第2話 クスティよいとこ 一度はおいで。
思ったより近くに万年雪を抱いた山々を眺めながら…ビアンカがゆっくりと湯に入る。
ここクスティ国は小国だが、温泉が豊富だ。いろいろな種類の温泉がわき出しているらしい。先代の王がこれを利用して、温泉療養施設を作った。コース別にあちこちに点在している。もちろん、一般の人も利用できる温泉はそれより多い。
跡を継いだ現王が、専門家を育成してさらに整備して、今の形を作り上げた。各国の大商人や貴族、王族もお忍びで来ている。
私たちが来ているのは山沿いの温泉。
医師も常駐し、食事も個々人に合わせたものを提供。ラウラのように専門とする人がついて心身ともにリラックスできるように気を配ってくれる。治療として来ている人には医療専門のスタッフがつく。私は美容コースなので、エステティシャンがつく。
湯治はのんびりが一番だ。
施設にはティ―ルームも図書館もある。本は図鑑や娯楽本がほとんどだ。仕事や現実に向き合うような書籍は置いていない。
なにせ温泉に入るのに武器は持って入れない。
利用者の安全を第一に、プライベートな情報は漏らさない。
もちろん食材も選び抜かれており…当然、利用料金は跳ね上がる。
それでも…また来たい、と思わせるあたり…クスティ国王もなかなかやるわねぇ。
通常だと1か月もすると、なんというか…まさに一皮むけたぐらいすっきりする。
そして不思議なことに、あんなにのんびりしたいと思っていたのに、何か始めたくなってウズウズする。
孫のクロエはここのところ上手く笑えなくなった。
王太子の婚約者候補は2人。クロエともう一方は公爵家の御令嬢。
いよいよ正式な婚約の発表が今年の秋に予定されて、その時期が近付いたからかしら?クロエ本人は辞退して事務官になると言って、本当に事務官試験を受けた。秋から仕事を始めるつもりらしい。
先日も…殿下と舞踏会で踊るのなんか最初で最後だからと張り切って、舞踏会に出かけて行った。
さっさと帰ってきた孫娘は、泣きそうな顔で笑っていた。
クスティ国の温泉に誘ったら付いてきた。道中もやけに一人でにぎやかに話して、大笑いしていた。
…ふうっ…
肌触りの良いなめらかなお湯を左腕にすべらせながら、ビアンカは一つため息をつく。
***
「まあ、ラウラさんは華国と菜国に留学に?」
のんびりと半身浴をしながら、ラウラと世間話をしていたクロエ様が驚いて聞き返した。
「そうよ。今のうちの国王がね温泉療養の専門家を育成するのに、何かヒントにならないかなあ、って思ってね?出かけてみたわけ」
「そ、そんな、簡単そうに…クスティ国は華国と国交があるんですか?」
「民間で交流があるのよ。先王が手探りで療養施設を立ち上げた時に何人か華国の専門家を招いていてね?それが続いているから」
「なるほど…ではそのつてで菜国も?」
クロエ様はよく話すし、食欲もあるが…なんというか…作り笑いみたいな?
なにか抱えている人はよくこんな表情をする。時折、ぼーっとしている。
ここはなだらかな散歩道が続き、少し行くと小さな湖もある。小さな林もあって、散策もできるし鳥も見れる。
馬場もあるので、馬に乗りたい人は馬を走らせることもできるし、施設で飼っている犬と散歩したり遊ぶこともできる。…いわゆる回復期の方のために整備された施設だ。もちろん他にもお客様はいるが、基本、接触しないように気を付けている。
「華国に5年いて、体にいい料理を習って…菜国は温泉が沢山あるって聞いたから、行ってみたの。あちこち温泉を渡り歩いてね…あの国は随分オープンで、屋根も囲いもない温泉に男女とも真っ裸で入るのよ?」
「え?湯着なしで?」
「そうなの。これがまた気持ちいいのよね」
「んまあ!!」
いろいろ想像しているのだろう…クロエ様の顔が真っ赤になる。
表情が豊かになっていくのは、すごくいいことだ。
「ラウラさんは…ご結婚は?」
「あちこち歩いていたらこんな年になっちゃってね?これからよ」
まあこれも良く質問される。からからと笑っていると、
「そんな生き方もあるんですのね…」
と、感心されてしまった。普通だと慰められるのがオチだったが。
私たちの仕事は、この子を心身ともに元気にすること。結局は自分自身の問題なのでどこまでできるかわからないが。
依頼されたビアンカ様からは、16歳のただの可愛い女の子に戻してほしい、というご希望だった。
2週間たったが、この子の問診票の”好きなこと”の項目はまだ書き込まれていない。
*****
ザブン、と湯に頭まで入って、ぷかっと仰向けに浮かび上がる。
塩分濃度の高い温泉は、面白いほど体が浮く。口に入ると異様なほど塩辛く、目に入ると痛い。お湯を出てからも体がいつまでもぽかぽかする。エルザのお気に入りの温泉はここ。
エルザはぷかぷかと浮かびながら、広がる青い空を眺める。
成り行きで湯治に付いてきたが、武器は持って入れないし、驚くぐらいのどかだ。
警備体制もばっちりだ。
高いところで、鳥が鳴いている。ヒバリだろうか?
公爵家のローザリンデ嬢がクロエ様に、王城の事務官試験を勧めてきたあたりで、こうなる気はした。
「クロエ様はご立派ね。殿下の片腕としてこれからも仕事をするのに、事務官登用試験を受けるべきですわ。あなたなら合格できますわ。そして、立派な秘書官になって下さいね?」
そう言ってローザリンデ嬢の真っ赤な唇はにやりと笑っていた。グイッと渡された試験の申込書を見ていたクロエ様は気が付かなかったかもしれないが。
…要するに…王子妃には私が成るんだから、あなたは事務方を今まで通り頑張ってやりなさいね、っていう上から発言だ。
「まあ。ローザリンデ様、ありがとうございます」
…クロエ様…そこは、ありがとうじゃなくて…
馬鹿正直にクロエ様は登用試験をお受けになり、合格した。
本人は殿下の婚約者候補を辞退して、秋から事務官として働くつもりらしい。
はああああ…。
ちゃんとエアハルト殿下にも報告したのになあ…面白がっているし。
「おや、そうかい?クロエなら一発で上級事務官試験に通るだろうね?」
と、笑っていた。
吹いてくる風も暖かい。
はああああ…春だなあ。
どうする気なのかなあ、殿下は。




