第二十四話 真相 後編
「は? ふわぼーえーだいじん?」
そう復唱した時、目の前のはげちゃび……いやいや、おっさ……違う違う。不破防衛大臣の顔が記憶の中からサルベージされる。そうだ、そうだった。通りで見たことがあるはずだ。ニュースや政治討論番組でたびたびテレビに映っていて、特に最近ではニュース番組を賑わしている、自衛隊とアメリカ海軍との日本周辺海域での合同演習を強行しようとしているとして、野党の槍玉に上がっている人物だ。政治に興味なく、テレビでそれっぽい流れになるとすぐにチャンネルを変えてしまう俺だが、逆にそれがサブリミナル効果となってこの不和大臣の顔を憶えてたんだと思う。だから政治に疎い俺でも記憶の中から大臣の顔をサルベージできたわけだ。
「た、橘……さん。な……なぜにここにお大臣さまが?」
左隣にいる橘にそっと聞いてみる。……と、待った待った。この男は大臣と個人的なパイプを持っているんだ。ここは改めて『橘さん』と呼ぶことにしよう。
「ははは、驚かせちゃったかな?」
「そりゃ驚きますって! なあ新城?」
新城の方を向くと新城はトロンとした目で窓から外を眺めている。こ……こいつ、また俺にまる投げして現実逃避しやがったな。
「くっそ、わけがわからねぇ!」
両手で自分の頭をくしゃくしゃに掻き毟る。俺の脳のスペックじゃそろそろ耳からプスプス煙が出てくるぞこんにゃろー。
「橘君、君は彼らに事情を説明していないのかね?」
大臣が橘さんに静かに問いかける。さすが大臣。その言葉に威厳が感じられるぜ。まあ、たぶん俺がこの空気に飲まれているだけだけどな。
「説明はしたのですが信じてもらえませんでした、ですのでこうして大臣をお呼びたてしたわけですよ」
「成る程な。確かに私も最初聞いた時は信じられなかったのだから、無理はない」
大臣はそう言い自嘲的な笑みを浮かべながら何度も頷く。
「ふむ。では私から説明をするか。君、名前は何という?」
「え? えっと、俺……いや、ぼくは神内ツクモと言います。こっちは――」
「し、新城沙織です」
あたふたとしながら自己紹介する俺と新城。一時的にせよ、新城がこちらの世界に帰ってきてくれたことは素直に喜ばしい。
「神内ツクモ君に新城沙織君か。どちらも良い名前だねえ」
と言って大臣はにっこり。政治家って汚職や癒着で真っ黒なイメージを勝手につくっていたから、この反応には少々驚いた。もっと一般人なんかゴミ扱いしてくるもんだと勝手に思っていたからだ。なのにこの大臣は俺らと同じ目線で語ってきてくれてる。
「さて、何から話そうか。まず橘君からケルビムのことは聞いたかな? 先進国のありとあらゆる軍事コンピュータをその支配下に置いた人工知能ケルビムのことは?」
俺と新城はコクンと頷く。
「よろしい。この情報は機密レベルが高くてね。一般人には橘君たちの〈八咫烏〉を初めとするDollのトッププレイヤーにしか話していない。無論、他言は無用だ。もし話した場合は……ちょっと大変なことになるからね」
大臣の言う「ちょっと大変」は、俺たち一般ピーからしてみたら「絶望的なまでにエライこと」であることは間違いない。だって大臣の目が笑ってないもの。
「ハイ大臣。質問です」
新城が右手をしゅばっと上げる。お前は恐れを知らないのか。
「なんだい新城君」
「橘さんはあたしたちにその人工知能のこと話しちゃいましたけど、問題はないんですか?」
「なかなかいい質問だね。もちろん大問題さ。昨日橘君から報告があってね、悪いが君達のことを監視させてもらっていた。君たちが誰かに話すんじゃないかとひやひやしたものさ。なんせ、これは日本だけの問題じゃないからね。橘君にも『お仕置き』が検討されたが……君達二人が橘君のチームに加入することを条件に保留にしてあるんだよ」
「ということなんだ神内君。だから君達二人が〈八咫烏〉に入ってくれないと僕はとても困ることになるんだ」
「そ、それって……入んなかったら『俺たち』も困ることになりますよね?」
橘さんは無言のまま笑っている。俺はそれを肯定と受け取った。
「……そんなん選択肢ないじゃないですか」
「すまない」
とは橘さん。ここまで巻き込んでおいて本当にそう思ってるのか?
「だがメリットもあるんだよ神内君」
「メリット……ですか?」
俺の疑問に今度は大臣が答える。
「そう。メリットだ。君達がケルビムを打ち倒し戦争に勝利することができたのなら、日本政府としてあらゆる報酬を与えることを約束しよう」
「ほ、報酬?」
「そうだ。具体的には金銭で買えるものは大抵手に入ると思ってくれていい。地位を望むなら、私のコネが通じる限り、いくらでも便宜をはかろう」
何でも? 例えばあれやこれ、ちょっと口には出せないあんなことまで望んでもいいのだろうか?
「ほ、本当……ですか?」
「本当だとも。まあ、政治家の言葉を言葉通りに受け取る者は少ないと思うがね。私の言葉は信じてくれていい。君達に出す報酬は国民の血税から出すことになるが……この国を救えるのならば、誰もが納得する使い方でもあるだろう。文句は言わさんよ」
なーるほどね。確かに日本を救えるのなら――って、おい、いまなんて言った?
「ちょっと待って下さい! この国って……『この国を救える』ってどういうことですか?」
「おや? 橘君、そのことは話してなかったのかね?」
「申し訳ありません。さすがにそこまでは話してはいけないと思ったもので……」
大臣は一度だけ頷き、ため息を吐く。
「確かに……最重要機密だからね。橘君、君の判断は正しいよ」
大臣がこちらの方を向き、続ける。
「いいかい神内君、ケルビムに戦争で敗北した場合はホスト国にペナルティが与えられるのは聞いているかな?」
俺と新城が緊張した表情で頷く。
「ここまでの流れでもう分かっていると思うが、次の戦争にケルビムが選んだホスト国は……日本なんだよ」
「…………日本……ですか?」
かすれながらもなんとか声を出すことが出来た。
「ああ。残念だが本当だ。ケルビムが次に選んだホスト国は日本。そしてペナルティ対象地域は……東京だ。東京といってもケルビムの標的が東京都全域なのか、それとも東京の一部なのかは分からない。だが我々は対象地域が東京全域なのではないかと睨んでいる」
「どうしてそう思うんですか?」
「戦争の規模だよ」
「規模?」
オウム返しに問う俺に橘さんが答える。
「ケルビムから与えられるペナルティの大きさは戦争の規模――この場合はDollの参加機体数で決まる。先日言ったR国での戦争は人類側の参加機体数が三百、ケルビム側を合わせても千機に満たない規模の戦争だった。それでもその戦争で破れたR国の人口五万人が住む街が文字通り消滅した。まあ、住民のほとんどが事前に避難出来ていたそうだから、人的被疑は少ないみたいだけどね。…………問題は日本での次の戦争だ。」
「……ど、どれぐらいの規模なんです?」
長い、長い沈黙。やがて大臣が橘さんに代わり重い口を開いた。
「人類側の参加機体数は五千。ケルビムとの戦争ではかつて無い規模になる。負けた場合の損害は想像も出来んよ」
「そんなっ……戦争は……戦争はいつなんですか?」
「五日後の土曜日。日本時間で夕方の六時だ」
隣にいる新城の体がびくりと震える。
「も、もうすぐじゃないですか! 東京にいる人を避難させなきゃヤバイじゃないですか!」
「無理なんだ」
「どうしてですか!?」
「一度に東京都民、一千万人もの人数を移動させることは不可能に近いし、それに政治家連中は一枚岩ではない。もともと東京に様々な機関が一極集中していることを良しとしない議員も多いし、仮に東京の街が壊滅したらしたで、復興の名目で内需が潤うなどと言っているばか者もいる。政治家は大そうなことをよく言うが、けっきょく突き詰めてしまえば国を動かすということは、足し算と引き算の繰り返しのようなものなのだよ。今回の件もそうだ。その足し算と引き算をした結果、『都民の避難は行わない』という結論に達したのだ。私は防衛大臣なんて大そうな肩書きを持ってはいるが……私一人の力では東京の住民を避難させることができなかったのだよ」
「そんな……そんな……」
目の前が真っ暗になる。誰かに冗談だって言って欲しかった。
「神内君、大臣もできる限りのことをしているんだ。最近ニュースを賑わせている各国の海軍による合同軍事演習は知っているかな? その訓練日は五日後、つまりあれはケルビムからのミサイル攻撃に備えて行われるんだ」
橘さんのあとを大臣が続ける。
「ミサイル防衛機能を持つ軍艦を各国から借りれるだけ借りた。これでケルビムがミサイルを撃ってきても東京に命中する前に撃ち落せるはずだ。しかし……物事に絶対ははない。ミサイル攻撃など無いほうがいいに決まっている。だからこそ私はいまここで君とこうして話しているのだよ神内君。橘君がケルビムに対する切り札に選んだ君とね」
大臣の言葉が耳に入ってきて、その言葉の意味を遅れて理解する。
「え? 切り札……俺が?」
俺の問いに橘さんが答える。
「そうだ。君が、だ。戦争でのケルビム側の勝利条件はこちらの全滅。だが、我々人類側の勝利条件は敵の殲滅ではなく、敵の指揮官機の撃破なんだ。たとえこちらが四千九百九十九機落とされても、最後の一機が指揮官機を――ケルビムを落とせば人類側の勝利となる。僕はね神内君、君が、君こそがその最後の一機だと思っている。ニ億人を超えるプレイヤーの中でただ一人、近接武器のエネルギーブレードで戦う君こそがね」
すべてが繋がったような気がした。過剰なまでのDollのゴリ推し報道、コツさえつかめばほぼ無料で遊べるDollのポイントシステム。必要だったのだ。Dollプレイヤーが、ケルビムと戦うDollに乗れる兵士が人類には必要だったのだ。
「五千って……五千って現実的な数字じゃないですよね? それだけのプレイヤーをいったいどうやって集めるんです?」
「僕達八咫烏は元より、Sランクプレイヤーは強制に近い感じで参加することになる。まあ、ケルビムのことを知らないプレイヤーには『賞金』をちらつかせることで参加してもらうんだけどね。それにアメリカを始めとした各国のトップチームにも、外務省を通して協力を要請してあるそうだよ。それでも五千には届かないだろうから、あとはランクの高い順に国内のプレイヤーに参加してもらうことになるだろうね」
「世界各国のトッププレイヤーですか……」
「ふっ、表向きは『支援』などと言っているが、他の国は今回のような大規模戦争のデータが欲しいだけだろう。いつか自国に災厄が降りかかってきた時のためにな。まったくもって……ふう、日本が沈んだらいったいどれだけ世界経済に影響が出ると思っているんだ」
大臣が悔しそうに顔を歪ませる。
「日本が……沈む?」
俺の問いに大臣は「そうだ」と言って頷く。
「日本はすべてのものが東京に集中している。集中しすぎている。東京が消滅するということは、日本が消滅するのと同義語だよ。もとの水準に戻るのに何年かかるか想像もできん。もっとも、それに気づかんボンクラ共も政治家を名乗っているがな」
「そんな……」
「神内君、〈八咫烏〉に入ってくれるね?」
橘さんが俺の肩に手を置き、静かにそう言ってきた。
「………………ずるいっすよ橘さん。こんなん……こんなん断れ無いじゃん」
「すまない」
「申し訳ないが私の時間はここまでだ。五日後に備えてやるべき事が山済みなのでね。ここで失礼させてもらうよ」
そう言って大臣は車から降りていった。助手席のでけえのが「家まで送ろう」と言ってくれたのでその言葉に甘えることにする。車が動き出し景色が流れる。車が秋葉原にさしかかったところで一旦停車し、
「僕もここで失礼するよ。今日はじっくり考えて、後日返事を聞かせてくれ」
と言って、橘さんは自分の連絡先と戦争イベントへのログインパスワードが書かれた紙を俺に押しつけてから車を降りる。あれから新城はずっと無言だ。強くスカートを握っているため、裾がくしゃくしゃになっている。
「新城……スカートしわになるぞ」
反応はなし。俯いて表情は見えない。そうとうショックだったんだろう。
やがて、車が俺の家の前で停まり、わざわざでけえのがドアを開けてくれた。
「じゃあ新城。俺は降りるぜ」
そう言って車から降りようとした俺の腕を新城が掴む。
「な、ど、どうした新城?」
「………………で……」
「え?」
「ひとりに……しないで……」
新城が一向に俺の手を離す気配がなかったので、そのまま一緒に車から降りる。新城はずっと俯いたままだったが、俺の手を握る力は強い。
「あー、とりあえず部屋に行くぞ」
新城は俺に引かれるまま家の中へと入ってきた。俯いたままの新城を部屋に入れてからとりあえずリビングへ行ってみる。妹の気配はない。テーブルの上には置手紙があり、それを見るとどうやら今日は友達の家に泊まるそうだ。ある意味グットタイミング。お茶を淹れて部屋へと戻り紅茶の入ったカップをローテブールへ二つ並べる。
「……大丈夫か新城?」
答えは返ってこない。ってことは「大丈夫じゃない」ってことだ。まあ、俺自身あんな話を聞かされて動揺しているけど、先に新城がこんな風にショックを受けているからとりあえずは冷静でいられるのかも知れない。ならば元気づけるのが『友達』の役目だろ。
「まっ、あんな話聞かされて大丈夫なわけないよな。俺だってショック受けてるしさ。でも考えようによっちゃラッキーだと思わないか? 誰も知らない、誰にも知られちゃいけない情報を知ることが出来たんだ。土曜日までに仲良い人たちをどうにか言いくるめて東京から避難させることが出来るもんな」
落ち込んだ新城を元気つけようと明くつとめる。俺の言葉で新城がピクリと動いた。お? 効果あったか? なら――、
「俺は両親が名古屋に住んでるから妹と一緒にそっちに避難するけど新城はどうする? あ、新城は俺と違って友達多いからみんなでプチ旅行とかしてきたらどうだ? 新城の家族にはぷらっと温泉旅行にでも行ってもらってさ」
土曜日に向けて避難の仕方を提案する。こうやって口に出すと考えがまとまってくるから不思議だ。妹を説得すんのは大変かも知れんが、お小遣いと名古屋行きのチケットをちらつかせれば首を縦に振るだろう。親父の長期出張に初めて感謝だな。
「……りだよ」
「え?」
「神内くん……無理……なんだよ」
「無理? なんで? だって避難しないと東京が大変なことになんだぞ!」
「無理なの」
「無理なんて言ってる場合じゃないだろ? 救いたかったら動かなきゃ……俺たちが動かなきゃ家族も友達も死んじまうかも知れないんだぞ! 我がまま言ってる場合か!!」
「だって無理なもんは無理なんだもん! 何よ、勝手なこと言ってさっ! 情報を知れてラッキー? あたしの家族には温泉にでも行ってもらってさ。だって? 何も知らないくせに……あたしのこと何も知らないくせに! 勝手なこと言わないでよ!」
突然新城が叫び、俺はそのあまりの豹変ぶりに驚く。
「な、なんだよそれ!? そんなん知るわけ無いじゃんか。新城が説明してくれなきゃ知るわけないじゃんかよ」
「そうだよね。神内くんは知らないもんね。だから勝手なこと言えるんだもんね。あたしが……あたしがどんな想いであんな話聞いてたか神内くんには分かんないもんね!」
「分かるわけないだろ! 俺はお前じゃないんだから!」
「そんなの当たり前じゃない! あたしは神内くんじゃないし、神内くんはあたしじゃない! だから――だから…………ごめん、帰るね……」
そう言って新城は荷物を持って部屋から出て行く。下から玄関の閉まる音が聞こえて足跡が遠ざかっていった。
「なんなんだよ急によ!」
そう悪態をついてベッドの上にある枕に何度もパウンドを喰らわす。なにが「無理」なのか理解できない。土曜の夜には東京が吹き飛ぶかも知れないってのに新城のヤツは「避難できない」と言いやがった。あげくに、「あたしのこと何もしらないくせに!」だぁ?
怒ると頬が膨らむこと。さらに怒ると唇が突き出てくること。あんな可愛いのに残念なぐらいロボットオタクでキョウジオタクなこと。以外にも料理が上手いこと。嫌いなヤツが近づいてくると露骨に顔を歪めること。
いろんな新城を見てきた。いろんな新城を見て俺は新城のことを知ったつもりでいた。誰にも胸を張って「友達」と言えるぐらい二人の距離は縮まってると思っていた。でも…………でもそれは俺の勘違いだった。俺は新城のことを何も知らないそうだ。だって本人にそう言われてしまったのだから。
「くそ…………くっそぉぉぉぉー!」
特大のパウンドを枕に振り落とし、カバーが破れて中身がこぼれ落ちてくる。
「くそが…………」
俺の消え入りそうな声だけが部屋に響く。
翌日、新城は学校に来なかった。




