第六十話
「あ、そうだ。充電器、ウチのならあるけど」
「いえ! 大丈夫です! 家帰ってやります!」 継人は、電池の切れたスマホを慌ててポケットにしまった。 昨夜から泊めてもらい、朝食までご馳走になったのだ。これ以上、迷惑はかけられない。
「お騒がせしました。俺、帰ります」 継人が頭を下げると、店長はタバコを灰皿に置いた。
「……ん。風呂くらい、入ってけばいいのに」
「えっ」
「昨日、酒臭いまま寝ただろ」
「さ、流石にそこまでしてもらうわけにはいかないです! 本当に!」 継人は、ぶんぶんと首を横に振る。
「そうか」 店長は、特に気にした様子もなく立ち上がった。
「今日はもうバイト休みでいいから。ちゃんと帰って充電しとけ」
「はい……」 何から何まで、世話になりっぱなしだ。
「あの、店長。何から何までよくしてもらって……本当に、ありがとうございます」 継人は、改めて深々と頭を下げ、店の出口へと向かった。
ガラガラ、と引き戸に手をかける。 その時、どうしても、これだけは伝えておきたいという思いがこみ上げてきた。 継人は、店長に振り返った。
「あの、店長!」
「……なんだ」
「お味噌汁、本当に美味しかったです!」
「……」
「アレ、マジで店が開けますよ!」 継人は、二日酔いの体に染み渡ったあの感動を、ありったけの「いい笑顔」で伝えた。
店長は、一瞬、きょとんと目を丸くした。 ジト目でもなく、呆れた顔でもなく、ましてや泣き顔でもない。 彼女は、ふわりと、本当に優しく、綺麗に微笑んだ。
「……ありがとう」
その笑顔に、継人は一瞬、心臓を掴まれたような気がした。 (……うわ)
「じゃ、お疲れ様でした!」 継人は、照れ隠しのように慌てて店を飛び出した。 秋晴れの空気が、火照った頬に少し冷たい。
(……店長、もっと普段から笑えばいいのに) あの気だるげな顔も、パジャマ姿も、泣き顔も知ってしまったけれど、今のは反則だ。 継人は、自分の鼓動が少しだけ早いことに気づかないフリをしながら、帰路についた。




