第二十五話 仲直り 前編
「ここが……新城の家か」
担任の古館に教えられた住所を頼りに一軒の家の前に俺は立っていた。やや高級住宅街よりの区画の中でも目立つ、一回り大きい三階建ての家。表札には『新城』の文字。
「でけーなおい」
思わずそう口に出してしまうほど大きい。
大臣に遭遇した日から、すでに三日がたった。その間新城は学校を休んでいる。それも無断でだ。担任の古館が言うには「家に電話しても出ない」そうなので、近くに住み、なおかつ最近仲が良いと噂されている俺に「プリントを届ける」という名目の元、新城の様子を探ってくるよう担任から極秘任務の命を受けたのだ。もちろん、『さおりんを愛でる会』の会員のみなさま方が多数その極秘任務に志願したが、古舘が担任としての強権を発動してそれらすべてを却下、古舘の独断と偏見と無駄な理解から、新城にプリントを届ける役目はめんどくさいことに俺に一任されることとなったわけだ。
んでもって放課後の職員室でプリントの束を渡しながら、「しっかりやれよ」と子声で耳打ちし、ついでにウィンクまでしてくる古舘には軽い殺意が沸いたが、まさかいま新城とぎくしゃくしてる真っ最中なことなんて知らないだろうし、クラスを任されている担任なりに友達のいない俺を気遣ってのことなのかも知れない。とりあえず、「はあ」とやる気のない返事してそのプリントの束を受け取るしかなかったわけだ。
そして新城の家の住所を聞きき、職員室を出ようとする俺の肩を叩いた古舘は顔を近づけ、そっと耳打ちをする。
「いいか神内、田中や吉田が言うには新城はいま風邪で体調を崩しているそうだ。分かるか? これはチャンスだぞ」
田中と吉田は新城と仲が良い女子のことだ。いったいなにチャンスなんだよ。あとそのつき立てた親指とグッドスマイルはなんだよ?
「先生はお前の味方だ。なんでも相談にのってやるからいつでも頼れよ」
なぜうちの担任はこうも生徒の青春に首突っ込むのが大好きなのだろうか? いま俺と新城は、古舘のかっこうの餌食となってしまっているようだった。
「なら言わせてもらいますけど、それだったら連絡取り合ってる田中さんか吉田さんに任せても良かったんじゃないんですか?」
「ふむ。先生も最初は田中や吉田のどちらかに頼もうとも思ったんだがなぁ、ほら、あいつら二人とも部活やってるから、その後ってなると遅い時間になるだろう? その点お前だったら部活やっていないし、家も近所だから時間に余裕があるじゃないか。それに……お前たちの仲は教師の間でも噂になっているからなぁ。まぁ、不順異性交遊は教師の立場から許可できないが、一人の男としては応援してるからがんばれよ」
と言ってぽんと肩を叩く。『ふざけんな! こっちだって帰宅部っていう至高の部活動してんだよくそが』などと胸の内を解き放つことなど出きるわけもなく、古館に押し切られる形でいまこうして新城の家の前に立っているわけだ。
以上、回想終わり。
「すーはーすーはー……」
深呼吸してインターホンに指を伸ばす。しかし、そこからもう一押しがどうしてもできない。なんでできないかはわかってる。新城とケンカ(?)したからだ。伊達にぼっちで過ごしてきた期間が長いわけではない。『友達の作り方』なんてもの知らなければ、『ケンカした時の仲直りの仕方』なんてものはもっと知らない。
(落ち着け俺。インターホン鳴らしてプリントを渡すだけだ。ただそれだけだ。それとも他になんかしなきゃいけないんだろうか? 「こないだはゴメン」とか、「体調大丈夫」とか、「土曜日どうしよっか?」 とか。 あー、わかんねー! わかんねーよクソ! 仲直りってどうやってすんだよー!)
頭を抱えて悶々とする。かれこれもう十分ほどここでこうしているわけだが、そろそろ新城のご近所さんたちに通報されていてもおかしくはない。
(おっし! 押す! 決めた……俺はインターホンを押すぞ!)
意を決し、まず右手人差し指を天にかざす。
「神よ……大いなる神よ……我が右手に力を……そして我が心に勇気を与えたまえ!」
そう唱え、人差し指を真っ直ぐにインターホンに向ける。
(目標、純白のボタン。いざ突撃!)
白いボタン目掛けて指が突き進んでいく。五センチ手前で指の進行が一旦止まってしまうがここで引くわけにはいかない。歯を食いしばり、右手に力をこめ、いままさに指先が――、
ガチャ。
玄関のドアが開いて新城が出てくる。
「あ……」
「げ……」
バッチリ目が合ってしまい、二人の動きがまるで動画を一時停止したかのようにピタリと止まる。
(えっと、こういう場合どうしたらいんだ? まずいまずい気まずい。……そう、プリントだ。まずはプリントを出して――)
動揺を隠しつつ鞄を開けるが、バサバサと見事に中身をぶちまけてしまう。
「うおぅっ!」
すぐにしゃがみこんで慌ててぶちまけた品々を拾い集めていると、新城が近づいてきて手伝ってくれた。
「……はいこれ」
拾い集めたノートやら、教科書やらをまとめて差し出してくる。
「……お、おう。ありがと」
「どういたしまして」
あれ? なんか新城元に戻ってない? 俺たちケンカしてたんじゃないの?
「あ、あのさ――」
「ごめんなさい神内くん!」
俺が話しかけるより早く、新城が頭を下げて謝ってきた。
「え、い、いや――」
「あたしね……あの後すっごく後悔したの。神内くんは……神内くんはあたしを励まそうとしてああ言ってくれたの分かってたのに……あたしったら感情に任せてひどいこと言っちゃって……本当にごめんなさい」
と言って再度ぺこり。こんなふうに素直に謝ってくる新城を見てると、プリントを渡すだけのことにウダウダしていた自分が恥ずかしい。
「い、いや、俺の方こそごめんな」
「なんで神内くんが謝るの? 神内くん悪くないんだよ」
「いんや、新城があんだけ取り乱したんだ。ってことは俺が新城の触れて欲しく無い場所にずかずか上がりこんだってことだよ。悪いのは新城じゃなくて俺なんだよ。それに新城ってさ、自分のことじゃなくて人のことでぶち切れるタイプじゃん?」
「『ぶち切れる』って……神内くんのあたしの印象ってそんな感じなの?」
「そこは良い意味でだよ。とにかくだ、あの時新城が取り乱したのはきっと……誰かのためだったんだろ?」
しばしの沈黙。どこかで犬の鳴き声がした。
「ずるいよ。……ずるいよ神内くん……そんな風に見透かされたらもう誤魔化せないじゃん」
どうやら読みは当たったらしい。
やがて、
「神内くん……ちょっとこのあと付き合ってもらってい?」
何やら覚悟を決めた表情で、真っ直ぐに俺を見つめながらそう言ってきた。
「いいぜ。こないだのお詫びにどこへでもお供いたしましょう」
「もう、からかわないでよ。ちょっと待ってて家の鍵閉めてくるから」
「おう……っと、ついでにこれ」
そう言って担任の古館から託されたプリントの束を渡す。新城はペロっと舌を出してそれを受け取り、家の中に戻ると、暫くして何故か制服に着替えた新城が出てきた。
新城と一緒に歩き出す。
「どこ行くか聞いていいか?」
俺の質問に、新城はちょっとだけ困った顔をする。
「んっとねー、実はこれから……あたしのママに会いに行くのです!」
ママ? ママって母親のママ? うっわー、いきなりだなコレ。まあ、正直自分でも『さおりんを愛でる会』の連中に命を狙われるぐらいいは「最近新城と仲いいよなー俺」とか思っていたが、まさか……まさかもう親を紹介されるレベルまで仲が進展していたとは自分でもビックリだ。それもこれもぜんぶ『インパルス』と親父のお陰だなうん。あとDoll。
「ま、ママってお母さんのこと?」
「そうだよ。なんかごめんね。一人で行く勇気が持てなくてさ。でも神内くんがいれば……ママの前でも強がれると思うから」
強がる? なんで母親の前で強がるんだ? そもそも新城の母様はいったいどちらにいるのでしょうか? そんな新城の意味深な発言に疑問を持ちつつも、連れられるままに黄色いラインがイカす総武線の電車に乗り込み、四谷で降りてこんどはバスに乗り、有名な大学病院へと辿り着く。
「えーっと、びょーいん?」
「そう、病院。ママね、入院してるの」
「そ、そうなんだ」
裏返った声でなんとかそう返した。新城は軽く言うが、その顔はどこか強張っているようにも見える。
「こっち」
新城の後をついて行って病院内をぐりぐり進み、なんだか良く分からないけど新城に言われるままに受付を済ませ手とかいろいろ消毒してマスクを装着し、やっと病室の前へと着く。ちらりと看板を見るとそこには『無菌病室』の文字。新城が扉を開けて中に入っていくのでキョロキョロしながら後に続く。
「いらっしゃい沙織。あら、今日はお友達も一緒なのね」
そこには、ベッドから上半身だけ身体を起こし、にこやかに微笑む品の良さそうな女性――新城の母親がベッドに寝ていた。無菌病室ってぐらいだから、ただの入院なんかじゃないことはバカな俺でも分かる。
髪の毛はすべて抜け落ちてしまっているのか、頭にはニット帽のようなものを被っていた。顔は新城にそっくりだ。きっと若い頃はモテまくったに違いない。
「はじめまして、沙織の母です。娘がいつもお世話になってます」
上半身を起こして微笑みながらそう挨拶してくる。
「あ、は、はじめまして、神内って言います。こちらこそいつも新城……さんには助けられてます」
「あらやだ……あなたが沙織が良く話す神内君なのね。ひょっとして沙織の彼氏さんなのかしら?」
「ちょっと、ママ何言ってるの! 神内くんはただの友達だって!」
思わず大きな声を出して全力否定する新城。だがその顔は赤い。そんなに俺の存在は恥ずかしいのか? てーか、友達宣言が出ちまったよ。「よく話す」ってのはおそらく一緒にDollやってるからだろう。
「あらあら、ムキになっちゃって。ごめんなさいね神内君。この子意地っ張りだから手がかかるでしょ?」
「もー、ママ神内くん困らせないでよ。学校帰りに付き合ってもらってんだから」
なるほど。ここ三日間学校を無断欠席してることは内緒ってことね。だからわざわざ制服に着替えてきたわけだ。把握した。
「あらそうなの?」
「俺、いや、ぼ、僕は部活やってないんで放課後は暇なんですよ」
「ふーん、てっきり沙織が始めての彼氏を紹介してくれるのかとママ思ったのにな。残念」
そう言ってペロっと舌を出す。さすが親子、仕草が似ている。てーか、この二人は本当に仲がいいんだろうな。恐らくはこのママさんの仕草を新城が真似して癖になったんじゃないか。
「俺……じゃない、僕ちょっと外に出てますね」
「あら、ここにいていいのに」
「いえいえ、親子の時間を邪魔するほど無粋な人間じゃないんで。んじゃ、待合室にいるからゆっくりでいいからなー」
そう言ってニコニコ顔の新城ママに見送られながら病室から出る。うん。コミュ障の俺にしては頑張れたはず! そう自分を褒め称え待合室で新城を待った。
「神内くん、お待たせ」
すっかり外が暗くなった頃、新城が申し訳なさそうな顔をしながら俺のところにやってきた。
「もういいのか?」
「うん。ていうか面会時間ちょっと過ぎちゃって看護士さんに怒られちゃった」
そう言って恥ずかしそうに頭をかく。
「オッケ。んじゃー……帰るか」
「うん」
病院を出て駅に向かうバスに乗り、電車に乗り換え駅で降りる。その間、俺と新城は一言も話さなかった。
新城の家に向かって二人並んで歩いている時、新城がやっと口を開く。
「何も……聞かないんだね」
「新城が言わないってことは言いたくないってことだろ? だったらそれでいいよ」
「優しいんだね、神内くんは。キョウジのプラモデル作ってくれたり……Doll教えてくれたり…………今日だって何も言わずに病院まで付き合ってくれてさ……ホント優しいんだから……」
新城の歩みが止まる。俺は振り返って新城を見た。新城は顔を俯けたまま続ける。
「あたしの…………あたしのママね、病気なんだ」
それは入院してるあの状況を見てしまえば誰でもわかるだろう。しかも無菌病室って書いてあるぐらいだから、やっかいな病気だってことも。
「血液の病気でね……免疫がすごく弱くなってて……風邪引いただけでも命に関わるんだって。……だから……だからね、ママ……あそこから…………あの病室から出れないの。東京からね……出れないんだよぉ……」
足元に新城の目から雫がこぼれ落ち、ポツ、ポツ、と乾いたアスファルトにシミを作っていく。そしてせき止められていた水が溢れ出るかのように新城が溜め込んでいた想いを吐露しはじめた。
「ママは、ママはねぇ……一人でずっと抱え込んでたの、パパがっ、パパが知らない女の人を連れて家を出ていった時も……『大丈夫だから』って、『ママが沙織のそばにいるから』って、一人で抱え込んで……あたしを心配させないように明るく振舞って……そんなの……そんなの見たらさぁ、あたしだって笑わないとダメじゃない。あたしも笑ってさぁ、ママのこと安心させないとだめじゃない」
そうか。やっと分かった。クラス全員に別け隔てなく接し、いつも明るいクラスの人気者。それが周囲の新城へ対するイメージだ。でも、それは母親を安心させるための作り物でしかなく、その裏にはこんなにもか弱く泣き虫な少女がいたのだ。たしかに……たしかに俺は新城の表層しか知らなかった。これじゃ「あたしのこと何も知らない」と言われても仕方がない。新城に「友達」って言ってもらえて浮かれてた自分を全力でぶん殴ってやりたいぐらいだ。
「でも……でもさぁ、急に病気になっちゃって、急に入院することになっちゃって……治すにはドナー適合者がいないとムリって言われてさ。知ってる? ドナー登録ってさ、十八歳からじゃないとできないんだよ。家族だから適合率高いはずなのにさぁ……あたしじゃまだ早いって言われてさぁ……でもママはあたしを心配させないように笑ってて………あたしもぉ、ママのために笑ってて………でもさぁ、もう笑えないよ……こんなんじゃぁ……もう笑えないよぉ」
手で顔を覆い、その口からは嗚咽が漏れる。新城はいままで溜め込んできたすべてのものを吐き出すかのように肩を震わせて泣いていた。
「新城……」
俺は新城の名を呼びながら一歩踏み出す。しかし、
「だからっ! だからあたしは東京から……ママのところからは離れられないの!」
その歩みは新城の言葉によって止められた。
「ごめんね神内くん。あたしね、休んでる間ずっと一人でDollやってたの。でも何度やっても勝てなくてさ。だからね、もう諦めちゃったの。こんなんじゃママのこと守れないって」
顔を上げて微笑む。
「だからね、守れないならせめて『最後の時』を迎えるならあたしは家族と……ママと一緒にいたい。最後までママと笑いながら一緒にいたい。神内くんは……神内くんはちゃんと東京から避難してよね。あと……たまにはあたしのこと思い出してくれると嬉しいなぁ」
そう言って新城は走り去っていった。追いかけようと振り返った時にはすでに新城は遠くにいて、それでも何とか駆け出すがいかんせん帰宅部で体力がない俺はすぐに息が上がってしまい、追いつくことができなかった。
「ちくしょう……」
自分のふがいなさに涙が出てくる。友達が泣いてるってのに、俺は何も声をかけてやることができなかった。




