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鉄の理性を溶かす、計算された無邪気

少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。

先程、部屋で言われた言葉を反芻しながら、俺はリアの少し前をギルドに向かって歩いていた。


(……三日も持たない、か。あの日あんな啖呵を切ったくせに、結局は崖っぷちじゃねぇか)


この宿に腰を落ち着けた初日の夜、俺は当然のように革袋を差し出した。これまで依頼で積み上げてきた金が腐るほどある。一生遊んで暮らせて、この街で一番いい宿を借り続ける財力が。だから、リアが働く必要なんて、これっぽっちもねぇんだ。

「好きなもんを食って、安全な部屋で大人しくしてろ」と何度も言った。

なのに、このガキは……。


「宿代も飯代も、俺が持つ。お前みたいなガキに、金の心配はさせねぇ」


それが「兄貴分」の役目だと思っていた。だが、リアは受け取らず、湿り気を帯びた瞳で俺をじっと見上げてきた。


「……兄貴、私のこと、ただの『お荷物』だと思ってる? 私はいつか兄貴の『対等な相手』になりたいんだ。自分の宿代くらい、自分で工夫して稼いでみせる。……それとも、兄貴は私に、一生自分の足で立てない『無能な弟分』でいてほしいの?」


あどけない顔で、俺の「自尊心」を的確に突いてくる。

最後には俺の袖を指先でつまみ、「本当に行き詰まったら、世界で一番強い兄貴に泣きつくからさ。……いいでしょ?」なんて首を傾げて笑われた。

……勝てるわけがなかった。結局、俺は「……好きにしろ」と折れるしかなかったんだ。


危うい資金繰り。口先一つでの交渉。

アイツがその細い腕で必死に「自立」しようとするたび、俺の保護者としての本能が、行き場を失って暴れだす。


(早く泣きついてくりゃいいものを……。その知恵が回る分だけ、余計に目が離せねぇ)


俺はあいつが転ばないよう、無意識に歩幅を緩め、背後の小さな気配に神経を尖らせた。


『仲介料を負けさせておいた』


……それにしてもあいつは、いつの間にそんなことを済ませていたんだ?

俺が報酬を受け取っている間か、あるいは依頼を見繕っていた間か。いや、そもそも……。

あいつが何を考え、どう動いているのか。色々と考え込んでいる間に、いつの間にか目の前には、鉄の取っ手が鈍く光るギルドの木製扉が立ちはだかっていた。


「ほら、兄貴! 着いたよ。ボサっとしてないで、早く開けてよ」


背後からリアの快活な声が飛ぶ。俺は小さく鼻を鳴らし、乱れた内心を押し殺して扉を押し開けた。扉を抜けた先、朝の依頼板に群がる連中の熱気をかき分け、リアは迷わず受付のカウンターへ向かった。

窓口に座っているのは、このギルドでも指折りに口が悪いことで有名な、不愛想な中年職員だ。

窓口に向かうリアの背中は、驚くほど小さい。

窓口の職員を相手に、リアは「おはよう、おじさん! 昨日言ってた件、もう済ませてくれたよね?」と一生懸命に話を進めている。あんなに愛想を振りまいて……。あいつなりに、この街で生き残ろうと必死なんだろう。


「……おう、小僧。お前の言う通り、あの依頼の報酬配分を調べ直したら、確かにギルド側の不手際があった。仲介料の一割カット、上で許可が下りたぞ」


「やった! ありがと。……ね、兄貴。これで修行に専念できるよ」


リアが振り返って、俺に悪戯っぽく笑いかける。

俺はと言えば、腕組みをしたまま、喉の奥で唸るのが精一杯だった。


(……一割だと?)


ギルドの連中が、一度決めた仲介料を負けるなんて話、聞いたことがない。

武力で脅したわけでも、袖の下を通したわけでもないはずだ。あいつはただ、言葉だけで――相手の懐に滑り込み、さも「そうするのが当然だ」と思わせる空気を作って、この結果をもぎ取った。それがアイツの長所なんだろう。

だが、それよりも……差し出されたその差額。たかだか数枚の銀貨のために、あいつは必死に頭を回して、職員相手に愛想を振りまいていたのかと思うと、また腹の底がじりじりと焼ける。


(……まったく、あんな無防備な笑顔、他の男に見せてんじゃねぇよ)


「兄貴」と呼ぶ声も、俺の袖を掴む指先も、あいつにとってはただの「頼れる兄貴」への信頼の証なんだろうが……受ける側の俺にとっては毒が強すぎる。

「ありがと、おじさん!」と弾んだ声で笑い、リアが差額の金を受け取った後、俺に腕を絡める。


(……そんなした金、俺がいくらでも出してやるってのに)


だが、あいつは「兄貴の役に立ちたいんです」なんて殊勝な顔をして笑う。

その健気さが、俺の胸をどうしようもなく締め付ける。俺が守ってやるべき、か弱い弟。……そう思いたいのに、掴まれた腕から伝わる熱が、俺の思考を狂わせる。


「……行くぞ」


俺は沸き上がる得体の知れない焦燥を隠すように、リアの背中を促してギルドを後にした。

帰り道、隣を歩くリアは相変わらず腕を絡めたまま機嫌よさげに鼻歌を歌っている。その横顔は、一国の経済を動かす策士のようにも、ただの無邪気なガキのようにも見えた。


「……離せ。人目があるだろうが」


「えー、だって離したらまた兄貴、1人で歩いていっちゃうじゃないですか」


リアはそう言って、さらに力を込めて俺の腕に寄り添ってきた。

薄い胸板が、俺の鍛え上げた腕に触れる。

その拍子に、さっき部屋で感じた「リアの香り」が再び鼻腔を掠めた。

戦場を駆ける野郎どもの汗臭さとは無縁の、柔らかくて、どこか甘い、匂い。


(こいつは……本当に、男なのか?)


何度となくした自問自答。

俺の財力なんて目もくれず、俺という男そのものを支えようとする。

そのまっすぐな献身が、俺の中の歪な独占欲を肥大させていく。

あんな笑顔、他の奴に見せるな。俺の金で、俺の腕の中で、ただ俺だけを見ていればいい。

そんな「兄貴分」の枠をとうに踏み越えたどす黒い感情が、心臓の音をさらに激しく打ち鳴らす。


「兄貴、さっきから顔が怖いよ? もうお腹空いたの?」


「……うるせぇ。さっさと宿に戻るぞ。裏庭で、そのなまった体を叩き直してやる」


宿へ戻る足取りを早める。驚くほど細い感触。俺が少し力を込めれば、たやすく砕けてしまいそうな脆弱さ。


そう――この時の俺は、真剣にコイツを鍛えようと思ってたんだ。






宿の裏庭。ここ数週間、「剣の修行」は二人の日課になっていた。

俺は木剣を構えるリアの背後に立ち、冷静にその足元をチェックする。


(……よし、今日は落ち着いている。私情を挟まず、純粋に指導に集中できるはずだ)


そう、自分に言い聞かせていた。初めの頃、真っ赤になって逃げ出した失態を繰り返すわけにはいかない。

俺はあいつの背後に一歩踏み込み、その細い腰を支えるように手を添えた。


「リア、重心が浮いてる。もっと腰を落とせと言っただろう」


「……ん、こう? 兄貴、これ結構きついよ……」


リアがふらつき、俺の胸にその小さな頭を預けてくる。

身長差のせいで、あいつの頭はちょうど俺の胸板のあたり。そこから伝わる柔らかな重みに、一瞬、心臓が跳ねた。


(……いや、これは修行だ。不可抗力だ)


だが、あいつが剣を振り下ろすたびに、柔らかな髪が俺の喉元をくすぐる。

何度繰り返しても、この香りと体温だけは、どうしたって慣れることができない。

俺の腕の中にすっぽりと収まったリアは、俺が力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほど細い。だが、その細い体から発せられる熱が、俺の理性をじわじわと、着実に溶かしていく。


(……っ、ダメだ。やっぱり、近すぎる)


俺の掌の中で、リアの小さな手が微かに震えた。

「守ってやらなきゃならねぇ」という義務感と、「俺だけのものにしておきたい」という、暗い独占欲が、胸の奥でどろりと混ざり合う。



【ガナッシュの精神ログ】

• 焦燥: リアの「自立」が危なっかしくて見ていられない。

• 執着度: 200%「俺がいないとダメだ」とあいつに自覚させたいという、暗い独占欲。「いつ泣きついてくるか」と待ち構えている自分への嫌悪感。

• 理性の防波堤:廃墟同然

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