第八十五話
(すぐに酒呑ちゃんに報告しないと……!) 芝モエは、カフェテリアの隅でスマホを取り出し、酒呑童子の番号を呼び出そうとした。 その瞬間、画面に着信が表示される。 表示された名前を見て、芝モエの胃がキリ、と痛んだ。
「……はい」 努めて平静を装い、電話に出る。
『……モエ』 電話の向こうから聞こえてきたのは、老婆のようにも若い女性のようにも聞こえる、掴みどころのない声――ぬらりひょんだった。
『なぜ、「うわん」を鳴らした?』
(……バレてる!?) 芝モエは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。この老婆には、何もかもお見通しなのか。 だが、ここで正直に「店長の指示で継人の聴覚を試した」などと言えるはずがない。芝モエは、咄嗟に、ぬらりひょんが望むであろう答えを口にした。
「はい! それは、酒呑童子さんと廻くんの『縁』を繋ぎ続けるためです! あの音は、二人の繋がりを強めるための……まじない、のようなものでして!」
『……「うわん」が、かい?』
「『うわん』が、です!」 芝モエは、内心の冷や汗とは裏腹に、自信満々に言い切った。
『……そうかい』 ぬらりひょんは、特に疑う様子もなく(あるいは、全てを見透かした上で)、あっさりと納得したようだった。
『まあいいさ。何かあれば、言っとくれ』
「はい!」 プツリ、と電話が切れる。芝モエは、大きく息を吐き出した。 (……危なかった)
気を取り直し、今度こそ酒呑童子に電話をかける。数コールで、気だるげな声が応答した。
「……もしもし」
「あ、酒呑ちゃん!? 私、モエ!」 芝モエは、早口でまくし立てた。
「さっき言ってた『音』のことだけど! 廻くん、聞こえるようになってる! 今、『うわん』で確認した!」
電話の向こうで、店長が息を呑む気配がした。そして、絶句。 長い沈黙が流れる。
「……酒呑ちゃん? どうする?」
『……』 ややあって、絞り出すような声が返ってきた。
『……今は、変わらず。……あいつを、守ってくれ』
「……うん、分かった」 ブツン、と一方的に電話が切れた。
「……」 芝モエは、切れたスマホを見つめ、深いため息をついた。 (やっぱり、酒呑ちゃんは……)
「モエさん?」 背後から、心配そうな継人の声がかかる。
「わっ!?」 芝モエは、驚いて振り返った。
「だ、大丈夫だよ! なんでもない!」
「でも、なんか顔色悪いですよ?」
「そ、それよりも!」 芝モエは、慌てて話題を変えた。
「さっき、やっぱり変な音したよね!? なんだったんだろー!」 継人は「ですよね!?」と同意したが、芝モエは(ごめんね、廻くん……)と心の中で謝るしかなかった。
***
一方、店。 芝モエとの電話を切った店長は、険しい顔でタバコに火をつけた。 (……『耳』にも来たか) 高位存在の影響が、確実に進行している。猶予はない。 店長はスマホを取り出すと、迷わずある番号に電話をかけた。相手はすぐに出た。
『おぅ、どうした酒呑』 たけまる(大嶽丸)の、豪快な声だった。
「たけまる……悪い。近いうちに、店、移す事になるかもしれない」
『……なんかあったんだな』
「うん。話が早くて助かる」
『また、デカい自然災害でも起こそうか? 前みたいに』
「いや……」 店長は、深く煙を吸い込んだ。
「今回は、それ以外に追加でやることがあるから。前みたいには、やらなくて大丈夫。……ありがとう」
『そうか。まあ、何かあったら、また連絡しろよ』
「ああ」
電話を切ると、店長は大きく深呼吸をした。 そして、玉藻前以上に気が進まない相手へ電話をかけるべく、スマホの画面をタップした。




