第九十八話
(これを、どうするべきか……) モエは、椅子に深く腰掛け、頭を抱えた。 酒呑童子(店長)からの依頼は、継人の警護と監視。この異常な石の存在は、間違いなく報告すべき事項だ。継人の身に危険が迫っているかもしれない。 (酒呑ちゃんに報告すれば、縁切りが進む……でも、ぬらりひょん様に逆らうことになる)
ぬらりひょんからの命令は「石を渡せ」。目的は、酒呑童子が継人との縁を切る計画を阻止すること。逆らえば後が怖い相手だ。 (ぬらりひょん様に従えば、廻くんが危険に晒され続けるかもしれない。でも、逆らえば……)
どちらに転んでも、誰かの意向に背くことになる。 キリキリ、と胃が痛み始めた。
(……いや) モエは顔を上げた。 (やっぱり廻くんを危険なままにはしておけない。酒呑ちゃんの依頼を優先する。……そのためには) モエは覚悟を決めた。 (ぬらりひょん様を、欺くしかない!)
モエは、ハンカチに包まれた本物の「石」を横に置き、集中した。化け狸としての力。変化と幻術。人心を惑わす才。 その力を、今、全力で「無」に注ぎ込む。 本物の石が持つ、あの「見えにくいが存在感のある」奇妙な気配を再現する。
(……こんな感じ、か) モエは、自身の妖力で練り上げた「気配」の塊を、別のティッシュの上にそっと置いた。 見た目は、ただのティッシュだ。だが、意識を凝らせば、本物の石と同じように、そこだけ空間が歪み、何かがあるような、しかしはっきりとは見えない、奇妙な存在感がある。 我ながら、一世一代の出来だった。
***
翌日。 モエは、指定された料亭の一室で、ぬらりひょんと向かい合っていた。老婆の姿だった。
「……それで、例の物は?」
「はい。こちらに」
モエは、カバンから、昨夜作り上げた「偽物の石」を、ティッシュごと取り出し、恭しく差し出した。 ぬらりひょんは、そのティッシュ(にしか見えない物)をジロリと見た。指先で、そっと触れる。
「……ふむ」
モエは、息を詰めて、その反応を待った。
(……バレてない?)
「確かに……妙な気配はするねぇ」 ぬらりひょんは、意外にもあっさりと頷くと、そのティッシュを懐にしまった。 「よかろう。これは私が預かる。酒呑には……まあ、うまく言っておきな」
「は、はい!」
(……よし!) モエは、内心でガッツポーズをした。
「確かに預けました。これで安心ですね」 完璧な笑顔でそう言い添えると、ぬらりひょんは満足そうに茶をすすった。 (……胃が痛い……) 大物を欺くストレスは、想像以上だった。
***
ぬらりひょんとの面会を終えた足で、モエは急いで店へと向かった。 ガラガラ、と引き戸を開けると、店長が一人、カウンターでタバコをふかしていた。
「酒呑ちゃん!」
「……モエか。」
モエは、カウンターに駆け寄ると、今度はポケットから本物の「石」を取り出し、店長の前に置いた。
(もちろん、店長にはティッシュの凹みにしか見えないだろうが)
「これ!」
「……!」 店長は、その異常な気配をすぐに察知し、目を見開いた。
モエは、早口でまくし立てた。
「廻くんから預かった石だよ! ハロウィンの日に、子供からもらったんだって! 私にもちゃんと見えないし、写真にも写らない! 絶対ヤバいやつ!」
「……」
「さっき、ぬらりひょん様に呼び出されて、石の引き渡し要求されたけど……偽物作って渡して、なんとか凌いできた!」
モエは、そこまで一気に言うと、ぜえぜえと肩で息をした。 店長は、黙ってテーブルの上の「石」を見つめていた。




