第八十八話
「……少し、待て」 店長は、継人の震える声に、短く答えた。だが、それは継人の不安を煽るだけだった。
「少しって……どれくらいですか!? 『見える』だけじゃなくて、『聞こえる』ようにもなって……次は、どうなるんですか!?」 継人は、取り乱していた。棚のガラクタ達から聞こえる囁き声が、まるで自分の未来を嘲笑っているように感じられた。
「前に! たまちゃん……あの玉藻前とかいう人は、『大した影響は出てない』『安心しろ』みたいなこと言ってましたよね!?アレは、嘘だったんですか!?」
「だから、落ち着け、バイト君。今、確かめてる最中だ……」 店長が宥めようとした、まさにその時だった。
ガラガラガラ……! 勢いよく引き戸が開き、あのスリーピーススーツの男(?)、玉藻前が入ってきた。
「やあ、騒がしいね。呼び出しといて、随分な出迎えじゃな―――」
「てめえっ!」 揚々と入ってきた玉藻前に掴み掛かろうとした継人よりも、一瞬早く。 店長が、カウンターを飛び越えて玉藻前に掴みかかっていた。
「うおっ!?」 「て、店長!?」 結果的に、継人が店長を玉藻前から引き剥がすような形になってしまった。
「遅いぞ、狐! どういうつもりだ、あのふざけたスタンプは!」 掴みかかったまま、店長が唸る。
「やれやれ。少し情報を焦らしたからといって、この剣幕か。……まあ、浮気をしたのはそちらだろう?」 玉藻前は、店長に胸ぐらを掴まれたまま、意に介さず涼しい顔で言う。
「……ん?」 玉藻前は、掴まれたまま、継人の顔をじっと見つめた。
「……ほう。変化しているな。酒呑」
「話せ!」
「とりあえず! 離しましょう、店長!」 継人は、必死に二人の間に割って入った。
***
多少落ち着き、カウンターを挟んで向かい合って座る三人。店長の不機嫌は頂点に達している。
「ひどい言い草だな。お前が『今すぐ来ないと、私の名刺の住所まで来て、狐の尻尾を一本ずつ引き抜く』と脅してきたんだろう?」
「……」 店長は、忌々しそうにタバコに火をつけた。どうやら、玉藻前がここまで来たのは、店長の(切羽詰まった)脅迫によるものだったらしい。
「で、あの……」 継人は、不安げに玉藻前を見た。
「俺、この間まで聞こえなかった音が、聞こえるようになってて……」
「のようだな」 玉藻前は、面白そうに頷いた。
「心当たりはある。『あの方』は気まぐれだからな。お前の店にふらりと現れたとしても、不思議はない……『落とし物』の回収に、ふらりと戻ってくるかもしれんぞ?」
そこで、玉藻前は、ふと姿勢を正した。 その目は、からかうような色を消し、真剣な光を宿して、店長を見つめた。 「酒呑」
「……なんだ」
「お前は、この人間の『飴玉』の影響を取り除いたら……その後、どうするつもりなんだ?」
「……!」 店長の肩が、微かに震えた。
「……お前には、関係ない」
「私にはな。だが……」 玉藻前は、継人の方を見た。
「この人間には、大いに関係あるだろう?」
「……」 店長は、答えずに、ただ黙って玉藻前を睨みつけた。 玉藻前は、その反応を見て、満足そうに笑うと、席を立った。
「まあいい。『浮気』のお返しだ。せいぜい悩むがいい」
玉藻前が、また名刺を置いて嵐のように去っていった後。 店には、重い沈黙が残された。
継人は、さっきの玉藻前の言葉の意味を考えていた。 (……俺に、関係あること?) そして、意を決して、隣で俯いている店長に伝えた。
「あの、店長」
「……」
「もし、俺が元に戻っても……この飴玉の影響が消えても。俺、この店で、働き続けたいです」
店長は、ゆっくりと顔を上げた。 その顔は、少し嬉しそうで、でも、とても寂しそうで、今にも泣き出しそうな、複雑な表情をしていた。
「……それは、何よりだ……」 消え入るような声で、そう答えが返ってきた。




