第3話 b
目を開けると、汚れた地面と自分の靴の爪先が僅かに見えた。
いつから眠ってしまったのだろうか。気を抜くなと小隊長に言われたものの、退屈からやってくる“睡魔”にはやはり勝てなかった。きっと通信が終わったすぐ後に、夢の国へ旅立ったのだろう。
そんなことを考えながらマイティは目を擦ろうとするが、指がずり落ちかかっていたサングラスに当たる。サングラスはそのまま落ちて、からん、と地面に転がった。
マイティは屈んでそれを拾う。問題はない。所詮、プラスチック製の安物。割れていなければ、歪んでもいなかった。
ふと、顔を上げると黙ってこちらを見下ろしているオルカと目があう。
「ようやくお目覚めか」 オルカは鼻を鳴らした。
マイティはのそのそと立ち上がり、腕時計を確認する。今は八時――、四十三分!?
何てこった……。俺は四十分近くも寝ていたのか。 その間に、テロが起きていたとしたら――
「安心しろ。今のところ、異常無しだ」
上司が考えていることを察したのか、オルカはそう言って顔を右に――大街道の方へ向けた。
異常無し、か。それなら一安心。
マイティはサングラスを手にしたまま、コキコキと首を回した。壁に寄り掛かりながら寝る、という無茶な姿勢をしていたためか首の辺りがずきずきと痛い。
幾分か首が楽になったところでマイティは再びサングラスを掛けて、大街道の方へ目を向けた。今、大街道は残業帰りの大人達で賑わっているものの、何棟かのビルは消灯していたため、眠る前よりは明るくはない。走る車の台数もかなり減ってきた。
「いっそ、このまま何も起こらなければいいのに」
大街道をぼんやりと見ながら、マイティは呟く。先程起きたばかりだからか、身体がやけにダルい。正直、任務など放り出して、隊舎のベッドで寝たいところである。
一方、オルカはそんな副隊長とは逆で、大街道を射殺すように睨み付けていた。居眠りする上司と違い、彼は真面目に任務を続けていた。
「……おかしくないか?」
急にオルカが言った。マイティは何がおかしいのかさっぱりわからないので、 「何が?」と欠伸しながら訊ねた。
「もしテロをするなら、普通、人が多い時間帯を選ぶはずだ。その方が犠牲者も多く、世間への衝撃も大きい」
「それで?」
「それで、って……。まあ、いい。おかしい事とは、どうして過激派は仕事帰り等で今よりも人が多い時間帯――例えば、午後六時前後にテロを実行しなかったのか、ということだ」
言われてみれば、確かにそうだ。テロとは暴力的手段を用いて政治上の主義・主張を貫く行動だ。オルカの言う通り、犠牲者が多い方がいいかもしれない。何故ならば、その方がメディアに注目されやすいからだ。過激派の主義・主張とは言うまでもなく、「異能者への差別撤廃」なんて生易しいものではない。そんなことは共存派の連中が街頭演説で主張している。彼等の主義・主張とは、次の思想に基づいている。
「異能者は創造主たる神に作られた、もっとも優れた存在である。それ故、彼等には他の人民を導く使命があり、他の人民はこれに従う義務がある」
何とも危なっかしい思想である。この内容、“異能者には、異能力を持たない普通の人間を支配する権利がある”といっているに等しい。
「そんな連中なら、人が集中する時間帯に実行するはずなんだが……」
どうして実行しない?
それともやはりあの情報は偽の……。
だが、ここでマイティの思考は止まった。強制的に止められた、と言う方が正しいだろうか。
彼の思考を中断させたのは、
――落雷のような爆音だった。
「な、何が起こった?」
突然の事態にマイティは狼狽える。不意をつかれた、とでも言えるのだろうか。この時間帯にわざわざテロをするはずがないと無意識の内に、彼は思い込んでいた。
だがオルカは違った。彼もまた不意をつかれたことに違いはなかったのだろうが、チッと軽く舌打ちだけして、すぐさま大街道へ飛び出た。
「お、おい、待てよ」
一瞬我に帰るのが遅れて、マイティは急いで部下の後を追う。
爆音の発信源はすぐに見つかった。
二人がいた路地から七、八十メートル離れた車道で炎上している、一台のリムジン。自爆か、外部からの攻撃かはここからでは確認できない。だが、これだけははっきりしている。
テロは、起きた。
「くそっ」
オルカが現場へ走り出す。マイティも追いかけようとした時、端末に通信が入って来た。マイティは一度立ち止まる。
「こちらランドルフ。マイティ、応答しろ」
「こちらマイティ。小隊長、テロだ! 高級車が突然爆発した」
「私もキールから知らされた。すぐに調査してくれ。我々もそちらに――何だ、あれは?」
「小隊長?」
「……」
呼び掛けに応じない。黙って静観しているみたいだ。“あれ”って、何だ?
数秒後、再び通信が入る。
「マイティ、お前はオルカと共に現場付近を調査しろ」
「小隊長、何があった?」
「私とキールはこれから過激派の一味と思われる集団を追跡する。そちらも調査が終わり次第、こちらに合流してくれ。場所は、異教の教会だ。わかったな」
「教会って、あの古びた教会のことか!?」
返答がない。既に通信は切られていた。
小隊長の声からして、むこうは切迫した事態のようだ。ならば、
「とっとと調査して、早いとこ合流しなきゃな」
マイティは端末をしまうと、燃えあがるリムジンの方へ走り出した。
大街道では、車のけたたましい警笛音や甲高い悲鳴が飛び交っていた。爆発というイレギュラーな事態に、何も知らない一般人達は恐怖であわてふためいた。ある者は悲鳴をあげ、ある者は逃げ去り、ある者は呆然と立ち尽くしている。車道では爆発による混乱で数台の車が急停止し、その後ろから別の車が突っ込むという事態が連鎖的に起こっていた。
マイティが現場に到着した頃、オルカは既にリムジンの損傷具合の確認を始めていた。
「ひどい、有り様だな」
政府の高官等を乗せる高級乗用車は、後部のVIP席の損傷が特に酷かった。窓ガラスは吹き飛ばされ、フレームは千切れている。おそらく後部エンジン部の燃料タンクが引火したのだろう。肉の焦げた臭いが漂っているが、後部座席には何も残っていなかった。
「奴等の狙いは、これだったのか」
“テロ”と聞いて、“大量殺戮”とばかり思い込んでいた。確かに要人の殺害ならば、時間帯など関係無い。過激派が狙うのは、アークポリス内における異能者の立場を危うくする人物。殺害にまで至ったという事は、この犠牲者は相当嫌われていたのだろう。
損傷の酷い後部座席に比べ、運転席付近はフレームがやや歪んだ程度で済んでいた。窓ガラスは割れてはいないものの、ヒビだらけで煤けているため、中の様子がわからない。この分だと、死んでいても別におかしくはないのだが……。
「今、音がしなかったか?」
オルカが助手席を指差す。
音? 音なんてしたか?
マイティは助手席の窓ガラスに耳を近付けた。
……がた、がた、と確かに聞こえる。。まるで中から押し開けようとしている音だ。だがフレームが歪んでいるためか、かなり苦戦しているようだ。
「そこをどけ」
背後から聞こえてきた、命令口調の部下の声。振り返る暇が無ければ、返事をする暇も無かった。右肩をつかまれたかと思うと、突然、物凄い力で左に押し退けられた。あまりにも急だったため、マイティは思わず尻餅をついてしまう。
「お前、一体何を!」
オルカは上司の声など聞こえていないといった感じで、助手席のドアにずんずん近づく。ドアの前に立つと、ドアと車体の間の僅かな隙間に指を入れた。
「オルカ、ドアを開けるつもりなんだろうが、そりゃ無理だ。お前の細腕じゃたいして力が入らないだろうし、そもそもフレームが歪んでいるから、開きようがない。何か道具を使わないと」
「いや、その必要は――」
無い、といった刹那、ドアの接合部がミシミシと音をたて始める。金属が擦れていく、耳障りな金属音。オルカは眉一つ動かさない。そして、ドアの接合部は引きちぎれた。車体から、ドアを丸ごと、彼は引き剥がしたのだ。瞬間、黒い煙が助手席から溢れ出てきた。
何て、馬鹿力だ……。あの細腕のどこにあんな力が――いや、違う。思い出したぞ。そう、あれがあいつの異能力だ。小隊長が見せてくれた資料によれば、あいつの異能力は確か、“怪力”。
マイティが呆然と見ている前で、オルカはドアを脇に置いた。
すると溢れ出る煙とともに、背広を着た一人の中年男性が這い出てきた。顔は煤で真っ黒だ。白い手袋を装着しているため、彼はおそらくこの車の御抱え運転手だろう。
「大丈夫ですか?」
オルカは男性に訊ねる。男性はゴホゴホと咳き込んでいるが、命に別状はないようだ。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
男性はフラフラしつつも何とか立ち上がる。
「君達は?」
怯えた目でオルカ、そしてマイティを交互に見る。
オルカが安心するよう相手をなだめると自分の身元を話す。
「別に怪しい者ではありません。我々はアークポリス直轄の公務課である、特務――」
零課、と続けようとした時、突然マイティがオルカと男性の間に割り込んできた。部下が抗議の声を出すよりも早く、マイティはこう言った。
「治安維持課、略して治安隊だ。安心しろ、おっさん。あんたの身柄は保護させてもらう」
オルカが信じられないと言いたげな表情をするが、マイティは無視した。下手に特務零課の名を出されると却って面倒なことになるからだ。
治安隊と聞いて、男性の表情から警戒色が消え、安堵で表情が緩む。
「治安隊か、よかった……」
男性は安堵の息を漏らすと、いきなりマイティのコートにしがみついてきた。
「教団に命を狙われているんだ、助けてくれ!」
落ち着け落ち着け、とマイティはコートから男性を引き剥がす。
「なんで運転手のあんたが狙われるんだ? 奴等の狙いは、後部座席の御偉いさんだ。あんたみたいな下っ端は眼中にないはずだから安心しろ」
しかもその御偉いさんは遺体こそ確認できないが、間違いなく死んでいる。運転手の彼が狙われるはずがない。
だが、男性は今にも泣きそうな表情で頭を横に振る。
「彼は、私の替え玉だ」
「替え玉? じゃあ、あんたは一体……」
「運転手に成り済まして、何とか奴等の目を欺こうとしていたのだ。私は――ッ!?」
突然、男性の目がカッと見開く。顔が、身体全体が小刻みに震えている。まるで金縛りにかけられたかのように。
「おい、どうし――」
そのまま男性は抱きつくような形でマイティに倒れ込んできた。
「しっかりしろ。おい!」
マイティは男性を強く揺さぶる。
反応は、ない。
マイティは男性の身体を押し退けると、すぐさま脈を取ろうとする。と、この時、男性の首元で金属の光沢のような光が一瞬煌めいて見えた。
まさかと思い、マイティは男性を俯せに横たわらせる。すると、近くで燃え上がる炎の光を受け、“それ”は光を反射した。
マイティは“それ”におそるおそる手を伸ばす。“それ”は男性の首に深々と刺さっており、首の骨を切断していた。
何とか“それ”を抜き出すと、炎の明かりの下、注意深く分析する。血塗られた“それ”はかなり変わった形状の刃物だった。十文字の金属板と一体化した四枚の鋭利な刃。この形状はまるで――
「手裏剣?」
そうとしか考えられない。この形状はニッポンの忍者とやらが使う武器とそっくりだ。だが、今時、こんな博物館送りにされるような代物を扱うヤツなんているのか!?
マイティは顔を上げる。リムジンを挟んで、マイティと向かい合う、十階建てのビル。この辺りでは比較的小さなビルだ。モクモクと吐き出された煙は、マイティの視界からビルを覆い隠すように上昇していく。……七階、八階、九階、と上がるに従い、煙は薄れていき、次第に膨れていく。屋上付近はマイティの視界から完全にシャットアウトされていた。
唐突に、秋の冷たい風が街に吹き下ろしてくる。風に吹かれて、屋上付近を隠していた煙が揺らぐ。ビルの屋上がほんの数秒間だけ姿を現す。
この時屋上で佇む黒い人影を、マイティは見たのだった。




