III
結局というか何というか。僕たちは山を降りることはできずに、そのまま山の中で一夜を過ごすこととなった。
陽が沈んだ山の中はやっぱり人工的な明かりなんてないし、加えて木々が茂っているから余計に薄暗かった。
大木に寄りかかった僕は、そっと空を仰ぎ見る。
ダークブルーの空には、それこそ沢山の星々が瞬いていた。
何でだろう。月明かりも星明りも、いつもより強いような気がする。
ちょっと欠けた、けれどまん丸に近い月はいつもより大きくて、ずっとずっと近くに感じる。
小さい光の粒が降り注いでいるような蒼い光に、僕は心地良さを感じた。
木々がさわさわと歌いだす。
風が気ままに僕らに囁きかけていった。
今になってみれば、何が平和だったのかなんて解らない。
もしかしたら今この瞬間が平和なのかもしれないし、ずっと平和だったのかもしれないし、逆に平和なんて一度もなかったのかもしれない……。
でも僕らには何かを作っていく手がある。
どこまでも進んでいける足がある。
いろんなことを考えられる頭がある。
そうさ。この世に何かがあり続ける限り、何かが存在し続ける限り、終わることなんてない。
人生の終着点が全ての終わりでないように、この大地が存在するうちは何もかもが現在進行形で、それはずっと昔から続いてきたこと。そして、これからも続いていくこと。
諦めたら終わりなんかじゃない。
永遠のサークル。終わりなき道に僕らは立たされているんだ。
純白のワンピースが、僕の隣で風に揺らされる。
美泉は僕と同じように木に寄りかかって、微かな寝息を立てていた。
その寝顔は穏やかだった。
何よりもいとおしく、かけがえのないものだと思った。
僕はそっと微笑む。
目を閉じても、そこは幸せに包まれていた――。
あの日からも僕と美泉の生活は続いている。
一日一日が確実に過ぎていって、何かがある日もあればない日もあった。
物事は自由気ままに起こったり起こらなかったりして、そこで生きている僕らはそれに振り回されっぱなし。
もうそろそろ夏も盛り始める頃。
だから遠くでキラキラと眩しいくらいに白い入道雲が、時折ものすごい夕立を引き起こしては立ち去っていくのだ。
その度に僕らは肌寒い思いをするなんていうこともあった。
でも、それ以外には特に何もない。奇蹟的ともいえるだろうし、日常的だともいえる。
ただ僕らはいつも神様の気まぐれによって生かされているわけで、その天秤は常にふらふらと揺れている。いい方にも悪い方にも、傾きかねないのだ。
それを考えると、僕らが生きているのだって当たり前なことだけど、本当は奇蹟的な確立。嫌なこととかいいことが奇蹟なんじゃなくて、この日常といわれているものの方がきっと奇蹟なんだ。こういう身になって、ようやく解った。
だから僕が考えているような死とかだって、きっと何よりも身近なものなんだろう。
生きているのなんてたまたまな話。本当は常に死神のあの大きな鎌が首筋に突きつけられていて、その切っ先がこれまでの間、たまたま刺さらなかっただけ。
そう。きっとそんなもんなんだ。
見慣れてしまったけど、すっかり荒れ果てた大地を見ているだけで、僕はそれを実感することができる。
ひび割れたアスファルト、崩壊しかけた墓標のようなビル。
粉塵を巻き上げて壊れ果てたコンクリの山、誰にも見つけてもらえずそこに埋もれ続けている何千何万という人々の亡骸。
全てが全てそんな気まぐれの結果。物事全ての結晶だ。
そしてその結果があって、僕は存在をし、美泉とこうした形で出会っている。
もしこんなことがなかったとしたら、僕らは出会わなかったかもしれないし、出会っていたとしても僕は僕で友人たちと一緒にいて気がつかなかったかもしれない。
気まぐれがあったからこそ僕らはこうして出会えて、こうして暮らしている。
どっちの方が幸せだったのかなんて、そんなたいそうなことを僕は決めることができない。けれど結局は僕らなんて、シナリオに書いていないシナリオどおりの道を進む他ないのだろう。傾く方へと転がっていく他は……。
そして僕らは今日も眠りにつく。
数ある光に包まれて……。
ふと僕は目を覚ました。
視界には明るい日の光ではなく、しっとりとした月明かりが入ってくる。
今まで夜に目が覚めたことがなかっただけに、僕はじれったさに寝返りを打って。……すると隣にいたはずの美泉の姿がそこにはなかった。
一瞬ドキッとして、でもすぐに少し離れた場所に美泉の姿を見つけると、僕は何故かホッとした。
また一人になってしまうのは嫌だった。
誰もいない世界は嫌だった。
それに、一人で朝を迎えるのが何よりも怖かった。
見つけた美泉の姿を、僕はずっとずっと見つめ続ける。
満天の星空はどこまでも広がっていて、ぽつんと一人座っている美泉が、まるで星の海の中にいるよう。
この星空は、あれほど最悪だと思っていた戦争が、唯一残してくれた素敵なものだった。
人工的な明りが一つもない、自然の明かりだけで作られた世界は、どこまでも澄み渡っている。
けれど両膝を抱え込んで座っている美泉は、何故か哀しい翳りを見せていた。
いつもと何かが違う。
僕は今すぐ美泉の元へ行ってやって、彼女の身体を抱きしめてあげたかった。
寂しそうな彼女を包んであげたかった。
でも、僕の身体は寝転がったまま動きやしない。
どうすることもできない遣る瀬無さが、僕の心を締め付けた。




