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JOAT -何でも屋-  作者: 多岐川暁
Chapter.II:慈しんで宝を与える
8/30

Act.03

 午後四時になり松本はやってきた。見た目は確かに五十代の男性で、スーツ姿だった。

「お忙しい時間にすみません」

 ちらりと松本の視線が私よりもさらに背後に向けられる。正直、廊下は半端に手出ししてしまった影響とゴミ袋の山が出来上がっていることもあり人目に優しい状況ではない。

「こちらこそ、片付けの最中で凄いことになっていてすみません。中よりも近くのカフェの方がいいですよね」

「いえいえ、こちらで宜しければこちらでお願いします。恐らく、ここへ来るのは最後になるでしょうし……」

 悲しげに笑う松本の顔が胸に痛くて、家に上がって貰うと祖母の部屋に通した。

 一応、松本が来る前に祖母の部屋だけは掃除機をかけて綺麗にした。座布団も用意したし、客用の少し大きめのテーブルも出しておいた。

 だが松本は座布団に座ることなく、部屋に入るなり祖父の位牌に手を合わせた。それはとても慣れた動作で、松本がそれだけここに来ていたことが分かる。

 振り返った松本は私の視線に気づいたのか、気恥ずかしげに笑う。

「勝手にすみません。キヨさん、お爺様にご挨拶しないと話しはしないって一度突っぱねられてね。それから必ず最初に手を合わせて頂いているんだ」

「何だか祖母らしいですね」

 祖母の一番はいつでも祖父だった。それはもう幸せそうに祖母を見ているのは私も好きだった。

「すみません、キヨさんとは十年近いお付き合いがあったもので、つい感慨深いものになってしまって」

「十年!? こちらこそすみません。お葬式くらいお呼びするべきでした」

「いえ、いいんですよ。元々、このことは家族には知らせないで欲しいと言われてましたので」

「え、でも私には」

「えぇ、あなたにだけは連絡があった場合に伝えて欲しいと」

「……そうですか」

 本当に祖母が自分を可愛がってくれたのだと今だからこそ分かる。タバコ仲間なんてものではなく、深い愛情と共に本当に祖母から大切にされていたのかもしれない。

 両親とそりが合わず荒れていた時期も祖母はきちんと話しを聞く体勢を作ってくれていた。

「失礼します」

 ノックと共に入ってきたのは岸谷だ。先ほどまでの作業着を脱ぎ、昼間外で会った時と変わらぬ格好をしている。

 ニコニコと笑顔を振りまきながら茶菓子とお茶を置くとそのまま部屋から出て行こうとする。

「岸谷さん。あの、これ……」

「うちのサービスです。と言っても、食器類はお借りしちゃいました、すみません。俺達は台所の片付けしてますから」

「でも」

「本来なら久住さんはお手伝いしなくてもいい立場だしゆっくりしててよ」

 黒縁眼鏡越しにウインクまでされて思わず笑ってしまえば、岸谷も笑みを浮かべると改めて松本に向き直り「ごゆっくり」と挨拶をして部屋を出て行った。

「お友達ですか?」

 松本の問い掛けに笑いながら何でも屋の人間で片付けをお願いしていることを話した。

 少し会話の間が開き、岸谷が持ってきてくれたお茶を口にする。香ばしいほうじ茶だが、一人暮らしに慣れた自分には、それがペットボトルのお茶だと分かる。

 恐らく少し歩いたところにあるコンビニへお茶菓子などと一緒に買いに行ってくれたのだろう。

 確かに何ヶ月も家を空けているのだから食品類に手を出すのは怖いだろうし、気も引けたのだろう。

 後でお礼を言って、きちんと謝礼の上乗せをしないといけないなどと考える。

 同じくお茶を口にしていた松本が、何かを思い出したようにスーツの上着から名刺入れを取り出すとテーブルの上に名刺を置いた。

「遅れましたが、私、児童保護施設の副センター長を勤める松本幸典と申します。実は見て頂きたいものがあるんです」

 そう行って更に松本は鞄から一枚の紙を取り出すと差し出してきた。それを受け取り中を見れば、それは祖母がどれだけ児童保護施設に寄付していたのか一覧になっていた。

 松本が言った通り、それは十年前、祖父が亡くなった年から毎月二十万を寄付していたらしい。

「正直言うと、長年のキヨさんの寄付はうちとしては本当に助かっていました。でも、去年ようやく都の認定を受けて補助金が出るようになったので、キヨさんからの寄付もお断りしたんです。でも、私には使い道はないけど子どもたちには必要なお金だといって、その後も寄付を続けて下さったんです」

 柔らかい声で話す松本は、まるで昔を懐かしむように目を細めた。

 祖父がどうして児童保護施設に寄付をしようと思ったのかわからない。ただ、この人のお陰で寂しさを、そして児童保護施設に寄付することで心穏やかさを、そうして心の安寧を手に入れていたのかもしれない。

 十年前の私はまだ子どもで、祖母を慰めるようなことはできなかった。高校になってから祖母とも随分打ち解けたけれども、まだ子どもだった。

 荒れていただけに騒がしかっただろうけど、祖母を満たすには足りなかったに違いない。

「……松本さんも随分と祖母にお会いにきていらしたんじゃないですか?」

「すみません。正直言うとキヨさんが一人暮らしということもあって心配で、週に二度ほど。でも、決しておかしな関係ではなく……そうですね、ちょっとした戦友のようでした」

「戦友、ですか?」

「えぇ」

 松本は祖母と子どもたち、そして綾のことをお互いに相談していたらしい。綾は一時期荒れていたし、児童保護施設にいる子どもも問題を持つ子どもが多かった。

 お茶を飲みながら、子どもたちにとって何が最良なのか、そんなことを話したりしていたらしい。

 確かにそれは友人というよりも戦友というものに近いのだろう。感覚としては何となくわかる。

「私はキヨさんと会えて本当に良かったと思います。とても偉大な方でした……本当に……」

 松本の目に涙が滲み「すみません」と謝罪すると松本はポケットからハンカチを取り出し目に当てた。

 祖母のお葬式で悲しんでくれる人もいた。けれども、ここまで深く悲しんでくれたのは恐らく隣のお婆ちゃんと松本さんくらいだ。

 静かな時間の中で松本が鼻をすする音が聞こえる。そんな松本を見て、ぼんやりと祖母が羨ましく思えた。

 もし自分が明日死んだとして、ここまで悲しんでくれる人がいるだろうか。恐らく両親は悲しんでくれるだろう。そりが合わなくとも両親の愛情は感じている。

 ならそれ以外で悲しんでくれる人がいるだろうかと思うと、すぐには思いつかなかった。こうして悲しんでくれる人がいるというのは、祖母がそれなりの生き方をしてきたからだ。

 時間を置いてようやく落ち着いたのか、松本はポケットにハンカチを戻すと、鞄の中から封筒を取りだした。

「先ほどお電話で話したキヨさんからの預かり物がこれです」

 差し出されたそれを受け取れば、封筒にはしっかり封がしてあった。軽く触ってみた感じでは紙が一枚入っている程度の厚みしかない。

「あなたが連絡してきたらこれを渡して欲しいと。もしキヨさんと連絡が取れないまま一年経ち、それでもあなたから連絡がこなければ破棄して欲しいと言われていました」

「……そうですか」

 祖母が遺言として残したタバコケースではなかったが、それでも祖母がこうして何かを私に残そうとしてくれたことが嬉しい。

 例え恨み言が書いてあったとしても、それは私が受けるべき恨み言だと思える。それくらい、祖母は私から見て質素倹約、清廉潔白な人間だった。

 身内贔屓と他人からは言われるかもしれないが、それでも博識な両親よりも人として祖母の方が好きだった。

「あの……またお会いすることはできませんか? できたらもう少し祖母の話を聞きたいんです」

 その言葉に松本は少し驚いた顔をして、そのまま泣き笑いのような表情を見せる。

「えぇ、私としては嬉しいですよ。私もあなたに伝えたいことが色々あります。ただ、今日はキヨさんの話しをするとここが痛むので、少しだけ時間を下さい」

 その気持ちは分かる。祖母からの遺言があることはわかっていたけど、それでも動き出すまで五日間の時間を要した。

 戦友だという松本ならもっと時間がかかるのだろう。

 松本はメモを取り出すと、胸ポケットに入っていたボールペンで電話番号を書いくと差し出してきた。

「これが私の携帯の番号になります。大体夜の七時以降であれば電話に出られると思います」

「分かりました。私ももう少し落ち着いたら必ず電話をさせて頂きます」

「えぇ、そうして下さい。今日はこれで失礼します。ごちそうさまでした」

 丁寧に一礼した松本が座布団から立ち上がり、私も同じように立ち上がり玄関まで見送りに出る。既に外は夕暮れ時になっていた。微かに虫の声も聞こえる。

「お忙しい時間に本当に有難うございました」

「いえ、私も連絡を頂いてホッとしました」

 ふと松本の視線が私から逸れる。逸れるというよりも、私の後ろに視線が注がれているのを見て振り返る。そこには岸谷と円城寺が立っており、二人が揃って頭を下げる。

 それを見た松本が目を細めて、それからゆっくりと一礼した。

「それじゃあ、連絡をお待ちしております」

「はい、必ず」

「それでは失礼します」

 改めて私に一礼すると松本は祖母の家を出て行った。扉が閉まるまで見送った後、勢いよく振り返るとこちらに向かってくる岸谷に頭を下げた。

「お茶くみまでさせちゃって本当にごめんなさい」

「え、だからそれはいいって。こっちこそバタバタごめん。うるさかったでしょ」

 岸谷の問い掛けにふるふると首を横に振れば、岸谷の背後から近づいてきた円城寺が口を開いた。

「トオル、それで結果は」

「白だな。まぁ、悪い人じゃないよ」

「……どういうこと?」

「今の松本さん。ちょっと疑ってたんだけど、悪い人じゃないよ。ほら、もしかして騙されてるかも、なんて言ってたから気になって少し調べさせて貰った。正直、こっちが考えていたよりも人格者だった」

「そういうこと、この短時間に調べてわかるもの?」

「裏技があるんでーす」

 笑いながら答えた岸谷は答える気がないのだろう。すぐさま真面目な顔になると「どうだった?」と問い掛けられる。

 それは松本が遺言のタバコケースを持ってきたかもしれない、という期待だったが首を横に振った。

「手紙渡されただけだった。少し待ってて」

 すぐに祖母の部屋に戻るとテーブルの上に置いたままになっていた封筒を開けた。中身を取り出し、そのシンプルな文字に首を傾げるしかない。

「どうかしたの?」

「これ……どういう意味だと思う?」

 そのまま手にしていた手紙を渡せば、岸谷はものの五秒ほど見てすぐに隣にいる円城寺へと渡してしまう。

「捜し物は鏡の中……これは恐らく何かを探して欲しいんでしょうね。もしかしたら遺言にあったタバコケースの可能性もあります。この家に鏡は?」

「洗面所とこれだけです」

 そう言って指さしたのは、祖母が化粧する時に使っていた化粧台だ。三面鏡となっている化粧台はかなり古いもので、引き出しが幾つかついている。

「洗面所は全て片付けました。でも、あそこには何もなかった……」

 そのまま考え込んでしまった円城寺は身動ぎ一つしない。

「さてと、俺は片付けの続きをするかな」

 固まった状態の円城寺をそのままに岸谷は部屋を出て行こうする。それを慌てて追いかけて声を掛けた。

「円城寺さん、あのままでいいの?」

「いいの、いいの。ああいうの考えるのはコウの担当だから。俺は動く方専門。って言っても体力勝負になるとコウに負けるけどさ。大丈夫、あいつにまかせておけば絶対に見つかるから」

 そうは言われても振り返って全く動いていない円城寺を見るといささか不安になる。

「本当に?」

 問い掛けている間に円城寺が動き出し、鏡台の引き出しをあちらこちら開け始める。でも中身はことごとく空で化粧品の一つも入っていない。

 それから三面鏡を開いた円城寺は、そのまま化粧台についている椅子に座り込む。こちらに視線を向けることなくひたすら鏡を見つめている。

「あ、そうだ。キリがいいところまで片付けたいから一時間延長してもいい?」

「それは構わないけど……そっちが大丈夫?」

「慣れてるよ、こんくらい。もしコウの動きが気になるなら見てて大丈夫だよ。考え始めると周りが見えなくなる奴だから」

 ヒラヒラと手を振ると岸谷は部屋から出て行ってしまい、隣の物置部屋となっている和室から音が聞こえだした。

 手伝おうかどうしようか迷っていれば、不意に円城寺が立ち上がるとぐるりと部屋を見回す。それからもう一度椅子に座り鏡を見つめている。

 不可解なその動きが何だか少しおかしくて、つい見つめてしまう。

 それからしばらく円城寺は動かなくなる。五分、十分と経ち、さすがに見ているのも飽きてきて岸谷の手伝いをしようかと思った頃、再び円城寺が立ち上がった。

 そのままぐるりと方向転換すると真っ直ぐに歩き、ふすまの扉を開けた。そこには布団やら棚が入っているだけでめぼしい物は何もない。

 だが、円城寺は再び化粧台の前に戻ると椅子に座り鏡を見つめる。そこでようやく円城寺が鏡に映る部屋を見ていることに気づいた。

 しばらく鏡を見つめていた円城寺は再び立ち上がると、今度は反対の襖を開ける。そして振り返り鏡を確認すると口元に笑みを浮かべた。

 そこには座布団や石油ファンヒーター、プラスティックの引き出し棚や古くなったぬいぐるみなどが詰め込まれている。

 それは全て私が子どもの頃に使った覚えのあるおもちゃの類だ。犬や猫などの動物のぬいぐるみに、旗上げゲームやボードゲーム。

 けれども、ぬいぐるみは汚れやほつれが目立ち、旗揚げ人形は手の先についている筈の旗が辛うじて引き出しに引っ掛かっている。ボードゲームは蓋がなくなってしまったのか開いたままだ。

 だが円城寺は迷うことなく引き出しを開けて中身を次々と取り出していく。目的の物がなかったのだろう。

 次に上から順番に引き出しを開けては締めていく。四段ある全ての引き出しを開けては締めてを繰り返し、それから二段目の空っぽにした引き出しを開けると奥へと手を入れる。

 そして、その手が何かを掴んだ状態で出てきた。跪いていた体勢から立ち上がると、私の目の前に立つ。

 呆然と円城寺の動きを追っていた私の左手を取ると、その上に何かを置いた。

「これ……」

「恐らくこれが探していた物だと思う。開けて貰っていいですか?」

 円城寺の言葉に促されるように掌サイズより少し大きい箱を開ける。白い箱を逆さまにすれば、そこからは鼈甲柄のタバコケースが出てきた。

「タバコケースというよりもシガレットケースですね」

「シガレットケース? 何が違うの?」

「まぁ、どちらも似たような物ですけど、これはタバコを直接入れるんです。ケースとタバコをお借りしてもいいですか?」

 その言葉に促されて持っていたシガレットケースと尻ポケットからタバコを取り出し円城寺に渡す。

 すると円城寺は化粧台の上にそれらを置くと、慎重な手つきでシガレットケースを開けた。まるで本のように開いたケースの内側には平たく薄い金属板が一枚ずつついている。

 角度を変えて円城寺はシガレットケースを観察した後、金属板を軽く押した。途端に弾けるように金属板の片側が外れる。

 次にタバコを取り出すと、そこに一本ずつつタバコを並べると金属板で抑える。カチリと音がして金属板がはまったのが分かる。

「こうして使うんです。これだと立てても落ちないし、一本ずつ取り出すこともできます」

 差し出されたシガレットケースを受け取って改めて見つめる。よく見れば下の方はポケットのようになっていて、タバコが落ちていくことはない。

「こんな物があるなんて知らなかった」

「正直面倒くさがる人の方が多いです。ただ、良い品物だと思います」

 蓋を閉めて改めてシガレットケースを見つめれば、程よい飴色で縁には透明色の石がついている。恐らくこういう物に用いられるのだからジルコン辺りだろう。

「探して下さって有難うございます」

「いえ、大したことはありません。それでは片付けの続きをしてきます」

 それだけ言うと円城寺は引き出しから放り出した荷物を一気にゴミ袋に入れると、そのまま部屋を出て行ってしまう。

 残された私は再びシガレットケースを開くと、空になっている反対側にもタバコを詰める。

 どういう意図で祖母がこれを残したのかは分からない。女性の持ち物らしい装飾からすると、もっと女性らしくなれ、という意図だったのかもしれない。

 祖母の願いは叶えられそうにはない。つるりとした表面を撫で、それから定位置である尻ポケットにシガレットケースをしまった。

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