番外編 バレンタインデーキッス 前篇
お久しぶりでーす
今日は、世間一般でいうところの『バレンタインデー』というものらしい。
バレンタインデー。
毎年必ずやってくるこの忌々しい日は、俺が生まれ育ったこの日本において、非常に……非常に大きな意味を持つ日だ。
たとえばチョコレート。嘘かほんとか知らないが、このバレンタインというイベントだけで、日本のチョコの売り上げの約四分の一を占めているらしい。
『お世話になっている人に、チョコレートをあげて感謝しましょう』
『片思いのあの人に、チョコレートを渡して想いを伝えましょう』
『愛する人に、チョコレートを贈りましょう』
ふざけるなッ!
チョコをあげて告白? 挨拶代わりにチョコ? 本命チョコに義理チョコ?
くだらない!
どいつもこいつも広告代理店の戦略に踊らされやがって!
そもそも日本国民の多くがルーツである聖ウァレンティヌスへの敬意を持っていないどころか、その存在すら知らない者がほとんどだってのに。
なのに、毎年毎年二月十四日が近づいてくると、街角には可愛らしいのぼり、テレビではバレンタイン特集、クラスでは「きゃっきゃうふふ」とやかましい女子に、期待に胸と股間を膨らましている男子共。
この時期にうっかりチョコを買おうものなら、店員さんに綺麗な包み紙で勝手に包装され、おまけに可哀そうな目で見られるしまつ。
まったくもってふざけてる!
バレンタインデーなど、この世から消滅してしまえッ!!
と、去年までの俺なら今年もそう思っいただろう。
そう……“去年”までなら。
着信音をアヒルの鳴き声に変えたばかりの携帯が、「ガアガア」とやかましく鳴く。
すぐさま通話ボタンをタップする俺。
「も、もしもしっ」
『あ、ツクモ。出るの早いねー。さては……あたしからの電話を待ってたな?』
電話をかけてきた相手は、俺の“彼女”である新城沙織だった。
時刻は午後七時を過ぎたころ。“沙織”はちょうど部活を終えたタイミングで電話かけてきたのだろう。
「そ、そんなことねーよ!」
『またまたー。強がっちゃってー』
「強がってねーし!」
『へへへー、ウソだよ。ごめんね、遅くなっちゃって』
「いんや。沙織は部活やってんだから当然だろ。むしろ俺こそごめんな。急がせちゃったろ?」
『んーん、そんなことないよ。っていうか……へへー、なんかね、部の女子たちみんなソワソワしちゃっててさ、そしたら男子たちもソワソワしてるもんだから今日は部活になってなかったの。ドリケンがもう呆れちゃっててさー、だから今日はいつもよりちょっとだけ早く練習が終わったんだ』
沙織がいった『ドリケン』とは、弓道部顧問のあだ名だ。強面のおっさんで独身貴族だが、面倒見が良くて部員の評判はいいらしい。
「そーなんだ。まー、バレンタインだし、ソワソワすんのはしゃーないわな」
『ふーん。そうなんだー。ねえ、……ひょっといてツクモもソワソワしてるの?』
「し、してません!」
『ぶー。なによー、ちょっとぐらいしてくれてもいいじゃないのよー』
不満そうな声が電波にのって俺の耳へと届く。
きっと、いや、まず間違いなく沙織の頬は、たわわに実った胸同様、はち切れんばかりに膨らんでいることだろう。
「ま、まーそれよりだ、今日どーする? 俺がチャリで学校まで迎えに行こうか?」
『ぶー。ツクモったら誤魔化そうとしているな?』
さすがは俺の彼女さま。俺の胸の内などお見通しってわけね。
「そ、そんなことないですよ……」
『敬語になってるよー。まあいっか。んじゃねぇー、“いつもの場所”で待ち合わせしない?』
「は? …………マジか?」
『うん! あたしは大マジよ!』
「い、いや、沙織がそれがいーってんなら、俺は別に構わないけどよ……でも――」
『じゃあ決まりね。あたしシャワー浴びてから行くから、先にいつもの場所に行っててねー。じゃ、ツクモ、またあとで』
有無を言わせぬ感じで、電話は一方的に切られてしまった。
「いつもの場所って……沙織のヤツ、マジかよ……」
携帯をジーンズのポケットにねじ込みながら呟く。
沙織が言った“いつもの場所”。それは、俺たちのホームであるゲーセンに他ならない。
確かに俺たちは学校帰りにDollをやったり、デート中にもDollをやっちゃったりもするイタいカップルかも知れないが、それはお互いの趣味が完全に合致しているからだ。そもそも、デートだってのにDollをプレイしたがるのは沙織の方なのだ。
それでも……それでもだ。バレンタインである今日くらいは、世の普通のカップルみたくデートしてくれてもいいのではないか?
「これが、『あげる側』と『受け取る側』の温度差ってやつなのか……」
十六年生きてきて、まともなバレンタインデーとやらを過ごしたことが一度たりともない俺には分からない。
ひょっとしたら、バレンタインデーだからといって、浮かれてたのは俺だけで、沙織にとってはごくごく普通の、消化するためだけのイベントにすぎないのかも知れない。
そんなことを考えながら、今日の日のために用意していた服に着替え、クリスマスの時と沙織の誕生日の時にだけ使ったヘアワックスで髪を整える。
全身が映る鏡でチェックしたあと、部屋を出て階段を降りていく。
出かけることを告げようと妹の姿を探すが……見当たらない。見れば、玄関にあいつの靴はなく、代わりにテーブルの上に小さな箱が置かれていた。
その箱を手に取る。
箱には、『兄者へ』と一言だけ書かれた紙が貼りつけられていた。
最近、妹が世紀末的なマンガにハマっていたのは知っていたが、こうやってその影響が漏れ出ているところを見てしまうと、兄として止めるべきなのか悩んでしまう。
妹は中学二年生。
人生で最も影響を受けやすい、多感な時期なのだ。
俺はこのことを今度沙織に相談しようと思いながら箱を開ける。
箱の中には、真ん中から縦に割れたハート型のチョコが入っていた。
おそらくは手作りのチョコ。取りあえず食べてみようと口に入れるが……そのチョコは鍛え抜かれた拳のように硬く、俺には噛み砕くことができなかった。
いったい妹は、なにを考えてこんな凶悪な物を作ったのだろうか。兄である俺を殺る気だったのだろうか。
妹の手作りチョコを机の上にぶん投げてから家を出る。
自転車にまたがり、目指すはゲーセン。沙織との約束の場所。
「さて……んじゃー行きますか」
冷たい風を受けながら自転車をキコキコ漕ぎ、俺はゲーセンへと向かうのだった。
後編は明日の0時に投稿予定です。




