36話 礼儀は大事
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「…無いわ。何度調べても、この期間でL値がこれだけ上がる様な事は起こってない」
「だが、現実に上がってるんだろ? 測定機器が問題無いのも何度も確認してる」
「そう、おかしいでしょ。後ね、過去の分を再調査したの。私たちが眠っている間に収集させていた分をね」
「以前は、データ量が足りなかったんだったな。まあ、発見直後で時間も無かったからしょうが無いが」
「一応、ここの過去の出来事を、L用のシミュレーターに掛けたんだけど、結果は未発動よ。発動値の半分にも満たないはず」
「……データが残されていないだけって事は無いのか?」
「過去のデータの改ざんや抹消なんて、当たり前に起こってる事をシミュレーターに設定してないと思う?」
「愚問だったな。消そうが、改ざんしようが、L値に関わるようなことならその後に痕跡が出るはずだしな」
「そうよ。……だから、おかしいの。ここは」
「状況から言って原因はDDとしか考えられないか?」
「そこまで短絡的には考えるべきじゃないけど、DD社の対応も考えると……」
「心証的には真っ黒だな。管理機構に通達するか? だが、そうなると、経費はパーになる」
「それは避けたいわ。経費もだけど、ここを発見するだけでどれだけの時間が掛かったか考えて。最低限経費+αは何とかしなくちゃ」
「と成れば、DDとLが関わっていると言うデータを見つけないといけない訳か」
「もしくは、DDと関係なかったとした場合に、こんな例外が発生した原因を特定する事ね」
「…なあ、仮にだ、DDがこのL値に関わっているとしたら、DD社はLをコントロールできるようになったってことか?」
「…そう考えれば凄い事ね。世紀の大発見になるでしょうね。…その実験をここでやってる? さすがにそれは… バレれば破滅じゃ済まないわよね」
「そこまでバカとは思わんが…」
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ダンジョン内で倒れていた女性は、碧の気付け薬から回復すると、先程よりマシな程度に慌てて騒いだ。
再度、碧が気付け薬を頭頂部に叩き込むと、涙目で平常心を取り戻した。
「で、あんた、こんな所で何してんの? 見たところレベル60帯に来られる感じに見えないけど、攫われて連れてこられたの?」
碧の口から『レベル60帯』という言葉を聞いた瞬間に、彼女の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「レベル60帯? ここってレベル60帯域なんですか? じ、冗談ですよね」
驚愕の顔を歪めて、半笑いを作って、ハハハと引きつった笑い号を絞り出している。
「「…………」」
当然俺達2人は無言で、表情も変えず彼女の引きつり笑いを見ている。
ぺんぺんたちは、念のため周囲の警戒を実施しているので、冷ややかな眼差しアタックには参加していない。
はあぁ~、とため息を吐き出した碧は、おもむろに俺のリュックに手を突っ込み、しばらく前に手に入れた黒の魔石を取り出す。
「ほら見て、これ、グリフォンの魔石。見ての通りC-3級。何なら、オクトパス・スライムの紫のB-4級も見せようか?」
黒魔石のC-3級は現在安くても70万円以上で買い取られているモノだ。加圧という簡単な行為で、重力場を発生させられるこの魔石は多くのニーズを抱えている。
国際宇宙ステーションの居住性を爆発的に変え、月基地建設計画を現実化する原動力とも成っている。
宇宙空間のような低重力下における、骨からのカルシウム遊離は大きな問題だったので、それがコレによって緩和されるのは大きな力となっている。
無論、この黒魔石も消耗品で有り、一定以上の加圧を加えるに従って内部の結晶構造が崩壊していき、重力場の発生がなくなっていく。
で有るが故に、ニーズは絶えない。いくらでも売れる。うはうはである。
また、この魔石の有効性は、その能力だけでなく、その力を発生させるのにかかるコストの低さもある。
二枚の板にこの魔石を正確な方向で挟んで、それを加圧するだけで良いのだ。
要は、二枚の板を万力で挟んで、手でレバーなりボルトをスパナなりで回すだけで良い。その状態で長時間重力場が発生する。魔石が1個だけなら板すらいらない。
その後、一定量の結晶が崩壊したら、再度締め直しを行うだけで簡単にまた重力場を発生させられる。
まれに見る低コストで利便性はダントツだ。
故に、まだ高級品扱いではあるが、某映画で有名な『ホバーボード』の様なホビー品まで発売されている。
一時期流行った、出火するホバーしないホバーボードとはモノが違う。
売り言葉は、『ホビーから宇宙開発まで』だ。『この魔石で世界が変わる』って煽り文句は誇張では無い。
そんな高い魔石を見た彼女の表情が一気に変わった。
同じ驚きの表情ではあるが、それに含まれる感情は全く別物だ。恐れから純粋な驚き、興味の驚きへと変わったのだ。
だが、その表情は直ぐに困惑の表情柄と変わる。状況を認識したが故、なのだろう。
「あ、あのー、本当にここはレベル60帯域なんですか?」
「そうだよ。多分ここのダンジョンの最前線に近い所だよ」
碧の容赦ない肯定に、彼女は口を開けた状態でしばし固まった。ポカーン、ってやつだ。
「何で、私、そんな所に?」
再起動を果たした彼女から出た言葉は微妙にずれていた。『そんな所』では無く『こんな所』が正しいだろう。ここがその場所なのだから。
それだけ混乱状態にあると言う事なんだろう。
ただ、この混乱はデボの『ハイ・クリア』や『上級状態異常回復剤』でも効果は無いだろう… いや、試してみたら利く可能性も有るかも。やってみるか? …いや、止めとこう。別の意味で面倒になる気がする。
そんな混乱状態の彼女に対して、碧は辛辣だった。
「私が知る訳無いでしょ。こっちが聞いてるの」
正論だ。
だが、彼女の様子からすると、彼女も状況を掴めていないのは間違いない。と成れば知らないうちに、ここにって事になる。
「覚えている範囲で、最後にどこにいた? 後、ソロじゃ無いんだろ? パーティーはどうした?」
コレが俺の、彼女が意識を取り戻してから初めての発言だったが、それまで彼女の斜め後ろにいた事もあって、彼女は俺の存在に気づいていなかった様で壮大に驚いて、悲鳴を上げた。
即座に碧の気付け薬で悲鳴は停まったけどね…
「叫ぶとモンスターが来るって言ったでしょ!!」
とても普段から『爆裂突き』を無駄に多用して爆音を発生させまくっている者の発言とは思えないが、まあ、この場では正しい意見なのは間違いない。
「で、どうなんだ? どこにいた?」
その後、頭頂部の痛みを訴える彼女から聞き出した所によると、彼女は恋人を含む5人パーティーで10~14レベル帯でアイアン・アントを探してうろついていた様だ。
目的は『ルビー』で、ファイアー・ボアの『肉』も狙っていたらしい。
だが、そこにアイアン・アントのゾンビ集団が現れ、必死に逃げたが彼女は『ウイルス感染』してしまったのだと言う。
そして、彼らにはその回復手段が無かった。『ウイルスワクチン』はもとより、魔法の『ハイ・クリア』や汎用ポーションの『中級状態異常回復剤』も持っていなかった。
そんな中、再度アイアン・アントゾンビ達が来襲してきた際、彼女はパーティーの者達に置き去りにされた。
ゾンビ化と呼ばれる『ウイルス感染』に成ると、徐々に思考力が低下していき、最終的には自我が無くなる。その経過として行動が迅速に出来なくなってしまう。
そして、そんな彼女は『足手まとい』と判断されたのだろう。コレは、ダンジョン内では有る意味当然の処置となる。
そんな『足手まとい』を庇えば全滅するという状況なら、その行動が間違いなく正しい。
確か、日本の法律でもそれは認められている。
なんチャラの板とかって言う話を題材にした考え方で、海で難破した際、1枚の板に捉まってなんとか浮かんでいる時に、別の遭難者がその板に捉まった場合浮力が足りなくて沈んでしまうと言う場合、その他者を蹴飛ばして自分だけが助かっても良いってやつだ。
例え、その行為によってその時蹴飛ばした者が死んでも処罰されないらしい。
今回のケースもそれに当たるだろう。法律的には『無罪』だ。法律的にはね。
話の途中で、恋人に捨てられた事を思い知って、泣き出したため、一時中断されたが、碧の容赦ない気付け薬2連発で泣き止み続きを語った。鬼だ。
ただ、その際はかなり意識が混濁しており、ハッキリとした事は覚えていないらしい。
漠然と覚えている最後のシーンは、床面に広がる光の幾何学模様だという。
「お兄ー、どう思う?」
「…罠か、近くにいたモンスターの魔法かスキルって可能性しか想像出来ないな」
「そんな罠って有ったの?」
「いや、聞いた事が無い。ゲームだったら、ワープ罠って結構あるけどな。…公式には記録は無いな」
……だが、ある程度以上潜る者は、パーティーに誰かしら『罠探知』『罠解除』を所持している。
通常『罠探知』はイエローの光点でマップに表示され、それが回避出来る場合は避けて通る。回避出来ない場合のみ『罠解除』を使う。
だが、その際、わざわざ罠の種類は確認しない。罠の種類を確認するためには、『宝箱』の時と同様に、個別にこの罠に対して『罠探知』を掛ける必要がある。
大半の者が罠の種類の確認なんてやっていない訳だ。つまり、知らない罠があってもおかしく無いって事に成る。
俺達も、罠の反応が有った場合、罠の位置や規模、その周囲の状況で罠の種類を(勝手に)断定して回避、解除を行っていた。
中央部分にある場合は、落とし穴や頭上からの落石、地雷と判断し、壁面の場合は飛矢や飛槍などといった感じだ。
『罠探知』は罠の構造物全てに反応するので、センサー部、攻撃部、途中構造全てが表示される。だから、実際何の罠であるか分からなくても回避、解除が出来てしまう。
それ故に、『ワープ罠』に誰一人として気づいていない、もしくは、実際に罠に掛かった者で生きて帰れた者が居ないと言う可能性がある訳だ…
その事を話すと、碧もその女性も納得顔をしている。
「あのさ、私たちって、このダンジョンの事、知らない事がかなりあるんじゃ無い?」
「アホか、根本的に何にも分かってない事だらけだよ。俺達が分かってるつもりなのは、極々一部で、それも経験則から導き出したモノで、正しいかは分からないモノだらけだ」
「アホって、アホの申し子のお兄ーに言われたくない!」
アホの子から、申し子に進化したのか?
「アホアホ論争はともかく、どうするかだな、あんた、転移は持ってるか? エリア帯的に転移結晶を持ってるとは思えないけど」
『転移結晶』はいわゆる帰還アイテムだ。魔法の『転移』のように任意のポイントを記録出来ないが、そのダンジョン入り口にある水晶柱の位置に転移出来る。ただし、お一人様限りだ。しかも使い捨て。
「…持ってません」
俺と碧はため息をつきながら顔を見合わせた。
「しょうが無いか、連れて帰ってやるよ。今日はコレまでだな」
「ま、仕方ないよね。放り出していく訳にも行かないし… 置いてく?」
碧の最後の一言に、ビックリした彼女は、土下座せんばかりに必死で頼んできた。まあ、置いて行けば100パー死ぬからね。
「はいはい、帰るぞ。全員集合!」
碧が俺の肩に手をやるのを見て、俺が『転移』持ちだと分かった彼女は両手で俺の左手をガッチリつかんできた。絶対離すもんか、って感じだ。
ぺんぺんは彼女がいるため『空歩』が使えないので、俺の足下に来て、昔の練習通り足に全身で抱きつき、デボは普通に飛んで俺右肩に駐まる。
彼女は、ひしっとおれの左手をつかんだまま、デボとぺんぺんを唖然と見ていた。
そんな彼女が何か言おうとする前に『転移』を実行する。面倒な会話は嫌いだ。
ダンジョン入り口に転移すると、俺達4人はとっとと手続きに行く。
彼女は慌てて付いてくるが、俺達は関係ないのでスルーだ。
俺が退出手続きを行い、その間に碧は自分の装備と共にデボとぺんぺんの装備を外している。
俺の後方で彼女が何か言いたそうに待っているが、気にしない。
俺が退出手続きが終わった時点で、碧とバトンタッチだ。碧が預けた品を受け出している間に俺は装備を脱ぐ。物事は効率よくやらなきゃね。
で、問題の彼女だが、俺が退出手続きが終わった段階から、受付嬢に対して今回の事を懸命に説明している。
俺と、受付を変わる瞬間、『なんで私の事を言ってくれないの?』的な感じで見ていたけど、無視した。
そして、受付嬢も困惑だ。そんな事を私に言われても、って事だよ。
彼女は理解していないらしい。『ダンジョン内で起こる事は全て自己責任で有る』と言う事を。
無論、『日本の法律に則った上で』と言う言葉が枕詞として付くけどね。
そんな訳で、今回の事は完全な『自己責任事案』なんだよ。彼女がいくら『ダンジョン管理機構』に訴えようが、警察に訴えようが無駄無駄無駄!と言う事だ。
途中で俺達に助けを求めてくるが、当然無視した。理由も話さないよ。知ってて当たり前の事だからね。
不親切だって?
そりゃそうさ。だって、彼女、未だに助けられた事に対して感謝の一言すら無いのだから…
碧がさ、終始雑に扱っていた理由がコレなんだよね。俺もあえて止めなかった。
何より、未だに名前すら聞いていないしね。命の恩人に礼も言わず、名すら告げない…フォローの必要性を感じないよ。
受付嬢が『自己責任論』を粘り強く話すのを尻目に、俺達はとっととその場を離れる。受付のお姉さん、お疲れ様です。脳天チョップの2~3発喰らわして良いですよ。
何時もの様に、入り口では立ち番の自衛官2人に黙礼して、立体駐車場へ駐車している車へと向かう。
槍と剣が入った箱は、ルーフキャリアに固定し、それ以外の品は全てハッチバックから後部へと放り込む。
「あの子さ、講習受けたんだよね」
「そりゃあ、受けないとダンジョンには入れないからな」
「寝てたのか、根本的にアホなのかどっちかだね」
辛辣だが、否定出来ないよ。講習でも散々言われただけで無く、毎回入場時に書く手続き用紙にも太文字で書いてあるからな。
「アホって言うか、良くいる権利房だろう。人権が、法律が、権利がって、守られて当然って考えてるタイプ。毎回その権利を放棄するサインをしてるのに、それは関係ないって思ってるんだろ」
「困ったちゃんか。でも良かったの? あの子結構可愛かったじゃん。これを機に親しくって、って考えなかった?」
…実際、あの子は可愛いと言って良い顔立ちだった。以前見た『女性冒険者』達とはかなり違ったのも確かだ。
「俺はな、礼儀知らずは大嫌いなんだよ。それ以前に、女性冒険者だろ。碧の同類じゃないか、絶対無理」
「どう言う意味かな?」
俺が失言に気づいた時には既に遅く、世紀末覇者のように指をボキボキ言わせた碧が眼前にいた。
……軽自動車は狭い。逃げ場は無かった。
ぺんぺんもデボも助けてくれなかった。薄情者め……
その後、今日の入手分を中心に、何時もの貴金属買い取り店で売却し、予定通り70万円程を手に入れた。
2年以上定期的に通い続けているため、完全に顔見知りだ。
その為、信用があるので、ポーション類は全てを鑑定せず、抜き打ちで数個鑑定するだけで済ましてくれるので、時間が掛からないのでありがたい。
今回は、碧の事も紹介し、2人で稼ぐ様になったから、今後は少しずつ売却する品が増える旨も伝えた。
また、今後は持ち込み時間が、以前の開店直後では無く今日の様に夕方以降に成る事も伝えた。
4人で来るので、どうせ車で来る事に成る。そうなればわざわざ銀行にお金を振り込まなくても、安全に持ち帰れるからね。
何より振込手数料が掛からない。そして、朝の開始時間を自由に設定できるようになる。
今までは、この店の開店時間後に売却してからだったので、開始時間がどうしても11時頃になっていた。
これからは、早朝からでもOKとなる訳で、時間を気にする必要が無くなる。
ま、店が閉まる時間が夜9時なので、そっちには合わせる必要があるんだけどね。
と言う事で、少し予定より早いが、帰る事にしよう。
飯は途中のインターチェンジで良いか。…デボとぺんぺんがは入れないから駄目だな。
コンビニ弁当か、弁当屋当たりで済ますか。
まあ、のんびり帰ろう。




