プロローグ ―死の香り―
春の校庭に、桜が散っていた。
高校二年生の神崎莉子は、その花びらを見上げながら、ぼんやりと思った。きれいだな、と。次の瞬間、世界が暗転した。
原因は後から考えればあっけないものだった。下校途中、スマートフォンで植物図鑑のアプリを開きながら歩いていた莉子は、工事現場の仮囲いが倒れてくるのに気づかなかったのだ。
それが、神崎莉子の死だった。
──でも、終わりじゃなかった。
暗闇の中で、声が聞こえた。
「ようこそ、迷い人よ」
声には性別も年齢も感じられなかった。強いて言えば、それは「森」のような声だった。何千年もの時間が圧縮されたような、深くて静かな響き。
「あなたは道半ばで命を落とした。その魂は、世界の狭間に漂っている」
「……ここはどこですか」莉子は言った。声が出ることに驚きながら。「あたし、死んだんですよね」
「そうだ」
「そっか」
思ったより冷静に受け止めている自分に莉子は少し笑った。昔から感情の起伏が薄いと言われていた。植物の世話をしているときが一番落ち着く、変わった女の子だと。
「一つ、問おう」声は続けた。「あなたは何を愛していたか」
莉子は迷わなかった。
「植物です」
沈黙。それから、かすかな──本当にかすかな──笑いの気配。
「ならば、植物として生きるがよい。異なる世界で、花として、根として、風として」
「……え、ちょっと待っ──」
世界が、緑色に弾けた。




