第八十三話
その日、継人は大学の講義に出ていた。 店には、珍しく店長が一人きりで店番をしている。
(……あのクソ狐) 店長は、カウンターでタバコをふかしながら、スマホの画面を忌々しそうにタップしていた。 玉藻前――「たまちゃん」に、あの『飴玉』に関する追加情報を要求しているのだが、一向に電話に出ない。 メッセージを送っても、返ってくるのは、いつもふざけたスタンプだけだ。
(なんだこの、狐が『またコンど』(また今度)と言ってるスタンプは!? )
イライラしても始まらないが、あいつのこういう思わせぶりな態度は昔から実に気に食わなかった。
ガラガラガラ……。
その時、古びた引き戸が開く音がした。 店長は、スマホから顔を上げ、気だるげに声をかける。
「……いらっしゃい」
だが、そこに立っていたのは、客ではなかった。 一匹の、小さなサルだった。
(……サル?) 動物園から逃げ出してきたのか。 サルは、店長のほうを真っ直ぐに見つめると、人間の言葉で、はっきりと一言だけ告げた。
「次は、耳だ」
言い終わると同時に、サルの姿は、ふっ、と陽炎のようにその場から消えた。
「……」 店長は、タバコを口にくわえたまま、その場に固まってしまった。
店の奥から、ただならぬ不穏な気配を察知して、ラキが慌てて暖簾の裏から飛び出してきた。 「お頭! 大丈夫ですか!? 今、何か……!」
店長は、ラキの声も聞こえていないかのように、必死に今しがた起こったことの意味を考えていた。
(……アレは、何だ?)
(予告か? 警告か?)
(ただの動物のサルにしか見えなかった。『あやかし』や宇宙人の類とは違う)
(匂いもしなかった。透明人間ですら、匂いはあったのに)
(だが、目の前で消えた……)
(……アレこそが、『高位存在』だったのか?)
(なぜ、わざわざ『見える』姿で……?)
(『次は耳だ』と言ったか) バイト君が最初に与えられたのは、『視覚』――見える力。 次は、『聴覚』……?
「お頭!?」 ラキが、店長の肩を掴もうとする。
「……」 店長は、ハッと我に返った。
(……怖じ気づいてる場合じゃない。これで一つ、前進した) バイト君の「耳」に異変が起こる前に、確認しなければ。
(すぐに、芝に確認をさせる必要があるな)
店長は、ラキを見返し、タバコを灰皿に押し付けた。 「……大丈夫だ」 その目には、いつもの気だるさとは違う、鋭い光が宿っていた。
「ついに、向こうから来たぞ」




