四話「ひとときの手と声」
☆主な登場人物☆
**リコ(神崎莉子)**
元・日本の女子高生。転生後は赤い花びらに金の筋が入った花。声はないが、香りと花びらで豊かに意思を伝える。魔素雨の夜だけ、一時的に人間の姿になれる。冷静沈着で感情の起伏は薄いが、根の奥には確かな意志と優しさがある。
**ガリウス**
赤髪の十六歳、見習い冒険者。Aランクを目指して王都へ向かう。脳筋気味だが直感が鋭く、リコの「言葉」を誰より素直に受け取る。リコを「うちの花」と呼んでいたが、人間姿のリコを見て少し動揺中。
**レイン**
青みがかった黒髪の二十二歳、薬師魔法使い。ガリウスの教育係。植物の知識が深く、リコとの相性は抜群。クールに見えて、リコの香りの意味をいちばん正確に読み取る。
王都リュミエールまで、あと二日の距離にある街、ベルナ。
その外れにある古い教会に、三人は転がり込んでいた。
理由は単純だ。雨だ。それも、この地方特有の「魔素雨」──通常の雨に魔素が混じり、魔法を狂わせる厄介な代物。レインの結界魔法も安定せず、ガリウスの剣には余計な魔力が帯電してしまう。
しかしリコにとっては、むしろ恵みの雨だった。
鉢ごと窓際に置いてもらい、雨粒を葉で受ける。魔素混じりの水は、普通の雨水より何倍も豊かだ。根が喜んでいる感覚がある。人間で言えば、ご馳走を食べているような感じだろうか。
*気持ちいい。*
そう思った瞬間、何かが起きた。
根の奥で、何かが、弾けた。
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「……レイン」
ガリウスの声が、珍しく固かった。
「リコが、光ってる」
レインが振り返った。窓際の鉢から、柔らかい金色の光が溢れている。魔素雨の青白い光とは違う、温かみのある輝き。
光は花びらから漏れ、茎を伝い、鉢の周囲の空気を揺らした。
そして──
形を、作った。
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最初は輪郭だけだった。
光が集まって、人の形を象る。頭、肩、腕、手。足。
それが、少しずつ色づいていく。
黒い髪。細い手足。制服──いや、それは光が莉子の記憶をなぞったもので、すぐに薄れて、代わりにこの世界の白い簡素なワンピースのような形になった。
最後に、顔。
ごく普通の、十七歳の少女の顔。際立った特徴はない。でも、目だけは──深い緑色で、まるで森の奥を見ているような、静かな目だった。
その少女が、ゆっくりと目を開いた。
「……あ」
声が、出た。
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三秒間、誰も動かなかった。
ガリウスが最初に口を開いた。
「……リコ?」
少女は、自分の手を見た。両手を顔の前に持ち上げて、開いて、閉じて、また開く。それを三回繰り返す。
「手が……ある」
呟く声は、少し掠れていた。長い間使っていなかった声帯がうまく動いていないような。
「手が、あります。指が、五本ずつ」
「当たり前だろ!」ガリウスが叫んだ。「それより何がどうなって──レイン!レインはわかるか!?」
レインは、すでにリコに近づき、その手首をそっと取っていた。脈を確認するように。それから首元、鎖骨の下、額。
「魔力の質が同じです」レインは静かに言った。「これは、リコです」
リコは、レインを見上げた。
「……そうです。わたし、リコ、です」
それから、ひどく困った顔をした。
「なんで、こうなったのか、わかりません」
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調べてわかったことを、レインがまとめた。
「魔素雨が触媒になったと思われます。あなたの中に蓄積されていた魔力が、雨の魔素と反応して臨界点を超えた。その結果、植物形態では収まりきらなくなった魔力が、人型という形で溢れ出した」
「……つまり、魔力が多すぎて人間になった、ということですか」
「簡単に言えば、そうです」
リコは、手の平をじっと見た。
「いつまで、この状態でいられますか」
「魔力が消費されれば、また花に戻るでしょう。早ければ数時間、長くても……一日、というところでしょうか。それ以上はリコ自身の魔力が持ちません」
リコは頷いた。
感情は複雑だった。嬉しい、という気持ちはある。手がある。声がある。立って歩ける。
でも同時に、なぜか少し落ち着かない感じもする。根がない。地面に繋がっていない。まるで宙に浮いているような──
「リコ」ガリウスが、床に座ったまま上目遣いで言った。「その、喋れるなら……聞いていいか」
「……何をですか」
「お前、もともと何だったんだ。人間っぽい顔してるし、しゃべり方も人間だし」
リコは少し考えた。
隠す理由もない気がした。この二人には、どのみちいつかわかる気がしていた。
「人間でした」リコは言った。「別の世界の。日本、という国の、高校生」
沈黙。
「……こうこうせい?」
「十七歳の、学生です。交通事故で死んで、気づいたらこの世界で花になっていました」
また沈黙。今度は長い。
ガリウスが、レインを見た。レインが、ガリウスを見た。二人で、リコを見た。
「……そっか」ガリウスが最終的に言った。「大変だったな」
リコは、目を瞬かせた。
もっと驚くかと思っていた。信じないかとも思っていた。でもガリウスの声は、ただ穏やかだった。
「大変だった、か」リコは繰り返した。「そう、ですね。最初は困りました。声が出なくて、動けなくて」
「今も基本は花なんだろ。それって不便じゃないのか」
「慣れました」リコは少し考えてから、付け加えた。「根があるから、わかることが多いんです。土の状態、大地の魔素の流れ、植物のネットワーク。この姿より、むしろ情報量は多いかもしれません」
「へえ」ガリウスは素直に感心した。「じゃあ花のほうが快適?」
「…………」
リコは答えなかった。その代わり、窓の外の雨を見た。
快適かどうかと言われると、正直わからない。根で大地と繋がっている感覚は確かに心地よい。でも今、この手で雨を受けてみたい、とも思っている。
「複雑、です」
それだけ言った。
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夜になって、雨が上がった。
リコは教会の外に出た。ガリウスがついてくると言ったが、「一人で大丈夫です」と答えたら、なぜかガリウスが固まった。
「その、リコが一人でって言うの、なんか新鮮すぎて」
「花のときも意思表示はしていましたが」
「いや、そうなんだけど、声で聞くと全然違って……その、なんか、ちゃんと人なんだなって」
リコは少し黙った。
「人では、ないです。今は」
「でも、もとは人だろ」
「……そうですね」
ガリウスは扉の前で待つことにしたらしく、リコは一人で石畳の上に出た。
濡れた地面。水たまり。雨上がりの空に、この世界の二つの月。
リコは、裸足のまま、草の上に立った。
足の裏から、かすかに──ほんのかすかに──大地の感触がある。根ではないから鮮明ではない。でも、確かに何かが伝わってくる。
*ああ、繋がってる。*
その感覚に、リコは静かに安堵した。
手を伸ばして、近くの木の幹に触れた。樹皮の凸凹。湿った感触。そして、その奥に──木が眠っている気配。
リコには、それがわかった。この手でも、かすかに。
草の上に、そのまま座り込んだ。手で土を触る。冷たい。湿っている。小さな虫が一匹、指の間を通り過ぎた。
生前、こうやって庭の土を触るのが好きだった。
神崎莉子は、人間だったとき、いつもそうやって地面に近いところにいた。だから転生した先が花でも、そんなに違和感がなかったのかもしれない。
*もとから、根が生えてたんだな、あたし。*
そう思ったら、少し可笑しくなった。
声に出して笑ったのは、たぶん転生してから初めてだった。小さく、静かな笑い声。それでも、夜の空気に確かに溶けた。
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夜明け前、リコは光に包まれた。
自然に、静かに。魔力が花の形に戻っていくのがわかった。手が薄れる。足が消える。声が遠くなる。
鉢の中に、根が戻る。
大地と、繋がる。
莉子は──リコは、また花になった。
でも、朝日の中でその花は、今までより少しだけ大きく、鮮やかに開いていた。
ガリウスが扉を開けて、それを見た。
「……おかえり、リコ」
リコは、花びらを一枚、彼の頬にそっと触れさせた。
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レインが荷物をまとめながら言った。
「魔素雨は定期的に降ります。次に降ったとき、また人型になれるかもしれません」
リコは葉を揺らした。
「でも、無理に人型でいる必要はない、とも思っています。あなたはすでに、十分に意思疎通ができている」
もう一度、葉を揺らした。今度は違うニュアンスで。
レインはそれを読んだ。「……たまには、声で話したい、ということですか」
花びらが、ゆっくりと開いた。
「そうですね」レインは小さく微笑んだ。「次の雨を、楽しみにしています」
ガリウスがリコの鉢を背負い直した。
「よし、王都まであと二日。行くぞ!」
三人の旅が、また始まった。
リコは大地の魔素を根で吸いながら、ふと思った。
声がなくても伝わる言葉がある。声があるからこそ伝わる言葉もある。
どちらも、自分のものだ。
花でも、人でも。根を持つ者は、どこにいても揺れない。
異世界メモ
この世界には大地に満ちる「魔素」があり、人間は体内の「魔核」を通じてそれを魔法に変える。しかしリコは魔核を持たず、根から直接魔素を吸収するため、消耗という概念がほぼない。また、植物同士は根のネットワーク(菌根ネットワーク)で情報を共有しており、リコはそれを通じて森全体の状態を把握できる。魔素雨は定期的に降る自然現象で、リコが人型になる唯一のきっかけ。




