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Rosy Star  作者: 桐央琴巳
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(2)

 地上に夜が訪れると、ロージィは大きな雄羊に跨って、定められた軌道を渡ります。

 気のいい雄羊の背に揺られ、うとうとと居眠り半分のロージィに目を留めて、マシュキートは狼の橇を御しながら注意を促しました。

「ロージィ、()ちるなよ」

「うん……」

 寝ぼけ眼をこすりながら、ロージィはふと、尋ねました。

「墜ちたらぼくはどうなるの?」

「星は墜ちたら人になる。人になって、朽ちてしまうのさ」

 それを聞いてロージィは身震いしました。星は、永劫にも近い寿命を神さまから贈られているのです。そんな彼らからしてみれば、人の命の短さなんて、まるで泡沫(うたかた)の夢のよう。

「お星さま」

 恐怖に囚われたロージィを救うように、女の子の呼び声が聞えました。

 ロージィの意識から闇は消えて、その眼差しは瞬く間に、女の子が懸命に身を乗り出している、開け放たれた窓辺へと向けられます。

「お母さんの、お星さま」

 その呼びかけがなんだかこそばゆくて、ロージィはむずむずと身体を揺すりました。そうすると、夜空の彼はきらきらと輝いて、女の子には、まるでお母さんが返事をしているように見えるのです。

「あのね、聞いて」

 どうしたの――? 心の内でロージィが問いかけると、女の子はえっへんと胸を張りました。

「セイラは今日ね、ひとりでお着替えができたのよ」

 おへその上から一つずつ、寝巻の釦を掛け違えていますが、女の子の顔は得意満面に上気しています。

 けれどもロージィを見上げるうちに、もうお家にはいないお母さんが恋しくなってきたのでしょう。女の子の表情はみるみるうちに、めそめそとした泣きべそになってしまいました。

「何でもひとりで、やってみるの。お母さんとしてたこと……」

 その切なる決意は、ロージィの胸を打ちました。頭を撫でて慰めてあげたく思っても、(そら)から地上は果てしなく遠いのです。あまりにも無力な自分の手を、ロージィはやるせなく握り締めます。

「セイランジュ、風邪を引くよ。窓を閉めて、もう寝なさい」

「はあい」

 お父さんの声に答えて、女の子は両手の甲でごしごしと涙を拭いました。セイランジュ、というのが、 この小さな女の子の名前のようです。

「おやすみなさい、お星さま」

「おやすみ、セイランジュ」

 星の声が、人の耳に届くことは決してありません。それでもロージィは挨拶を返すと、セイランジュの濡れた目の縁に、そっと口づけるようにして星影を落としました。



*****



 日々を重ね、年を追うごとに、セイランジュは大きくなってゆきます。

「わんわんの赤ちゃんが生まれたの」

「お父さんとね、羊のお乳を搾ったのよ」

「お友だちと喧嘩しちゃった……」

「今日はね、お隣のお姉さんにね、三つ編みを教えてもらったの。上手にできてる?」

「お祭りの日にね、みんなでお芝居をするのよ! セイラは天使の役なの。わくわくするわ!」

 就寝前のおしゃべりも、だんだんとおしゃまになってゆきます。

「ねえ、お星さま」

 いつもの窓辺に頬杖をつきながら、ある夜セイランジュは、ようやく思い立ったようにして、重大な告白を切り出しました。

「わたし本当はね、もうとっくに知っているの。だけど、ね」

 悪戯っぽく唇をすぼめて、セイランジュは内緒話をするように声を潜めました。

「お星さまのこと、お母さんじゃなくても大好きよ」

 ああ、人の成長は、なんて目まぐるしく早いのでしょう!

 あの泣き虫だった小さな女の子が、今はもうしっかりとお母さんの死を受け入れて、お父さんの世話だって焼ける少女に育っているのです。

 狼狽えながら見下ろせば、澄んだ泉のような瞳が映しているのは、たった一つの星。

 セイランジュにじっと見つめられて、ロージィの頬は火照りました。

 もう、お母さんの代わりではないのだとすれば、ロージィはこれからどんな気持ちで、セイランジュを見守ってゆけばよいのでしょう? 大好き――不意に告げられたその言葉は、どきどきと心落ち着かなくさせる、不可思議な魔法の呪文のようです。

「お星さま、照れているの? なんだかちょっぴり、紅くなったわね」

 セイランジュはからかうようにそう言って、朗らかにころころと笑いました。



*****



 胸に灯った想いが、ロージィを逡巡させたまま、幾つもの季節が巡りました。

 夏の間、深い眠りについていた冬の星々は、秋の精霊に揺り起こされて夜空に戻ります。

 広大な(そら)を、利口な雄羊任せにしてロージィは順行します。セイランジュの声は聞えませんでしたが、すっかりと見慣れた窓辺に視線を落として、思わず彼は目を瞠りました。

 さなぎが蝶に、変わるように。

 ロージィが知らない一夏の間に、セイランジュは少女の時を終えて、すっかりと大人びた美しい娘になっていたのです。

 艶を帯びた口元に快活な笑みはなく、零れるのは物憂げな溜め息ばかり。ロージィがやきもきとして瞬いて見せても、セイランジュの部屋のガラス窓は、来る日も来る日も心と一緒に閉ざされたまま。

 ある日真夜中にセイランジュは、こっそりとお家を抜け出しました。

「お星さま、わたしね」

 重いトランクを引きずりながら、セイランジュは思い詰めた顔つきで、ようやくロージィを見上げてくれました。

「恋人ができたの。とっても素敵な人よ」

 ああ、そうなんだ――。セイランジュに秘密を打ち明けられて、ロージィは切なく微笑みます。月明かりのない夜道を照らして、祝福してあげたいと思っているのに、こんなにも、胸が痛いのは何故なのでしょう?

「大道芸をしている、旅の人よ。お父さんは反対しているけれど、わたしは今夜、あの人について村を出て行くの」

「セイラ」

 村外れの丘の上、行く手に現れた若者はセイランジュの名を呼んで、彼女の手から軽々とトランクを奪い取りました。

「誰と話していたんだい? セイラ」

「何でもないわ。独り言」

 若者に答えてセイランジュは、そっと首を横に振りました。

 それはロージィにとって、なんて残酷な別れの言葉だったでしょう。セイランジュは目の前の若者に夢中で、もう瞳の片隅にすらも、ロージィを映してくれることはありません。

 若者はセイランジュを引き寄せて、何度も口づけを落とします。髪に、頬に、瞼に、耳に、そして、唇に――。

「セイランジュ……」

 どれだけ強く、望んでも。

 ロージィの声がセイランジュを振り向かせ、ロージィの指先がセイランジュの温もりを感じることはできないのです。

 愛を確かめ合う恋人たちから目を背けると、ロージィは薄雲を手繰り寄せて、頭の上からすっぽりと被りました。

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