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第1話 c

「異能者に出す酒はない……て、どういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ」

 マスターは目を細めて、店内をゆっくりと見渡す。まるで我が子をいとおしく見るような、穏やかな目で。

「お客様に愛され続け、早七十年。祖父の代から受け継がれた、この由緒あるバーは小さな店ですが、お客様に上質な“酒”と落ち着ける“時間”を提供してきました。それはこれからも続いていきます。ただ、」

 マスターの穏やかな目が一変してマイティ、いや“異能者”への嫌悪が籠った、どす黒いものへと変わる。

「あなたのような野蛮な“似非人”にまで提供する余裕はうちにはありません」 マスターの淡々とした言い方に、マイティは舌打ちする。

「人を野蛮人扱いしやがって……」

「当然ですよ。酔っていたとはいえ、他のお客様の気を損ねるようなことをした挙げ句、店で騒ぎを起こすような輩を野蛮と言わずして何と言いましょう?」

「いや、あれは向こうが仕掛けてきたから、やり返しただけであって……。そうだ、正当防衛と言えるんじゃ――」

「あれのどこが正当防衛なのですか? あなたが他のお客様に辱しめをしたから、あのような事態になったのですよ? あなたが悪いのは火を見るより明らかです」

 全くその通りである。

 何も言い返せないマイティにマスターはさらに言葉を続けていく。

「そして一つ訂正をさせていただきます。別に私はあなたを野蛮“人”扱いはしておりません。野蛮な“けだもの”として見なしています」

「けだもの、ね……。異能者は人間ではない、とあんたは言いたいのか」

「ええ、そうです。私だけではありません。おそらく国民の、いえ私のような普通の人々のほとんどが、あなたのような存在をそのように認識し、忌み嫌っていることでしょう。何故ならあなたは、人間ではない、得体の知れない“何か”――“異能者”ですから」

 雨でも降りだしたのであろうか。ポツ、ポツとガラス窓を打ち付ける音がマイティの耳へ入ってくる。

 酒を注文する気は、もう無い。その代わり、これ以上は関わらない方がいいという警告が頭に鳴り響く。

 確かに、今のバーの空気はマイティにとって居心地が悪すぎる。こんなギスギスした空気では酒を飲むことはもちろん、ゆっくりとくつろぐことも出来ない。 もう帰るか。

 マイティは苛つきながらマスターに言った。

「マスター、お話しの途中に悪いが、“こんな”所であんたの人間論をゆっくりと聞いている訳にもいかないのでね。帰らせてもらうよ」

マイティはマスターに背を向けると、カウンターに足を掛け、そのまま勢いよく乗り越える。途中、グラスの一つ二つが床に落ちて、甲高い音と共に破片となって飛散するが、そんなことは気にしない。

 とにかくここから逃げたい!

 マイティは着地すると、出入口へ逃げるように向かっていった。

「待ちなさい!!」

 背後でマスターが叫ぶがそんなものは無視。

「わかってるって。もう二度と来ないから安心しろ」 振り返ることなくマイティは適当に返事をし、出入口のドアノブに手を掛ける。そしてドアノブを回して――

「治安隊を呼びますよ」

ドアノブに掛けている手がピタリと止まる。

「治安隊、だと?」

 今、治安隊を呼ばれたらとても面倒なことになる。

マイティはドアノブから手を離し、後ろへ振り向いた。カウンターの向こうでマスターが右手を差し出している。

一体何の真似だ?

「ご勘定を」

「は?」

 マイティは肩を竦めた。

「おいおい、異能者に出す酒は無いんだろ。だから俺は酒を注文することすら許されなかった。つまり俺は酒を飲んでいないんだよ。俺が一体いつ酒を頼んだ?」

「あなたが騒ぎを起こす少し前、ですね」

「少し前? 何を馬鹿な……あ、」

そういえば、そうだった……。確か、美女のスカートを捲る少し前に赤ワインを一本注文したな。すっかり忘れていた。

 マイティの顔を見て、マスターは溜め息をする。

「その様子だと、さっきまで忘れていたようですね。さあ、ご勘定を!」

さっきよりも語気が強まった声を聞いて、マイティは一旦出入口から離れる。

 一刻も早くここから逃げたいが、今逃げたら治安隊に通報されてしまう。罪状は「無賃飲食」か。こんな情けない罪で逮捕されるのは御免だからな。ここは一旦我慢するとしよう。

再度カウンターにやって来たマイティはポケットから財布を取り出す。

 あの時注文した赤ワインはそんなに高くない値段だったはずだ。千テランもあれば、充分だろう。

マイティは財布から紙幣を一枚取り出し、マスターに渡した。

マスターは紙幣を受けとると、顔をしかめる。

「これでは足りませんね」

マスターは紙幣を自分の懐にしまうと、再度右手を差し出す。

「あと、十万テランほど」

「十万ね。……何だって!?」

 マイティは要求された、とんでもない額に驚いた。マイティが注文したのは安物の赤ワイン。頼んだのは、たった一本のはず。千テランの紙幣一枚でもお釣りが来るほどの、貧乏人のためのワインのはず。十万などという馬鹿げた値である訳がない。

「マスター、俺が頼んだのは千テランもしない安物ワインだ。それなのに十万テランも要求するとは、一体何のつもりだ? 相手が異能者だからといって、あまり調子に乗るなよ」

マスターは涼しげな顔をしながら、ある方向を指差した。

 マイティはマスターの指差す方向に顔を向ける。その方向にあったのは、先程の戦闘で十五発の弾丸が埋め込まれた壁だった。

「まず、そこの壁の修復に七万テラン。そして、」

今度はカウンターの下に散らばっているガラス片を指差す。

「その一つ、一万五千テランの高級グラスが二つ損失。計十万テランです」

「なるほど弁償しろ、ということか。いやいや、ちょっと待て!」

マイティは壁を指差す。

「確かにグラスを割ったのは俺だが、あの壁に弾丸を撃ち込んだのは黒服の男達だぞ! 俺じゃない!!」

「いいえ、あなたのせいです」

「はあ? あんたは一体何を言っているんだ? ああ、そうか。騒ぎが起きたとき、お前等店員は客と一緒に逃げ出したもんな。そりゃ、黒服達が発砲したことも知らんわけだ」

「いえ、私は知ってますよ。黒服の男達が発砲したことも、あなたが異能力で弾丸を回避するところも、カウンターの陰から全て見ていました」

「なら、わかるだろ。壁に関しては、あの黒服のせいなんだ!! 俺のせいじゃ――」

「あなたのせいです」

マスターは先程言った言葉を再度繰り返す。その一言はマイティの必死の弁解をバッサリと斬り伏せた。

 マイティは呆気に取られ、その場に立ち尽くす。

わけがわからない。壁を傷付けたのは黒服の男達なのに、何故自分がその咎を受けねばならないのか? 全くもって理不尽である。

「何故自分に非があるのかわからない、と言いたいようですね」

マスターは呆れ顔で言った。

「彼らが発砲する原因を作ったのは、あなたでしょう? そして、あなたが弾丸をかわすことさえしなければ、その壁も傷付くことはなかった」

「じゃあ、あんたは俺が黙って撃たれればよかったとでも言いたいのか!!」

「ええ。そうしてくれれば壁が傷付くこともありませんし、グラスが割られることもなかったでしょう。ただ、そこに異能者だった“もの”が転がっているだけで済んだはずです」

あまりに酷い物言いに、マイティは怒りで拳を握り締める。ただ異能者であるというだけで、この差別! とても許せるものではない。今すぐにでもマスターの鼻っ面をへし折ってやりたい。

元はと言えば全て自分のせいであるのだが、そんな事はとうの昔に棚に上げている。

「お分かり戴けたでしょうか? 今回の騒ぎは全てあなたが引き起こしたものです。ならば謝罪、すなわち弁償すべきなのもあなた、ということになりますね」

マスターは勝ち誇ったように再度右手を差し出した。

「あと、十万。払ってもらいましょうか」

マイティは財布を開いた。財布には、大小の小銭が数枚と千テラン紙幣が六枚。……十万どころか一万も無い。さて、どうしたものか。

「別に今払えなくても構いませんよ。十万テランもの大金を持ち歩いている人は普通いませんからね」

マスターは近くの棚の引出しから、ベージュの用紙を取り出す。用紙には「誓約書」と書かれている。

「今はあなたが出せる分だけのお金を払ってくれれば結構です。払った後、この用紙にあなたの名前と住所、印鑑を」

「その必要はない」

「え?」

予想もしなかった発言にマスターは目を丸くする。誓約書が必要ない、すなわちこの場で十万テランを渡せるということだ。しかし先程財布を確認した時の表情から考えて、マイティが十万テランも持っていないのは明らか。にもかかわらず誓約書が必要ないとはどういうことか。マスターは首を傾げる。

 一方、マイティは財布の中を見ながらひとりニヤついていた。


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