Act.04
物探しをしながら片付けるという手順だったが、目的のシガレットケースが見つかった。そのため片付ける一辺倒になったことから仕事の進みは一気に早くなった。
一時間ばかりで隙間の空いていたトラックの荷台をゴミで一杯にして安住家を後にした。電話連絡を入れていた廃棄物処理場に立ち寄った帰り道、渋滞が面倒になって手近にあるファミリーレストランの駐車場に車を入れた。
「今日の飯、面倒だからここでいい? この渋滞の中帰るの面倒だし」
「別にどこでもいい」
駐車場に停めているのだから、今さら許可を取るのもおかしなものだが、正直言えばコウは否定しないだろうと踏んでた部分もある。
二人揃ってファミレスに入ると注文をしてドリンクバーで飲み物を用意してようやく落ち着く。
「で、聞いてなかったけどシガレットケースってどこにあったんだよ」
「押し入れの棚の中」
「鏡は関係なかったのか?」
「いや、関係はあった」
手にしていたコーヒーを口に入れた円城寺は僅かに顔をしかめてカップを戻す。どうやらファミレスの煮詰まったコーヒーはお気に召さなかったらしい。
「どういうこと?」
「押入の襖を開けて鏡の前に立つと、場所がわかるようになってた。実際、襖を開けた段階で注意深く見ていればわかったんだろうがな」
「だから、わかりやすく説明しろって。何が決め手になったんだよ」
「矢印」
端的すぎてさっぱり分からない俺は「はぁ!?」と問い掛けるしかない。だが、一応コウも説明する気はあるらしい。
「鏡台についている椅子に座って鏡に座ると、丁度おもちゃの旗が矢印の形をしていた」
そう言ってペーパーナプキンを取り出したコウは、胸元のポケットからボールペンを取り出すと真っ直ぐに一本線を引き、直線の下から下向き三角形のラインを引く。
確かに矢印だが、それがどう旗と関係あるのかがわからない。
「赤と白の旗があって、棒の部分は糸で絡めてあった。普通の旗であれば矢印にならないが、あれは矢印を作るために安住さんのお婆様が紙を貼り替えたんだろう。旗の下部が棒に対して直角だったからな」
確かに言われてみれば、三角形の旗というのは大抵二等辺三角形だ。もし棒に対して直角にするのであれば、大抵の場合旗の上が直角になる。
「普通に押入を開けただけだと、おもちゃの旗が落ちた程度にしか思えない。でも、鏡台の椅子に座って背後を見ると、そこには矢印が浮かび上がる」
恐らく俺がそれを見たら、素直に旗が糸に絡まってるな、ってことでおもちゃの置いてある場所に移動して終わりだ。
しかも、普通に上から見れば、旗が糸に絡まっているな、と思うくらいで矢印に見立てたりしない。
「へぇ、椅子に座らないと気づけない目の錯覚を利用したってことか。コウもよく椅子に座る気になったな」
「お婆様の足が調子悪かったと彼女も言っていたからな。だとしたら、考える時も椅子に座っていたと考えただけだ」
「ふーん。まぁ、とりあえず物が探したし、あとは片付けで一件落着だな」
片付けだけであれば、明日九時から入れば明日中には家の片付けは終わる。それなのに、コウの表情は何か考え込む様子だ。
「もし、片付けるのにお婆様の部屋から片付けていたらどうなっていた?」
「は? あぁ、シガレットケースのこと? 押入をコウが片付けてたなら数日中に見つかったんじゃないか?」
「それなら、トオルか彼女が片付けていた場合は?」
「そりゃあお前、あれだろ、真相は藪の中状態だな」
少なくとも俺が片付けていたなら、後から真相に気づけたとはとても思えない。そもそも、片付ける時にそこまで物の配置を覚えていられる訳でもない。
「……もしかしたら、お婆様は彼女にあれを渡すのをためらっていたのかも知れない」
訳が分からない。渡したいからこそ遺言に残したのだろうし、松本に手紙を預けていたのだろう。だが、そう言われるとシガレットケースくらいなら直接松本に渡して置いても問題はない筈だ。
「うーん、そういう考え方もありなのか? でも、シガレットケース一つにためらう理由がわからないんだけど」
「トオルから見てあのシガレットケースをどう思った?」
「どう思ったって……年季が入ってるけど良い味だしてるシガレットケースだと思った。ケース外側の鼈甲がいい味だしてたし。ただ、あの光り物はちょっとな、って気がしたけどな」
俺の言葉を聞いたコウは、僅かに間を置くと深々とため息をついた。
「何だよ。そういう反応傷つくだろ」
「今さらこれくらいで傷つく繊細さなんてないだろ」
「まぁ、そうだけど……で?」
「あれは高価な物だ。少なくともトオルが思っている以上に」
そう言われてもピンとこない。恐らく彼女だってピンときていないに違いない。
「トオルも彼女も鼈甲と言ってたが、あれは琥珀だ。キラキラとして見えたのは気泡と虫の死骸だ。琥珀っていうのはそんなに高い物じゃないが、あの大きさの琥珀となるとかなり高価なものだ」
「は? 琥珀って石だろ? あのケース、そんなに重くなかったぞ」
「樹液が硬化したものが琥珀で、基本は樹脂だ。だからそんなに重いものじゃない。それに薄くガラスコーティングしてあった。ガラスコーティングする技術があるなら年代的には恐らくそんなに古いものじゃない。トオルが光り物だっていってたあれもダイヤモンドだ」
予想もしていなかったダイヤモンドの登場に思わず瞬きを忘れる。趣味の悪い光り物くらいに思っていたけど、まさかダイヤモンドなんて思ってもいない。
そもそも、俺にとってダイヤモンドというのは手の届かないお高い宝石、という印象しかない。元々宝石類に興味がない男の知識なんてこんなものだと思う、と自分を庇護してみたがかなり情けないものがある。
でも、今の興味は宝石云々よりも礼のシガレットケースだ。
「それマジ? それじゃあ、あのシガレットケース、幾らくらいするもんなの?」
「専門家に見て貰わないと分からないが、虫と気泡が入ってあの大きさとなれば片面だけで軽く見積もって三〇〜五十はするだろう」
「じゃあ、両面で六十万ってことか。うーん、そんなに大それた物って気はしないけどなぁ」
まるで可哀相な子供を見るような目でコウに見られ、俺としてはふて腐れるしかない。コウに言われたから単純計算しただけなのに、どうしてそんな顔されるのか納得もいかない。
「軽く見積もってと言っただろ。少なくともあの大きさの琥珀は見たことがないし、中に入っている虫によっては博物館クラスものだ。種類が違うトンボらしきものが琥珀の中に見えた。しかもあのダイヤの輝きも悪くない」
「何だよそれ……えー……すげぇベタベタ触っちゃったけど」
「そのためにガラスコーティングしているんだろ。琥珀は傷がつきやすいからな」
博物館クラスのものがどんな価格になるかなんて庶民感覚の俺にわかる訳がない。ただ、貴重なものだということはわかる。
「それ……彼女には言わないのか?」
「何故言う? 必要であれば彼女のお婆様が伝えた筈だ。伝えなかったということは、必要ないと思ったことだろ」
そう言われると正論ではあるが、下手したら博物館クラスのものを安易に扱っていいものかさすがに迷う。
「説明して鑑定して貰った方が……」
「鑑定して国所蔵となればどうなる? 彼女の手元には残らない。お婆様は遺書に残してまで彼女に渡したいと思っていた。違うか?」
確かに間違えてはいない。いないけど、価値が分からないまま持っていて破損したら後悔しそうな気がする。
いや、そもそも価値が知りたいという好奇心かもしれない。そう思うと強くは言えない。
「ただ、気になることはある」
「何だよ、もったいつけて」
「あれが本当に貴重な物であるなら彼女の祖母が手に入れたのか、ってことだ」
言われてみればそうだ。もし貴重な物であるなら普通に生活していて手に入れられる物ではない。それこそ金持ちの裏ルートか闇オークションなど、一般人には遠い世界の出来事だ。
「調べるか?」
「いや、必要ないだろう。あれが本当に博物館クラスの物かわからない。わからないなら、これ以上踏み込むべきではないだろう」
「でも、一応ダイヤだったんだよな?」
「ダイヤは一般人でも手に入る物だ。……調べたいのか?」
再び問い掛けられて改めて考える。
多分、好奇心を満たすためだけに調べたいのかもしれない。ただ、これ以上踏み込むのはJOATの立場として得策でないことはわかる。
「やめとけ。下手に動けば変なところに目をつけられる」
「だな。まぁ、下手な失敗なんてしたことないけど。それに、下手な失敗なんてしないことがわかってるから俺と組んでるんだろ?」
その問い掛けにコウは答えない。ただ、薄く口元に笑みを浮かべた。
「オッケー。この件は調べない。それでいいだろ?」
「あぁ、そうしてくれ。トオルが派手に動いてうちが目をつけられると面倒なことになる。表立って名前を売りたい訳じゃないからな」
「分かってるよ」
コウが円城寺の末子=JOATという繋がりを持たせたくないと思っていることは知っている。だから、派手な立ち回りを良しとしない。
ただ、必要とあれば名前を使うことは厭わないし、俺自身も好きに動くことを任されている。その信頼を裏切るつもりは全くない。
そもそも、円城寺家の末っ子が何でも屋なんて始めたのは、何か目的があると踏んでいる。そうでなければ、無難に立ち回りたいコウが俺みたいな問題ある奴を引き込もうとは思わない筈だ。
確かに自分の腕には自信がある。けれども、俺自身は諸刃の剣でしかないことを充分に理解している。
ウエイトレスが料理を運んできたこともあり、話はそこで終わり蒸し返されることはない。
食べながら明日の予定を確認し、トオルと会話を交わしながら空きっ腹に食事を詰め込んでいった。
* * *
——あぁ、夢だな。
そう思うのは、ついさきまで写真を片手に資料を広げていたからだ。
いつも夢はJOATの事務所から始まる。隣にトオルがいて、自分もデスクについている。
何度も繰り返される夢は、夢とわかっていても鬱蒼とした気分になる。今回も起きた時の気分は最悪に違いない。
ゆっくりと視界が闇と入り交じり、隣にいたトオルが、事務所の内装が、手元にあるデスクが闇色に染まる。
それと同じように近づいてくるのは子どもの泣き声。幼い子どもの泣き声はそれだけで耳を塞ぎたくなる。
だが、眠りから目覚められない。夢から逃げ出せない。
ぼんやりと聞こえていた鳴き声が徐々に背後へと集中していく。少し離れたところで泣いているのは誰だ。
振り返るが、そこにはただ闇が広がるだけだった。