第七十話
ガタンゴトン、と規則正しいリズムを刻む帰りの電車の中。 継人は、吊り革に掴まりながら、スマホの画面を見つめていた。芝さんにお礼のメッセージを送る。
『芝さん、今日は本当にありがとうございました! めちゃくちゃ面白かったです』
『あ! すみません、チケット代渡しそびれました! 次会う時、必ず……!』
送信すると、すぐに既読がついた。
『こっちこそ、ありがとう! 正直、今日こんなに楽しくなると思ってなかった!』
『チケット代は、彼氏ができた例の友達に請求するから大丈夫!(笑)』
『あ、あと、よかったらモエでいいよ』
その返信に、継人の頬が緩む。 (……うれしい) 元カノからは、あんなにあっさりとフラれた。センスがズレてるとか、お人よしすぎるとか、散々だった。 だから、芝さんとのこういう何気ない、でも確かに好意的なやり取りが、ただただ嬉しかった。
(……やべ) 電車の窓に映る自分の顔が、ニヤニヤしているのに気づいた。 慌てて表情を引き締めようとした、その瞬間。
フワリ、と。 嗅いだことのない、しかし、どこかで記憶にある匂いがした。 甘い香水とは違う。もっと古風で、高価な白檀のような……。
瞬間、継人の脳裏に、あの気だるげな声が蘇った。
『目で見ても分からない事は多いぞ、バイト君』
店長の言葉だ。透明人間の時の。
(……この匂い) 継人は、必死に記憶を手繰り寄せる。 (どこで嗅いだんだ?……そうだ、店だ)
あの、独特な空気の店の中で。 いつだったか、店長と親しげに話していた、あの女。 (……着物を着た女性)
あの、継人を値踏みするように見て、「馴れ初めは?」と店長をからかった女性。 タニマチだと店長が言っていた、あの――。 (コレは……ぬらりひょんの、着物の匂いだ!)
継人は、ハッと周囲を見回した。 だが、電車の中は、疲れた顔のサラリーマンや、スマホをいじる学生ばかり。 あの妖艶な女性の姿も、着物を着た人物も、どこにもいない。 匂いも、もう消えていた。
(……まさか) さっきまでの浮かれた気分は、一瞬で冷や水を浴びせられたように引いていった。
(……見られてたのか?)




