4話 犬用ミルクは高い
「ミルク買ってきて」
ネットカフェから帰ってきた直後に碧から掛けられた第一声がそれだった。お帰り、も無くだ。
「牛乳は昨日買ってあっただろう。纏めて3本買ったから1週間は持つはずだけど…… 何か作るのか?」
一ヶ月1万円生活を謳うこやつが、お菓子作りなどする訳は無い。
一瞬、プロテインを牛乳で溶かしてガブ飲みしている碧の映像が頭をよぎった。無論、左手は腰の銭湯牛乳ポーズだ。
昨日辺りから、こやつの雰囲気が変わってきた。その為、こんな想像が浮かんでしまうんだな。
「ちぃがぁう! 子犬用のミルク!」
そう言い放ちながら、縁側を指さす。そしてその先には、縁側に敷かれたタオルの上に白い小っこい子犬が寝ている。
ど~見ても、生後1~2日って感じの子犬だ。
「……碧さんや、アレは何ですかのぉ?」
「アホな子のお兄ーは知らないかも知れないけど、アレは『犬』って生き物の幼生体だよ。通称は『子犬』って言うの。勉強になったね」
「知っとるわい! 何で子犬が居るのかって聞いてんの!」
ジト目で見てやるのだが、全く堪えた様子が無い。それどころか、何言ってんのこの人、って表情だ。
「飼うからミルクがいるでしょ。何か、普通の牛乳じゃ駄目だって聞いた気がするから。だから買って来てって言ってるの」
「…碧さんや、飼うのは決定事項なのですかのぉ?」
「そうだけど、何か?」
……ま、良いんだけどね。微妙に…いや、完全に会話が成り立ってないよな…
「どっから拾ってきた?」
俺がスクーターで出かけた為、碧は足が無いから街には行ってないはずなんだよ。
で、家の周囲は半径800メートル以内に民家なんか無い訳で、道なりに行けば1.6キロは民家が無いんだ。どこで拾ってこれるのかって疑問だ。
成犬ならまだしも、生まれたばかりの子犬がこの付近にいる可能性は限りなく低い。有るとしたら、誰かが捨てたか、野犬が近くで出産したかだろう。
後者だった場合は、親犬が連れ戻しに来る可能性がある訳で、結構危険だったりする。
「家にいたよ」
はあぁ?
「槍の練習してたら、いたの、いつの間にか倉庫の瓦礫の下に」
そう言いながら、ブルーシートが被さったアノ穴の左側2メートル程を指さしている。
そこは丁度、半壊した倉庫の中間地点で、まだ崩れていない側に斜めに崩れかかった木材が有り、結構な数の隙間がある所だった。
「あそこか?」
確認を取ってから、そこに行って周囲の隙間を覗くのだが、親犬がいる気配は全く無い。念のために、倉庫を一周してか確認したが、やはりいない。
それどころか、住んでいたような気配も無い。犬がある程度の期間巣にしていたら、絶対に周囲に糞が有るはずなのだが、そんな臭いは全く無かった。
「ひょっとしたら、昨日とかに、野犬が出産の為にここに来て生んだんだけど、あのダンジョン爆発やその後の工事で子犬を置いて逃げ出したのかもな」
「と言う事で、買ってきて」
何が、と言う、なのか不明なのだが、買いに行きましたよ。何時ものディスカウントストアー。泣く子と妹には勝てないってヤツですよ。はい。
…………
高っ! 犬用粉ミルク高っ! 人間の赤ちゃん用の粉ミルクの半分以下の容量で、値段同じか高いってど言う事?
ま、買いましたよ。しかも国産。間違っても中国産なんて買いませんよ。人間用ですら毒入れる国だからね。信用できるわけが無いのですよ。はい。
そんなこんなで、予定外の出費と予定外の家族が増えてしまった訳だ。
その晩は、碧はずっと子犬の世話に明け暮れていた。
ただ、親犬が迎えに来る可能性を考えて、夜間はわざと縁側の外に段ボールを置き、その中にタオルを敷き詰めて入れて置いた。
冬場ならともかく、初夏だから出来る事だ。
翌朝、起きると碧が子犬にミルクをやっていた。どうやら親は来なかったようだ… 碧のヤツは嬉しそうにしている。良いけどね。
そして、朝食を終えたら今後日課となる行動を行う。
先ず、ブルーシートを剥ぎ、缶詰の空き缶を縦に3個数珠繋ぎにしたロープをワイヤーの網目に差し込み、地下室の床まで垂らす。
後は上下に揺すって、カランカランと音を出せばOK。
3分と掛からずヤツらが現れた。コバルトブルー・コモドドラゴン(仮称)と呼んでいたアレだ。
正式名称『ブルー・コモド』だそうだ。色々突っ込みたくなったが、ダンジョンモンスターの名称は元々通称が固定化したモノを正式に認定したモノらしく、結構いい加減らしい。
俺が空き缶を引き上げる間に、碧が『包丁槍』でグサグサやり始める。
「340円♪」
何か、歌いながらやってるよ。
…昨日調べてきたのだが、『ブルー・コモド』の魔石はだいたい1個340円らしい。
「2匹でバイトの時給位は稼げるよ~♪」
グサグサグサグサ
こんな女の子って、どうなんだろうね。俺はヤダ。
「蜘蛛来たー! お兄ー、蜘蛛いくら!?」
俺も一応槍を構えていたのだが、その眼下に体長60センチ、足を広げれば1.5メートルは有ると思われる黒・黄色の斜め縞に成った蜘蛛が現れた。
『タイガー・スパイダー』で有る。
『ブルー・コモド』と同様、レベル2にカテゴライズされている表層モンスターである。
「確か、レモン色で、キャパシターの触媒になるヤツだったと思う」
「使い道は良いの! 値段!!」
さいですか。
「今んところ200円台らしいけど、家庭用キャパシターが普及してきているから今後上がるだろうってさ」
「了解、卵M玉1パック上物いけるね!」
グサグサグサグサ
「あっ! バカ! 魔石蹴るなぁー!」
どうやら、先に黒い靄となって消えたヤツの魔石を、後から来た『ブルー・コモド』が弾いて、上にいる俺達から見えないところにやってしまったようだ。
「お兄ー! お兄ーは魔石回収して!」
「無茶言うな、網を壊されるのが落ちだって」
「うぅー、私の340円!」
そんなイラつきを晴らすように、更に力を入れて『タイガー・スパイダー』の2匹目をグサグサと突き刺す。
俺は、結局全く手出ししませんでした、まる。
結局その際回収出来た魔石は、黄緑2個、レモン色2個の4個だった。本当は後2つ黄色が有るはずなのだが、見えないところへ弾かれたので回収出来なかった。
「680円がぁー」
無視して、回収出来た魔石を全部クッキーの缶へと入れてしまう。もちろん昨日回収した分も入れてある。
その後、同様の事を3回繰り返した。3回目は空き缶をカラカラやり始めてから来るまでに10分掛かった為、4回目は行わない事にした。
そして、此度の収穫は
・黄緑 7個
・レモン色 6個
となった。回収不能魔石も5個以上有る。
一応、『ダンジョン管理機構』の基準売価で計算すると、3580円だ。
午前中2時間での収入と考えればかなり割が良いのではないだろうか。
ただ、実際にダンジョンに潜っていない者が、定期的に魔石を売りに来るという事に疑問を持たれる可能性があるから、そこら辺は考えて売らなくては成らない。
魔石の売買には、身分証明書の提示が必要だから、しっかり調べられれば色々面倒な事になる気がする。あ~面倒くさい。
ちなみに、この魔石は複数の使用方法が有るのだが、有名なところとして、黄緑は車のマフラーの触媒、レモン色はキャパシターの電極回りに使うらしい。
排ガス規制がうるさくなって、対応出来なくなっていたディーゼル車も、この黄緑の魔石を触媒として使う事で本当の意味での『クリーンディーゼル』となった。
そして、レモンは、キャパシターの容量を5倍に高める事によって、現在家庭用の蓄電装置として売り上げを伸ばし始めている、らしい。
バッテリーと違い、キャパシターは電気をそのまま貯める為、劣化が起きにくい。つまり、バッテリーと違い寿命が圧倒的に長いのだ。
バッテリーはその問題があって、家庭用の蓄電池としてはあまり普及しなかった。なんせ、5~6年で2~30万円で交換が必要って成ったら、一般人は買わんわな。
だが、キャパシターは、最低20年は保つと言われている。中には、物理的に壊れない限り50年以上保つと銘打つ製品もある。
元々、キャパシターが普及しなかったのは、バッテリーと比較して10倍以上の容量の差があった為だ。
だが、魔石を使う事でこの容量を5倍以上に伸ばす事に成功した、らしい。そして、製品として成り立つようになった、って訳だ。
最近では、メガソーラも、一旦キャパシターに貯める事によって、残量を管理出来るようになった事で電力会社側の発電効率がかなり良くなっているとか。
そんな話を半年程前に某番組で見たんだよ。閑話休題。
「ねぇ、ねぇ、一日3580円稼げれば十分生活出来そうだね。食費に千円使っても2580円は残るよ」
小鼻を膨らませた碧のヤツがそんな事を言ってくる。一ヶ月一万円生活なんて行ってたヤツが、1日の食費千円だと~?
だが、あま~い。
「稼げればな。実際は、『ダンジョン爆発』直後はモンスターの数が過剰になってるから、今みたいに入り口に20匹近く居た訳だけど、狩って行けば数は減って一定数に落ち着くから、今日みたいには行かないよ」
『ダンジョン爆発』自体がこのモンスター過剰状態が原因なんじゃ無いかという説があるらしい。ま、魔素なるモノが溜まりすぎてそれが大量のモンスターを生み出し、それでも足りない分で『ダンジョン爆発』が起こるって説もあるらしいけどね。
ちなみに、『魔素』なんて実際には検出されていない。ただ、ファンタジー系の者がそれらしい事を言って、それが何となく定着しただけだったりする。
「あー、やっぱり無理か。……って事で、お兄ー、有る程度出て来なくなったら潜るからね。覚悟完了よろしく」
いや、俺は戦術鬼じゃないんだけど… それ以前に日本語として用法が間違ってるから。
「やっぱ、ダンジョン潜る気か? 地下室までは行くつもりでワイヤーとか多めに準備はしたけどさ」
「うん。決定事項。お兄ーもね。まさか、私だけを行かせて、お兄ーは行かないとかないよね。そんな事したら、全国妹同盟から刺客が来るよ」
なんだその全国妹同盟って。
「あのな、ゲームじゃ無いから、死んだら死ぬんだぞ。今までで数十万人が死んでるって言われてるんだぞ」
正確な記録は無いのだが、概算として世界中のダンジョンでの行方不明者(実質死者だね)が35万人を越えた、と言うニュースが昨年末に流れた。
日本などは、正確な数を集計しているのだが、発展途上国やそんな事を気にしない某国などは記録自体を取っていない。その為世界規模では正確な値が出ていない。
「だ・い・じょ・う・ぶ! 死ななきゃ良いの、死ななきゃ」
両手を腰に当てて、チャンピオンのポーズで胸を張ってそんな事言われてもね… それが出来なかったせいで35万人が『行方不明』なんだけど。
何か、小鼻がずっと広がりっぱなしだな。鼻息が聞こえる気がするよ。
これは、俺が手綱を取って、有る程度コントロールしないと危ないな。手綱取れるかな? ポニーじゃなくって黒王号っぽいんだが…
「安全第一な。無理・無茶・強引・取りあえず・何とか成る気がする、は無しな。『命を大事に』で行くぞ。『返事が無い、ただの屍のようだ』とか言われるのは絶対嫌だからな」
個人的には、地下室内にあると思われるダンジョン入り口にワイヤーネットを設置して、そこで今みたいにネット越しにチクチクしながら魔石を有る程度手に入れて、生活費はバイトで稼ぐのが良いと思ってたんだけどね…
魔石代は、あくまでも生活費の足しで、と考えてたんだよ。ま、水晶柱には興味は有ったんだけど、ダンジョン内に入る気はさらさら無かったよ。予定外過ぎる。
「うん! 二人で最深部攻略しちゃおう。ダンジョンコアとか有るかな?」
こらこら、世界中の軍隊や傭兵部隊ですら為し得ていない事をやる気デスかい? 死ぬよ、確実に死ぬるよ。
ダンジョン出現から約10年。そして、一番積極的にダンジョンに潜っていたUSAの軍ですら、最深部に到達したというアナウンスは無い。
ちなみに、このダンジョンは、ゲームのように各階層ごとに分かれていると言う事は無い。
無論、平面で1枚マップって訳では無く、通常の洞窟のように、登って下って交差して、って感じで全体として下へと下って行く。
その為、いわゆる『階段』は存在しない。感覚としては山道を下っていく感じだ。ま、経験者がそう言ってって事なんだけどね。
「安全第一だぞ」
「うんうん、分かってる」
ほんまかいな………………
その後は、穴の上に屋根を作るべく、木材の確保(崩れた倉庫から引き抜く)、そしてそれの加工を行った。
イメージとしては、井戸の上にある小っこい屋根を作ろうと思ってるんだ。
ノコとノミで、ホゾとホゾ穴を作って組み合わせるだけ、なのだが、当然ど素人が簡単にできる事では無い。
某タレントがやっているから、やれば出来ると思ったんだが、コレがまた難しいのよ。
棟梁はともかく、リーダーにすら出来るんだから、なんて考えてたんだが、リーダーごめんなさい。
半日掛けて、廃材を3本制作してしまったよ。ま、風呂の焚き物にするんだけどさ…
家の風呂は、ガスと薪の兼用になっているんだけど、ガス湯沸かし器がかなり古い為、使える気がしなくて、元栓を閉じて使用しないようにしている。買い換えると良い値段するらしいので当分放置の予定。
結局、屋根作りは実質全く進まなかった事になる。ただ、『木材加工スキル』の経験値は増えたはず。多分…きっと…
俺が薪を作り出していた間、碧は子犬の世話の合間に洗濯や料理の準備を行っていた。優先順位に疑問有り。
そして夕方、また『狩り』を実施した。
掛かった獲物は、『ブルー・コモド』3匹、『タイガー・スパイダー』4匹、『角アルマジロ』2匹だ。
確保出来た魔石は、
・黄緑 2個
・レモン色 2個
・薄い焦げ茶 2個
の計6個。3個は確保不能エリアへ転がっていった。概算買い取り金額合計は、1580円
新規の『角アルマジロ』は、体長50センチ(尻尾を入れないで)の1本の角が額から伸びているアルマジロと思ってくれれば良い。
魔石は薄い焦げ茶で、『ダンジョン管理機構』基準買い取り価格は250円なり。主な用途は半導体に使用するらしい。電子の移動速度がかなり上がるという。
やはり、午前中より数が減ってきている。ま、良い事なんだけどね。ただ、そうなれば、あやつはダンジョンに潜ろうとする訳で… はぁ…
本日の魔石代金(概算買い取り金額)の合計は、5160円と言う事に成った。
工具代やネットカフェ代などを考えれば、まだまだ元は取れていない。
そして、日に日に収益は減るはずなので、ダンジョンの為に使用した金の元が取れるのはもう少し先になりそうだ。
バイトどうしよう…