第2話 c
「ああ、確かに。“そういうこと”にしたな」
「そうだ。だから、こいつがジョー・ホクベなわけが……え?」
“そういうこと”にした……?
「ランドルフさん、今のは一体どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。私は一ヶ月前、ある依頼でジョー・ホクベを死んだことに“しておいた”のだよ」
「じゃあ、ジョー・ホクベは――」
生きているのか。
「いや、社会的に抹殺されたも同然だ」
マイティが言わんとした事をランドルフは否定する。ライターの火は葉巻の先端をほんのりと紅く光らせた。
「どうして大企業の御曹司たる彼がそんな目に遭わなきゃいけないんだ?」
「……異能者だから、らしい」
オルカの写真を横目で見ながら、ランドルフは煙をゆっくりと吐き出した。
マイティは彼の視線をたどる。ランドルフの目は写真に向いてはいるが、彼自身は見ていない。まるで別の何かを見ているようだ。
マイティはジョー・ホクベの顔写真を頭に浮かべる。異能者というだけで彼は仕事、選手生命、ホクベ氏の血統など全てを失った。それらの代わりに手に入れたのは――社会の屑というレッテルと、“オルカ”という偽りの名前だけ。
あの偉そうに見えた態度は、自身に突然降りかかった災難に屈さない為に張っている虚勢ではないだろうか。そう思えてならない。
と同時に大企業の御曹司でさえ、自分の同類に堕ちたという事実に、僅かながら“安心感”を覚えないわけでもない。
「……そうか。そいつは気の毒な話だ」
「ああ、気の毒なことを私は彼にした。しかし気にしてはいられない。これまでにも私は幾人にも同じ目に遭わせてきた。その中には絶望のあまり自害する奴もいれば、何とかしようともがく奴もいた。もがいたところで社会の最下層のままだがな。彼もその一人になった。それだけの話だ」
「そうだ、ランドルフさん。“そんな事”はいちいち気にすることじゃない。こっちは“それ”で食っているんだ。仕方がないさ。仕事なんだから」
マイティの言葉に、ランドルフは一瞬苦虫を噛み潰したような表情をする。
はて、言う言葉を間違えたかな。……ま、いいか。
「――ところで」
ランドルフが灰皿に吸殻を投げ捨てた。
「まだ彼等を我が部隊にスカウトした理由を言っていなかったな」
そういえばそうだ。
今までの話からわかるように、二人とも複雑な事情を抱えている。一人は仲間殺し、もう一人は没落貴族。そんな二人を部隊に引き入れるなんて普通はしない。チームワークに支障を来すなど、かなりのリスクがあるからだ。
そのリスクを度外視してまでも二人を引き入れるということは、それなりの理由があるに違いない。ハイリスク・ハイリターンというやつだ。
「……理由は?」
マイティが緊張しながら尋ねるも、ランドルフはすぐには答えない。まず彼は立ち上がり、ベージュのコートを払う。そして小隊長の証である黒いベレー帽を被り、マイティに背を向けた。どう説明するか考えているのであろう。数秒間黙ってから、こう言った。
「――異能者だからさ」
その一言を残し、彼は休憩ホールを出ていった。
副隊長に任命されてから三日が経つ。この三日間、マイティはランドルフが何故あの二人を選んだのかを考えていた。単に“異能者だから”という理由なわけがない。きっと何か重要な理由があるはずだ。
しかし、今はそれを確かめる術がない。
あれからランドルフに会おうとしたが、彼の部屋はいつも留守。今頃、単独で“任務”という名の依頼を受けているのか、もしくは小隊長という役職ならではの事務仕事に追われているのか、それすらも定かではない。
「絶対、何かあるはずだ。でなければ、あの二人を引き入れるわけがない」
例えば、こういうのはどうだろうか。ジョー、いやオルカに後ろめたさを感じたランドルフが罪滅ぼしのために自分の部下にした、とか。
「……いや、それはない。後ろめたく感じる度にいちいち相手を部下にしていたらキリがない。そもそもキールがこれに当てはまらない」
ああでもない、こうでもない、とぶつぶつ呟きながらマイティは廊下を歩いていく。端から見れば気味が悪い光景だが、マイティは気にしない。気にするまでもない。廊下には自分以外の人影が見当たらないからである。
しばらくして本棟を歩き回るのに飽きてきたマイティは、気分転換のために外へ出ようと考えた。今は任務もなければ依頼も無い。文字通り暇だ。それに新鮮な外の空気を吸ってリフレッシュしたい。
マイティはゲートをくぐる。
本棟から一歩外へ出ると、そこはもう別世界だ。
「……今日もいい天気だ」
雲一つ無い蒼い空を仰ぎながら、マイティは呟く。天気は快晴。頭のちょうど真上から日光がスラム街を照りつける。
本棟の周りに林立している廃ビル群。窓ガラスが割れたベランダでは薄汚れた衣服が干されており、モクモクと白い煙が立ち上る下水管らしき突起物がちらほらと見える。
今は、ちょうど正午か。
腕時計の針は二本とも十二を指している。
「せっかくだから、こいつを着けるか」
マイティはコートの内ポケットから黒いサングラスを取り出した。千二、三百テランの丈夫な安物だ。この間見たスパイ映画に登場した、サングラスをかけた敵役があまりにも格好良かったため、生協でつい購入してしまったのだ。
マイティはスラム街を歩いていく。今は正午。容赦なく照りつける日光が最も強くなる時間帯だ。ただ標高が高いためか、気温はそれほど高くない。またサングラスをかけたことで道路が反射する光に悩まされることはない。なるほど、なかなか便利なものだ。
途中、みすぼらしい身なりの男達数人が笑いながらやって来るのが見えた。彼らはガラクタでいっぱいのバケツを手にしている。おそらくゴミ山で換金出来そうなジャンク――転送装置の廃棄部品でも漁ってきたのだろう。彼らはどれぐらいで売れるか、それで得たお金で何を買うか等といった会話をしている。
この世に存在する転送装置の全てがアークポリス産のものであり、そのメカニズムは他国の技術力では解明できないような高度なものらしい。その為、研究開発用の資料として、生産途中で出た廃棄物が闇ルートを通じて高値で取引されるようだ。
生きるためとはいえ落ちているゴミにたかるとは、まるで蟻のような連中だな。
マイティの口元が自然と緩み、笑みが薄く浮かんだ。侮蔑の笑みだ。自分よりも下の小汚ない人種を見ると、何だか愉快な気分になってくる。
向こうはそれに気付いたのか笑い声をピタリ、と止めた。先程までの明るいムードがまるで嘘だったかのように、一同は黙る。
マイティは笑みを浮かべながら、男達は沈黙しながら、足を進める。一方はゆったりと。もう一方はそそくさと。
一歩、一歩と地面を踏みしめながら、相手とすれ違う刹那、マイティは見下すような視線を横目で送りつけた。
男達はマイティを見ようともしない。ただ、自分達に刺さる視線から一刻も早く逃げようとして、足を速める。
その様子はマイティのちっぽけな自尊心を満たしていく。サングラスのせいか、逃げていく彼らの背中が黒ずんで見えてきた。
ハハハ、蟻だ、蟻。汚ならしく地面に這いつくばる、惨めでちっぽけな蟻だ。そして俺は人間、その中でも特異な存在――異能者様だ。お前ら蟻共とは格が違う。
そうやってマイティが内心で彼らを嘲笑っている時だった。彼らの内、比較的背の低い、痩せ細った男がマイティの方へ振り返る。
無表情としか表現出来ない顔に、不気味なくらい虚ろな瞳。その死んだ魚のような目は真っ直ぐとマイティへ向けられている。
光が宿っていない真っ黒な瞳にマイティは思わずドキリとした。ちょうど罵っている時に振り向いて来たため不意を突かれた、というのもある。
だが、それ以上にマイティを動揺させたのは、男が自分を見る目だ。サングラスをかけているにも関わらず、マイティには男の目がハッキリと見えていた。
僻みや侮蔑、羨望、憎しみ等の感情はない。何も宿っていない。言うなれば、これは――“虚無”。そう、虚無だ。それは今、自分に向けられている。お前には何も映せるものが無い、とでも言いたげに。
「いッ……!」
突然、目の奥に激痛が走り、マイティは思わず目を瞑った。眼球の裏側で痛みがジワジワと染み渡っていく。おそらく長時間開けたままにしていたから、目が乾燥したのだろう。あるいはゴミが入ったか。
徐々に痛みが引いていき、何とか目を開けられるようになった頃には、既に男達はマイティの視界からは消えていた。
「……白昼夢か?」
狐につままれたような、そして醜悪な何かを見たような感じだ。胸糞悪い。虫酸が走る。マイティは道端にペッと唾を吐き捨てた。途端、空腹感を覚える。そういえば、今日は朝から何も食べていない。
「……腹も減ったし、そろそろ帰るか」