第六十七話
バイト中だというのに、継人の口元は、さっきからどうにも緩みっぱなしだった。 (……今週末、芝さんと舞台か) 昨日の芝さんとのやり取りを思い出す。彼女と別れてから、あんな風に「人間」の女性と約束を取り付けるのは久しぶりだ。 『私は、そういうの好きだけどな』 彼女の屈託のない笑顔が脳裏に浮かび、継人は「にへら~」と、我ながら締りのない顔になっている自覚があった。
「……」 カウンターの定位置でタバコをふかしていた店長は、雑誌に目を落としたまま、チラリ、と継人を見た。 (……なんだ、今日のバイト君。さっきからニヤニヤして。) いつもの様子と違うことは分かるが、何が原因で変なのかまでは、さすがの店長にも分からなかった。
ガラガラガラ……。
その時、古びた引き戸の開く音がした。
「いらっしゃいませ!」 継人は、ニヤけていた顔を慌てて引き締め、声を張り上げる。
……だが。 扉は開いたものの、誰も入ってくる気配がない。 「あれ?」 継人は首を傾げる。外の光は差し込んでいるが、客の姿はどこにも見えなかった。 (空耳か? いや、今、確かに……)
継人が、助けを求めるように店長を見たが、店長は相変わらず落ち着いたもので、雑誌のページをめくっているだけだった。 (店長が動かないってことは、客じゃないのか?)
継人が「店長、お客さん、来てます?」と聞こうとした、その瞬間。 「!」 継人は、目を見開いた。
棚に並んでいた商品の一つ――あの死神が置いていったという古びた蝋燭が、ふわり、と宙に浮いたのだ。
蝋燭は、そのままスーッと継人の頭上を通り過ぎ、レジカウンターの方へ飛んでいく。 そして、棚の別の場所で、カラン、と何か硬いものが置かれる音がした。 その後、棚をコンコン、と二度叩くような音が聞こえたかと思うと、誰もいないはずの玄関の引き戸が、ガラガラ……ピシャリ、と閉まった。
「……」 継人は、今の光景がまったく理解できず、口をパクパクさせたまま固まっていた。 (浮いた……。蝋燭が……消えた?)
「い、い、今……! 店長! いまの、なんですか!?」 パニックになって叫ぶ継人に、店長はタバコの煙をふう、と吐き出した。
「安心しろ」
「いや、安心できませんって!」
「透明人間だよ」
「……はい?」
「透明人間が、蝋燭と何かを交換していっただけだ」 店長は、気のない声で答える。
「と、透明人間!? だって、姿も気配も、何も……見えなかったのに、なんで分かるんですか!?」
「ん」 店長は、自分の鼻先を、ジト目のままトントン、と叩いた。
「匂いがした」
「匂い!?」
「ああ。……目で見ても分からない事は多いぞ、バイト君」 店長は、そう言って、また雑誌に視線を落とした。




