの嫌う超音波を出せる装置」
海でアヤカが絡まれるとしたら、イルカかシャチだろうとアタリをつけていたので、念のため持参していたそれをリュックから出して見せる。アヤカはそれを手にとって
「後で分かるって言ってたのはこれかー。もっと早く使ってくれたら良かったのに」
と不満げに口を尖らせたのだが、
「アヤカには悪かったと思う。けど、イルカの嫌がることをやりたくなかったんだ。その後どんな影響があるか分からないし」
「レンらしいね。でも、結局助かったのもレンのおかげだから。ありがと」
「いや、もっと早く使う決意ができてたらアヤカに負担をかけることもなかった。こっちこそすまない」
お互いに謝りあって同時に笑みがこぼれた。
その横で、さざえ鬼が『ワタシのおかげだろ!』と地団駄を踏んでいる。もう、隠れる気も無いのだろう、全身陸に上がっている。恩人なのに無視して心苦しい。けど、ややこしくなるから!すまない、サザエさん。
「しっかし、全身びしょ濡れだー。どうやって帰ろうかな」
「着替えもあるぞ」
リュックから出して、アヤカにタオルと着替えを渡す。流石に下着は用意できなかったが。防水機能付きの袋に入れていたので濡れてもいない。
「準備万端すぎでしょ」
「最初からあるっていうと、アヤカは絶対、後先考えずに無茶苦茶するからな」
「間違いないね」
「だろう?」
二人はお互いに背を向け合って、サッと着替えを済ませる。
「今日も妖怪には逢えなかったけど、次こそ見つけてみせる!ってことで、潮が満ちる前に帰ろう。レッツゴー!」
「おぅ」
アヤカが歩き出したことを確認して、レンは後ろを振り返り頭を下げる。サザエさんは『また来いよ!』とばかりに、大きく手を振ってくれた。ホントありがとう。また逢えたら、今度は噂の踊りを見せてもらおう。まるで、月夜に現れた龍のようだと言われる踊りを。
「レーン、早く帰ろうよー」
「今行くよ」
二人は足早に来た道を帰って行く。
その後、家に着くまでの間、アヤカに
「私に人工呼吸したのか!してないのか!ソコんとこハッキリしろ!」と繰り返し聞かれて、困ってしまった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。